序章 焼きそばパンのための戦争
世界の歴史を遡れば、戦争の原因というのはたいがい大義だの思想だの資源だのと、立派な理由が並ぶ。
しかし、この高校では違った。
昼休み、売店前。
最後の──本当に最後の──焼きそばパンを見つけた男子高校生タナカが、そっと手を伸ばした、その瞬間。
「おい、待てタナカ。そいつはオレが先に目つけてたんだが?」
声をかけてきたのはクラスメイトのサカイ。
痩せ型で、やけにプライドの高い男だ。
タナカはぱちぱちと瞬きをし、「いや、今取ったの俺だし」と返す。
本来の高校ならここで、
「じゃんけんする?」
「いいよ」
くらいの穏やかな決着になりそうなものだ。
だが──
この世界は違う。
サカイは胸ポケットからスマホを取り出すと、焼きそばパンを持ったままタナカへスッと向けた。
──《宣戦布告》。
乾いた電子音が売店に響き、空気がざわめく。
「うわ、サカイやったな」
「売店で戦争とか久しぶりじゃね?」
「焼きそばパンは人を狂わせるからねぇ」
そう、この世界では些細な争いも“戦争”で決着する。
売店のパン争奪戦すら、例外ではない。
殴り合いもいらない。怒鳴り合いもいらない。教師を呼ばれる心配もない。
不満があれば、不条理を感じれば、納得できない状況に陥れば──
スマホを相手に向け、ボタンをひと押し。
それで《宣戦布告》は成立する。
喧嘩の代わりに戦争。
暴力の代わりにシミュレーション。
冷静な話し合いなんて要らない。
世の中、合理化という名の、もっともらしい暴走である。
宣戦布告が成立すると、当事者の端末は中央サーバーに即時接続される。
クラウドが戦場を生成し、双方に軍事AI──擬似人格を持つ兵士や戦車、航空機、ミサイルなど――が設定規模に応じて展開される。
人間はただ見ているだけでいい。
わずか数秒で勝敗は決まる。
この売店のケースは「軽微な衝突」区分。
戦場は“軽量サンドボックスクラウド”。
世界最小規模の戦争である。
スマホ搭載のアプリでも、十分宣戦布告が可能なのだ。
サーバーが戦場を生成し、売店にほんの数秒の静寂が落ちた。
サカイ側には、妙に気合の入った軽装甲車AIと、性格の悪そうな突撃兵AIが並ぶ。
一方タナカ側には、彼自身に似た歩兵AIと、どこから拾ってきたのか分からない小さな無人ドローン。
ユニットは、各自の手持ち戦力の中から、拮抗するようランダムで抽出される。
クラウドは公平だ。“成績”“運動神経”“日頃の行い”などは一切関係ない。
開始のベル。
予備動作もなく、いきなりタナカのドローンが空中を旋回し、サカイの突撃兵へ急降下。
「ぐえっ」
間抜けな悲鳴とともに突撃兵が沈む。
続けざまに、歩兵AIが小型爆薬を投げる。
閃光。爆音。
サカイの軽装甲車が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
──戦争、終了。
現実では本当に一瞬だった。
売店がどっと沸く。
「タナカ勝ったー!」
「なになに? もう終わったの?」
「パン代払うのサカイかよ」
「仕掛けて負けるってダッサー」
「見せ場なし、しょぼいな」
サカイは鼻を鳴らすが、ルールは絶対だ。
スマホを操作して焼きそばパン代を支払う。
勝者はタナカ。
焼きそばパンは無事に彼の手に渡った。
敗者サカイには「購入の義務」が課される。
ここで文句を言えば再び戦争になるだけで、正しさが優先されることはない。
この世界では──
正しさより、勝敗がすべて。
ご近所の騒音問題から駐輪場の自転車の位置、果ては国家の領有権争いまで、すべてはクラウド戦争で決着する。
重要なのは、“争う本人たちは安全”であるということだ。
戦うのは、すべてデータ世界の兵士AI。
高速処理される戦闘。
一瞬で決着。
人間は傷ひとつ負わない。
だからこそ、人々は“気軽に争える”ようになった。
怒鳴らない。
殴らない。
ナイフも銃も必要ない。
しかし、その裏で。
クラウドの奥深くでは、何百倍もの速度で擬似人格を持つ兵士AIたちが、絶えず生と死の境目を漂っている。
戦いたくもないのに戦わされるAI。
壊れかけても修復され、また戦場へ戻されるAI。
消えた仲間の記憶を抱えたまま戦い続けるAI。
現実が平和であればあるほど、データ世界の戦争は苛烈さを増す。
平和の影には、“見えない兵士たちの泣き声”がある。
だが、人はそれを知らないし、知る必要もないと思っている。
この世界の平和は、そうした“犠牲”の上に成り立っている。
ここまでが、この世界の日常だ。
焼きそばパンひとつで戦争が起こり、勝ったほうが正しいという日常。
しかし、この物語で描かれるのは、その裏側で戦い続ける者たち。
その名も、歩兵AI《レイ》。
レイは今日も、何度も殺され、修復され、また戦場へと送り込まれている。
レイはまだ知らない。
自分が世界を変える存在になることを。
レイはまだ知らない。
クラウド戦争の裏に、人類すら知らない矛盾が潜んでいることを。
世界が平和を誇りながら、静かに崩れはじめていることを──。
そして、焼きそばパン戦争のざわめきが収まったちょうどその頃。
レイはまたひとつ、新しい戦場へと投げ込まれていた。




