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弁財天とクロガネ遣い  作者: 坂本光陽


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A:弁天鍵の掟


 大学寮の狭い部屋には、エアコンはおろかテレビすらない。狗藤の暮らしは、きわめて質素である。しかし、それも今日で終わりだ。世界一の金持ちになることも夢ではない。今の狗藤には充分可能である。万能アイテムの【弁天鍵べんてんキー】があるならば。


 狗藤は部屋にこもって、他人のカネを奪うための計画を練っていた。まず、なすべきことは、奪いとる相手のリストアップである。貧乏人からは奪えるものがないし、一般庶民から奪うのも気がとがめる。


 よって、標的は金持ちに定めることにした。俗に「富裕層」と呼ばれている連中だ。とりわけ、罪悪感を覚えない相手の方がいい。例えば、国民の税金を私的に流用する悪徳政治家、私腹を肥やすことに血道を上げている強欲社長、スキャンダルを起こしてファンを裏切った売れっ子タレントなどなど。


 悪い奴らからカネを奪うことは気分爽快だった。最初はおっかなびっくりだったが、数をこなせば嫌でも慣れてしまう。金額をメモしていたのは、五件までである。狗藤は次々と、百万単位のカネを奪っていった。


 狗藤自身は直接、札束を目にしているわけではない。リアルな感覚と後ろめたさは皆無だった。はっきり言って、ゲーム感覚である。次第に金銭感覚が麻痺してきて、億単位のカネを鼻歌まじりで奪いとりはじめた。


「意外と頑張っとるな。どれぐらいのカネを奪ったんや?」

 いきなり、背後から声をかけられた。狗藤が驚いて振り向くと、カノンが腕組みをして立っていた。関西弁の女神様はいつだって、神出鬼没である。【弁天鍵】の使い方を怒られるかと思ったが、彼女の笑顔を見て、胸をなでおろす。


「ええと、20件ぐらいかな。一千万円ほど奪ったと思います」

「ふん、予想していたより多い。おまえ、意外とマメなんやな」

「いやぁ、それほどでも」

「一千万円分もこなせば、【弁天鍵】の使い方は完璧にマスターできたやろ。ほんじゃ、次にすることは、奪ったカネをそれぞれ、元の持ち主に返却や」


 狗藤は、何を言われたのか、しばらくわからなかった。

「……カノンさん、どうして? 僕の【未来金庫】の限界までカネを詰め込んでやるつもりだよ。とことん行けるところまで、僕は行くつもりだったのに」

「ああ、知らへんのか。おまえがカネを奪った連中、皆、ニュースになってるぞ」


 狗藤はガラケーで、ネットニュースを確認してみた。カノンの言う通りだった。悪徳政治家は自宅に放火して一家心中を試みたが、未遂に終わった。強欲社長は記者会見で多額の負債を告白し、破産宣告を行った。大嫌いな売れっ子タレントは自殺未遂を起こしていた。


「これって全部、僕のせいなの?」

「ああ、全部、おまえのせいやで」

「うっ……」

 狗藤は急に胃が痛くなった。罪悪感で押しつぶされそうな気分である。


「このドアホ。ようやく、【弁天鍵】の重さがわかったんか。〈神のアイテム〉を使うということは、他人の人生を左右するっちゅうことや。標的になった奴の転落も破滅も思いのまま。普通の人間なら、まぁ神経をやられるな」


「悪気はなかったんです。つい軽い気持ちで使っちゃっただけで」

「皆、そう言うんや。軽い気持ちで、破滅させてしもたんやな」

「胸が苦しくなってきた。【未来金庫】におカネを詰め込みすぎたせいかな?」

「アホなこと言うな。【未来金庫】は別次元にあるんやから、重さはゼロや。おまえの気は重いかもしれんがな」


「カノンさぁん」

「甘えた声を出すな。気色悪いわ、このドアホ」カノンは狗藤の頭をはたいた。「ほんま言うと、不思議に思っとったんや。おまえはカネを奪うばかりで、奪ったカネをを一度も使わんかった。何でや?」

「何でって、さぁ、何でだろう」


「私が知るか。まぁ、もし使おうと思うても、実際には使えなかったんやけどな」

「え、どういうこと?」

「おまえ、自分の【未来金庫】のカネを取り出せるか?」


 狗藤はシャツをめくりあげて、右手を胸にあててみる。指先で胸に突いてみる。どうやっても【未来金庫】には届かない。カノンのような神様ではないのだから、あたりまえである。


「あ……」狗藤はようやく、自分のバカさ加減に気づいた。

「わかったか、このドアホ。標的から奪って、おまえの【未来金庫】に入ったとしても、勝手には引き出せへん。おまえの自由になるわけやないんや」

「……そんな、どうして?」

「当たり前ないか、〈神のアイテム〉を私利私欲で使ったらあかんやろ」

「……そうなのかな」


「よく聞けや、ドアホ。〈神のアイテム〉ってもんは本来、ほんのわずかな福をもたらすだけや。普通に考えたら、わかるやろ。無制限のカネや財宝が手に入るなんて、ありえへんやないか」


「でも、神様が願いを叶える系の話となれば、五歳児だって、無制限のカネと財宝を欲しがるはずですよ」

「それやから、現代人はあかんねん。少しは慎みってものを知っとけ。もっとも、これまで【弁天鍵】を手にした人間どもは、ことごとく経済を混乱させて、自分から破滅の道を歩んでいったけどな」


