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一人になれる場所

作者: 神川 廻季

 数棟しか無い校舎に、同じ時間に学生達が集まる。学校という物はそういう所だ。誰にでも一人になりたい時はある。どこへ行こうと誰かがいて、そうなれる場所を見つけるのも一苦労。


 この春入学したばかりの私はすでにその、私だけの隠れ家を見つけていた。それは屋上へ登るための階段で、踊り場があるので下からは見られない。私の教室は校舎の最上階である三階で、そこから別のクラスの教室の前を二つ通った先の角に階段がある。

 そう離れた場所では無いけど、普段は鍵が開いていないただの行き止まりだからわざわざ誰かが上って来る事なんてない。蛍光灯は無く、ドアのすりガラスから差すぼんやりした光と階段の下から溢れてくる淡い光しか無いこの場所は少し暗いし埃っぽい。でも臭いのするトイレの個室なんかよりよっぽどいい、一人になれる場所だ。

 私がここに来るのはいつも昼休み、別に他の人といるのが息苦しいとかいじめられてるとかじゃ無い。授業の合間の休み時間は友達と話す事もあるし、聞こえてくる他人同士の会話に耳を傾けながらぼーっとしてる事もある。でも私は他人より一人になりたい時が多いってだけの話。


 中学の頃からの習慣で、この高校に入学した時の校内探索で一人になれる場所を探していた。それで見つけたのがこの場所で、入学してから5月も終わろうとする今も来続けている。


 昼食をとった後、すぐに私は教室を出ていつもの場所へ向かう。階段を上るところを見られたくないから、みんながまだ食べてる間に行った方がいい。階段の前に着いたら廊下を覗いて誰も来ていない事を確認し、音を立てないようにしながらも素早く上る。スパイ映画は見た事が無いけど多分こんな事をしているんだと思う。

 私はここでは特に何をするでも無く、頭の中にある空想の世界に潜り込む。そこでは、ここに来てから予鈴が鳴るまでの30分ほどで紡がれる小さなお話が毎日出来上がる。

 テーマを決めずとも勝手に頭の中を流れていく。今日の話は王道のラブストーリー、クラスで関わりの無かった男の子とひょんな事から仲良くなっていく話。楽しい話には自然に笑顔になっている。あまり来ない学校の図書館で目当ての本を探していると、図書委員の仕事をしていた男の子がそれを見かねて話しかける。

「井上さん、どうしたの?」

 そうそう。ただ同じクラスにいる人だったあの子に不意に話しかけられて……って、あれ?この声は私の頭の中からじゃ無い、それに呼ばれたのは自分の名前。心臓がきゅっと締め付けられた様に感じ頭を上げる。そこには担任の大東先生が、座り込んでいる私を覗き込んでいた。大東先生は若い男の先生で明るくみんなに好かれている。話しかけられるまで全く気付かなかった。


 「あ、ええと」

 すぐに言い訳を探したが言葉が出ない。そりゃそうだ、自分の世界に没頭しすぎて階段を上がってくる音に全く気が付かなかった。高校生にもなってこんな所でかくれんぼしているとも思われていないだろう。

 「屋上に用事があるんだけど井上さんも来る?他の人には内緒だけどね。」

 何か勘違いをして気を遣ってくれているのか分からないけど、変に言い返すより今はこのままの方が都合がいい。この先生なら誰かに言いふらされる事が無いから不幸中の幸いと言ったところか。私は黙って頷いて、ついていく事にした。

 屋上と私を隔てていたドアが開く。誰よりも近くに私はいたのに踏み入れる事のできなかった場所。一人になれるから居ただけだけど、すぐ先にこの景色がある事を知ってはいたけど、どうせ踏み入れる事ができない分意識していなかった。

 3階の窓から見る景色から一つ上の階に上がっただけなのに全然違う様に見える。天井という雲海を突き抜け空の上に立っている様、と言ったら大袈裟だろうか。

 身を乗り出して校庭を見下ろしたいが、バレてしまうので柵には近づかない。屋上の中心で空を見上げる。目に映るのは空だけで、青と白と、南に高く昇った昼間の太陽。空に少し近づいた私は、誰よりも早く光を浴びる。春の麗らかな日差しはまだ涼しい風と共に私のもとへやって来て気持ちが良い。

 そうこうしている内に予鈴が鳴る。

 「授業始まるから中に戻って」

 「はーい」

 先生の用事とやらも終わった様で、ひと時の癒しも終わりを告げる。再び屋上と隔てたドアを残し教室に戻った。

 屋上をひとりじめ出来たのは良かったものの、あそこにいる事がバレてしまった以上明日からはもう行けない。


 翌日の昼休み、私は学校の図書館へ向かった。一人になれるわけでは無いけど、教室よりも広く静かな分、他の人なんて気にならないだろうから。もとよりあの場所でも階下から声が聞こえてくる事もあった。

 図書館で何も持たず居るのもおかしいから私が読んでいてもおかしく無い適当な小説を探す。昨日の空想の世界の様に、私に話しかけてくれるクラスメイトの図書委員なんているはずもなく自分で探し出した。

