地上の太陽
その日、太陽は人々から奪われた。
あまねく天上を覆いつくした暗雲は陽光を遮り、長い冬をもたらした。
むろん、それは単なる気象現象でも、環境の変化でもない。異常な空は人ならざる者が造り上げた、彼らの楽園だ。
《暗黒の使徒》――かつては伝承でしか存在しえなかった者たち。
だが、伝説は現実となった。太陽を失った人々は抵抗むなしく敗北し、日の差さない地下へと追いやられていた。
***
夢を見る。少年にとって、それは現実であり、過去だった。
決して裕福ではなかった。けれど幸福だった。
地下街の奥、度重なるアンブラスとの戦いは、多くの孤児を生み、地下都市のはずれは彼らのたまり場となっていた。
『協力して生きる』それを誰よりも体現していたのは、孤児たちだった。
「キア! みんなを引き取ってくれる人が見つかったって、本当か!?」
「本当さ! ルグもみんなも、空腹とはおさらばだ!」
金髪少年ルグは、孤児の子どもたちの中でも少しだけ年上で、腕っぷしは強かった。
黒髪の少年――弟のような相棒キアは、気弱そうな顔立ちだが頭がいい。どこからか孤児たちの支援の話を取り付けてきた。
「もちろん、きちんと働いて、仕事を覚える必要があるけれど、ごみ漁りやスリに比べたら真っ当だし確実だ。ルグが拳闘で稼ぐ必要なんてないんだよ」
「とは言っても、やっぱり地下暮らしとおさらばってわけにはいかねーんだよな」
「当たり前だよ。地上はアンブラスが支配しているんだから」
少年たちは、太陽を見たことがない。太陽光の代わりに地下を照らす照明と、太陽と同じ光だという黒いライトが、彼らの太陽だった。
いつまでこの地下で暮らすのか。地下で生まれ、地下で育った彼らには、地上というのは見たことのない幻の場所だった。
「いつかさ、俺たちが地上を取り戻そうぜ!」
「何言ってるの、ルグ」
「だってそうだろ! 大人たちがやれなかったことを俺たちがやる。それってすげーかっこいいじゃん!」
思い付きのようなことを少年は口にする。それが荒唐無稽で不可能だとわかっていても、相棒は肯いてくれる。笑ってくれるのは素晴らしいと思ってくれるから。
無茶な夢でも二人なら、孤児の仲間たちとなら、何にだってなれる気がしていた。
あの日までは。
「おい、何だよこれ。みんなを離せよ!」
鎖につながれた手足を引きずりながら、孤児たちが地下都市の外に連れ出される。いつかと夢見た幻の大地は、暗雲に覆われて枯れ果て、生命の息吹はわずかにしか感じられない。重苦しい雲から陽光は見えない。
連れられて行く先にいたのは、逢いたいと思ったことなど一度もない存在だった。
「アンブラス……? なんで、人間の街に……」
『お前たちの提案とやらは、この孤児たちか?』
提案、何のことかルグにはわからなかった。どうして自分たちが鎖に縛られてアンブラス――吸血鬼の前に差し出されているのか。大人たちは何を考えているのか。
異常な光景から本能的に危機を悟ったルグは、みんなを解放しようと走り出すが、すぐに押さえつけられる。地面に寝転ぶ形となって、ここまで引きずってこられた。
「そっか。僕ら、生贄なんだ」
隣で膝をつくキアがぼそっと呟く。街を攻撃しようとしたアンブラスに、大人たちが交渉したのだろう。素晴らしい贈り物をするとでも言ったのか。それとも好みの子どもを差し出すとでも言ったのか。どちらにしろ、引き取り手は人間ではない。
孤児たちの中で最も頭の良かった彼が、真っ先に理解した。
『貴様ら人間の戯れに付き合ってやろうかと思った我が愚かであった。このような汚い贈り物もいらなければ、貴様ら下賤の者の面を見るのも我慢ならん!』
アンブラスとは、人間の価値で測れるものではない。まして、人間が止められるものでもない。最初に消し飛んだのは大人たちだった。その余波で孤児の仲間が消し飛んだ。
ルグは腕っぷしに自信があった。大人と拳闘しても勝つ。金を稼ぐ。キアたちの腹を満たす。小さな自慢、存在意義と言ってもいい。
そんなものは、一瞬で消し飛んだ。
「やめろ、やめろ!」
「ルグ、大丈夫。きっと、僕らは――」
隣にいたキアも、別れの言葉もなく命を絶たれる。
寝転んだ体勢になっていたのが幸いなのか。アンブラスが振るう腕が放つ凶刃から、ルグだけが生き残った。
「キア、みんな……ああ、ああっ!」
『最後の一人か。全く、無駄な時間であった』
「なら、地獄で余生を楽しみな」
この場で生きているのは、ルグと吸血鬼のアンブラスただ二人。そのどちらでもない声に、二人の声が停まった。
そして、目に飛び込んできたのは光だった。目もくらむ、白にも黄色にも赤にも似た色の光だ。
「太陽……?」
見たことのないはずの耀きを、ルグはそう表現する。
右手に光の杖を持つ男が、ルグを庇うように立っていた。土と煤に汚れたルグとは違い、健康的な小麦色の肌を持つ男は、吸血鬼をじっと睨みつける。
「子どもを生贄にして生き残ろうとした屑をやったのはいい。だが子どもまで滅ぼす必要があったのか」
『目障りなごみを掃除しただけだ。何も咎められるいわれはない』
冷淡な声が響き渡る。強い怒り、悲しみを持った声は、ルグは聞いたことがない。奥底に宿った優しさに、彼は涙を流していた。
「なら、お前も一緒に掃除してやるよ!」
そこから、何があったのかルグにはよくわからなかった。直後に起きた衝撃に気絶したからだ。
ただ、次に目を覚ました時その体は男の背にあった。
「坊主、俺と来るか?」
「……うん」
よくわからず答えた。ただ、信じられると思ったのだ。目の前で消えたキアの姿は瞼に焼き付いている。アンブラスがいる限りあの光景が繰り返される。
それを止められるかもしれないなどと、子どもは考えてしまったのだ。
それが、生き残った自分の役目なのだと。
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