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後編


 冬が来て、そして春が来た。


 もうしばらくすれば高校二年目が終わるタイミング。

 これまで青春に夢中だった生徒たちも、そろそろ受験のことを意識しはじめる時期。


 「ねえねえ、むっちゃん。今から図書室で勉強教えてよお!」

 「……珍しいね。ルルがそんなこと言うなんて」

 「だってえ! 今のままじゃ志望校に行けんし!! 定期模試もボロボロやし!」


 下校時刻からやや遅れて、放課後の校門から連れ立って出てくる二人。

 前日の雨雲の生き残りが揺蕩う空から、色褪せた灰色の夕陽が覗く。


 「今のままの成績じゃ、行ける大学の方が少ないんじゃない?」

 「やだやだあ! むっちゃんと一緒の大学に行くんだもん!!」

 「え? 初耳。ルルの学力じゃ受験に間に合わないでしょ。来世で挑戦したら?」

 「なんでそんなこと言うの!? アタシ気合い入れっから! 勉強会やろっ!」


 いつになく真面目な提案に、いぶかしむ睦子。

 毎日遊んでばかりいるルルノの学力は、受験戦争のレベルに達していない。

 高校受験は何とか乗り切ったが、大学進学は厳しいように思われた。


 「どういう風の吹きまわし? 正気?」

 「だってえ、むっちゃんの志望校、東京の私立じゃん! めっちゃ遠いじゃん! 卒業したら、アタシたちもう会えなくなっちゃうじゃん!」

 「……それは、そうかもだけど」

 「つーか、むっちゃんが大学デビュー失敗するのなんて目に見えてっからね! きっと毎日孤立して、寂しさに耐えられなくなって、そのうち危ないサークルに誘われてホイホイついていっちゃうんだからね! アタシがついてないと、マジで心配だし!!」


