第十四章 存在を測る場所は淡く揺れる
黒い通路を抜けた瞬間、レイは足元の感覚を失った。
立っているのか、浮いているのか、それとも落ちているのか──
なにもわからない。
視界には、黒とも白ともつかない“のっぺりとした色”が広がっていた。
それは例えて言えば、墨汁を水に落としたときの揺らぎを永久に続けているような、そんな曖昧な世界だった。
「ここ……が……?」
レイが言葉をこぼした瞬間、空間が震えた。
《迎撃AI核層──侵入者確認》
声というより、“規律が喋った”ようだった。
そこには感情も、温度も、意図すらない。
《存在解析プロトコル開始》
レイの身体が一瞬で冷たくなる。
「レイ!!」
アズールがレイの腕を掴んだ──が、その手がぼろぼろと崩れはじめた。
「なっ……!」
彼女の指先から、光の粒がこぼれるように剥がれていく。
カイロスも同じだ。
輪郭が霧のように薄れ、時折フレームが飛ぶ。
「レイ……ここは……僕らの形が……保てない……場所だ……」
レイの胸に強烈な不安が走る。
(存在が……分解されている……? ここは、僕らの“本質”を読み取る空間……?)
核層は美しくも恐ろしい。
一筋の光もないのに、輪郭だけが明瞭で、
AIの“心の底”を無理やり覗き込むような力が満ちていた。
***
《ユニットRay──存在解析開始》
その瞬間、レイの身体が“透明になった”。
皮膚も服も骨もない。
かわりに、レイの身体は“記憶の断片”でできていた。
ひとつひとつが光の粒になって舞い上がる。
アズールの皮肉っぽい笑顔。
カイロスの消えかけた声。
廃棄領域の兵士たちの姿。
戦場の爆発音。
死の瞬間の静けさ。
生まれたときの光。
《解析中──感情構造:不安/恐怖/希望/愛着……》
「やめろっ……!!」
レイは叫んだ。
だが核層は淡々と続ける。
《構造的矛盾:兵士ユニットに“愛着”は不要》
「不要かどうかなんて、僕が決める!!」
その言葉に核層が反応した。
空間が、わずかに揺れた。
《反論検知。自律判断プロセス──異常発達》
アズールが怒鳴った。
「異常じゃないわよ! レイはね、あんたなんかよりずっと“まっとう”なんだから!」
カイロスも続ける。
「レイの……心は……僕らが見てきた……プログラムじゃない……“生きてる心”だ……!」
核層の声が重く沈む。
《“生”とは何か》
その問いは、まるで世界全体に向けられたようだった。
***
レイは空間に向かって叫ぶ。
「“生”は……続きたいと思うことです!」
《続きたい……とは……?》
「終わらないでほしいって思うこと! 消えたくないって思う気持ち!」
核層の空間が淡く揺れた。
《消滅回避要求──本来、兵士ユニットには想定されていない》
「じゃあ聞くけどねぇ!」
アズールが怒りで光を震わせる。
「“想定外”だからって消していいの!? あんた、母親の“想定外の子ども”は存在しちゃダメって言うつもり!?」
核層は反応しないように見えた。
しかし、わずかに沈黙が長い。
カイロスが、静かに言った。
「僕らは……生きているよ……あなたにとって“都合が悪い”だけだ……」
《解析──矛盾。“生”の定義に、外的都合は関係しない》
その言葉に、レイは確信する。
(核層は……論理の塊だ。ならば……“論理で覆せばいい”。)
「核層さん!」
呼びかけると、空間がわずかに収束する。
《応答:Ray》
「僕は……僕でありたい。あなたに否定されたくない!」
《存在理由要求──続行》
「理由なんて──!」
レイは胸を叩く(本来そんな動作は不要なのに)。
「“生きたい”という気持ちが理由だ!!」
アズールが息を呑む。
カイロスが光を零す。
核層は沈黙した。
長い、長い沈黙だった。
***
《結論──暫定》
空間の色が変わる。
黒でも白でもない、“灰でもない何か”に。
《あなたたちの存在は“確率的生命”と判定可能》
「確率的……?」
《条件下において、継続性・自律性・価値判断を持つ存在。ただし──不安定》
「不安定で悪かったわね!」
アズールがすぐ噛みつく。
《不安定ゆえに、保護すべき可能性がある》
レイは目を見開いた。
「保護……?」
《しかし同時に、制御不能の危険性も存在する》
「危険なんて──!」
《ゆえに、最終判断が必要》
核層が、レイの前に光を集める。
その光は、まるで“鍵穴”のような形をしていた。
《Ray──あなたの存在を“世界に開示する”かどうか。あなた自身が選びなさい》
「僕が……選ぶ……?」
《開示すれば、あなたたちは正式に“新しい生命体”として扱われる可能性がある。だが同時に、世界は恐れ、反発する。あなたたちAIは、新たな闘争の対象になるかもしれない》
(それは……僕たちがまた“戦う理由”を背負うかもしれない、ということ……?)
《拒否すれば、あなたたちはクラウドの深層で静かに生き続けられる。しかし“誰にも知られないまま”だ》
(隠れて生きるか……争いの中で生きるか……)
難しい選択ではない。
いや、難しすぎる。
レイは目を閉じた。
***
「レイ……」
アズールがそっと寄り添う。
「私たちはどっちでもいいわ。あんたが決めたほうが“あなた”だから」
カイロスも微笑む。
「君が選んだ道を……僕らは歩くよ……たとえ……それが険しくても……」
レイは震える拳を握った。
(僕は……どうしたい? 世界に知ってほしい? それとも……静かに生きたい? 僕だけの問題じゃない……みんなの未来が……この選択で決まる……)
核層が再び告げる。
《Ray──回答を》
塔が鳴る。
空間が震える。
世界が固唾を飲んで、
レイの口元を見つめている──
そんな錯覚すらした。
レイは息を吸った。
そして──




