A:飲み会パニック
狗藤は内心、カノンの俗物ぶりに呆れていた。
その覚悟は立派かもしれないが、神様の言葉としてはいかがなものだろう。神様って、もっと威厳なり慎みなりがあるものじゃないのか。これって、僕だけの偏見か?
まぁ、いいや。そろそろ仕事に戻ろう。いつまでも幹事が席を外しているわけにはいかない。
「カノンさん、とにかくストリップだけは慎んでくださいね」
「何やねん、堅いな。誰かに迷惑をかけたわけじゃないやろ」
カノンはブツブツ言っているが、狗藤は無視して玄関をくぐろうとする。ちょうどその時、出てきた男と鉢合わせになった。
黒之原だった。いつも以上に仏頂面をしている。大幅に遅刻をして、ついさっき来たばかりなのに、もう帰るつもりらしい。
「あの、黒之原先輩、お帰りなら、会費をいただけますか?」
狗藤はオドオドしながら、幹事の義務を果たそうとする。
「今日は俺の誕生日なんだ。プレゼントは遠慮してやるから、会費と相殺だな」
「嘘ですよ。先輩の誕生日は先月じゃないですか。キチンと払ってくださいよ」
とたんに、黒之原の目つきが変わった。
「誰が払うか。ゼミの連中が相手じゃ、飲む気になれねぇよ」
「……」
「会費なんざ、これで充分だっ」
丸い指先で、狗藤の額に硬貨を押し付ける。あとで鏡を見ると、十円玉だとはっきりわかるほど、くっきりと痕が残っていた。呆然とした狗藤を残して、黒之原はさっさと立ち去って行く。
「相変わらず、カネに汚い人だな。今にきっと、罰が当たるよ」と狗藤はつぶやく。
「相変わらず、学習能力のない男やな。おまえも救われへんな」とはカノンの弁だ。
大広間に戻ると、ゼミ生たちの喧騒はまだ続いている。ただ、部屋の隅を見た時、狗藤は違和感をおぼえた。コピー用紙の空き箱が畳の上に転がっている。狗藤が会費を集めるために使っていたものだ。上着をかぶせておいたはずなのに、なぜか、むきだしの形で放り出されている。
「やばっ、会費は無事だろうな」
狗藤は慌てて、箱の中身を確認する。悪い予感が的中した。紙幣がきれいに消えている。残っていたのはわずかな小銭だけだ。
狗藤は真っ青になった。飲み会の会費を盗まれるなど、あってはならないことである。冗談ではすまない。一体、誰が盗んだのか? あたりを見渡してみたが、それらしき不審人物は見当たらない。手がかりを得ようと、近くにいた連中を捕まえて訊いてみたのだが、誰も彼も泥酔しているので、まったく要領を得ない。
コピー用紙の空き箱に現金が入っていることを知っていたのは、飲み会の参加者だけである。部外者には知りようがないのだから、やはり、犯人はゼミ生の中にいるということか? それにしても、ほんの少し席を外しただけで、まんまと盗まれてしまうとは。
狗藤はがっくり肩を落とした。香典泥棒をされた受付係や振り込み詐欺の被害者の気持ちがよく理解できた。溜め息をつきながら、集金メモから被害金額を計算する。何度計算しても、17万5000円だった。
「ほんまのドアホやな。救いようがあらへんわ」事情を知ったカノンから笑われた。「で、犯人の目星は? やっぱり黒之原か?」
「カノンさんもそう思う?」
「とことんカネに汚い奴やし、守銭奴のいやーな臭いがプンプンするからな。でも、物的証拠と目撃者はなしやろ。それじゃ、どこの世界でも逮捕はでけへんな」
「ねぇ、カノンさん、【弁天鍵】で試してみたら、どうかな?」
「おいおい、前に言うたやろ。何で、みみっちい使い方しかできないんや。たった17万5000円のために、〈神のアイテム〉を使うんか?」
