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弁財天とクロガネ遣い  作者: 坂本光陽


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A:グレーの黒之原


 ゼミ研究室窃盗事件をおこした黒之原の退学は妥当な処分と思われた。同情の余地もない。黒之原は知らないうちに大学寮をひきはらっていた。ゼミ生たちに詫びを入れたり、返金をしたりすることもなかったらしい。


 窃盗事件の弁済など問題は数多く残されているが、黒之原が誠実に対応するかどうかははなはだ疑問である。最後まで迷惑な先輩だったし、悪い意味で期待を裏切らなかったといえるのかもしれない。


 その日の夕方、狗藤は心の底から後悔していた。ゼミ研究室でダラけていないで、さっさと帰っておけばよかったのだ。そうしておけば、猿渡助手から厄介なことを頼まれることもなかった。


「ついさっき、学生課から言われたんだけど、黒之原くんがまだ学生証を返していないらしいのよ」

「万一、学生証を誰かに悪用されてもいけないし、必ず大学に返還してほしいってことなのよ。狗藤くん、悪いけど、頼めないかな?」


 気が進まないが、世話になっている猿渡からの頼みである。無碍むげに断ることはできない。

 狗藤は深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、黒之原のスマホを鳴らした。ビクビクしながら手短に用件を伝えると、返ってきたのは案の定、嘲笑だった。


「くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ」

 相変わらずの横暴な命令口調である。黒之原は大学を辞めたのに、先輩後輩の関係はリセットできないらしい。しかも、酔っぱらっているらしい。

「学生証を返してほしけりゃ、今すぐここに来い。30分以内に来ねぇと、どこかで落として、二度と見つからねぇかもしれねぇぞ」

 黒之原の居場所は、狗藤が黒之原のツケを払わされた、上野の居酒屋だった。


 狗藤は溜め息を吐いた。時間を限定されているのだから、すぐに行かねばならないのに、どうにも足が動かない。黒之原とは二度と顔を合わせたくなかった。


「何をもたもたしとんねん、さっさと行けや」

 いきなり小突いてきたのは、カノンだった。彼女はいつも神出鬼没で乱暴なのだ。

「おまえ、まさか、すっぽかす気か?」


「だって、黒之原さんは『カネを貸せ』とか言うに決まっていますよ。そんな人にわざわざ会いに行くほど、僕はお人好しじゃないつもりです」

「それぐらい、きっぱり断ればええだけの話やないか」カノンは狗藤の腕を乱暴に引っ張る。「黒之原に会って確認したことがあるんや。〈クロガネ遣い〉の手掛かりは、あいつが握っとるような気がすんねん」


「えっ、でも前に、黒之原さんは〈クロガネ遣い〉じゃないって言いましたよね」

「ああ、そんなことも言うたな。おまえにしては、よう覚えとるやないか。黒之原は〈クロガネ遣い〉やない。こいつは確かや」

「だったら、別に会わなくてもいいじゃないっですか」


「下僕の分際で、えらそうに意見するんやない。黒之原は〈クロガネ遣い〉やないが、微妙に怪しい点があるんや。クロやないが、妙にグレーなんや。もう一度会うたら、何か手掛かりをつかめるかもしれん」


 そう言って、カノンはグイグイと、狗藤の腕を引っ張り続ける。このままの状態を続けていると、肩の関節が抜けてしまいそうだ。狗藤はやむをえず、無駄な抵抗を諦めた。

 実は、カノンが一緒にいれば、黒之原も見栄を張って、カネをせびるようなことをしないのではないか? そういった、みみっちぃ期待もあった。


 何はともあれ、狗藤とカノンはタクシーを飛ばして居酒屋に到着した。30分以内という条件をクリアしたのに、肝心の黒之原は店内にいなかった。店員に訊ねてみると、派手なファッションの女性がやってきて、黒之原を連れだしていったという。しかも、黒之原の支払いを気前よく済ませてである。


「年上の彼女って感じだったな。いつもは横柄なお客さんが、珍しく敬語を使っていたよ。めちゃくちゃ色っぽくて、たぶん、あれは人妻だね。できれば、一晩お相手をお願いしたいぐらいだったよ」

 店員は訊かれてもいないことまで、ペラペラとよく喋る。

「店を出たのは、ほんの5分前のことだし、まだ近くにいるかもしれないよ」


 狗藤とカノンは手分けして、周辺を捜しまわることにした。金曜日の夜ということもあり、上野の街は多くの人が行き交っていた。この中から黒之原を見つけるのは不可能だと思われた。


 それでも、十数分後に発見することができたのは、奇跡のようなものだ。見つけたのは、狗藤だった。尿意を我慢できずに公衆便所を探したのだが、どうしても見当たらない。仕方なく、立ち小便をしようとして入った狭い路地の奥で、仰向けに横たわった黒之原を見つけたのである。


 黒之原はだらしなく口を開けて、ぐっすり寝込んでいた。

「風邪をひきますよ。黒之原さん、起きてくださいよ」

 いくら呼びかけても、身体をゆすっても、彼は目覚めなかった。それどころか、身じろぎ一つせず、まるで無反応である。目立った外傷はなく、ただ眠っているように見えるのだが、頭でも強く打ったのだろうか?


 とりあえず、狗藤は119番に通報した。カノンに言われたので、110番にも知らせた。やがて、二人の制服警官と救急車が駆けつけ、黒之原は速やかに病院へと搬送された。


 狗藤は警官に引きとめられ、交番で事情聴取を受けることになった。形式的なものだし、彼にやましいことは全くない。なのに、妙に緊張してしまい、警官への説明がおぼつかない。自分が黒之原を襲撃したと疑われないか、挙動不審を怪しまれやしないか、そんな要らぬ心配をしてしまうからだ。


 おどおどした狗藤の素振りに疑念を抱いたのか、警官たちは追及の手をゆるめない。供述に矛盾がないか、根掘り葉掘り聞き出そうとする。すると狗藤は、ますます動揺してしまう。そんな悪循環が延々と展開していた。



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