 図書館のできるだけ端に座り、すぐに自分の世界へと入り込む。目の前にある小説は聞いた事はあるタイトルの冒険物、なんとなく手に取ったものだけどなかなか面白そう。だけどこれを読むのは今度にして、今は自分なりの冒険の旅に出る。

 不思議な魔法の世界で小人に羽が生えた感じの妖精に導かれ、困難を乗り越えた先にある絶景を目指す。そうだ、その絶景は遥か高みの空に近い場所、青空も星空も何にも邪魔される事なく見える特等席。昨日あった出来事思い出しながら壮大な話に変えていった。だから多分その景色は案外すぐ近くにあったのかもしれない。


 時計を見ると昼休みの終わりが近づいていた。良かったここでも一人になれた。いつか借りようかなと思いながら本を片付け、図書館から出るとちょうど前を通りかかったクラスメイトに話しかけられた。

 「あ、井上さんいつも教室にいないと思ったら図書館に来てたんだね」

 「うん、静かで良いとこだよ。石内さんは部活の何か?」

 「部室に忘れ物しちゃってたの思い出して取りに行ってた!井上さんも教室に戻るとこ?一緒に行こうよ」

 つい嘘をついてしまったけど、これから毎日来るつもりだから数日後には嘘じゃなくなってるし大丈夫。

 彼女とはこの高校に入学して出会ったばかりだけど、教室では私の前の席な事もありよく話をしている。お喋りが好きなようで主に向こうが話しているのを私が相槌を打ちながら聞いている。明るくて楽しそうに話すので聞いているこっちも良い気分になる。

 その中で陸上部に入ったと聞いていたし、彼女が来た方向には部活棟しか無いのでその用事かと思ったらやっぱりそうだった。良い推理、小説家になれるかもしれない。

 そんな事を思いながらまた、彼女の話を聞きながら教室に戻った。


 次の日も私は図書館へ向かう。今度は石内さんにバレてしまったけど、前とは違って場所を変える必要が無いから良い。今日も昨日の続きを読むかの様に同じ本を手に取り同じ席に着いた。

 周りが気になり図書館を見回す。端っこなので本棚で隠れているところ以外は見える。一昨日まではあんな狭い場所にいたのに、今は教室よりも広いこの場所にいる。広いからこそ人がまばらになり、一人の気持ちになれる。真理を見つけたと思った。

 そんな事を考えつつまた空想の世界に入ろうとすると、急に横から声がした。

 「井上さんもやっぱり来てたんだ。何読んでるの?」

 石内さんだ。昨日の今日だし私に会いに来たのかしらん。私は表紙を見せると、彼女もタイトルを知っていた様で、内容は聞かれなくて良かった。読んで無いから答えられない。

 「図書館に何か用事?それとも私に?」

 「どっちもかな。井上さんがいたからっていうのもあるし、来たことが無かったからせっかくだから来てみようと思ったの」

 「じゃあ座って、一緒に読も」

 彼女は頷くと本を選びに行った。一人じゃ無くなってしまったが、どんなに近くにいても私の頭の中を見られる訳ではない。本を読むならお互い喋らずに済むしそんなに変わらないだろう。

 私が先に読み始める(ふりをする)と、彼女が戻って来た。目だけをちらっとそっちへ向けると手に持っていたのは短編集で、確かに昼休みの短い時間で借りずに読むのならその方がいい。私も今度からそうしようかな。

 私が読書に集中していると思ったらしい彼女は、何も言わず正面の席に座って読み始めた。彼女は普段小説は読むのだろうか。短編だから起承転結が早いのか、表情を見るとちょくちょく変わっている。こんなに顔に出してくれているのを見たら書いた小説家も喜んでくれる事はずだ。

 そういえばまだ物語を考えていなかったと思い出したが、今さらしても中途半端なので、小説を読む事にする。他人の物語を知る事で増える知識は私の物語をより面白くしてくれるはずだから。


 私が序章を読み終わったくらいで、石内さんは、キリが良かったのか

 「そろそろお昼終わっちゃうけど教室戻る?」

と言われた。私も読むのに夢中で時間を忘れていたので丁度いいと思い読書を切り上げた。序章でここまで引き込まれるかと自分でも驚いた。流石知らずともタイトルが分かるほど有名な作品だ。

 教室に戻る途中、石内さんは自分が読んでいた話の感想を教えてくれた。彼女はなんて素晴らしい読者なのだろう。私も読んでやろうかと思えてくる。さぞこの作者にとっても光栄な事だ。


 それから数日経って、私たちはほぼ毎日二人で図書館へ行く様になっていた。石内さんは当たり前かもだけど、私もそんな気分じゃない時や他に用事があったりで図書館に行かない時もある。でも彼女がよくここに来るようになったのは、本の続きを読んでいる内にすっかりハマってしまった様子だからか。私の方はというと正面に彼女がいる事に慣れ、また一人で自分の物語を考えていた。

 もうとても一人でいるとは言えない状況になったけど、迷惑には感じなかった。読書中はお互いに無言でいるけど彼女がいる事で私たちの世界とと外界を隔てるバリアがより強固なものとなっている。


