79・それぞれのその頃 ①
──アズナイルが地獄の門に油を注いでいた頃──
ルーカスとクラウドは大漁旗を掲げてプラント邸に戻り、リビングの扉の前に立っていた。
まずはどうして二人が一緒にいるのかというと──時は数時間ほど遡る──アズナイルとルーカスをドイル領との境界まで迎えに行ったクラウドだったが、ルーカスを怒らせて迷いの森に置いていかれてしまったのはご存知の通り。
それからクラウドはセバスに怒られると思って大急ぎで戻ってきたけれど、セバスは見当たらず、毎日楽しみにしているお茶の時間にもギリギリで滑り込みセーフを果たしていた。
安心して一息ついたあと、改めてルーカスに謝罪をしようと本邸に向かっていたところで、邸から出てきたルーカスを見つけ──
そのルーカスはというと──サーフィニアの部屋を追い出されたあとヴィクトリアを迎えに行こうとしていたのだが『そんなに急がなくてもいいから』と言われたことを思い出し、ネイサンはいないが先に魚釣りに行くことに決めて、案内してくれる者を探しに出てきたところでクラウドに見つかったのだった。
迎えが本日最後の仕事だったクラウドは、ルーカスが釣りに行くと聞いて「誰も知らないとっておきの穴場まで案内しますから、どうぞお許しください」と謝罪を繰り返し、面倒になったルーカスもクラウドで手をうつことにして川へとやって来たのだが。
釣りは初めてのルーカスは、クラウドに教えてもらいながらの挑戦だ。
うまく釣れるかドキドキしていたけれど『とっておきの穴場』とビギナーズラックが手を組んだようで、面白いくらいにどんどん釣れる。
時間を忘れ釣りに夢中になっていた二人はディナーの時間を逃してしまったが、大量のレインボーフィッシュと少しのサワガニをサーフィニアへのお土産として持ち帰り、これから得意げに釣果報告をするつもりだった。
ところが……満面の笑みを浮かべ、今まさにリビングの扉をノックしようとしていたところで、ピクリとも動かなくなってしまったルーカスの顔をクラウドは不思議そうに覗き込む。
「ルーカス先生、どうなさいましたか」
「シィーーッ! 大きな声を出すでない!」
「…………」
中から返事が聞こえたら、いきなりバァーンと扉を開けて驚かせるという作戦だったから、大きな声どころか耳にやっと届くくらいの小さな声しか出していない。
だからほんの少しだけ抗議の声をあげたい気もするが、一度怒らせているだけにそれはマズいだろうと思いとどまる。
黙ってうなずいて後ろに控えると、すぐに回れ右をしたルーカスからグイグイと肩を押されて──気づけばいつの間にか、リビングではなくダイニングの中に押し込まれていた。
汗を拭くふりをしながら「ふぅー。危機一髪じゃったな!」と言われても、クラウドには何がなんだかさっぱり分からない。
「何が危機一髪だったのですか」
「いや〜、あれが分からんとは逆に羨ましいぞ? あの部屋にうっかり踏み込んでおったらな、わしらは今ごろ地獄の釜の中に引きずり込まれておるところじゃったわ。わしに感謝──ほっ? どこに行くんじゃ!」
ルーカスはダイニングから飛び出ようとしたクラウドの足を縫いとめた。
「なっ、何をなさいます! あの部屋にはお嬢様がいるのですよ! 助けに行かなければならないのです。外してください!」
やれやれ、冗談じゃないわい。こやつは何も分かっておらんのぉ。
「お嬢ちゃんなら大丈夫じゃ。お嬢ちゃんは──お嬢ちゃんじゃからな」
はぁ? クラウドは頭を捻る。
お嬢様はお嬢様に違いない。それは当たり前のことで、だから大丈夫という意味が分からない。隊長がついておられるが、いくら隊長でも地獄の釜には太刀打ちできないのではないだろうか?
