B:会員制カジノクラブ
〈クロガネ遣い〉は運よく、第一志望の大学に入学できた。大学生といえば世間的には、恋愛にレジャー、飲み会と、人生の中で最もハッピーな時期らしい。しかし、彼は少しも楽しそうではなかった。
見かねた級友から女の子を紹介されて、仕方なくデートをした。「愛想よく、にっこり笑ってみろ」と級友から言われても、〈クロガネ遣い〉の眼は死んだ魚のようだった。当然のごとく、若い女性には愛想をつかされる始末だった。
だが、そんな素っ気なさが新鮮なのか、年上の女性には不思議ともてた。例えば、食堂や飲み屋の女性店員たちである。〈クロガネ遣い〉に言い寄ってくる女性は皆、世話焼き女房タイプだった。おそらく、母性本能と保護欲をかきたてられるのだろう。周囲から「熟女好き」などと陰口を叩かれたが、アラサーで熟女扱いをするのは失礼というものだろう。
もっとも、〈クロガネ遣い〉も彼女たちの求愛に対して礼を失していた。彼の関心は常に、彼女たちの財布であったのだから。
小遣いをせびったことは一度もない。彼女たちは自分の意志で、〈クロガネ遣い〉のポケットにカネを押し込んでくるのだ。一旦は遠慮するのだが、無理やりポケットにねじ込まれてしまう。したがって、後ろめたさや罪悪感を抱くようなことはなかった。
〈クロガネ遣い〉が一週間のうちで、大学よりも通っていたのは、古びたカフェ・バーだった。薄汚れたレンガ作りの店構えは、お世辞にもオシャレとは言えない。大学の先輩が経営する店であり、当時、流行していたイベントサークルの溜まり場だった。
同様のサークルは渋谷や新宿などに数多くあったが、彼が出入りしていたカフェ・バーは上野にあった。〈クロガネ遣い〉は人混みが苦手なので、めったに繁華街には行かない。世間の流行やブームにも無関心である。では、どうしてイベントサークルと関わるようになったのか?
ひと言でいうと、人脈作りのためだ。女性たちからもらう小遣いなどタカが知れている。「古本屋」でのディープな経験をいかして、もっと大きな仕事を手掛けてみたかった。
当時、「ネット・バブル」によって慢性的な不況が一段落し、世間には奇妙な高揚感が支配していた。それは結局、一時的な幻想に過ぎなかったのだが、その頃、〈クロガネ遣い〉の人生に大きな変化があった。
発端は、イベントサークルで知りあった男の紹介で、違法カジノに足を踏み入れたことである。最近はスマホで手軽に楽しめるオンラインカジノが社会問題になっているが、当時の違法カジノは誰にでも門戸を開いているものではない。
会員制のカジノクラブなので、正式会員の紹介を受けなくては入場ができない。外観はありふれた雑居ビルの中にあるのだが、一階の奥には体格のよい黒服が常駐している。彼の後方には巨大な南京錠がさげた鉄柵があり、黒服が解錠しなければ、その奥にあるカジノ直通のエレベーターに乗り込むことができない。
海外のカジノと比べたら、数ランクは落ちる内装と設備である。〈クロガネ遣い〉の抱いた第一印象は、「大人のゲームセンター」だった。もしかしたら、見栄えよりも撤収時の作業性を優先させたしたのかもしれない。
企業舎弟の闇金融が手がけたサイドビジネスという噂もあったが、出入りしているのはごく普通の男女である。決して怪しげな人々ではない。外回りの営業マンや買い物帰りらしい主婦の姿もあった。
〈クロガネ遣い〉は元々、ギャンブルに興味はなかった。自分でもカネに対する執着心が希薄だと思うし、そもそもゲームに対する集中力に欠けている。試しにスロットマシンに挑戦してみたが、案の定、あっさり敗北してしまった。
ギャンブル・フロアに隣接して、飲食スペースがあった。カジノクラブの会員になれば、無料で好きなだけ飲み食いできるのだ。高級ホテルからのケータリングなので、何を食べても驚くほど美味かった。
〈クロガネ遣い〉は一人で食事をしていると、
「若い人が食べているのを見るのは、気持ちいいわね」と声をかけられた。
振り向くと、パーティドレスに身を包んだ美女が微笑んでいた。セクシーで魅惑的な表情に、美しい形のバスト、スラリと伸びた脚。ゆるやかにカールしたショートカットが、快活そうな彼女によく似合っていた。
コンパニオンかと思ったが、カジノクラブの会員だという。彼女は同じテーブル席に腰を下ろすと、単刀直入に言い放った。
「君、いい目をしているわね。うん、気に入った。どう、私と組まない?」
それが、ベティとの出会いだった。死んだ魚の目と言われたことはあるが、目をほめられたのは初めてである。互いに自己紹介は交わしたものの、〈クロガネ遣い〉は彼女の思惑をつかみかねていた。ベティは一体、何者なのか?
20代後半に見えるが、本当の年齢はもっと上かもしれない。後に、夫が大手有名企業の重役だとか、実家が地方の資産家という噂を耳にしたが、彼女には一笑にふされた。
とりあえず、質問を一つした。
「いくらでも若い男はいますよ。どうして、僕なんですか?」
「そうね、野心家の匂いを感じたから、と言っておこうかな」ベティはクスリと笑った。
「僕が野心家ですって? 初めて言われましたよ」
その自覚はなかったが、一攫千金を成し遂げたくて、〈カネのなる木〉を探し回っているという意味では、ベティの言う通りなのかもしれない。〈クロガネ遣い〉の立ち居振る舞いから秘めた野心と読み取ったとすれば、大した眼力ということになる。
「自覚のない野心は、私に言わせれば本物中の本物。ずっと、信頼できる人を捜していたの。つまり、仕事のパートナーね。無能では務まらないし、狡猾すぎて裏切られてはかなわない」
ちなみに、ベティを裏切った男は一人残らず、遠くの世界に旅立ったらしい。冗談めかした言い方だったが、二度と戻ってこられない場所であることは明らかだった。
悪徳と犯罪のにおいがする。〈クロガネ遣い〉にとっては、新鮮な芳香に感じられた。リスクがあることは百も承知だが、ベティと組むことに躊躇いはなかった。
「面白そうな話ですね。詳しく教えていただけますか?」
こうして、〈クロガネ遣い〉の人生観は、ベティとの出会いによって、大転換を起こすことになる。




