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弁財天とクロガネ遣い  作者: 坂本光陽


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B:マルボー事件


 高校生最後の夏に起こった事件を、〈クロガネ遣い〉は死ぬまで忘れない。それぐらいインパクトのある出来事だったのだ。


 発端は、マルボーから古本屋にもちこまれた儲け話だった。それは信じられないことに、さるマンモス警察署との取引だった。警務課主任と遠い親戚関係にあるマルボーは、ニセ領収書を作成する仕事を請け負ってきたのである。


 少なくとも十パターン以上の筆跡でニセ領収書に書き込み、万が一発覚した場合でも、決して裏付けをとられないことが必須条件だった。


 初回はスポット受注である。しかし、その出来次第によって信用を勝ち取れば、レギュラー受注は確約される。よほどの問題が発生しない限り、半永久的な取引になり、大きな売り上げを見込める。古本屋にとっては、美味しすぎる取引だった。


 今では忘れ去られているが、2000年代前半、「警察の裏金作り」が騒がれたことがあった。全国で相次いで発覚して、警察の信用をおとしめたスキャンダラスな事件である。不正に捻出された汚れたカネは、年間数十億とも百億とも言われた。


〈クロガネ遣い〉と古本屋は、その裏金作りの初期から関わっていた。しかし、警察内部の関係者にも、ほとんど知られていない。


 古本屋のニセ領収書は、発行企業を厳選し、数十パターンの筆跡で書きこまれている。流通している粗雑なニセ領収書とは異なり、はるかに高レベルな代物だったからだ。発覚することはおろか、疑いの眼を向けられることすらなかった。


 警察の横の繋がりは強い。最初の取引窓口である警務課主任の信用を勝ち取ると、古本屋の緻密な仕事は口コミで広がり、他の警察署からの発注も受けるようになった。


 受注量は飛躍的に拡大した。古本屋は、ニセ領収書ビジネスを本格化した。信用できるスタッフを集めて、ひたすら量産した。下請けに出すことはできるだけ抑えた。繁忙期に仕方なく下請けを使う場合は、最高レベルの機密保持を徹底させた。


 警察からの依頼なのだから、間違っても検挙されることはない。それどころか、厄介なトラブルが発生した場合は、当局が手を回して解決してくれた。痕跡を残さずもみ消してくれるアフターサービス付きだった。


 この事業は、古本屋に膨大な利益をもたらした。大学に進学した〈クロガネ遣い〉も、おかげで卒業するまでの学費と生活費をまかなうことができた。


 企業というものは、成長期の後に安定期に入り、やがては衰退期を迎えるものである。古本屋の場合は違っていた。絶頂期に突然、道を断たれたからだ。


 きっかけは、やはりマルボーだった。警察と古本屋の仲介役とはいえ、商品を右から左に流すだけの仕事にすぎない。それでも、上乗せしたマージンによって荒稼ぎをしていた。


 もし、マルボーがまともな金銭感覚をもっていたなら、ある程度の蓄えができていただろうし、老後の心配をしなくてすむはずだった。


 だが、マルボーは重度のギャンブル依存症である。あぶく銭をギャンブルで溶かし続け、ものの見事にすっからかん。その上、ヤミ金から一千万円以上の借金まで抱える始末だった。


 古本屋がマルボーから泣きつかれるのは、必然だったのだ。いや、泣きつかれるのではない。強引に奪い取るのだから、厄介なことこの上ない。


「このカネは返さなくていいです」古本屋は札束を差し出した。「ですから、現在取引のある警察署は別にして、今後、新規の警察署については、私どもに直で取引をさせてもらえませんか」


〈クロガネ遣い〉の目から見ても、それは真っ当な取引に思えた。受注生産量は膨大だが、ニセ領収書の単価は安い。偽造レベルを維持するために、人件費は下げられなかった。利益率を少しでも上げるためには、仲介マージンのカットは必然だったのだ。


「そうすれば、今よりも事業が円滑に進みますし、販路の拡大も見込めます」

 札を数えていたマルボーの手が止まった。場の空気が一気に冷え込んだ。古本屋を見上げた目つきは、瞬時に、凶悪なものに変化していた。


「何だと? 俺がいない方が取引はうまくいく、なんて風に聞こえたぜぇ?」

「違いますよ。それは誤解です」

「ああん? 寝ぼけたこと言ってんじゃねぇぞ。サツカンと取引ができてんのは、誰のおかげだ? 俺様のおかげだろうが」


 唾を撒き散らして、マルボーは激昂(げっこう)した。古本屋はうっかり、地雷を踏んでしまったのだ。マルボーのような男は、何よりも体面を重視する。なめられたら終わりなのだ。ヤクザに似ているのは外見だけでなく、思考法もそっくりだった。


