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生まれ変わりでない私はあなた以外の夫と幸せになります

作者: 宮枝ゆいり
掲載日:2026/03/29

 非業の死を遂げた令嬢アイリス。


 紫色の瞳を持った美しい令嬢は、長命種の龍族の血を引く令息と恋仲となるが、嫉妬にかられた別の令嬢の手によって暗殺された。


 これがこの国に広まった悲恋のおはなし。そして今も続く物語。


 紫の瞳を宿して生まれた私はフェリスと名付けられた。十の歳で孤児院から男爵家の養子として引き取られると、その後、権勢を誇るエトラント家に献上された。


 私が男爵家の養子となり、エトラント家当主の婚約者という立場で貴族になれたのは、理由がある。


『添い遂げる唯一の番は生まれ変わり永遠に結ばれる』


 そんな龍族の言い伝えが、一夜にして天涯孤独の孤児の少女を誰もがうらやむ地位に押し上げたのだ。






 私が初めて会った時の、エトラント家の当主は龍族のクウォーターという種族の宿命(緩やかな成長と老い)により十年前と変わらない十九の姿形を保っていた。


 ……最初のうちは、彼は私に愛情を持って迎え入れてくれた。けれど私がアイリスの時の記憶を持たない別人であることに気付くと、関心を失くした。エトラント家の人々も、主人に倣い、私を存在しない者のように扱うのだった。


 ある日、紫色の瞳の、私と同じ歳の少女シンシアが隣国から迎え入れられた。彼女もアイリスの時の記憶は持っていなかったけれど、私の時と違って、彼女は彼に愛された。


 彼女(シンシア)はアイリスにとてもよく似ていたから。


 彼の部屋に飾られた令嬢アイリスの肖像画。生家から譲り受けられた唯一の肖像画はこぢんまりとしていて、野に咲く花のように可愛らしい笑顔で見つめ返す。シンシアの表情は、あの肖像画が生きて動いているようだった。


 エトラント家での居場所を失くした私は婚約を解消され、雨の降る夜に追い出された。


 時が経ち、城下街の隅で細々と暮らす私のもとにとある知らせが舞い込んだ。


『エトラント家の奥方シンシアは、番ではない。偽物だった』


 今更、私がアイリスの生まれ変わりだと主張しても意味がなかった。


 だって、あなたの本当の(つがい)はアイリスを嫉妬に狂って殺した令嬢フェリスだったのだから。


 龍族の掟で、番以外は妻とは認められない所為で私はエトラント家に連れ戻された。


 孤独で愛のない結婚が始まった。


 初夜で子を成した。子はエイデンと名付けられたが、彼と愛人に押しやられたシンシアとの間に子ができない為、私の手からエイデンは取り上げられたのだった。






 エイデンは父よりも龍族の血を色濃く受け継ぐ先祖返りだった。


 エトラント家の跡継ぎであることは決定事項。


 おだてられ、敬われて育つ中、ひとつの悪意ある吹聴が事実としてエイデンの心に植え付けられた。


『廃屋に住む女は、奥方を妬み、ご主人様を罠にかけた悪女。罰としてあそこにいる。坊ちゃんも気を付けて、魅入られる前に亡霊は祓わなければ』


 邸宅の庭の奥まで来たエイデンは、廃屋の女と目が合った。幼い頃の正義心で、エイデンは廃屋に押し入り、女を責め立てた。


 憶えているのは、悪びれもなく傷付いた顔。反論の出てこないよれた口。廃屋に閉じ込められていた女に、居心地の悪さを感じた彼は逃げ出した。


 父や母、乳母、召使い、それらを取り巻くエトラント家に違和感を覚えたエイデンが再び廃屋の女を訪ねた時、そこにいたはずの彼女はこの世の命を手放していた。






 フェリスの死後、エトラント家は平常を保っているように見えて、ヒビが生まれていた。


 父は覇気が無くなり、義母は番ではないという理由で龍族の集まりから除け者にされ心を病んでいた。


 エイデンは後悔していた。分別のつかない頃とはいえ、本当の母を傷つけたことを。


 番と出会うことは珍しいこと。長命の龍族でもその一生で出会うのは稀である。


『番であれば生まれ変わる』


 エイデンは誓う。今度こそ母を幸せにしてあげたいと。






 紫色の瞳の子供――少女というにはまだ幼い女の子フェリスを、エイデンは保護した。


 彼女をエトラントに連れ帰り、父にいの一番に会わせると、父は驚いた表情をしていた。


 手を尽くして探した甲斐があった。ただ、準備が足りず、エトラント家の景色からフェリスが浮いている。エイデンは少女の身嗜みの準備のために一瞬席を外した。


 戻ってくると、父が幼いフェリスの首を締め上げていた。


 阻止しようとしたが、間に合わなかった。四分の一しかない龍族の血への怨嗟を嘯く父から、エイデンは少女の身体を奪い取る。冷たくなっていく哀れなフェリス。彼が死に導いたかわいそうな女の子の手は、誰からも愛されず宙をさまよった。






