A:女神のストリップ
下僕体質の狗藤は、基本的に真面目である。
細かいことに気が付くし、大変マメでもある。キチンと気配りができるし、他人の顔色をうかがうのに長けている。猿渡助手から飲み会の幹事を命じられたのは、狗藤が適任であるからだ。もっとも、狗藤自身は少しもうれしくなかったが。
飲み会の会場は大学から徒歩15分の場所にある、比企田ゼミ御用達の居酒屋である。学生が思い切り騒いでも大目に見てくれる。そんな有り難い店舗だった。
狗藤は飲み会当日、大広間の入口に陣取ると、コピー用紙の空き箱を手に、男性5000円、女性3500円の会費を徴収していた。赤字になることだけは絶対に避けなければならない。
比企田教授は乾杯の音頭をとると、狗藤の元にやってきた。
「万が一、会費が足りなくなったら、遠慮なく声をかけてくれよ。こういう時のために僕はいるんだからさ」
そう言い残して、飲み会を中抜けした。大学に戻って、急遽入ったマスコミ取材を受けるらしい。
狗藤は幹事として本領を発揮していた。両手いっぱいにビールジョッキを抱えて、大広間の端から端まで走り回っている。飲み物や食べ物の追加に大忙しだった。
「おう、幹事、御苦労。参加者全員が楽しんでいるか、常に目配りを忘れるなぁ」そう声をかけてきたのは、猿渡助手である。
口調はしっかりしているが、目が座っていた。元々猿顔なのだが、顔を真っ赤にしているせいで、いつにも増してボス猿に見える。猿渡の飲むペースは尋常ではない。中ジョッキの生ビールを一気に飲み干してしまう。
やばいな、と狗藤は警戒する。猿渡はアルコールに弱い。酔っぱらうと、手近な人間に噛みつく癖があった。噂によると、好みの腕を見ると、噛みつきたくなるらしい。好みといっても、ルックスや性格、体格は一切関係ない。
「表面は柔らかいくせに、中身に硬い筋肉の束が詰まっているのが、私の好みだ」と、理解不能なことを口にしている。
とにかく、狗藤は幹事の立場から、猿渡助手の噛み癖が出ないことを切に願う。
「ええと、カノンさんはどこだ?」
追加注文が一段落したところで、狗藤は大広間を見渡した。カノンは部外者であるが、狗藤の友人という触れ込みで特別参加をしている。
飲み会のことを知ると、なぜか、カノンは「ぜひ参加したい」と訴えてきた。ただし、飲んで騒ぎたいわけではなく、ゼミ生の中に〈クロガネ遣い〉がいないか見極めたい、と言っていた。
どうも怪しい、と狗藤は睨んでいる。さっき見かけた時も、男子ゼミ生から「すごい美人」「笑顔がかわいい」「抜群のプロポーション」と、ちやほやされて、すっかり御満悦だったからだ。
カノンは大広間の隅にいた。真っ赤なミニドレスの上に、パステルピンクのカーディガンを羽織っている。相変わらず、露出度が高い。そのせいで、十数人のゼミ生にとり囲まれている。
カノンは芸事の神様であるためか、社会の俗事に染まっているせいか、妙にノリの軽いところがある。それは、サービス精神旺盛という言い方もできる。
「何や、そんなに私の××××が見たいんか」
「いつでも誘ってよ。私はウエルカムやから」
「どないしょう。チューしてあげようかなぁ」
そんなセリフが、狗藤の耳に入ってくる。
男どもから際どい質問の集中砲火を浴びせられても、照れたり黙りこんだりはしない。愛嬌をふりまき、テンポよく対応している。健康的なフェロモンを発散して、男どもを翻弄しているのだ。
カノンは満面の笑みを浮かべていた。男どもにチヤホヤされるのは、カノンにとって快感であるらしい。酒は一滴も飲んでいないのに、頬を赤く染めている。
「え、我慢でけへん? そんなに私のすべてが見たいんか?」
カノンはゆっくり立ち上がり、カーディガンをスルリと肩から落とした。
男どもの間から、
「おおーっ」と、どよめきがおこる。