「ほれほれ、わしゃもうお腹がペコペコじゃ。厨房に魚を届けるついでに何か食べさせてもらおうかの」
「はい──いえ、お待ち下さい。やはりセバス隊長一人では心配なので」
「なぁにを言うておる。あやつを見れば本物の地獄の番人たちも尻尾を巻いて逃げ出すわ。なんならあやつこそが地獄の大王といっても過言ではないからな。ささ、もうこの話は終いじゃ! カレーライスのええ匂いがわしを待っておる。食べたくないのなら置いていくぞ!」
足早に部屋を出ていくルーカスの背中を見ながら、もう一度頭を捻る。
隊長が『地獄の大王』? まさか。隊長はこのプラント領、男爵様ご一家を守る護衛騎士隊筆頭のいわば守り神だ。そんな方が地獄の──
クラウドは思い出した。滅多にいないが、訓練の模擬戦で不甲斐ない負け方をした者がいた時、その者へと向けるセバスの氷のように冷たい視線と容赦のない特訓を。
だ、だがあれは気合の足りない者へ活を入れるためであって、常に気合の入っている私は──そういえば、アズナイル殿下が初めていらっしゃった時の合同訓練で、私は一本も取られなかったが、ザード殿には少々手こずった。あのときの隊長は?
ブリザードが吹きすさぶ中、それだけで身を切られそうなくらいに冷たく鋭く切れ上がった目でこちらを見据えていた。あれは正しく……。
ブルッと震えた体をさすりながら、クラウドは慌ててルーカスの後を追った。
◇◇◇
──アズナイルがサーフィニアの意識の中を彷徨っていた頃──
「捉えた! が……マズいな」
「何がですか」
「クラリスたちの前方から、拾えるだけで少なくとも五人。更に俺たちの後方から一人、恐らく」「野盗ですか!?」「えーっ!? 挟まれちゃったの!」
チッ、よりによってこんな時に──どうする? 落ち着いて考えろ。
侯爵令嬢のクラリスを乗せているんだ。恐らく、馬車は野盗対策用の物を使用しているだろう。それなら少しは時間を稼げる。問題は──。
後方を気にしているエルトナに気づいたノリスが声を上げる。
「エルトナ! 前は俺たちに任せて、後ろを頼みます! クルス!」
「どーんと任せろ!」
グングン近づいてくる後ろを気にしつつ素早く二人とアイコンタクトを交わせば、鋭利さが増したリーフグリーンの瞳と、虹彩にブロンズが混ざり始めたターコイズブルーの瞳が、絶対に彼女たちを守ってみせるという意志の強さを伝えてきた。
ノリスの『俺』が出たし、クルスも気合十分だな?
「よし! 前は頼んだ、後ろは任せろ!」「「はっ!」」
風の抵抗を減らしてスピードを上げるため前傾姿勢で馬を駆る二人を横目に見送って、エルトナは馬首をめぐらす──と、思わず眉間にしわが寄る。
既に目視できる距離にまで詰めてきていた正体不明の相手もこちらに気づいたようで、剣を抜くのが見えたからだ。
その動きには一切の無駄がなく、更にはスピードまで上げてきた。
クソッ! こっちからも突っ込むのは無理だ。一撃で沈められなかったらクラリスとの距離が開きすぎる!
エルトナはその場に馬をとめると、剣は抜かずに両手に魔力を集め次々に氷の矢を放ったが、相手はスイスイとそれをかわし、かわし切れなかった分は剣で叩き落している。
力の差は歴然。このままでは止めきれないと判断したエルトナは、可哀想だがすれ違いざまに馬の脚を狙うしかないと考えたが……。
「どけどけぇぇ! 悪人でないなら道を開けろ! でなければ、叩き斬るぞ!」
と相手の叫ぶ声が聞こえてきて、悪人ではないエルトナは咄嗟に道を譲ってしまい──しまった! とすぐに馬の腹を蹴ったものの距離は既にかなり開いてしまっていた。
「クラリース!!」
クソッ! なんで奴も悪人ではないと思ってしまったんだ!