 夏の日、エイデンは街の大通りで綺麗な所作の令嬢に目を奪われた。


 紫の瞳を持つ、無感情で鋭い雰囲気の令嬢だった。


 エイデンは彼女を呼び止めた。


「御令嬢、貴女のお名前はフェリスではありませんか?」


 令嬢は訝しげに眉間を歪めた。


「どちら様ですか?」


 エイデンが令嬢をカフェに誘うと、驚くべき事実が発覚した。


 龍族の番の神秘である。


 またもフェリスは生まれ変わったのだ。


 エイデンは始まりの少女と名を同じくするフェリス嬢を説得し、エトラント家に招いた。


 最後の結末は彼女にしか導けない。


 義母は数年前に逝去し、エイデンの父も今は寝たきりであった。


「フェリス嬢、こちらです」


「そうね、ありがとう」


 エトラント家の邸宅は陰りがあった。暗く、寒い、日中であるのに陽の光が射さぬ闇を湛えた家。エイデンの父の寝室も、家具の影に悪鬼羅刹の類が棲みついていそうな陰気な空間だった。


「父上、最後でよいのでお話をしてくれませんか」


 エイデンは寝たきりの父に話しかけた。カタンとフェリス嬢をベッド側の椅子に座らせ、父の返事を待った。


 ふと暗闇の中にそよ風が吹いた。


 エイデンはいつの間にか父がフェリス嬢の手を握っているのを見た。


 突然握られたフェリス嬢としてはたまったものではないが、エイデンの父はぽつりぽつりと昔話を語り始めた。






 令息には幼馴染がいた。


 彼女は紫の瞳で、一緒にいると不思議と気持ちが良くなる少女だった。


 好きという気持ちを教えてくれた、かけがえのない存在。


 ある日、祖父が婚約者を連れてきた。


 勝手に決められた知らない少女。


 彼女もまた紫色の瞳をしていて、


 当時幼馴染の為に準備していた、


 プレゼントを、


 紫色の宝石をはめ込んだ指輪を、


 渡さなければいけなくなってしまった。


 悔しかった。


 プレゼントを貰った婚約者の令嬢はたいそう喜んで、


 つい、彼も嬉しい気持ちになってしまったから。


 長年の片想いの相手より、


 たったさっき会ったばかりの、


 四分の一しかない龍族の血で決められた相手を好きになったことが、


 どうしても悔しかった。




 だから婚約者のフェリスを突き放した。


 幼馴染アイリスとの恋に溺れた。




 令息は、一度掛け違えたボタンをすべて外して、あるべき姿に掛け直すことはできなかった。


 そうする前に、フェリスはアイリスを殺してしまった。間に合わなかった。




 そしてもう一度。与えられたチャンスも彼は捨ててしまった。


 アイリスではないと知っていた。


 彼女は正真正銘フェリスであると理解していた。


 なぜなら、彼女はあの頃のフェリスと同じ仕草をしたから。


 だが、好きなものが違っていた。


 嫌いなものが違っていた。


 あの頃の、彼が突き放したフェリスとはもう違っていたのだ。


 令嬢フェリスとは境遇が違う。


 趣味嗜好が違う。


 彼は最初のフェリスとやり直す方法はもうどこにもないと悟ってしまったのだ。






 そのあとはもう記憶にない、とエイデンの父は語る。


 エイデンは父の独白を追求せず、耳を傾けていた。エイデンが連れてきた幼いフェリスは、絞め殺した事実をもみ消したことで、父自身の記憶からも掻き消えてしまったようだった……。


「もう、何のために生きているのか分からない。だが、エイデンは立派に育った。残るは私の汚点のみだ」


 死に向かって老いゆく者の声へ、フェリス嬢が口を開いた。


「そうね、難しく考えずに言えばね。どうして二人とも幸せにしようと思わなかったの?」


 一石を投じる問いかけは、フェリス嬢を中心に大きく波紋をつくりだす。


「二人の令嬢、どちらも好きになったのなら、どちらともの幸せをどうして願わなかったの? なぜあなたは一人としか結ばれないと知りつつ、二人とも手元に置こうとしたの? 誰とも結ばれないことを選ばなかったの? どうして?」


 溢れ出した何故に父は茫然としていた。


「どうしてだろうな……そんなこと思いつきもしなかった」


「そうよ、あなたはそれを後悔しながら死になさい。死ななくても良い命を取りこぼした責任を負いなさい」


「ああ、厳しいな……本当の君は……」


「いいえ、今の私が厳しいだけよ」


「そうか。でも、それなら、君は番がいなくても逞しく生きていける……私と結婚しなくても問題ない……」


「当然でしょう」


 ピシャリとフェリス嬢の断言に、くぐもった小さな笑い声が聞こえた。


 過去にはありえなかった会話の応酬に、父は笑みを浮かべていた。


 龍族の血が薄いので、番でない女性に惹かれて愛してしまう。半分以上は人間なのでそれも当然なのだろう。だが、それが悲劇を生んでしまった。人間らしい過ちを重ねた男の末路は、二人の令嬢の死だった。


「私が幸せにしようとしなくても、君は幸せを迎えに行ける人だった」


「……おこがましい。私達には二本の足があるでしょう? たとえ足がなくたって、生きてさえいれば、人間なのだから道具を使って迎えにいけますわ」


 毅然とした姿勢で、最後にフェリス嬢は老境にして若い令嬢の手を握る、見境なき男の手の甲をつねった。


 彼女の左手の薬指には、大きな金剛石の婚約指輪が光り輝いている。




「最初の私は貴方のことが嫌いだったわ」


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