C:弁財天の再会
啓杏大学キャンパスには、学生の人気スポットがいくつかある。食堂とカフェテラスは終日、人がたむろしている。噴水広場は陽当たりがよく、日光浴にぴったりである。
穴場としては、経済学部の一号館と二号館をつなぐ渡り廊下が挙げられる。両脇に窓が並んでいて、幅が10メートルもある。中央の通路以外は丸テーブルと椅子が並べられ、学生たちの休憩所として使われている。
その渡り廊下で、カノンは彼女と再会を果たしていた。顔を合わせるのは、実に17年ぶりである。平日の昼下がり、彼女たちの周囲には人影が一つもない。いつもなら、学生たちでにぎわう時間帯なのに、そんなことがありうるのか?
実は、二人のいる空間が三次元から少しずれているために他ならない。人間の目には見えず、決して立ち入ることのできない神の次元。通称【DOG(神の次元)】である。
今、カノンの前で優雅に佇んでいるのは、かつては憧れの存在だった。「先輩」と慕ったこともある、元同僚でもある。つまり、元弁財天である。
彼女は少しも変っていない。17年の歳月を経ても、その美貌とスタイルに陰りはなかった。ぽってりとしたセクシーな唇も、ハスキーな声も昔のままである。
「カノン、お久し振りね」
「お元気そうで、ベティさん」
二人は笑顔を交わしている。しかし、感動の再会というわけではないらしい。大喜びで抱き合うような再会でないことは、二人の態度を見れば明らかだった。
「ふふっ、私の存在に気付くのに、随分と時間がかかったわね。カノンって相変わらず鈍いんだねぇ」ベティは豊かな胸を反らし、上から目線で言ってのける。
「そっちこそ、裏でこっそり糸を引いとるなんて、薄汚れた陰謀策略家の癖が全然抜けてへんやないですか」カノンも果敢に応酬する。
「あら、何のことかしら?」
「言うまでもない。先輩の操っている〈クロガネ遣い〉のことやないか。とっくに弁財天の資格をはく奪されとんのに、えらい腹黒い人間に【弁天鍵】を与えたもんやな。しかも、神々の目から逃れるテクニックまで駆使して、この国の経済をわやにしようやなんて、呆れかえってものが言えんわ」
ベティは苦笑して、肩をすくめた。
「それじゃまるで、この私が天下の大悪党みたいじゃない。久し振りに再会した大先輩に対して、あんまりな言い方だと思うけど?」
「この再会かて、ベティさんが仕組んだんやろ。私が先輩の気配に気づき、かすかな痕跡をたどり始めたとたん、これ見よがしに姿を見せるやなんて」
「あら、無駄な手間を省いてあげたんじゃないの。私の心遣いをそんな風に受け取るなんて、とっても心外よ」
カノンは「ふっ」と溜め息を吐く。
「ベティさん、まだ、掟破りを続けるつもりなんか?」
「弁財天を抜けた私に、くだらない掟など守る義理はないでしょう。どうせ、頭の中にカビのはえた神々が決めたルールに縛られるなんて、愚の骨頂よ」
「そういうベティさんだって、弁財天の恩恵をこうむってきたくせに」
「それは記憶にないなぁ。若かったから、言われるままに我慢してきたのかもね。人間界のアイドル商法にあやかって、参拝者数から割り出す人気ランキング? そんなものに、どんな意味がある?」
「でも、はっきり言うて、〈はぐれ弁天〉のベティさんには無関係や。話のすりかえは止めといて。幹部連中は皆、口をそろえて言うてんねん。17年前、ベティがはぐれることになった理由は職務怠慢やったから、いうてな」
「……」ベティはバツが悪そうに、そっぽを向いた。
「幹部たちを擁護するわけやないけど、彼らはリーマンショックを防げられへんかった反省をふまえて、弁財天の大革新を行ったんとちゃいますか。その一つが、チーム制の導入や。一人ひとりでは弱者でも、チームであたれば、大きな問題にも対処できるちゅうわけで」
「ふん、弱者は所詮、弱者にすぎないのに、頭がガチガチな幹部どもの考えそうなことよ。そんな愚者の論理を指して、弁財天の大革新? 相変わらず、笑わせてくれるわね」
「現役弁財天としては、チーム内の競い合いは刺激になってるかな。人気商売の緊迫感もあるし、危機感を背負っとるせいか、私だってレベルアップしてる。ベティさん、17年前の私だと思わんといてや」
「ふん、なかなか言うようになったじゃない」と、鼻で笑うベティ。
「……ふふっ」と、口元だけで微笑むカノン。
「カノン、神々のしがらみなんか断ち切って、こっちの世界にきなさい。自分の生き方が自分自身で決めるの。組織の後ろ盾をうしなうのだから、ある程度のリスクは覚悟の上だし、すべては自己責任よ。でも、そんなものを大きく上回る、自由気儘に生きる解放感がある」
「〈はぐれ弁天〉に落ちるなんて、考えるのもごめんやな」
ベティは「ふう」と短く溜め息を吐いた。
「あーあ、交渉決裂か。カノンとは争いたくはないから、せっかく妥協案を見出そうとしているのに、どうやら無理みたいね」
「……」カノンは微笑みで応じる。
「そもそも、要領の悪い後輩に、少しでも期待した私がバカだったのかしら」
「先輩がバカという点には同感やな」
明らかな暴言だった。ベティは一瞬、表情をこわばらせたが、すぐ、その怒りを抑えて、目を閉じて首を振るという余裕たっぷりのポーズをとる。
二人は同時に、表情を引き締めた。
「仕方ない。カノン、そろそろ、やり合おうか」
「前置きが長すぎやわ。いくで、ベティさんっ」
その瞬間、ビリビリと空気が振動した。カノンの周囲から一陣の風が巻き上がり、それは三方向に分散して、うねりをもつ〈風の刃〉へと姿を変えた。
巨大な爪にも似た三本の鋭い刃は、それぞれにゆるやかなカーブを描き、連続して、ベティに襲いかかる。
鋼鉄の柱をぶつけあったような金属音が上がった。
カノンは自分の目を疑った。ベティは平然と佇んでいる。〈風の刃〉は消失していた。カノンの攻撃は、彼女の髪をなびかせただけにすぎない。




