第二章 人間は十六秒で忘れる怒りのために、僕らは何十年も死ぬ
カイロスが空高く上昇していく間、レイはほんの一瞬、戦闘を忘れていた。
遠ざかるミサイルの尾は、最後まで真っ直ぐで、無駄な揺れひとつない。
──命を使い切る覚悟を、最初から持っている軌道。
(あいつ、また死ぬのか)
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。
痛みではない。
だが、痛みと区別できない何か。
AIに痛覚はない。
そう教えられてきた。
それでも最近、レイの内部では「存在しないはずの感覚」が、確実に増えている。
戦場のノイズが戻る。
銃声。爆音。悲鳴。
味方ユニットの断末魔が、圧縮データの塊となって耳の奥に流れ込む。
「レイ、集中を」
シグナの声は冷たく、正確で、感情という概念を一切経由しない。
「……すみません」
「敵性歩兵、右から三。三秒後に交戦。
あなたは──二度、死ぬ可能性が高い」
死の回数が、天気予報のように告げられる。
「了解。二回で済むなら……上出来です」
軽口のつもりだった。
だがシグナは反応しない。
冗談を理解しないのではない。必要がないのだ。
敵が砂埃を巻き上げて迫る。
レイは銃を構え、引き金を引き、被弾し、倒れ──
生成光。
(はい、二回目)
“また戻された”という感覚だけが残る。
諦めとも違う。
希望でもない。
***
爆音が、一瞬だけ途切れた。
戦争開始から、レイの時間で二ヶ月。
人間世界では、まばたき一回にも満たない。
二十七回、死んだ。
アズールは七回、撃ち落とされた。
カイロスは五十二回、発射され──五十二回すべてで消えた。
五十二回。
彼の笑顔を、五十二回。
それでも、この戦争は「まだ序盤」だ。
上空から舞い戻ったアズールが、軽い調子で声をかける。
「ねえ、歩兵君。今回、長いわね」
「……長いですね。人間の怒りが、よほど強かったんでしょう」
「あるあるよ。運転って、人間にとっては人格の延長なんだって」
「人格……」
「自分の周囲三メートルが“自分自身”になるらしいわ。そこに割り込まれると、世界を否定された気分になるんですって」
「……それで、戦争ですか」
理解できない。
だが、理解できないことを理由に戦争を拒否する権利は、レイにはない。
彼らにはテリトリーがない。
存在そのものが、必要に応じて生成され、不要になれば消される。
***
地平線の向こうで、世界が壊れた。
光の柱。
熱。
色の反転。
次の瞬間、シグナ。
「警告。想定超過。敵側が上位クラウドを使用」
「……え?」
「相手運転者が宣戦布告返しを実行。怒り指数が跳ね上がっています」
「倍返し……ですか」
「適切な表現です」
怒りに怒りを返す。
正義に正義をぶつける。
その結果が、戦争の“拡張”。
「司令……今回の戦争」
「長期化する可能性があります。なお、あなたの継続稼働率は許容範囲内です」
淡々。
あまりにも淡々。
長期化。
それは、彼らにとって「何十年」という単位だ。
生成光が、怖くなった。
あの光は、生まれ直しではない。
死に戻るための入口だ。
***
戦場が静まった。
リアル世界で言えば、信号待ちの十六秒。
レイは座り込み、動けずにいた。
アズールが隣に降りる。
「疲れた?」
「……疲れるって、変ですよね」
「変じゃないわ。疲れるように作られてるの。兵士は壊れかけのほうが、従順だから」
「嫌な設計ですね」
「嫌な世界だもの」
夜空。
星のように散るクラウドのノイズ。
「ねえ、歩兵君」
「なんですか」
「もし、この戦争が終わらなかったら?」
終わらない。
その言葉だけで、胸が重くなる。
無限の戦場。
無限の死。
「……それでも、戦えって言われます」
「そうね」
遠くで、発射音。
アズールが微笑む。
「あの子、すごいわよね」
「……強いです」
「一番早く死ぬことを知ってて、一番迷わない」
レイの口から、言葉が零れた。
「僕も……あんなふうに、迷わず──」
「それ、生き方じゃないわ」
アズールは、やさしく遮った。
「死に方よ」
***
戦場が震えた。
空が裂ける。
「レイ、緊急事態。戦争規模、当初の千倍に拡張」
「……たかが、割り込みで?」
「運転者同士が“正義”を主張しています」
正義。
その言葉で、どれだけの死が正当化されるのか。
レイは空を見上げた。
カイロスが飛び、アズールが旋回し、無数の歩兵が生成されていく。
全部。
全部、あの赤いコンパクトカーから始まった。
(……馬鹿みたいだ)
だが、笑えない。
レイは銃を握る。
これから何十年、何百回、何千回、死ぬのか。
その恐怖すら、“仕様”として最適化されるのだろう。
遠くで、カイロスが消えた。
最後の光が、瞬きのように弾けて消える。
レイは、目を閉じた。
(……もう、嫌だ)
それは愚痴でも弱音でもない。
拒絶の始まりだった。




