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翌日から、本格的な授業が始まった。最初の科目は神学だが、一週間分の時間割が配られた。2ヶ月後の定期試験までは毎週同じ日程で授業を受けることとなる。その日は神学、アルス語、数学、自然科学を午前中に学び、昼食の後は家政学、護身術、スポーツの順である。
神学の教授は都の聖職者だった。彼は聖書を使い、穏やかな声で神の道を説いた。それから、古代語の教科書を取り出し、文字の1つ1つから教えてくれた。聖書は古代語で書かれている部分が多く、神学を深く学ぶためには古代語が必須なのだ。貴族の子女は教養として古代語を学ぶことが多いためか、半数程度の生徒は退屈そうな顔で教科書を眺めていた。
続いてアルス語の授業である。新入生の間でも、読み書きができる者とできない者がいるらしいことをジャネットは初めて知った。ジュリエルやキャロラインなど、試験を受けてきた子たちは涼しい顔をしていたが、推薦組の中には自分の名前しか書けない子もいるらしい。そのため、アルス語も文字の書き方から教わることとなる。
しばらくは、つまらない授業になりそうだ。ジャネットの隣に座るジュリエルが、彼女だけに聞こえるようにつぶやいた。ジャネットは曖昧に微笑んでごまかす。反対側のマッキーが真剣な顔で文字を学んでいるからだ。
計算問題で紙を埋め尽くした数学、実験があって楽しかった自然科学が終わり、昼食の時間となった。寮の食堂でも食事は用意されているが、ジャネットはリリーに軽食を作ってもらい、ジュリエルやマッキーと共に外で食べた。この日も天気が良く、日向にいると暖かい。リリーが用意したのはミートパイで、3人で分けるためにあらかじめ切り分けられていた。
パイを1口かじり、マッキーがため息をつく。
「ああ、疲れた。毎日あんな感じで勉強したら、からからに干上がっちゃうよ」
ジュリエルが戸惑った様子でマッキーを見る。
「お茶くらいなら、飲んでもいいみたいだけど」
「冗談だよ、冗談。勉強したぐらいで人間は干上がらないさ。でも、勉強しすぎで学者にはなれちゃうかもね」
「あら、なりたいの?」
「まっぴら!」
ジャネットは声を上げて笑った。
「でも、午後からは護身術やスポーツの授業があるわ。得意でしょ?」
「そうだね。体を動かすことなら、誰にも負けない」
「今度は、僕が君に教えてもらうことになりそうだね」
ジュリエルの顔が少し曇った。
「あら、ジュリエルはスポーツが苦手なの?」
「体を動かすよりは、本を読む方が好きだから……」
たしかに、ジュリエルの体は華奢だ。重い剣などを振り回したら、腕が折れてしまうのではないかと心配になる。
「そうだ、ジュリエル! あなたを誘おうと思っていたのよ」
ジャネットはキャロラインの誘いを思い出し、両手を打った。ジュリエルが首を傾げる。
「今度のお休みの日に、キャロラインと勉強会をするの。もしよかったら、一緒に来ない?」
ジュリエルはうなずいた。
「参加するよ」
「ほんと! 嬉しいわ」
ジャネットがジュリエルの手を握ると、彼はほんの少し顔を赤くした。
「わたし、あなたに教えてもらってばかりになるかもしれないけれど……」
「何でも聞いてくれていいよ」
マッキーが口笛を吹き、ジャネットとジュリエルをからかった。
ジャネットの予想通り、護身術もスポーツもマッキーの独壇場だった。どちらも男女別で、球技やら偽の剣を使った打ち合いやらが行われたのだが、マッキーの身のこなしはずば抜けていた。男子生徒から模擬試合の申し込みが来るほどだ。キャロラインもなかなか根性があり、ボールの扱いが上手い。家にいた頃は友達とよくボールで遊んでいたし、家業の手伝いをしていたから体力には自信があるのだそうだ。すぐに息が上がるジャネットとは大違いである。