 そう言われると、悲惨な未来がありありと眼に浮かんでしまい、睦子は内心ぞっとした。

 卒業後ルルノと離れ離れになる可能性に関しては、これまで意識的に目を背けてきた。


 もし地元を離れて大学に進んだ先の暮らしで、ルルノが隣にいてくれたら。

 きっとそれ以上に心強いことはない。


 ルルノが急に受験のやる気を出してきたのは、睦子にとっても渡りに船だった。


 「……仕方ないな。分かった。勉強見てあげる」

 「ほんとっ!? むっちゃんイズ天使! いつも助かるぅ!」


 屈託のない笑顔を向けてくるルルノ。

 気恥ずかしさに睦子は思わず顔をそらす。


 助かる、と彼女は気軽に言うけれど。

 いつも本当に助けられているのは、きっと自分のほう。


 たまには自分ができることをしてあげるべきだろう。

 きっとそれが、友達というものだから。


 ルルノの学力を上げることは、一朝一夕では叶わない難題だ。

 それでも、自分が彼女の力になれるということが、なんだか少し嬉しい。


 そんなことを思う睦子だった。

 のだけれど。



◆◆◆


 それから。

 ずいぶんと時は経ち。


 迎えた何度目かの秋。


 地元の夕暮れを、ルルノは一人歩いていた。

 薄汚れた上下のジャージ姿で、背には無骨なボロボロのリュックサック。

 そんな彼女を、行きかう通行人たちが不審そうにちらりと見る。


 この時間帯に町を包む灰色の夕焼けが、ルルノは幼いころからずっと嫌いだった。

 いつかはこの町を出たいと思いながら生きてきた。


 結局は叶わなかったけれど。


 高校の頃に仲の良かった友達とは、みんな疎遠になっていた。

 進学のために地元から消えた者もいれば、この町の小さな日常に埋もれていった者もいる。


 灰色に染まる街角。

 ルルノは一人、思いにふける。


 むっちゃんは今頃、どうしてるのかな。

 東京の大学で、上手くやれてるかな。


 心配だ。

 でもおそらくは、大丈夫。


 アタシはもうあの子の隣にいられなくなったけど。

 きっとアタシの代わりの誰かが、あの子を見守ってくれているはずだから。


 アタシは受験に失敗した。

 自分なりに頑張ったつもりだったけれど、全然ダメダメだった。

 あの子と一緒の大学には、いけなかった。


 だから。

 あの子の母親は、アタシを見限った。

 残念さの欠片も見せず、それはもうあっさりと。

 もう、必要ないから。


 あの母親はきっと、あの子の同期入学者の誰かに接触して、あの子を支えてくれる新しい友達を雇っているだろう。

 高校卒業と同時に、アタシはあの子の友達を解約されていた。


 恨んでなんかいない。

 あの人にはむしろ感謝している。


 両親と死別した幼いアタシに、縁もゆかりもないあの人だけが手を差し伸べてくれた。

 遺族年金や児童扶養手当なんかの公的支援の手続きを手伝ってくれたし、生活費だって援助してくれた。

 そのおかげで自分は本来いけなかったはずの高校にもなんとか進学できた。


 その恩に報いるため、あの子を傍で支える「友達」で居続けなければならなかったのに。

 そういう契約だったのに。


 アタシは馬鹿だから、ただ毎日あの子と楽しい学校生活を過ごすことが自分の使命なんだと信じていた。

 大学受験のことなんて全く考えていなかった。


 もっと早くから勉強していれば、あるいは間に合ったかもしれない。

 気付くのがあまりに遅すぎたし、気付いてから行動しても後の祭りだった。


 その結果、あの子の隣にいる資格を失い、金銭援助も断たれた。

 今はこうして働けもせずに無為な日々を送っている。


 会いたい。

 でも、もう会えない。


 そもそもあの頃の二人の関係は、本当に友達だったんだろうか。

 あの子は自分のことを、友達と思ってくれていたんだろうか。


 おそらくその答えは、一生分からないのだろう。

 本人に尋ねる機会なんて、きっと二度とありはしないのだから。


 ただ一つ言えることは。

 あの子はきっと、アタシが隣に居なくても生きていける。

 現にこの四年間、あの子は地元に顔を見せていない。


 あの子との関係性に依存していたのは、自分だけだったんだろう。


 ひゅうるり、と。

 生ぬるい風が首元を抜けた。


 ルルノは物思いから我に返る。

 気付けばすでに目的地まで辿り着いていたらしい。


 廃病院。

 かつて肝試しイベントでここに立ち入った夜を思い出す。


 今夜、ルルノはこの場所に用がある。



■◆■


 二度目の訪問となる廃病院は、相変わらずの朽ち果てぶりだった。

 すでに外の陽は沈み、建屋の中は暗闇に満たされている。


 時刻は十八時をちょっと過ぎたあたり。

 この時間帯だと周辺道路の交通量がまだそこそこあり、建物の外からは街の喧騒音が入ってくる。

 そのためか、廃病院内のおどろおどろしい雰囲気はいくらか緩和されていた。


 ルルノはゆっくりとした歩幅で、三階フロアを目指す。

 自分の足音が暗闇の中を反響するのを聞きながら。


 自分以外の存在は、建物の中に感じない。

 浮浪者や不良のたまり場になっていてもおかしくなさそうだが、やはり心霊スポットには誰も好んで近づきたがらないのだろうか。


 実際、ここには幽霊がたしかに出るのだ。

 あの肝試しの夜に、ルルノは実際にそれと遭遇している。