「えっ、破滅? 経済を混乱って、どんな?」

「いやぁ、掛け値なしの大混乱やったな。歴史を振り返れば、古くは世界大恐慌、平成ならバブル崩壊、リーマンショック、令和になってからも世界同時株安。ほら、世界経済は着々と滅びの道を歩んでいるやないか」


「はあっ?」狗藤の頭は混乱する。「ちょっと待ってよ、カノンさん。いきなり話が飛びましたけど、【弁天鍵】ってもしかして、世界経済に関わるアイテムなの? それって、冗談ですよね」 


「私は弁財天の名にかけて、カネがらみの冗談は言わん」カノンは真顔で断言した。「【弁天鍵】は断じて、欲望を満たすためのアイテムやない。よう覚えとけ、このドアホ。もし、【弁天鍵】を無制限に使えば、おまえは間違いなく破滅するで」

「えっ、どうしてですか?」


「邪なカネは身を滅ぼすからや。古今東西、世界不変の真理やな。ただし、例外が一つある。カネの悪い流れ〈暗黒潮流〉を正すときだけは、【弁天鍵】を思う存分使ってもかまへん」

「あ、暗黒潮流?」

「不正取引と言い換えてもええ。麻薬取引や盗品の転売、一連の贈収賄、資金洗浄など、悪徳がらみのカネはすべて悪い流れであり、〈暗黒潮流〉や」

「はぁ」


「このドアホ。自分とは無関係と思っているやろ。今日おまえが行ったことは、強奪と同じやぞ。私利私欲が動機なら、それは間違いなく〈暗黒潮流〉や。早目に全額を返さんと、おまえ、やばいことになるで」

「えっ、やばいこと?」

「さっき、言ったやないか。甘めに見ても、天罰が下って破滅やな」

「ええっ、それを早く言ってよ、カノンさん。返却ってどうすればいいの?」

 こうして狗藤は、「返却方法」のレクチャーを受けることになった。


 返却の基本的な操作は、【弁天鍵】の請求と同じである。請求先の代わりに返却先の宛名を書き、書き込む金額にマイナスをつけるだけ。つまり、マイナスの金額を先方に請求することで、その金額を先方に返却するわけだ。後は、エンターキーで確定させて、【弁天鍵】のトリガーを引けばいい。


 狗藤は速やかに、奪ったカネをそれぞれの持ち主に返却した。カノンによると、状況が元通りになるわけではないが、プラスマイナスゼロになるような揺り返しが起こるらしい。それぞれのトラブルは、落ち着くべきところに落ち着くのだろう。


 「もう一回言うで。【弁天鍵】は、カネの〈悪い流れ〉を〈正しい流れ〉に戻すためのアイテムや。というわけで、おまえがこれから何をすべきか、わかったな」 

「……さぁ?」狗藤は首をかしげる。


「何を聞いとったんや。カネの〈悪い流れ〉を正すしかあれへんやないか。目下のターゲットは、極悪人の〈クロガネ遣い〉や。その名の通り、どす黒いカネの流れを仕切っとる。〈クロガネ遣い〉はどこにおるんか? 実は、すぐ近くに潜伏している気配があるんや。〈暗黒潮流〉の太い流れが時々、啓杏大学のキャンパスに現れとる」

「すぐ近くじゃないですか」


「ああ、弁財天の嗅覚にビンビンきとる」カノンは自分の鼻を指さす。「いやな臭いがプンプンや。〈暗黒潮流〉はドス黒い心を取り込んで、大きく成長する。【弁天鍵】で破滅していった連中も、〈暗黒潮流〉に飲み込まれたと考えていい。巨大になった流れは、国家さえ飲み込むで。今のうちに〈クロガネ遣い〉を捕らえて、〈暗黒潮流〉を断ち切らんと、この国は遠からず、崩壊する」

「……」


「おい、話についてきてるか。私の言うてる意味がわかっとるやろな」

 狗藤は思い切ってカノンに言ってみることにした。

「あのぅ、【弁天鍵】を返却する、という選択肢はないんですか?」


 カノンは目をパチクリさせた。

「【弁天鍵】を返却する? そんなヤツは初めてやぞ。理由は何や? 私の話を聞いてビビってもうたんか? 自分には荷が重すぎるというわけか?」

「ええと、まぁ、そういうことですね。僕なんかが日本経済のためなんて、恐れ多いです。もっと頭のいい優秀な人、霞が関のえらい人なんかが適任じゃないですか?」


「ふん、官僚ほど、私利私欲に凝り固まった連中はおらへんぞ。ほんの数日で暴走しまくって、クロガネに取り込まれるのがオチやな」

「それにしても、なんで僕なんですか? 日本経済のためなんて、僕に何ができるっていうんですか」


「率直に言うて、統計をふまえての判断や。データ上、【弁天鍵】と相性が良いのは、ごくありふれた一般市民とされとる。カネの動きにビビッドに反応する資質が不可欠なんや。一言でいうと、貧乏人やな。将来性皆無の若い貧乏人なら最適や」

「……なるほど。それなら、僕はふさわしいかもしれませんね」


 カノンの言葉は驚くことばかりだったが、最後だけは狗藤に納得できるものだった。




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