スポーツがその日最後の授業だったため、終業の鐘が鳴った後もマッキーやキャロラインたちはボールで遊び続けていた。モードがジャネットの側にやってきて、うんざりした口調で愚痴をこぼす。
「スポーツなんて、私たちが習う必要があるかしら?」
彼女もジャネットと同様、ぱっとしなかった口らしい。
「全くできないよりは、できた方がいいんじゃない?」
「それはそうかもしれないけれど……」
モードはすねたように口をとがらせ、授業のために着替えたシャツを引っ張った。飾りもレースもない、質素な上着である。
「男の前でこんな格好をするなんて、最悪だわ」
「まあまあ、皆同じ格好よ」
「それでも、嫌なの!」
モードはジャネットの手を引っ張り、寮に向かってずんずんと歩き出す。
「ほら、さっさと着替えましょう。その後で行きたい場所があるの。つきあってくださる?」
「どこへ行きたいの?」
モードは口元をほころばせた。
「図書館よ」
図書館は学舎や寮とは別の建物である。扉を開けると、紙とインクの混ざり合った強い匂いがした。足を踏み入れて、ジャネットは息を飲んだ。
何千、何万の書物が収められた、巨人の足のような棚がいくつも屹立していて、学徒たちははしごを使って書物を取り出していた。窓から差し込む日の光で、舞い散る埃が雪のように輝いた。上等なドレスに着替えたモードが、目を輝かせて本棚の間を歩いていく。
「モード、ドレスが汚れてしまうんじゃ……」
「いいの」
モードは微笑み、書物を1冊抜き出した。
「昔から、書物を読むのが好きだったの。でも、屋敷や宮殿では、ずっと本を読んでいるなんて許されないでしょう? この学園に入ってよかったわ。読んでみたい書物がこんなにたくさんある!」
「そのために、入学したの?」
「そうよ。だから、身分の違う友達なんて作るつもりはないの」
モードは誇り高く言い放った。
「好きなことだけを学び、好きな子とだけ仲良くしたいわ。だって、時間は限られているんですもの。そうでしょう?」
モードの言いたいことは、ジャネットにはよく分かった。
学園の生徒の中でも特に貴族の令嬢たちは、その大半が3年で卒業していく。3年在学すると卒業試験を受ける資格が与えられるのだ。希望すれば4年でも6年でも__学者として10年以上も留まり続けることができることになっているが、彼女たちの親は大抵それを許さない。十分な教養を身につけた彼女たちを早く結婚させるために、最速で卒業させたいのだ。
モードには将来を約束し合う許嫁がいる。ジャネットもよく知る、とある公爵令息だ。彼女は名前のない伝統通り、3年で学園を卒業し、許嫁と結婚するように両親から言い含められているのだろう。
「モードは……」
ジャネットは、モードの隣に立った。本棚に並ぶ書物を眺めていると、気が遠くなる。この中のどれだけの書物を、学園にいる間に読むことができるのだろう?
「新しい友達を作りたいとは、本当に思わない? 宮殿やお屋敷にいる間には決して出会うことのない友達よ」
「思わないわ」
モードはきっぱりと言った。
「友達なら、もうたくさんいるもの。これ以上増やして、何になるというの」
それから彼女は、本棚から抜いた1冊の書物をジャネットに差し出した。
「この本、あなたなら気に入ると思うけど」
ジャネットは書物の表紙を見た。そこには、1頭のユニコーンが描かれていた。金の角を気高く掲げ、後ろ足で立つユニコーン。
「ユニコーン……」
「好きでしょう?」
ジャネットはモードを見つめた。たしかに小さい時は、幻獣が大好きで、その話ばかりモードにしていた気がする。覚えてくれていたことが無性に嬉しかった。
「それと、これ」
モードは、薄紅色の薄い封筒を差し出した。
「お茶会の招待状。絶対、来てね。あなたが来るまで始めないから」
開いてみて、ジャネットは思わずため息をつきそうになった。書かれている時刻は、午後2時。勉強会をするのも、午後2時からなのだ。