 あの時、睦子を守るために無我夢中で幽霊を追い払った記憶が蘇った。

 きっとあの瞬間が、ルルノの人生史上で最も「友達」の役目を全うできたシーンだった気がする。


 あれがきっと人生のハイライトだった。

 あそこで睦子を守れただけでも、自分の人生に意味はあったと思う。


 離れ離れになって以降、ルルノは睦子との想い出を幾度となく振り返った。

 毎日毎日、記憶のなかから取り出して、擦り切れるほど再生した。

 そうやって浸っている間だけは、現実を忘れることができた。


 だけれどこの逃避方法は、最近ではもう効果が薄くなっていた。

 想い出はもはや味のしないガムに変わり果て、ただ虚しさだけが残っている。


 もう何も残っていないという事実だけが残っている。

 それはルルノにとって、とてつもなく恐ろしい事だった。


 もういよいよ自分の心の穴を埋める方法がなくなった今、ルルノに思いつく現実逃避方法は一つしか残っていなかった。

 それは、あまりに短絡的で、衝動的で、最悪な選択肢。



◆■◆


 物思いに沈みつつ、三階に到着。

 適当な病室に足を踏み入れたルルノは、リュックサックを無造作に床へと放り投げた。

 一呼吸おいて、室内をきょろきょろ見渡す。


 窓から差し込む外界の光に照らされた、放置状態の点滴スタンドが真っ先に彼女の目を引いた。

 背丈より高い形状だが、人間の体重をかけたら簡単に横へと倒れてしまいそうだ。

 目的には使えそうにない。


 次に目を付けたのは、天井に備え付けられたカーテンレール。

 病人用ベッドの周辺を遮蔽する用途だったもの。

 元より頼りない細さのそれは随分と錆び朽ちていて、いかにも強度が怪しい。


 溜息。

 いったんは結論付けるしかなかった。

 ここにはロープで物を吊るせるような構造物はない。

 きっとどの病室も、似たようなものだろう。


 当てが外れたものの、こうなる可能性は十分に予想できていた。

 問題はない。

 ルルノの視線は導かれるように、病室と外界を隔てる窓へと向けられる。


 吊るのが無理なら、飛び降りればいい。

 ここを訪れる前から、そう決めていた。


 錆び付いた窓を力任せに開けると、外の冷気が室内に入り込んでくる。

 深呼吸を一つ。


 この高さなら、きっと。

 数秒間のうちに、すべてを終わらせることができる。


 身寄りもなく、仕事にもつけず、貯えも底をつき、未来に希望もない。

 いまさら迷いはなかった。

 ここ数ヵ月、何度も迷ったうえで出した答え。


 かつて友達を守ることができた、想い出の場所で。

 この人生に、終止符を。

 このまま目的もなく生きていくよりも、その方がきっと美しい。


 ルルノは窓枠に足をかけ、そして外へと身を乗り出して――。


 「やめてえぇっ!!!」


 病室内に響き渡る大声に、ルルノの動きは急制止させられた。


 聞いたことのないような声。

 いや、正確には声自体は聞き覚えがある。

 だがその声がこんなにも大きく発せられたことは、記憶の中に一度たりともなかった。


 窓枠から足を戻し、よろめくように床に立ち、静かに振り返る。

 そこには、二度と会うことのないと思っていた人物の姿があった。


 「――むっちゃん? なんでここに――」

 「なんで? は私の台詞っ!! 今、なにしようとしてたのっ!!?」


 唐突に現れた睦子は、ルルノを強引に窓際から遠ざけようとした。

 非力だったが、逆らうことなく身を任せる。

 現実なのか、死に際の幻覚なのか、判断がつかない。


 息を切らした睦子が落ち着くのを待って、ルルノはおそるおそる話しかけた。

 努めて明るく装いながら。


 「ええと、その、久しぶり、だね?」

 「……」

 「ていうかこっちに帰ってきてたんだ? いつから?」

 「…………」

 「てか、なんでこんな所に? むっちゃん、こういう暗い場所、苦手だったじゃんか」

 「……せい」

 「え? なんて?」

 「全部! ルルのせい! って言ってんの!!」


 怒気を多分に含んだ大声。

 四年ぶりの再会だが、余韻も感慨も引っ込んでしまう剣幕。


 しばしの沈黙。

 先に口を開いたのは、ようやく気を落ち着かせた睦子だった。


 「……とにかく、間に合って、よかった」

 「そ、それなんだけど……むっちゃん、何しに来たの? まさかアタシがここで、その、死のうとしてたなんて、知るわけないし……」

 「知ってた」

 「ええっ!?? なんで!? どうやって!??」


 ありえないことだった。


 当然ながらこの廃病院を訪れる予定も、その目的も、誰にも伝えていない。

 この世の誰も知りえないはずなのに。


 「……覚えてる? 前にここで肝試しした夜のこと」

 「そ、そりゃあね。むっちゃんが幽霊ババアに襲われて……」

 「そう。その幽霊さんが、昨日、夢のなかで教えてくれたの」

 「……はぁ? なにそれ? どういうこと??」


 情報源はこの世のものではなかったらしい。

 にわかには信じられないような、突拍子もない話。


 「それでね、『あんたの友達が明日の夜、廃病院の三階で死のうとしてる。そこに住んでる身としては迷惑だから、絶対に止めさせろ』って言われた」

 「なにそれ! むっちゃんをパシらせるなんて! 自分で出てきて文句言えばいいじゃん!! つーかまさか、そんな夢の内容を信じて、私を止めるためだけに、わざわざ東京から戻ってきたの!?」