 2人とも何も言わずとも、共に図書館へ行く様になったある日、いつもの様に読書をしていた石内さんはふと顔を上げてこちらを覗いてきた。私は視界の端でそれを感じたが、本を読むふりを続けた。

 「どうかした?さっきから本に集中できていない様に見えるけど」

 彼女は小声で話しかけてきた。私が読んでいないのは何かあったからだと思って心配してくれたのだろう。適当にページを捲ったりはしていたが気付かれてしまっていた様だ。

 「ううん、ちょっと考え事をしてただけ。別に調子が悪いとかじゃないから」

 私も小声で返したけど、その後も私の事を気にしていた様だから、短編集に変えた本の途中の話から読む事にした。彼女は悪く無いけどこのままだと物語を作る事ができなくなる。

 教室に戻る途中もどうしようかと思っていると、石内さんは

 「考え事をしちゃうんだったら紙に書いてみるといいよ」

 とアドバイスをくれた。心配性だなと思いながらも悪く無い提案だと思った。考え事を書いているふりをして物語を紙に書けばいい、まぁ実際物語を作るというのも考え事ではあるのだけれど。彼女もその内容までは見てこないだろう。


 家に帰ると私は小さいノートを取り出した。いつか貰ったこのノートはポケットに入るサイズでつい考え事をしてしまったって時に最適。短い物語を書くためなら十分だ。ノートならわざわざ適当な紙を無駄にすることも無い。


 そして次の日からは一応本は選ぶけど、それは机の端に置いておいてノートに物語を書いていった。頭の中で作り上げるのは簡単なのに文字に起こそうとするとちょっと詰まる。なので文の繋がりを気にせず思い付いた物をどんどん書いていった。どうせ後から見直すつもりもないから。

 昼休みの終わりが近づいていた。図書館の机は広い分向こうから書いてある文字までは読めないだろうけど、黒くなったページを見て石内さんの目はほんの少し見開いていたように見えた。昨日考え事を書けと言われたのだから、悩みが多いと思われただろうか。驚かせてしまったのなら申し訳ないが向こうが何も言わないのであればこっちからもそうしておく。


 スッキリした気分だ。なぜ今までやらなかったのかと思うくらい。石内さんの言った事とは少し違うかもしれないが、結果的にそれは正しかった。

 今まで頭の中に物語を溜めては蒸発していったが、小学生の時に理科の実験で塩水を蒸発させた様に、そこには確かにアイデアという名の結晶が残っていた。その結晶の輝きをノートに書き留めていく。

 すると同時に湧き上がってくるのはこの私の生み出した結晶を他の人にも共有したいという気持ち。自分にもそんな力があったんだと不思議に思う、そんな物を自分だけで抱えてはいくことは出来ない。でも、そんな相手が私にいるのだろうか。


 読書をしている石内さんを見る。見た目が綺麗な彼女は文学少女という感じがする。私と仲良くしてくれているそんな彼女にだったら見せられるって思った。何も言わないけどずっと何かを書いている私を心配しているだろう。それもあって彼女に話す事にした。

 読書に集中している時に邪魔をするのもなんなので、読み終わるのを待った。

 「井上さんもキリついた?そろそろ教室に戻ろっか」

 筆を置き、ぼーっとノートを見ていたらそう声をかけられた。時計を見るといつもより少し早い時間。また心配をかけてしまっていたかもしれない。先延ばしに出来ないなと思い、この時間を使って彼女にノートについて打ち明けた。深刻そうに言っても身構えさせてしまうので何気ない風に言う。

 「これ見て、ちょっとお話書いてみたんだけど」

 そう言って私はノートを彼女の方へ寄せた。『お話』って言い方は子供っぽいかもだけど小説と呼べる程では無いのでそう言った。

 彼女は驚いた様に「え〜?」と言って覗き込んだ。友達同士でいつも通り会話をする。それと同じ感じだった。彼女はノートを手に取り、開いているさっきまで書いていたページを読む。

 「へー自分で考えたの?面白いじゃん」

 伊達に数年話を作り続けていない。自分でも思うくらいは良い。

 「もっと続きが読みたいな、明日も読ませてよ」

 ノートを捲りそれまでのページにも文字が埋められているのを見ながら彼女は言った。他の話の感想も早く聞きたかったけど、今日はもう時間が無いからまた明日。

 「ありがとう、もちろんもっと読んで。私ももっと書くつもりだから」

 それから私たちは約束した。今は私たちだけの秘密。私が書いてそれを石内さんが読んで感想を聞かせてくれる。これだと私が得をしてるだけになっちゃうからせめてもっと良い話を作ろう。


 石内さんは図書館で読書する事は続けていたが、たまに私の書いた話も読んでくれるようになった。図書館に来なかった日は次に来た時に見せるのが楽しみになった。


 このノートを埋めるのはそう遠くない未来の事だと思う。最近は次々と新しいアイデアが浮かんでくる。私の文字を書くスピードでは追いつかないくらい。

 図書館へ行く時間が無い時も教室で書き進めた。書いている時はもう周りに誰かがいるかなんて気にならなくなっていた。

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