A:居酒屋会談
〈クロガネ遣い〉をさがすアイデアについて、狗藤は思いをめぐらせた。「今度会う時までに考えておけ」とカノンから言われたからだが、自分の部屋で寝転びながらという態度から、やる気のなさが窺える。
狗藤はこれまで、自分の頭で考えてアイデアをひねりだすということを、ほとんどしてこなかった。そんなものは頭のいいヤツに任せておけばいい。自分の頭で考えても、集中力と根気は続くものではないし、どうせ時間の無駄だ。それが、狗藤の本音である。
年季の入った下僕体質とは、そういうものかもしれない。時間だけが無駄に過ぎていく。幸か不幸か、陽が傾いてもカノンは姿を見せなかった。
自由気儘な彼女のことだから珍しいことではないが、狗藤は妙に気にかかった。胸騒ぎを覚えたといってもいい。もしかしたら、それは、カノンが狗藤に【弁天鍵】を与えたことによる、一種の共感作用だったのかもしれない。
〈クロガネ遣い〉の背後には、〈謎の女〉が存在するらしい。〈クロガネ遣い〉がカノンの眼をかいくぐってこられたのは、〈謎の女〉のせいなのかもしれない。
〈謎の女〉と〈クロガネ遣い〉は一体、何者なのか?
そういえば、カノンは〈謎の女〉について、見当がついているような口振りだった。ひょっとしたら、カノンは〈謎の女〉と接触したのかもしれない。カノンは神様だし、心配など不要だと思うのだけど、なぜか嫌な予感は消えてくれない。
そんなことをつらつら考えていたので、狗藤は比企田教授との約束をうっかり忘れるところだった。買い置きのカップ麺を食べようとして、はたと気づいたのだ。空腹なのは御馳走をたっぷり味わうため、昼食を抜いたためだと。
約束の午後7時まで、あと20分しかない。遅刻は御法度である。多忙な教授を待たせるなんて、絶対に許されない。
狗藤は慌てて、部屋を飛び出した。落ち合う場所が比企田ゼミ御用達の居酒屋だったことは、不幸中の幸いだった。必死に走れば間に合うだろう。
狗藤は息を切らして、居酒屋の暖簾をくぐり抜けたのは、6時58分だった。どうにか、ギリギリ間に合った。7時ちょうどに到着した比企田教授は、狗藤の顔を見て、しきりに首を傾げていた。外は涼しいのに、狗藤が汗びっしょりだったからだ。
二人は窓際のテーブル席に腰を下ろした。生ビールの中ジョッキで乾杯をすると、教授は話を切り出した。
「狗藤くん、君はよくやってくれている。君さえよければ、来年はぜひ、比企田ゼミに迎え入れたいのだが、どうだろうか?」
「本当ですか? 試験が相当な難関だと聞いていますが」
「なに、僕がベッドハンティングをするんだから、誰にも文句は言わせないよ。ただ、確認だけはさせてくれ。君は僕のことを信頼してくれるかい?」
「ええ、もちろんです。心から信頼していますよ」
教授は満足気に頷くと、いつもの笑顔を浮かべた。
「うん、ありがとう。内密の話になるのだが、君には重要な仕事を任せたいんだ」
「……はぁ」
「これは教授としてではなく、比企田個人として頼みたい。したがって、大学の人間には誰にも知られてはならない。秘密厳守だ。これは約束できるかい?」
「あの、それって、どういう仕事ですか?」
狗藤は不安気な表情を浮かべた。厄介な仕事なんだろうか? 神経をすり減らすような作業は、正直いって勘弁してもらいたい。でも、バイト料を弾んでもらえるなら、考えてみようかな。そんな想いが狗藤の脳裏を駆け巡る。
教授は、にっこりと笑って、
「作業自体は全然むずかしくない。僕の言う通りにしてもらえれば充分だ。いいかい、誰にでもこの話を持ちかけているとは思わないでくれ。僕は狗藤くんのことを買っているから、こうして話しているんだ」
「あ、ありがとうございます」
「お待たせしやしたーっ」
女性店員が料理を持ってきたので、しばし会話は中断した。
大皿の上では、鶏の唐揚げが湯気をたてている。食欲を増進させる香気が立ち上り、狗藤は思わず唾を飲み込む。久し振りの動物性蛋白質が目の前に並んでいるのだから無理はない。だが、教授に気遣って、うかつには手が出せない。
教授は大きな唐揚げを箸でつまむと、
「食べないのかい? 遠慮しないで、どんどん食べてくれ」
お許しさえ出れば、狗藤の食欲は解放される。立て続けに、唐揚げを頬張った。肉汁の詰まった塊をバリバリ噛みくだく。数週間ぶりの肉は、涙がこぼれそうなほど旨い。
旺盛な食欲を見せる狗藤に、教授は笑顔で眺めていた。刺身の盛り合わせに、ジャーマンポテト、ピザトースト……。豪勢なメニューが次々と運ばれてきて、苦学生のすきっ腹を満たしていく。
狗藤が満腹した頃を見計らって、教授は口を開いた。
「君、おカネが好きかい?」
狗藤は喉を詰まらせて、激しく咳き込んだ。
「ふふ、愚問だったね。生きるためにはカネは必要だ。嫌いな人間など、どこにもいやしない。この国では10億ほどのカネがあれば、それだけで勝者になれる」
狗藤は質問の意図が飲み込めず、黙って耳を傾けている。
教授はテーブルの上に、グイッと身を乗り出した。
「教えてくれ。君は大金を掴むチャンスが目の前にあるのに、どうして行動を起こさない? 僕には到底、理解できない。君には、欲がないのか? それとも、臆病風に吹かれて、何らかのリスクを怖れているのか、一体どういうことなのだろうね」
狗藤はハッとした。まさか教授は、カノンからもらったアイテムのことを言っているのか? 喉の渇きをおぼえて、思わずビールジョッキをあおる。
「……あの、何をおっしゃっているのか」
「はは、とぼけることはない。こちらは全て、お見通しだよ。君はなぜ、【弁天鍵】を使って、大金を自分のものにしない? どうして、カノンさんからもらった〈カネのなる木〉を使わないんだ」
やっぱり、教授は知っているのだ。でも、なぜ、知っているんだろう。カノンと顔見知りとは思えないけど。
狗藤は無意識のうちに、左手を押さえていた。【弁天鍵】は現れていないのだが、そうせずにはいられなかったのだ。
「おいおい、警戒しないでくれ。僕は君と同じなんだ」
教授は肩をすくめて、優雅な仕草で左手を掲げた。その左手と二重写しに重なるように、何かが出現する。狗藤は驚愕して、眼を見開く。
現れたのは、まさに【弁天鍵】だった。ただし、狗藤の【弁天鍵】よりも見栄えがいい。狗藤のそれが朽ち果てた洋館の鍵だとしたら、教授のそれはきらびやかな豪邸の鍵だ。ところどころに宝石を散りばめており、ゴージャスなイメージである。
「君と同じく、僕も【弁天鍵ホルダー】なんだよ。ただ、新人の君と違って、弁財天に見出されてから、すでに16年のキャリアがあるけどね」
狗藤はポカンと口を開けていた。なぜ、教授が【弁天鍵】をもっているのか? まるで想像がつかない。いくら考えても答えは出そうもない。




