A:〈クロガネ・ネットワーク〉
比企田教授は笑いながら、
「狗藤くんに一つ教えてあげよう。道具というものは使ってこそ、意味をなす。使わない道具はゴミ同然だとは思わないかい?」
狗藤は両手をワイパーのように振って、
「でも、神様の道具なんだから慎重にならないと。僕は私利私欲のために【弁天鍵】を使うと、天罰を受けるって聞きましたよ」
「天罰だって? なるほど、神々のルールというわけか。なら教えてくれ。どこの誰がその天罰を執行すると言うんだい?」
「そりゃ、神様でしょ?」
「まぁ、そうなるだろうね。単に他人のカネを強奪したなら、誰が見ても私利私欲だろうし、たやすく判断できる。だけど、どこからどこまでが私利私欲なのか、その判断は本来、デリケートなものだよ。グレーゾーンというものがあるし、判断は相当に困難だよ」
めまぐるしく変わる話に、狗藤はとてもついていけない。
「あのぉ、お話がよくわかりません」
「くだいて言えば、神様に見つからなければ、問題はなし。天罰もなしってことさ。四六時中、人間ごときの一挙手一投足をチェックできるほど、神様ってヤツは暇じゃない。要は、神様を出し抜いてやればいいんだよ」
「出し抜く? だって、相手は神様ですよ」
「万物の造物主たる全能の神というワケかい? 漫画や映画に出てくる神様を見てみなよ。プライドと格好ばかり気にするエゴイストや、いいかげんな俗物ばかりだが、あれは結構、的をえている」
教授は滑らかな口調で語り続ける。
「神は自らに似せて、人間を創られた。人間に醜い欲望があるのなら、当然、神の内面にも、醜い欲望は存在する。人間が怠惰なら、神だって怠惰だ。人間以上といってもいいだろうね。よって、システムによって私利私欲を隠ぺいして、表向きの体裁を整えておけば、何ら問題はない。心配など無用だ。これまで実行してきた本人がそう言うのだから間違いはないよ」
「……」
狗藤は戸惑っていた。教授の言っている意味がよくわからない。はっきり言って混乱している。ただ、重要な告白を受けたことだけはわかった。
「君の目には、どう映っている? 僕が天罰を受けて、人生の落後者になっているように見えるかい?」
教授から苦笑交じりに訊ねられ、狗藤は首を横に振った。
「……いえいえ、そうは見えません。でも、僕には無理だと思います。カノンさんを出し抜くなんて、絶対無理ですよ」
「なるほど、それもそうか。君が神様を出し抜くのは、いくら何でも難しいか。ただ、僕は決して、神様を甘く見ているわけではないよ。そのカノンさんとじっくり話し合い、互いに納得した上で、手を組まないといけないからね」
「……手を組む?」
「そうだよ。人間と弁財天が信頼関係を結んで、わが世の春を謳歌するというわけさ。ふふっ、こういう言い方は回りくどいかな。平たく言えば、共犯関係だ。つまり、神々の目を盗んで、私腹を肥やすということだよ。僕の言いたいことは、そういうことさ」
「私腹を肥やすって、そんなこと、僕にはとても無理ですよ」
その時、狗藤の背後から、鈴を転がすような声があがった。
「あら、君はおカネよりモラルを優先するタイプなのかしら?」
反射的に振り向いたが、なぜか誰もいない。ただ、前を向き直ると、彼女はいた。教授の横に見知らぬ女性が座っていたのだ。
彼女は真っ赤なミニスーツを妖しく着こなし、全身からセクシーなオーラを発散していた。濡れた瞳に真っ赤な唇。まぶしすぎる胸元。まさに、この世の者とは思えない美しさと妖艶さだった。
狗藤は彼女から視線をひきはがすことができない。
「そんなに見つめないでくれる? 若い男の子の熱い眼差しなんて、ホント久し振り」
そう言って、美女は口角を上げた。狗藤は顔から火を噴き出しそうになる。
「狗藤くん、こちらは、弁財天のベティさんだ」教授が笑顔で紹介する。
「はじめまして。正確に言うと、元弁財天だけどね。君の知っているカノンは、私の後輩にあたるのよ」
ベティは艶然と微笑むと、右手を差し出した。芸術品といっていいほどの美しい手である。狗藤は慌てて右手をデニムパンツでぬぐった。おずおずとベティと握手を交わす。その柔らかさに陶然としていると、いきなり引き寄せられた。
