表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弁財天とクロガネ遣い  作者: 坂本光陽


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/38

A:言行不一致


 狗藤は夜道を歩き続けた。普段から交通費を節約するために、歩くことには慣れている。無心に歩いていると、辛いことは忘れられるし、足腰も鍛えられる。一石二鳥だ。


 ただし、健康体である狗藤は代謝がいい。時間の経過とともに、空腹に苦しむことになってしまう。狗藤の財布が空っぽなので、おにぎり一個、菓子パン一個すら買えない。仕方なく、通りすがりの公園で水を飲んでやりすごした。


 狗藤は、ふと思いついた。そうだ、カノンからもらった【弁天鍵】で、おカネを出せないだろうか。他人の【未来金庫】から大金を奪うことには罪悪感があるが、百円か二百円を一時的に拝借はいしゃくして、すぐに返しておけば問題はないだろう。


 だが、おカネを出すことは叶わなかった。何のことはない。カノンから【弁天鍵】の使い方を聞いていなかったのだ。せっかくの〈神のアイテム〉も宝の持ち腐れである。やはり、北千住まで歩き続けるしかない。狗藤は上野を出発してから数十回目の溜め息を吐いた。


 結局、大学寮に帰り着くまで、三時間もかかった。狗藤が力尽きて玄関口でへたりこんでいると、いきなり背中を乱暴に叩かれた。

「うっす! 夕べは御馳走さんっ!」

 咳き込みながら振り返ると、そこに立っていたのは三時間も歩かせた張本人、黒之原だった。


 狗藤は拳を握りしめる。これまでの僕とは違う。今日は言うぞ。「二万円を返せ」と言ってやる。ここで言わなければ、正直言って死活問題なのだ。


「く、黒之原さん」狗藤は震える声で、「昨日の飲み代はともかく、黒之原さんのためたツケまで僕が負担するというのは、どうも、おかしいんじゃないかと……。お店で領収書をもらってきたので、ええと、あの、つまり、払ってもらえませんか」


 黒之原の足元を見たまま、狗藤は居酒屋の領収書を差し出した。

「……お願いします」

 しばらくして、黒之原の大きな顔が近づいてきた。狗藤の顔をマジマジと眺めている。思わず、身体に震えが来た。生きた心地がしない。

「何だよ、仕様がねぇなぁ」意外と、素直に領収書を受け取ってくれた。


 だが、狗藤がホッとしたのもつかの間、黒之原は領収書を破ってしまった。

「てめぇ、俺にそんな口を叩くのか。せっかく面倒みてやっているのに、そういう態度をとるわけかよ。はぁ、マジ信じられねぇな。こりゃ、驚いたわ」


 狗藤の目の前で領収書は細切れにされていく。最終的に、頭上から降り注ぐ紙吹雪と化してしまった。

「おまえがその気ならさ、俺もそのつもりで付き合うぜ」

「いや、あの、でも」


「ウダウダ言ってんじゃねぇよ!」

 黒之原は鬼の形相ぎょうそうで、狗藤の脇腹に思い切り蹴りを入れた。あまりの痛さに呼吸が止まる。玄関に倒れ伏して、起き上がることができない。


 狗藤はこれまで、どんな目にあっても、笑って受け流してきた。相手が先輩だと思って、ずっと我慢してきたのだ。しかし、これはあまりにも酷すぎる。これほどの仕打ちを受けてしまっては、我慢の限界である。


 万年負け犬の目に、決意の火がともった。

 もう我慢できない! 後輩にたかるのは止めてください! モラルって言葉を知らないんですか! 恥を知りなさい、恥を!

 そう言いたいところ、だったが、やはり、狗藤には口にする勇気が、なかった。


「カネ、返せ」

 ようやく喉から声を絞り出せたのは、黒之原が立ち去った後だった。これはもう、溜め息を吐くしかない。


「溜め息を吐いた回数だけ、幸せは減るらしいよ」

 狗藤が振り向くと、鳩山先輩が立っていた。中学生並みの背丈だが、見事な筋肉美を誇っている。知的な風貌に似合わず、プロレス同好会のトップスターなのだ。ちなみに、鳩山先輩も比企田ゼミであり、黒之原と同学年になる。


「黒之原の被害者は、他にもいっぱいいるよ。何度も借金を踏み倒されたり、賭け麻雀でバイト料を巻き上げられたり。この前なんか、ゼミの飲み会用募金箱から小銭を抜いていたよ。あれは、人間として終わってる」

 甲高い声で言うだけ言うと、鳩山先輩はさっさと去っていった。


 とにかく、狗藤は黒之原のせいで一文無しである。生きていくためにはどうすべきか、必死に頭をひねった。バイト料の前借り、という禁断の手段を検討した。

〈路上・人間調査〉の雇い主は、大学でも経済学部でもない。比企田教授個人である。狗藤は教授のポケットマネーで雇われているのだ。


 比企田教授は有名人だが、偉ぶるようなところは少しもない。学生には優しくて、いつも親切である。苦学生の狗藤に同情して、バイト料を高目に設定してくれたほどだ。前借りを申し出たら、気前よく払ってくれるかもしれない。


 ひと眠りをした後で、狗藤は大学のゼミ教室に向かった。しかし、途中で日和ひよってしまう。前払いを申し出たら、比企田教授をがっかりさせるかもしれない。せっかく目にかけてもらっているのに、期待を裏切るような真似はできない。


 しかし、一文無しでは生きていけない。誰か同級生に借りることを考えてみようか。でも、金銭的に余裕のある奴は一人も思い浮かばない。

「やっぱり、比企田教授だけが頼りだよなぁ」

「うん? 僕が何だって」


 驚いて振り向くと、真後ろに比企田教授がいた。

「いえ、何でもないです」と、慌てて誤魔化した。

 比企田教授はいつもと変わらず、陽気な口調で、

「その後、どうだい? 黒之原くんと組んだ調査の方は、順調に進んでいるかい?」

「はぁ、そうですね。まぁまぁというところです」


「君たち二人の調査には、期待しているからね。経済を肌に感じ取るにはフィールドワークが不可欠。これは僕の確固たる持論でね。経済を語る者は、庶民感覚の変化に敏感でいないとね。国民の九割九分を占める庶民が、経済の命運を握っているんだ。うん、これは決して過言じゃないよ」と、熱弁をふるう。


「だから、調査にはおカネをかける。必要な情報を手にするためには、当然だ。もし何か問題があれば、すぐ報告してくれ。おカネに困っているなら、遠慮なく相談してほしい」


 こんなに飾り気がなくてフレンドリーな教授は、おそらく他にはいないだろう。おカネに困っていることは事実だが、調査のためではなく、プライベートの範疇なので、これまた迷ってしまう。

「ありがとうございます。その時は、よろしくお願いします」つい、やせ我慢をしてしまった。


 結局、黒之原から受けた仕打ちについては報告しなかった。狗藤の負け犬根性,下僕体質がそれを許さなかったと言える。騒ぎ立てて大事おおごとにすれば面倒なことになりそうな気がして、どうにも二の足を踏んでしまうのだ。


 つまりは、くだらないプライドのせいである。せっかく、きっかけをもらったのに、前借りを申し出ることができなかった。本当に困っているのに、せこいプライドなんかのせいで、やせ我慢をしてしまう。気だるい自己嫌悪が全身を満たしていく。


 狗藤は、そんな自分が情けなくて仕方なかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