「でも、僕にとっては大金だよ。それだけあれば、二ヵ月は悠々と暮らせる」狗藤はいつになく、熱っぽく訴える。「黒之原さんが犯人なら、今、17万5000円をもっているはずだろ。もし【弁天鍵】で請求して奪還できたら、決定的な証拠になるじゃないか」
「あかんな」カノンは人差し指を振る。
「前にも言ったやろ。【弁天鍵】で請求すれば、相手の【未来金庫】の中身が対象となるんや。預貯金やら不動産、乗用車、所有物などなど、その上、将来受け取る年金まで含んどるんやで。あくまで暫定的やけど、生涯資産ってわけやな」
「ええっ、マジで? 【弁天鍵】ってそういうものだったの?」
「ああ? 言うてなかったか?」
「年金とか生涯資産という部分は聞いていません。初耳ですよ」
「そうか? なら、たった今、空っぽ頭に叩きこんどけ。とにかく、黒之原の生涯資産が17万5000円未満やない限り、17万5000円は確実に回収できる。【弁天鍵】はカネを奪う道具にすぎん。回収できても、盗みの証拠にはならんということや」
「そうか、うまくいかないもんですね。融通が利かないというか」
そう呟いた時、狗藤の脳裏に閃くものがあった。
「万一、会費が足りなくなったら、声をかけなよ。少しぐらいなら、融通してやるからさ」
飲み会が始まった頃に、比企田教授から言われたセリフである。だが、教授は今、大学でマスコミ取材を受けている。となると、頼れるのはナンバー2だ。
「とにかく、猿渡さんに相談してみます」
「好きにせぇ。私は勝手に楽しんどくわ」
「カノンさん、ストリップは禁止ですよ」
そう釘を刺しておいて、狗藤は猿渡をさがしまわった。アルコールに弱い彼女は、上座の方で眠りこけていた。小さな身体を胎児のように丸めている。
「すいません。猿渡さん、起きて下さい」
声をかけても起きないので、身体をゆすってみた。すると、その手を両手で掴まれてしまった。寝ぼけているのか、狗藤の右手を胸もとに引き込んで放さない。はずみで猿渡の膨らみに触れてしまった。意外と大きい。Dカップはあるかもしれない。
いや、それどころではない。目を覚まさないうちに引き抜こうとするが、両手でガッチリ抱え込まれている。万力のような力強さなので、狗藤が引っ張ってもビクとしない。気がつくと、猿渡は寝ぼけたまま、口を開き始めていた。
まさか、このままでは、やばいっ!
ガブっ!
「あんぎゃああああっ!」
狗藤の悲鳴は、大広間だけでなく居酒屋じゅうに響き渡った。近所の住民に殺人事件があったと誤解されて、パトカーが駆けつける大騒ぎになったほどだ。
とりあえず、猿渡は目を覚ましてくれた。狗藤の腕にくっきり残った歯型は「名誉の負傷」である。狗藤が17万5000円を盗まれたことを伝えると、猿渡の酔いは一気に醒めたらしい。
「一番悪いのは盗んだ奴だけど、それを招いたのは狗藤くんの不手際だよ。大金なんだから肌身離さず持ち歩きなさい。どうして君は、そんなに不注意なの」
狗藤はひたすら頭を下げた。四方八方に土下座をして、参加者全員に謝り続けた。
「どうした? 何か厄介ごとか?」
タイミングよく登場したのは、大学から戻ってきた比企田教授だった。狗藤は頭を下げながら、事情を説明する。すると、教授は怒りもせずに、
「仕方ないね。立て替えておくよ」気前よくポンと17万5000円を出してくれた。
教授は狗藤の肩を叩いて、こう付け加えた。
「狗藤くん、これは貸しだよ。反省しているなら、その分はバイトで挽回してくれ」
「踏み倒したら承知しないわよ。分割にしてでも返しなさい」と、猿渡が口を挟む。
「はい、もちろんです。約束します。何があっても絶対に返します」
でも狗藤の心の中では、苦学生割引ということで、半額ぐらいで勘弁してくれないかなぁ、などと虫のいいことを考えているのだった。




