79・それぞれのその頃 ②
──アズナイルが実験道具とは知らずに目を覚まされた頃──
「ねぇ、ライアン。わたくしはいつまでここにこうしていればいいのかしら?」
「は、はい。あの、恐れ入りますが、いま暫くお待ち下さいませ」
「その言葉ももう聞き飽きたのだけど?」
「も、申し訳ありません! ただいま全力で通過できる箇所を探らせておりますので──あ、あの、一度わたしの邸までお戻りになりませんか? ゆっくりお茶でも飲みながら……あっ、何度も馬車を乗り降りするのは大変でございますね。えー、それでは──いま暫くお待ち下さいませ……」
アマリリスへの貢物とサーフィニアへの贈り物を山のように購入して、荷馬車二台を引き連れてプラント領との境界線までやって来たヴィクトリア一行だったが《切り札》をアズナイルに持ち逃げされてしまったためヴィクトリアは入領できない。
それは承知の上だったのだけど、待てど暮らせどルーカスが迎えに来ないので、待ち合わせ場所を勘違いしているのではないかと思いここまで来てみたのだった。
しかし、ルーカスの姿は見当たらなかったためライアンはプラント邸までひとっ走りすることにしたのだが、どういう訳かライアンまで立ち入れなくなっており、人をかえ道をかえつつ試しているが、今のところ通れそうな道は見つかっていない。
過去二回プラント領に来ているネイサンも入れずに、彼自身も困惑しているところへ、ヴィクトリアからは疑惑の眼差しを向けられて参っている。
彼女の手に握られた扇子はずっとか細い悲鳴を上げていて、バキッと折れるのも時間の問題だ。
ライアンの汗を拭くハンカチも何枚替えたか分からない。
そんな中、王都方面から迷いの森へと通じる街道まで調べに行っていた店のスタッフが血相を変えて戻ってきた。
「だ、代表、大変です! 日頃からプラント男爵様と懇意にされている王都方面から来られた方々も、森に入ることができずに立ち往生しておられます!」
「何だって!? 一体どうなっているんだ!」
まさかとは思うし口が裂けても言えないが……チラリとヴィクトリアの様子を窺うと、ついに真っ二つに折れてしまった扇子をスゥーっと向けられる。
折れたことで多少の殺傷能力が備わったような扇子よりも、ヴィクトリアの細められた目が怖い。
「ライアン? もしや、わたくしのせいだとでも思っているのかしら?」
「とととととんでもございません! お、恐らく、殿下が護衛も付けずにいらしたことで非常事態」「あんれぇ? 代表さんでねぇの」
「えっ? あっ……ああ、エイムさん。こんにちは」
たまたま通りかかった、プラント領で農業の手伝いをしているエイムおばあちゃんに声をかけられて、ライアンは〈とりあえず助かった〉とこっそり息を吐く。
「はいよぉ、こんにちはぁ。こったらとこで何して──あんれまあ! こりゃどちらのべっぴんさんね? ハァ、こりゃたまげた。まるでお人形さんでねぇの!」
ニコニコ笑顔の気の良さそうなおばあちゃんにまじまじと見つめられて、ヴィクトリアはライアンに向けて垂直に伸ばしていた両手をそろりと下ろす。
「こったらきれいなドレスも初めて──ああ!! 危ないが! ほれ、その壊れた扇子をばぁばに……そうそう。ふぅー、真っ白な陶器のようなお手々に傷でもついたら大変だに──あんれぇ? よく見たらどっかで見たようなおか」「お、恐れ多いことにございますが! あ、あの、お、王妃様に似ているとよく言われます!」
言い方は悪いが、迷いの森は通す人を選ぶ。
それゆえ、本物の王妃だとバレてしまった時のことを被害妄想を最大限に膨らませて考えてみると──
ちょっと皆様、お聞きになりまして? 王妃様ともあろうお方がプラントの森に入ることができなくて、激怒した挙げ句に叩き折った扇子で案内役のドイル子爵を殴りつけていたんですってよ?