 そう尋ねられて、首を縦に振る睦子。

 どんな反応をしたらいいのか、ルルノには図りかねていた。

 夢の内容よりも、それを信じる睦子の方が驚愕に値するように思われた。


 「……半信半疑だった。でも、本当かどうかなんて、どうでも良かったの。あの夢を見て、私はなんだかルルに会いたくなった。ただそれだけ」

 「会いたくなったって、どうして?」

 「だって、心配でしょ? それに私たち、一応、その、友達、だったじゃない?」


 それを聞いて、ルルノは言葉に詰まる。

 睦子が自分たちの関係を、友達だと思ってくれていた。

 そのことが、嬉しかった。


 だけれど、それはまやかしだ。

 ずっと、打ち明けたいと思っていたことがある。


 この奇跡のような再会は、最後のチャンスだと思った。


 「……ごめん。アタシ、むっちゃんをずっと騙してたの。実は……」

 「うちのお母さんにお金もらって、ずっと友達のふりをしてくれてたんでしょ?」

 「……え? し、知ってたの? なんで?」

 「うん。気付いたのは、つい最近だけど……」


 意を決したカミングアウトが空振りして、呆然とするルルノ。

 睦子はため息まじりに言葉を続ける。


 「私ね。大学生活で全然友達付き合いが上手くいかなかったの。グループに誘ってくれる人は何人かいたんだけど、しばらく付き合ったらいつも相手を怒らせちゃうんだ。ほら、私って無愛想だし、ノリ悪いし、人付き合いに向いてないみたいで」

 「……」

 「でね。結局は大学中に私の悪評が流れて……そこで聞いちゃったの。それまで私を誘ってくれてた子はみんな、私のお母さんから、お金をもらってたんだってことを……」

 「……そう、なんだ」

 「ショックだったな。でもそれを聞いて、なんだか不思議と納得しちゃったんだ。私みたいなつまらない人間と友達になるなんて、友達料金もらわないとやってられないよね。悪いのは、普通に人と仲良くなれない私のほうなんだ。お母さんは別に悪くない」


 自虐的に小さく笑う睦子を前にして、いよいよルルノの困惑は極まっていた。


 この子はすでに知っているのだ。

 自分の母親が、彼女のために裏でなにをしていたのかを。


 そしてルルノもまた、幼少期からずっと金目当てで睦子と接してきたということを。

 本当の友達なんかじゃなかったってことを。


 きっと快くは思っていないはずだ。

 恨まれていても不思議じゃあない。 


 「……ねえ、むっちゃん。もう一度聞くけど、どうして会いに来てくれたの?」

 「どうしてって……?」

 「だっておかしいよ。もう気付いてたんでしょ? アタシはずっとむっちゃんを騙してたんだよ! 初めて出会った時から、ずっと、お金欲しさに友達のふりをしてたんだよ!? 偽物だったんだよ!?」