女神様はバストの上半分を露わにしたという姿になっていた。男どもは押すな押すなの大騒ぎ。まるで欲情したケダモノの群れである。
まぶしい胸元に美しい鎖骨。釣鐘型のバストは、前方に突き出している。見事なロケットおっぱいは、男どものハートを一瞬で撃ち抜いてしまった。
カノンは調子にのって、ミニドレスの裾を少しだけ上げる。たちまち、真っ白な美脚がむきだしになった。バカな男どもは何とかパンチラを拝もうと、いじましくも畳に顔をすりつけている。
狗藤は後ろの方で呆然としていたが、ハッと正気を取り戻した。
「はい、ちょっと待ったぁ」
熱狂の渦の中に乱入するや、カノンの白い腕をグイッと掴んだ。
「何やってんですかっ」
「え、それって、ヤキモチ?」カノンは赤ら顔で、ヘラヘラ笑っている。
「カノンさん、全然飲んでないのに、酔っぱらったの?」
わけがわからないが、狗藤はとにかく、この場を収拾しようとする。
「何だ、水を差すなよ、幹事」
「これからが見せ場だろうが」
「空気を読めよ、バカヤロー」
ケダモノたちから、不満の声が上がる。狗藤に掴みかかる先輩もいた。そのスローモーな動きときたら、まるでゾンビである。
「はいはい、ごめんなさい。ちょっと、通して下さいね」
狗藤は容赦なく、先輩たちを押しのけた。相手は泥酔しているので、手を払っただけで転んだり、足をもつれさせたりして、まともに歩くことさえできない。狗藤とカノンは難なく包囲網を突破した。
居酒屋の玄関をくぐりぬけて表に出ると、狗藤はカノンに詰め寄った。
「カノンさん、弁天様がストリップなんかやらかして、どういうつもりですか」
「いやぁ、民から求められると応えたくなんのが、神様の性やから。ついやっちまったのは、もって生まれたタレント性のせいかもしれんな」
カノンは悪びれずに、あっさり言ってのける。
「神々の世界も慢性不況なんやねん。国民の信仰心は減る一方やし、民の心を掴むためには、なりふり構っちゃいられへん。そやから、出し惜しみはなしや」
「出し惜しみはなしって、マジで、ストリップをするつもりだったの?」
カノンは腕組みをすると、重々しい口調で言った。
「これも、カネの悪い流れ〈暗黒潮流〉を断って、民を正しい流れ〈黄金潮流〉に導くためや」
「それって、嘘でしょ」
カノンは狗藤をジロリと睨みつけてから、いきなりケラケラと笑い転げた。
「はい、嘘でしたぁ。このドアホ、ようわかったな」
「カノンさん、ひょっとして酔ってるの? 一滴も飲んでないのに? もしかして、酒じゃなくて、おだてられて酔った?」
「へへへーっ」
図星らしい。
「おまえにわからへんやろな。民に注目され、おだてられてチヤホヤされるんは、神にとっては超最高級の快感なんや。ちょっとぐらい浮かれてどこが悪いんや? 細かいことでイチイチ目くじらを立てんな」
豊かな胸を反らして、カノンは叫んだ。
「そんぐらい大目に見てくれても、ええやないか!」
「開き直った。神様が開き直ったよ」
「おい、誤解すんなや。この人気が永久に続くなんて誰も思ってへん。信者の熱狂なんて、所詮は一過性やしな。ただな、弁財天カノンの光り輝く瞬間は、民の心に焼き付けてやるんや。神々しい姿は未来永劫、伝説として語り継がれるんや」
まともなことを言っているようだが、狗藤の反応はドライだった。
「伝説なんかにならないよ。人間のアイドルと同じでしょ。大手芸能プロの強力なプッシュを受けて、運よくブレイクしたとしても、もって数年の命。はっきり言わせてもらうと、使い捨てじゃない」
「ああ、消耗品やろうな。一時はチヤホヤされても、落ちぶれてしまえば、〈ああ、そんな子もいたっけ〉って扱いや。あっけなく忘れ去られてしまう。けどな、私には、民に消費される覚悟があるっ」
カノンは豊かな胸をそびやかし、腕組みをしたドヤ顔で宣言した。