顔のすぐ前に、ベティの美しい顔がやってくる。狗藤がドギマギしていると、真っ赤な唇が信じられない言葉を吐いた。
「カノンは死んだよ」
「えっ?」
呆けた顔の狗藤に向かって、ベティはもう一度言う。
「カノンは死んだ。私がこの手で殺した」
ベティは笑みを浮かべて、語り始める。
「カノンとは幼馴染でね。昔は本当に愛くるしくて、随分と可愛がってあげたものよ。ただ、聞きわけが悪いのが玉に瑕ね。あの子が5歳の頃だったかしら。私のもっていた金貨が気に入って、欲しい欲しいって泣きわめいてね。仕方ないからあげたわよ。祖母からもらった大事なものだと説明しても、一度いいだしたら梃子でも動かない。ああ、長生きできないタイプだなぁ、とは思っていたけど、私の手で始末することになるなんて、何という運命の悪戯かしらね」
「……あの、マジですか?」
狗藤には信じられない。性質の悪い冗談にしか聞こえない。
「ベティさん、彼はどうにも、飲み込みが悪くてね。理解させるには、一から十まで理路整然と説明してやらないといけないようだ」と、教授が口添えをした。
ベティは白くて細い人差し指を伸ばし、狗藤の頬をやさしく撫でる。
「カノンは君に、〈クロガネ遣い〉を捜すように命じていたんでしょ。本当に、御苦労なことね」そういった後、ゾクリとするような凄みのある眼に変じた。「でも、もう依頼主のカノンが消えたんだから、その命令は自然消滅。つまり、キャンセルよ」
「……」狗藤は眼を閉じて、情報を咀嚼した。
「言うまでもなかったかしら?」と、ベティ。
「いや、説明しておくべきですよ」と、教授。
狗藤は眉間に皺をよせて考え込んでいたが、やがて喉の奥から言葉を絞り出した。
「……あの、まさかとは思うんですが、〈クロガネ遣い〉の正体って、比企田教授だったんですか?」
「君のいう〈クロガネ〉が、神々の目を出し抜くシステムを指すのなら、その答えはイエスだね。君たちが捜していた〈クロガネ遣い〉は、他ならぬ僕のことさ。ベティさんと手を組んで作り上げた〈クロガネ・システム〉は完全無欠なのだよ」
教授は誇らしげに語り続ける。
「神々に目をつけられるのは、奪う側と奪われる側を直接つなぐからさ。僕に言わせれば、軽率に過ぎる。間に多くの人間をはさみ、いくつものルートに分けて、半永久的に循環させるべきだ。言ってみれば、真っ黒なカネが円滑に循環し続ける永久機関だね。これなら、誰の目にも私利私欲とは映らない」
教授によると、〈クロガネ〉の永久機関は、十数年の歳月を費やして完成したという。カネを無制限に生み続けるシステム。まさに、巨大な〈カネのなる木〉、スケールアップした〈打ち出の小槌〉である。
【弁天鍵】という万能ツールは、この国の裏と表をつないだ。裏のカネをスムースに表に出せるようにしたし、表のカネを裏に回して隠匿することも可能にした。もちろん、違法ではあるが、発覚することは絶対にありえない。
なぜなら、比企田教授のビジネスパートナーたちは、この国の重要なポストを占めているからだ。警察庁長官や最高裁判事とは、ベティの仲介で出会うことができた。金融犯罪を取り締まる側が、システムの中に組み込まれているのだ。
これでは、検挙されるワケがない。セキュリティは万全。完全犯罪というわけだ。
他にもビジネスパートナーには、元日銀総裁、元経団連会長をはじめ、政界の若き風雲児や、カリスマIT長者、世界的なゲームメーカーの社長も顔をそろえていた。彼らの共通点は、「カネが好き」という一点に尽きる。
〈クロガネ・ネットワーク〉は互いに強固な絆を結び、完璧な機密保持を誇っていた。これまでに僅かな情報漏洩はおろか、一人の裏切り者も出さずにやってきた。
はぐれ弁財天ベティと比企田教授のつくりあげたシステムは、セキュリティ面が完全無欠だった。事実、この十数年間、一柱の神も〈クロガネ・ネットワーク〉の存在に気づかなかったのだ。
カノンの類稀な嗅覚が、そのほころびを捕えるまでは。