 「……私なんかの友達を八年近くも演じるのは、大変だったでしょ? ごめんね」

 「なんでそっちが謝るんだよっ! なんで助けに来たんだよっ! こんなアタシなんかのために!!」


 ルルノはずっと自分のことが嫌いだった。

 お金のために、何も知らない同い年の子を騙している自分が。


 友達とはもっとこう、心と心で繋がった尊い関係性であるはずだ。

 利害や打算で結ばれた関係なんて、友達とは呼べないはずだ。


 きっと自分は、友情という概念の敵対者。

 社会において、唾棄されるべき不純な存在。


 そんな負い目が、幼いころからルルノの心をずっと蝕んできた。

 彼女自身は表向き人気者で、友達作りが得意ではあったけれど。


 誰かと一緒に居ても、いつも心に引け目を感じていた。

 自分の中に友情というものが存在するのかどうか、疑わしくて信じられなくて。


 その孤独が、彼女を今回の希死念慮へと誘ったのだ。

 生活資金が尽きたのは最近のことだが、精神はとっくの昔に折れていた。


 「アタシたちは偽物の友達関係だった! アタシはむっちゃんを欺いて、お金もらって生きてきた、恥知らずの詐欺師なの! むっちゃんはもっとアタシを責めるべきなんだよ!」

 「ルルって意外と真面目だったのね。そっか。それがあなたの心を追いつめたんだ」


 まっすぐにルルノの顔を覗き込む、睦子の透き通るような瞳。

 ここに至るまでのすべてが、見透かされたようだった。


 しばらく静かに見つめ合って。

 睦子はルルノの手をそっと引いて、病室の外へと連れ出した。


 廊下に並び立つ二人。


 「この場所でのあの夜のこと、私、忘れてないよ。得体のしれない幽霊から、ルルは私を守ろうとしてくれたよね。自分も憑り殺されちゃうかもしれないのに」

 「……」

 「あのとき私、分かったの。ルルは本当に私のことを、大事に思ってくれてるんだなって。じゃないと、とっさにあんな風に動けない、でしょ?」

 「そんなの……お金もらってんだから、そういう風に演じてただけ……」

 「だとしても、あのとき私は嬉しかったし、事情を知った今でも、それは変わらないから」


 ぎゅっと、睦子がルルノの手を握りしめた。

 とっさに振りほどこうとして、だけれどルルノにはそれが出来なかった。


 「もしルルが今まで私のことを友達だと思ってなかったとしても、関係ない。あの夜に私を守ってくれたルルの優しさを、私は信じてるから。あなたは私の恩人で、本物だろうと偽物だろうと、大切な唯一の友達。だからもう……二度と自殺なんて、考えないでぇ……うう……」

 「なんだよぉ。今さらずるいよ……突然現れて、そんな調子のいいこと言ってさぁ……」


 ルルノにとって、睦子の言葉はあまりに都合がよすぎた。

 ずっと偽りの友人を演じてきた彼女だから、相手の裏を疑ってしまう。

 自分なんかが許されていいはずがないと考えてしまう。


 それでも。

 欲しかった言葉を浴びて心が軽くなっていく自分が、どうしようもなく単純で矮小な存在に思えて。

 死のうと考えていた先ほどまでの自分が、今さらながら恐ろしくなって。


 ルルノは思いっきり声をあげて、泣いた。


 膝から崩れ落ち、寄り添い合って。

 しばらく周囲には、二人の嗚咽だけが響いた。



◇◇◇


 「……ふうん。スマホ契約を止められてたんだ。だからずっとメールの返事くれなかったのね。てっきり私は、ルルが薄情で無視してるんだと思ってた」

 「そっちこそ、四年もあったんだから一度くらい会いに来てくれたっていいじゃん! てっきりアタシは、むっちゃんが新しいお友達にかまけてアタシのことなんか忘れちゃってんだろうなって思ってたんだからね!」

 「そんなこと、ない。ただ私って、ほら、バスとか新幹線とか、一人で乗れない系女子だから」

 「じゃあ今日どうやってこっち来たのさ!? てかどうせ今日来たのだって、噂のせいで大学に居ずらくなってたから、体よくアタシに泣きつきたくなっただけなんでしょお? 都合いいんだからっ!」

 「そうだけど? 何か悪いの? 友達料金なしじゃ私に会いたくないってこと?」


 先ほどまで感動の再会めいていた二人だったが、泣き疲れて落ち着いてからというもの、なぜか口論を始めていた。


 互いの状況を探り合いながら、強めの軽口を叩き合う。

 それはきっと、離れ離れになって以降の空白を埋めるための、彼女たちなりに必要なプロセスだった。


 仮にもついさっきまで、片方が死を選ぼうとしていたのだ。

 最初は言葉選びに遠慮したぎこちないやりとりが続いたが、次第にかつての感覚が戻ってくる。


 しばらくはそんな会話が続いたあと、睦子が唐突に切り出した。


 「……ねえ、東京に来て、一緒に暮らさない?」

 「ええ? どうしたの、急に……」

 「放っておいて、また死なれそうになるのは嫌だし……ルルが今貧乏暮らししてるのは、うちのお母さんが支援をやめたからでしょ? ルルを大学合格させてやれなかったのも、なんか責任を感じてたし」


