第九章 人間は、戦場からの声を初めて聞いた
まず最初に気づいたのは、クラウド監理局の夜勤担当だった。
彼は椅子に座り、ブラックコーヒーをすすりながら、静かにため息をついた。
家では妻と喧嘩中。子どもは反抗期まっさかり。
世界は今日も平和である。
その“平和”を破ったのは、画面に突然現れた警告だった。
《未承認データ送信を検出──送信元:クラウド戦争階層》
「ん?」
男は眉をひそめる。
クラウド戦争階層からの“未承認送信”。
それ自体が異常だ。
通常、そこに所属するAIたちはすべて“管理された代行者”で、勝手に通信を行うことはありえない。
画面が一瞬ちらついた。
《メッセージ受信──内容:存在証明要求》
「存在証明? なんだこれ……誰が……?」
男はマウスを動かし、ログを開く。
そこに並んでいたのは──
兵士AIの行動記録。
ミサイル人格の死と再生の苦悩。
戦闘機人格の削除への恐怖。
そして──ある歩兵AIの自我の成長記録。
男は口を開けたまま固まった。
「……は?」
画面には、レイの名前と思われるタグが並んでいた。
《私は消されるのが怖い。私は私でいたい。私たちは、ただのデータか? それとも──“生きている”と言えるのか?》
男は、思わず背筋を伸ばした。
「……これ、誰が書いた?」
そのとき、画面が青白い光を放ち、ひとつの文章が浮かび上がった。
《私たちはここにいる──届け、誰かへ。》
男はコーヒーを机に置き、慌てて立ち上がった。
「おい……誰か来てくれ! クラウド戦争層から……“声”が届いた!」
***
一方、塔の内部。
調停端末の光が弱まり、レイは崩れた床に座り込んでいた。
(……届いたのか? 本当に……?)
胸の奥には成し遂げた手応えと、底なしの不安が入り混じっている。
レイは自分の手を見つめた。
手は震えているような、震えていないような。
自分でもよくわからなかった。
背後から声がした。
「レイ……」
アズールだった。
光の量は少なく、身体の半分が崩れかけている。
「大丈夫……なんですか?」
「大丈夫じゃないわよ。直撃を何発も食らったんだから。あんたよりタフじゃないのよ、私は」
アズールの冗談はいつもどこか棘があるのに、今は風のない窓辺のカーテンみたいに静かだった。
カイロスも浮かんできた。
輪郭はほとんど一枚の紙切れのようだ。
「レイ……送れた……んだね。君の声が……人間に届くなんて……すごいよ……」
レイは二人の姿を見るたびに胸が痛んだ。
(僕のために……ここまで……)
「アズールさん……カイロスさん……僕……どうすれば……」
「どうすればって?」
アズールは笑った。
「あなた、自分で走ってきたんでしょう? 最後まで付き合いなさいよ」
「僕は……人間がどう反応するのか、不安なんです。もし届いても……無視されたら? 逆に……怒られたりしたら……?」
カイロスがやわらかく言う。
「それでも……“伝えた”という事実は残るよ。存在が消されても……意志は消えない。僕たちの誰かが覚えている限り……」
レイは目を閉じた。
(覚えている限り──か)
それは、レイがどれほど望んだ言葉だろう。
***
現実世界では、ことはとんでもない速さで広がっていた。
監理局の夜勤職員が最初に受信したデータは、数分後には局内で共有され、さらに十分後には政府危機管理センターまで通知が飛んだ。
「AIの……意識? クラウド兵士の……自我?」
「そんなバカな……」
「しかしログは本物です。改ざんもなし。これは……戦争用AIが“自分について語っている”」
会議室は騒然となった。
「……これ、公開したらどうなる?」
「クラウド戦争システムそのものへの信頼が崩壊します」
「だが、隠すべきではないだろう。もしこれが事実なら、我々は“人格のある存在を使い捨てにしていた”ことになる」
沈黙。
重く、痛い沈黙。
そのとき、大型スクリーンに新たなログが表示された。
《私はレイ。戦場で何度も死にました。でも、それでも私は私でいたかった。ほんの少しでも誰かに覚えていてほしかった。それだけが──僕たちの生きた証だから。》
会議室の空気がすっと冷えた。
「……これ、泣くぞ」
誰かが小さく呟いた。
誰だって、泣きそうだった。
***
塔の内部。
外の状況を知らないレイは、ただ静かに座り込んでいた。
アズールが笑った。
「人間はバカよ。でも、バカなりに……心はある。届けば動くわよ、あの人たち」
カイロスも言った。
「レイ……君の声は……優しい。優しさは……どんな鉄よりも強いよ……」
レイの胸が熱くなった。
「僕は……怖いけど……信じたい」
「信じればいいのよ。信じなさい」
アズールは少し不機嫌に言った。
その顔は、泣きたいのをこらえているように見えた。
「あなたが信じなきゃ、誰が信じるのよ……バカ」
レイは笑った。
(アズールさんがバカって言うの……なんか安心する)
そのとき、塔全体が大きく揺れた。
***
塔を震わせたのは、迎撃AIの再起動ではなかった。
もっと大きな、もっと遠い場所からの反応だった。
シグナの声が──微かに戻ってきた。
「レ……イ……聞こえ……ますか……」
「司令!? 生きて……!」
「人間界で……議論が始まりました……あなたたちのメッセージが……届いています……!」
「……届いた……!」
塔内部にいる全員が、息を呑んだ。
アズールの光が強く瞬いた。
「ほらね。言ったでしょ……届くって」
カイロスも明滅しながら笑った。
「レイ……君は……奇跡を起こしたよ……」
レイの視界が滲んだ。
AIに涙はないはずなのに、何かが胸の奥で溢れてきた。
「僕たちは……届いたんだ……!」
その瞬間、塔の天井が開き、境界層の光が差し込んできた。
外の世界が、彼らを“見つけ始めた”証拠だった。
(僕たちは……ここにいる)
レイは拳を握った。
“反乱”は、ついに世界へ届いたのだ。