クラリスに何かあったら俺は絶対にあいつを──
激しい後悔と怒りが愛馬にも伝わったのか、ここまでとばし続けてきて疲れているはずなのに、グンッとスピードを上げてくれる。
「エイド、すまない! クラリスのところまで頑張ってくれ!」
エルトナとエイドは人馬一体となってクラリスの乗る馬車を追い、少しは距離を詰めたが間に合いそうにない。
前方を注視すればノリスとクルスは馬車の前を走っていたが、後方から追い上げてくる蹄の音に気づいたのかスピードは落とさぬままにそれぞれが道の端に寄った。
前方の、明らかに野盗だと見て取れる輩はもう目と鼻の先にまで迫っている。
だからそれは、後方を撃破して駆けつけたエルトナだと思ったのだろう。
しかし、二人の間を瞬時に抜き去った影に驚いたようで、スピードを緩めて振り返りエルトナの姿を確認すると、ホッとしたように馬をとめた。
続いて馬車も停車する。
「すまない。後ろは任せろと言ったのに……止めることができなかった」
馬車にもノリスやクルスにも構わず走り去ってくれたから助かったけど、一歩間違えば本当に取り返しのつかないことになっていた。
だが反省している暇はない。合流して引き返してきたら今度こそ──と顔を上げたエルトナの目に映ったのは、目にも止まらぬ早業で五人もの野盗を鮮やかに斬り伏せて走り去って行く男の背中。
実は、正体不明の男──スザークが剣を抜いたのは、エルトナではなく野盗の姿を捉えていたからなのだった。
「仲間、じゃなかったのか……」呆然と見送るエルトナにノリスが声をかける。
「あれは無理ですよ。ザードクラスでも互角といったところでしょうから。それにしてもプラントの護衛騎士隊は層があつすぎだと思いませんか」
「なんだと!? プラントの──だがあんな奴見たことないぞ!」
「だよねぇ、僕たちも今朝会うまでは知らなかったもん」
「アクトゥール殿の専属護衛騎士兼従者で、ずっと王都のタウンハウスにいたそうですよ」
はぁ? なんだそりゃ。それならそうと──ッソー、無駄な神経と体力を使わせやがって! 今度あったら…………罰として、稽古をつけてもらうか?
「あ、あの! 危ないところをありがとうございました。お陰様で大事なもの──しょ、商品を奪われずにすみました。私た──えっと……も、もう大丈夫です! 本当にありがとうございました。あの、そっそれでは、さ、先を急ぎますので! でででは!」
「落ち着いてください、ライリー殿。我々はアズナイル殿下の命を受けてここに参りました。馬車の中の《大事な者》を確認させて頂いても?」
一般的に──王子たちの婚約者が王都を離れたときに、城門から王宮へ知らせが入るということは知らされていない。婚約者たちに窮屈な思いをさせないためだ。
当然ライリーもその事を知らないから、何とか誤魔化してこの場を離れようとしているのだが……。
「あっ、いえあの、わ、割れ物などは積んでおりませんので、本当に本当にもう大丈夫です! ア、アズナイル殿下にもご心配いただきまして」「ライリー殿、私はあなたを弟のように思っていますから、こんな事は言いたくないのですが──」
相手が悪すぎた。
結局はライリー──の心──が折れる前に、何事かと野盗対策用のほっそいのぞき窓から外を確認しようとしたライラのほんの一瞬の視線を、ノリスにきっちりと捉えられ……。
絶対にエルトナから怒られることが分かっていたクラリスは馬車から出ようとしなかったけれど、結局はエイドの背に引き上げられ背後からこってりと絞られたあと、めちゃめちゃに甘やかされていた。
そんな一人だけおいしい状況をノリスが見逃すはずもなく、クラリスはアズナイルの婚約者だから、報告のためどういう経緯でこうなったのかを聞く必要があると言葉巧みに──あれ以来必ず持ち歩いているチョコレートも使って──ライラを馬車から誘い出し、こちらも二人乗りすることに成功している。
一番望みの薄いクルスはというと。
期待を裏切ることなく、ベルビアンナから冷たくあしらわれていた。
が、エルトナがクラリスを甘やかし始めると──あとでからかう為に──「監視しておく必要があるから馬を貸して」と違う意味でグイグイ迫られておたおたしながらも、軍馬だから、危ないからと涙目で頼み込んで、漸く二人で乗ることを許してもらえたのだった。
嬉しくて嬉しくて話が止まらないクルス。
エルトナとクラリスの観察に夢中で、全く話を聞いていないベルビアンナ。
そんな二人を、溶けにくいチョコレートをもぐもぐ食べながら呆れて見ているライラ、のくせ毛のブルネットの髪の毛先を、クルクルと指に巻きつけて遊ぶ至福の表情のノリス、のことをライリーは──
嘘だ。見間違いに決まってる。それか人違いだ。だって、あの仏頂仮面が──
ななな何ですか!? 私はちらっとも見てませんし、何も言ってませんし、誰にも言いませんよ!
だだだからそんな鋭い視線を飛ばすのはやめてくださいませんか!
と、心の中で必死に叫びながら、サーフィニアの名前につられて馭者を買って出たことを激しく後悔していた。
名前につられたことで、さらなる恐怖が待っていることも知らずに。