──なんて噂が流れている場面が目に浮かび、とっさに他人の空似を演じたヴィクトリアだったけれど、ネイサンにライアン、ドイル商会のスタッフは当然この仰天展開についていけず、目を白黒させている。
目は白黒させていても、ライアンは商会の代表として考えなければならない。
王妃自作自演のとんでもない寸劇を放っておいた場合──エイムおばあちゃんに悪気はなかったとしても──万が一にでも無礼があったりしたら、この場にいたのに何の対策もとらなかったとして、ライアンも罪に問われるだろう。
そうなれば、ドイル商会に関わる全ての者が路頭に迷うことになるからだ。
ライアンがこの局面をどう乗り切るべきか判断に迷っていると、エイムおばあちゃんがパンパンパンと嬉しそうに手を叩いた。
「ええ、ええ、そうじゃ、そうじゃ! 昔の王妃様によう似とる!」
青い顔をして考え込んでいたライアンは〈えっ?〉と顔を上げた。
『昔の王妃様』? ちょっと、意味が分からない。
他人の空似を演じているため、モジモジと恥ずかしそうにしているヴィクトリアにも戸惑いの表情が浮かんでいる。
「あれはいつだったかのぉ……ああ、そうそう! アズナイル殿下のお披露目の時じゃよ。たまたま王都に出かけていたもんでなぁ、遠目にじゃったがお祝いさせてもらったんじゃ。ちいちゃなおくるみを大事そうに抱えた王妃様は、そりゃあもう光り輝かんばかりに美しゅうて、可愛らしいての? いやぁ、ほんにあの頃の王妃様によう似とらすわぁ」
懐かしそうに目を細めて笑うエイムおばあちゃんに対し、当のヴィクトリアもネイサンもライアンも、目が点だ。
〈アズのお披露目って〉〈〈アズナイル殿下のお披露目、って……〉〉
〈もう十五年も前のことよ?〉〈〈もう、十五年も前のことじゃないか!?〉〉
ネイサンとライアンの点だった目が驚愕により皿になっていく傍ら、ヴィクトリアの目は分かりやすく弧を描いていく。
十五年も前の自分とそっくりだと言われたのだ。そっくりは本人だから当たり前だとしても、つまりはとーっても若く見られたということで。
頭の中では「ねえ、聞いた、聞いた? わたくし全然変わってないのですって! お嬢さんにしか見えないのですって!」と、ネイサンとライアンを両肘を使ってどつき回している。
「えーっと……エイムさん、だったかしら? あなたはプラント領に住んでいらっしゃるの?」
「んだよぉ、生まれも育ちもプラントだぁ」
「そう! 素晴らしいわね! それで、今からどちらへ行かれるのかしら?」
「今日はよぉ、ドイル領の親戚んちで祝い事があってなぁ、今から行って一晩泊まるんだわ。べっぴんさんは──なんちゅう名前かの?」
「ヴィ──ヴェッキーよ!」
答えながらヴィクトリアは考える。
エイムさんはプラントの住人だから出入りを制限されることはないわね?
一晩ってことは、明日には家に戻るってことだから……。
「んでぇ、ヴェッキー様は今からプラントに行くんかの?」
「いいえ。もう用事は済んで、お世話になっているライアンの邸に戻るところなの。そうだわ! エイムさん、親戚のお家まで送って差し上げましょうか? ついでですもの遠慮はいらないわよ」
〈〈はっ?〉〉
ネイサンとライアンの目は、皿になったり点になったりと忙しい。
〈用事は済んでいませんよね? これからですよね? 入れませんけど……〉
〈親戚の家まで送る? 誰が、でしょうか? というか、エイムさんの親戚の家は我が家を通り越したずっとずっと先の方にあるのですが……〉
〈全くついでじゃありませんね……〉
〈ええ、まぁ……〉
ヴィクトリアは二人の目のサイズの変化も視線での会話もまるっと無視して、気分を雲の上まで引き上げてくれるエイムおばあちゃんにかかりきりだ。
「それでね? アズナイル殿下は確か二、三年前にプラント領へ視察に来ているでしょう? その時にエイムさんは殿下とはお会いになったのかしら?」
「んだよぉ、あの時のちいちゃな殿下がそりゃあもう」「あー、待って待って! 馬車の中でゆっくり聞かせて頂戴! 十五年前に王妃様を見たという話も、もう一度じっくり詳しく聞かせて頂きたいの! さあさあライアン、エイムさんを早く──いえ、なるべくゆっくり親戚のお家まで送って差し上げましょう!」
満面の笑みを浮かべていそいそと馬車に乗り込むヴィクトリアに、パックリと開きそうになる口を気合で押し留めているライアンの耳元へ、スタッフの一人がこっそりと囁く。
「あの……よく分かりませんが、これは《助かった》といえる展開なのではないでしょうか?」
「そうだな。あの王妃様がタダで──いや、無論王妃様が大層慈悲深いのは分かっているが、何かお考えがおありになるのだろうよ……。手間をかけさせてすまなかったね。エイムさんは私が送るから、お前たちは他の者が戻るのを待ってから一緒に帰ってきなさい」
「はい、分かりました。では、お気をつけて」
ヴィクトリアを乗せた馬車が小さくなった頃、見送っていたスタッフはこっそりと迷いの森へ足を踏み入れようとしてみたが、やはり入ることはできなかった。
◇◇◇
領内のほぼ中央に位置する我が家を横目に通り過ぎながら、今日の出来事を振り返る。
ごっとり半日、ヴィクトリアとそのいたずらに振り回され続けたライアンは疲れ果てていたが、荷馬車二台分もお買い上げいただき、更には婚約指輪になるであろう、最高品質で希少性の高い紫と青色の宝石の予約注文も受けていることを考えると、少し元気が出てきた。
一緒に振り回されてくれたスタッフや、これからまた振り回されることになる邸の使用人たちに臨時のボーナスを出しても、まだまだ有り余るくらいの利益が出るのは確実だ。
明日エイムさんの家にも何か届けさせよう。ああ、そうだ、ローベリーのスタッフにもボーナスを出さないとだな。向こうも五人分の服やドレス、それから部屋の準備までを急にお願いすることになって大変だっただろうから。
しかし……アズナイル殿下とサーフィニアちゃんの婚約話は本当にまとまるのだろうか? サーフィニアちゃんには幸せになってほしいが、王都には身分にうるさい者も少なからずいる。いやでも、王妃様が認めているのだから必ずまとまるはずだ。となると、婚礼衣装用の最高級の布地を今から見繕っておかないと、いざというときに間に合わなくなるぞ!
そんなことを考えながら手綱を握るライアンの頭の中からは、息子の初恋物語なんてすっぽりと抜け落ちていて──おまけに、愛娘にかけられている周到な罠? には全く気づいてもいなかった。




