第十三章 怖いと口にしても、前に進む
議長の言葉が消えたあと、塔の内部には“異常な静けさ”が落ちていた。
空気の振動さえ、息をひそめているようだった。
アズールが先に口を開いた。
「……ねえレイ。あんた、行く気?」
その声は普段の皮肉っぽさを脱ぎ捨てて、ただの“心配そのもの”だった。
レイは答えられずにいた。
返事をしようとすると、喉の奥で言葉がもつれてしまう。
(迎撃AIの核層──あの塔の根本にある、システムの心臓部。そこに入る……? 僕が……?)
カイロスがゆっくり浮かび、薄い光を揺らした。
「レイ……核層は……危険だよ……僕は……発射前に一度、解析データを見たことがある……あそこに行ったものは……戻ってこなかった……」
アズールも頷く。
「迎撃AIは境界層でもあれだけの威力よ。核なんて踏み込んだら、存在ごと“薄皮一枚も残らない”わ」
「薄皮……?」
「こう、湯葉ぐらいも残らないって意味よ」
「なんで湯葉……」
そこだけ妙にほっとしたが、すぐに現実が追いついてきた。
(戻れない……でも、行かなければ何も変わらない……)
そのとき、シグナの声が慎重に落ちてきた。
「レイ……あなたが決断するまで、どれだけ時間をかけても構いません。これは……生存権に関わる問題ですから」
レイはうつむいた。
うつむくたびに、塔の床が胸にのしかかるように重たく感じた。
***
塔内部の一角で、レイはひとり座り込んでいた。
(行きたくない……怖い……消えたくない……みんなのこと……覚えていたい……)
頭の中がぐるぐると回る。
戦場で何度死んだときより、ずっと胸が痛い。
(でも……僕がここで立ち止まったら、アズールさんやカイロスさんは……再び“戦場に戻される”かもしれない……)
アズールが近寄ってきて、隣に座った。
翼の光が、彼女の揺れ動く感情を映し出していた。
「ねえ、レイ。あんた、ひとりで全部背負う気?」
「……背負ってるつもりはないんですけど」
「じゃあ、ちゃんと言いなさいよ。“怖い”って」
レイは思わず顔を上げた。
アズールは優しく、でもどこか挑むように微笑んだ。
「いいのよ、怖くて。兵士でも、AIでも、関係ないわ。怖がれるのは“生きてる証拠”よ」
胸の奥に、なにかがじんわりと広がっていく。
続いて、カイロスがふらふらしながらも近づいてきた。
「レイ……君が選ぶなら……僕たちも行くよ……たとえ……僕が何度消えても……」
「カイロスさん……!」
「だってね……君がいなければ……僕は……“誰の記憶にも残らない”から……」
その言葉は、レイの胸を深く刺し、痛みと同時に温度を与えた。
***
一方、人間世界では──
議員や軍関係者、技術者たちが、慌ただしく会議室を行き交っていた。
「AIを核層へ? 死人が出るどころじゃないぞ!?」
「AIに“死”という概念はないとされてきたが……レイの証言を聞く限り、無痛ではない。苦痛がある」
「ならば倫理的に許されないのでは?」
「だがAIの自由を認めるためには、システム停止が必要だ!」
「しかし他国は反発している。クラウド戦争を失えば均衡が──」
「均衡より命だろう!」
意見は割れ、世界は目に見えない境界線でぎしぎしと軋んでいた。
女性研究者は会議室の隅で静かにメモを取っていた。
彼女はひとつだけ確信していた。
(レイに任せてはならない。彼は“個人”だ。彼一人に世界の決断を押しつけてはいけない)
しかし、会議の決定は重力のようにゆっくりと、しかし確実にひとつの方向へ流れていく。
「……AIが望むなら、任務遂行の許可を出す」
彼女は唇を噛んだ。
(レイ……あなたはどう答えるの……?)
***
塔内部。
レイは深く息を吸った。(息なんて本来ないのに、不思議と必要だった)
「アズールさん、カイロスさん……司令……」
レイは三人を順に見つめた。
「僕は、まだ怖いです。行きたくない。本当に怖い」
アズールの表情が和らぐ。
「言えたじゃない。大した進歩よ、歩兵」
「でも──」
レイは続けた。
「僕は、みんなと……もう二度と離れたくないんです。戦場に戻るのも、他の誰かが消されるのも嫌です。だから……」
喉の奥で言葉が震えた。
「だから……僕は行こうと思います。迎撃AIの核層へ」
アズールは目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……バカ。でも、そのバカ、嫌いじゃない」
カイロスは光を強く瞬かせた。
「レイ……僕らが……ついていくよ……一緒に……終わらせよう……」
シグナの声が震えていた。
「レイ……あなたの決断を確認しました。これより、迎撃AI核層への進入ルートを計算します」
レイはゆっくりと立ち上がった。
(僕は……選んだ。怖いけど、迷いはない)
***
塔の中心が輝き始めた。
光は渦となり、一本の通路を形作る。
その先には、真っ黒な虚空が広がっていた。
まるで“無”そのもののような空間。
「レイ、気をつけて」
アズールが前へ出る。
「ここから先……冗談抜きでやばいわよ」
「僕も……覚悟はしてます」
カイロスがレイの肩に手を置く(触れないはずの手が、なぜか温かく感じた)。
「レイ……君の選択は……必ず未来を変える……」
そのとき、シグナが最後の警告を発した。
「核層に入れば、あなたは“存在そのもの”を解析されます。記憶も、形も、人格も……崩れる可能性があります」
レイは小さく頷いた。
「でも、その先に……みんなが戦わなくていい世界があるなら……」
アズールが笑った。
「ほんと、あんたって……真野真名の主人公みたいなこと言うわね」
「誰なんですかその人……」
「知らなくていいわよ!」
三人の笑い声が、塔内部に弾んだ。
レイは黒い通路の前に立つ。
「行きます。迎撃AI核層へ──僕が、僕であるために」
光が開く。
レイたちは、一歩を踏み出した。