「俺がビシっと盾になっているから、おまえらは安心して働けるんだろが」

「はい、おっしゃる通りです」

「わかってんなら、ごちゃごちゃ言うんじゃねぇ。くそっ、気分わりぃな。どうしてくれんだよっ!」


 その後、さも当然のように、マージンの利率アップを要求した。古本屋のミスを〈たかり〉の口実にするのに、マルボーは少しも躊躇ためらわなかった。


 その後、マルボーの暴走は歯止めを失い、古本屋は苦難の時代に突入した。高額マージンのせいで、古本屋は受注すればするほど赤字が増加した。人件費を極力削減したり、作業の効率化を図ったりもしてみたが、目ぼしい効果はなかった。


 坂道を転げ落ちるようなものだった。授業料としては高いものについたといえる。


 古本屋は苦渋の選択をした。すべての権利をマルボーに譲り、警察関連のニセ領収書事業から手を引くことにしたのだ。古本屋の決断に、マルボーは御機嫌だった。

〈クロガネ遣い〉は嫌な予感がした。マルボーは遠からず、何かしでかす。それは、ほぼ確信に近かった。


 数週間後、トラブルの第一報が耳に入ってきた。某警察署で無視できないクレームが発生したという。大雑把なマルボーの仕切りでは、繊細な神経が必要とされる偽造事業など、最初から無理だったのだ。


 マルボーの手掛けたニセ領収書の出来は、お世辞にもプロフェッショナルとは呼べなかった。まるで素人のやっつけ仕事である。偽造のレベルダウン以外にも、配送ミスや納期遅れが相次いだ。古本屋が築き上げた信用など、一気に吹き飛んでしまった。


 そして、運命の日がやってきた。

〈クロガネ遣い〉が高校で授業を受けている時、古本屋の元に、マルボーが乗り込んできたという。二人の間で、どのような言い争いがあったのか、想像するのは難くない。


 おそらく、マルボーは古本屋に言いがかりをつけて、まとまったカネを融通するように要求したのだろう。しかし、それが聞き入れられなかったため、ヒステリックに不平不満を爆発させた。


 居直り強盗よろしく、古本屋の身体をぶったぎったのである。使った獲物は、日本刀だった。業物わざものであるはずもなく、観光土産の模造刀と大差のない、粗雑な代物だったという。


 古本屋は、いく太刀も袈裟斬けさぎりを受けた。頭をかち割られて止めをさされるまで、大量の血を放出し続けた。


〈クロガネ遣い〉は第一発見者になった。事務所に入ると、床には血だまりができ、壁や天井には血しぶきが刻まれていた。


 古本屋の死体は、床に転がっていた。顔見知りの人間が、ただの物体になっていた。


 改めて思い返しても、視覚より嗅覚の印象が強い。むせかえるような臭いが、部屋の中に充満していた。生臭くて酸っぱさと鉄分が入り混じった未体験の臭いが、目を刺激して、涙をあふれさせた。


〈クロガネ遣い〉の110番通報を受けて、大勢の警察官が駆けつけた。被疑者の特定よりも裏金作りの隠ぺいの方が主目的だったらしい。鑑識員たちは黙々と作業をこなし、古本屋のPCと外付けハードディスクを押収していった。


〈クロガネ遣が放心して床に座りこんでいると、年配の刑事が話しかけてきた。

「被疑者のヤサに、家宅捜索が入ったよ。刑事という職業は意外と、潰しが効かない。堅気にはなれず、道を踏み外して、塀の向こう側に落っこちてしまうヤツは少なくないんだ」


 マルボーは数日後、知人の元を訪れたところを、張り込んでいた刑事たちによって逮捕された。無駄な悪あがきをしたため、刑事の拳を受けて顎の骨を砕かれたらしい。筆談で供述調書をとったため倍以上の時間を要した、という話である。


 裁判がはじまる前に、マルボーは拘置所で自殺した。新聞記事によると、靴下を使って首を吊ったらしい。〈クロガネ遣い〉には、その状況をイメージすることができなかった。引っ張るとロープのように伸びる靴下だったのだろうか。


〈クロガネ遣い〉は時々、古本屋の殺害現場を夢に見る。繰り返し見ているうちに、悲惨な情景はファンタジックに変化していった。死体はデフォルメが施され、ディズニーアニメのようになった。血の色はショッキングピンクに変わった。脳がストレスを回避するために、無意識に記憶を修正したのかもしれない。


 長い時間を一緒に過ごしていたのに、古本屋がどんな顔をしていたか、今となっては思い出せない。古本屋から習った裏稼業のノウハウは覚えているのに、彼の風貌はすっぽり抜け落ちている。



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