 曇った顔でそう言う睦子に、ルルノは思わず慌てる。


 「やめてよ。むっちゃんも、むっちゃんママも悪くないから……。それに、アタシが東京で生活するなんて無理だよ。そんなお金ないよ」

 「大切な友達だもの。ちゃんと私が養ってあげる。実は三社くらい新卒内定出てるの」

 「……そういうのは友達じゃなくてヒモだと思うなあ。それじゃお金もらって付き合ってるのとなんも変わらないじゃんか」

 「そうね。じゃああなた、最近流行りの動画配信者にでもなれば? 当たれば稼げるって聞くし、たくさんの他人に明るく取り入って仲良くなるのとか、得意でしょ」

 「なんだかうっすらと皮肉を感じるのは気のせいかなあ?」


 これからどうするのか、という未来の話が交わされていく。

 つい先ほどまで、未来は閉ざされていたはずだった。

 過去の想い出もまた、失われていたはずだった。


 その両方が今、手元に返ってきたような気がする。

 今度はもう手放したくない。

 強くそう思うルルノだった。


 そろそろいい加減に立ち話もなんだかなという雰囲気になり、二人は廃病院の外に出ようとした。

 三階の階段を降りようとしたとき、二人は背後から囁くような声を確かに聞いた。


 『騒がしい餓鬼ども。もう二度と、ここに来るんじゃないよ』


 振り返ると、かつて見た老婆の幽霊が、闇の奥へと吸い込まれて消えていった。

 四年ぶりに再会した、正体不明の怪異現象。


 だが、もはやそこに恐怖など感じなかった。


 ルルノと睦子は互いに顔を見合わせると。

 もう見えなくなったそれに向かって、小さくお辞儀をした。



◇◇◇


 廃病院をあとにすると、ひんやりとした夜風が静かに二人を包んだ。

 ついさっきまで非日常に漬かっていた意識が、秋の肌寒さによって現実へと引き戻されていく。


 寒空の下、二人はゆっくりと歩き出した。

 今日の出来事を振り返りながら。


 二人の歪な関係性は、すでにお互いに無視できないほど暴かれてしまっている。

 それでも不思議と、睦子はそれを深刻には捉えていなかった。


 これからは、また新しい関係性を築いていけばいい。

 そのために今後多少は、自分の方がもっと素直かつ積極的に心を開いていく必要があるだろう。

 それは性格的に難しいことだけれど、今の睦子には何故だかやれる気がしていた。


 なにしろ今までの関係はずっと、ルルノのお膳立てで成り立っていたようなものだった。

 共に歩んだ青春時代も、その後の空白の四年間も、自分からはなにも行動してこなかった。


 幼いルルノにとってはたしかにお金目的で始めた友人関係だったのだろう。

 だがそれ以外のなにかを提供できなかった睦子自身も、空虚な絆に加担していたのではないか。


 もっと積極的に、素直な気持ちをいつも伝えていたら、何かが変わっていたかもしれない。


 さきほどルルノは自分たちを「偽物の友達」だったと、泣きながら言っていた。

 そのことにずっと悩み、自分の心を追いつめた彼女は、最悪の逃避行動に走ってしまった。

 そうさせた責任の一端は、きっと自分にもある。


 ルルノを危うく失いかけてようやく気付くなんて、あまりに遅すぎたけれど。

 そのことに気付けた今日という日を、これからの自分たちの原点にして歩いていこう。


 東京よりも星が見える地元の空を見上げながら、そんなことを睦子は思った。


 隣並んで、歩き続ける二人。

 夜の闇はゆるやかに深まり、過ぎ去っていく。


 また新しい朝が来る。



<了>

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