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弁財天とクロガネ遣い  作者: 坂本光陽


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A:未来金庫


 居酒屋の店員に揺すられて、狗藤が目覚めた時、大勢いた客が一人もいなくなっていた。黒之原の姿も見当たらない。どうやら、酔いつぶれた後輩を残して、さっさと帰ってしまったらしい。


「お客さん、急がないと、地下鉄の終電がなくなっちゃうよ」

「すいません。すぐに帰ります。それじゃ、おやすみなさい」

 頭を下げて帰ろうとすると、なぜか眉間に皺を寄せた店員が立ちはだかる。

「お連れさんから、勘定はあんたからもらえって言われた。これまでたまったツケも合わせて、しめて二万と20円だよ」


 狗藤は、ハッとした。やられた。この理不尽な仕打ちは初めてではない。実は、これで三度目になるのだ。

「前回も、前々回も同じ目にあっているのに、俺は学習能力がなさすぎる」

 狗藤は天を仰いだ。カネに対する汚さは、黒之原の悪癖として、決して忘れてはならなかったはずなのに。


 幸い、寮費と生活費のためにATMから下ろした二万円が、財布の中にあった。ポケットを確認してみたが、一円もない。残り20円は頭を下げて、負けてもらった。

 結局、終電には乗れなかった。時間的に間に合ったとしても、地下鉄に乗ることはできない。なぜなら、無一文だからだ。


 狗藤はもう一度、財布を取り出した。合成皮革の安っぽい代物だ。中身は何度見ても、空っぽである。歩いて帰るしかなかった。


 狗藤は腹を決めて、トボトボと歩き始める。無人のアメヤ横町商店街は、すべての店のシャッターが降りており、どこかで季節外れの風鈴が寂しげな音を奏でていた。


 大学寮は北千住にある。東京メトロに乗れば上野から十数分の距離だが、徒歩なら何時間かかるかわからない。改めて、黒之原に対する怒りがこみ上げてきた。


「先輩のくせして、貧乏な後輩におごらせた上に、自分のツケまで押しつけるなんて、とても信じられない。まともな神経じゃない。二万円は絶対に取り返してやる」

 黒之原が目の前にいるとしたら、間違いなく不可能である。そんなこと百も承知だが、それでも狗藤は口に出さずにはいられなかった。

「絶対に二万円を取り返してやるっ!」


 その時、忍び笑いが頭の中で聞こえた。

「ふん、できもしないくせに」

 また、あの涼やかな声音だった。

「おい、てめぇのバカさ加減に自覚はあるみたいやな。さっき言うてたやないか。『前回も、前々回も同じ目にあっているのに、俺は学習能力がなさすぎる』って」


「どこだっ! どこにいるっ!」

 後ろを振り返ったり、路地の暗がりを覗いたりしてみたが、どこにも例の美女は見当たらない。

「おまえまで、僕をバカにすんのかよっ! 今すぐ、出てこいよっ!」

 バシっ! 激情に駆られた狗藤は、自分の財布を思いきり地面に叩きつけた。その瞬間、彼は無意識のうちに、一線を超えていたのだ。


 それは人間離れした、強烈なとび蹴りだった。それも十数メートルの上空から、スラリと伸びた美脚が落雷のように、狗藤の背中に突き刺さったのである。


 狗藤の身体は、水切りの小石のように吹っ飛んでいく。両腕両脚の動きは壊れた人形を思わせた。路上に何度もバウンドして、20メートル以上飛ばされて、ようやく止まった。


 無事であるとは、とても思えない。背骨はへし折れ、全身が複雑骨折を起こしていても、少しも不思議ではなかった。


 驚異的なとび蹴りを見せたのは、やはり、あの美女だった。彼女は軽やかな足取りで、ボロ雑巾のような狗藤に歩み寄っていく。


 狗藤は仰向けに倒れたまま、胸を押さえて、激しく咳き込んでいた。その時、驚くべきことが起こった。胸の真ん中が張り裂けて、心臓が飛び出したのだ。


 いや、心臓ではない。そう見誤ったのは、ハート型をしていたからである。大きさはソフトボールほど。薄いピンク色をしていて、血管のようなコードが表面を這っていた。


「やばっ、強く蹴りすぎたわ。【未来金庫】が飛び出てもうた」

「ミ、ミライキンコ?」うわ言のように狗藤が尋ねる。

「そうや、こいつは【未来金庫】いうねん」

 美女はハート型のそれを拾い上げ、指先で丁寧にほこりを払った。


「人間どもの心臓の裏側には必ず、こいつがへばりついてとる。誰も知らんことやが、特別に教えたろ。こいつはな、その人間の生涯給料、つまり死ぬまでの稼ぎを納めた、文字通りの金庫や」


 美女は「金庫」と呼んでいるが、狗藤の目にはそうは見えない。弾力性にとんでいるし、プルプルと不気味にうごめいているからだ。


「こいつはレントゲン写真には映らへんし、手で触れることもでけへん。実体は【DOG】にあるさかいな。ああ、【DOG】というのは、ディメンション・オブ・ゴッズ、いわゆる〈神の次元〉や」

 「ということは……」まさかとは思うが、この美女は神様なのか?


「【未来金庫】が壊れたら、おまえは強制的に無一文になってまう。どうやら、壊れてへんようやな。よかった、よかった。いやぁ、おまえ、運がええなぁ」

「僕のどこが、運がいいんですか……」全身の苦痛に耐えながら、狗藤は上体を起こす。


 美女はニヤリと笑うと、いきなり常軌を逸した行動に出た。鷲づかみにした【未来金庫】を、いきなりグリグリと押し込んだのだ。驚いたことに、狗藤の胸の奥に、である。内臓をかきまわされるような気持ち悪さ。いや、気持ち悪さより、その後にきた激痛の方が百倍も大きい。


 狗藤は絶叫とともに失神した。



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