77・実験の続き
ディナーは終わった。終わった、んだよな?
不満を言うつもりなどさらさらないが、今日のディナーにはデザートがなかった。
食後のお茶も。
俺はいいけど……男爵夫人以外はみんな〈あれっ?〉って顔をしている。
けれど『少しリビングでお話をしましょうか』とニアを腕に抱き優しくほほえみながらも、スッと伸ばした背中からは有無を言わせぬ圧が放たれていて、誰も口を開けない。のだが、背中が見えないニアだけは、
「お母様、デザートは食べないの? わたしはデザートが食べたいの。ねえ、いいでしょう? みんなで食べましょうよ〜」
と、可愛くおねだりしている。
「もちろん食べるわよ、お話が終わったらね。ニアはお話が終わるまでいい子にしててね? そうしたらニアの大好きなデザートをたくさん食べさせてあげるわ」
「たくさん!? はい! いい子にしています!」
可愛い小さな手がピシッと上に伸びているのが見えるけれど、デザートがたくさん食べられると分かって嬉しそうに煌めいているはずの瞳も見たい。
と思っているのは俺だけではないようで。
男爵とアクトゥール殿は両脇から覗き込もうと少し背伸びをしている。
流石にセバスチャンはそんなことはしないけど、握りしめた拳がプルプルと震え、一番前を歩くスヴァイル殿に至っては〈振り返りたい! でもできない!〉と葛藤しているのが丸分かり。必死に留めている頭に反し、左足を出せば右肩が、右足を出せば左肩が大きく後ろにブレて、歩く度に体がねじれ返っているように見えた。
◇◇◇
俺はこの国の第三王子だ。王子、だよな?
不満を言うつもりなどさらさらないが、俺の左隣に男爵、右隣にはアクトゥール殿、となぜか三人並んで同じソファ。後ろにはセバスチャンとスヴァイル殿が控え、ニアは向かいのソファの男爵夫人の膝の上に大人しく座っている。
可愛いニアが真正面からバッチリ見られるから不満は全然ないけれど、言いようのない不安に駆られている。それも俺だけではないような気がするが。
「アズナイル殿下。ご覧の通り、ニアはこんなに小さくなってしまいましたけれど、心当たりはございますか」
得体のしれない不安を探ろうとしていたときに突然男爵夫人から話を振られて、思わずギクリとなる。何もやましいことなどないけれど、このイレギュラーな状況に少し気が張っているのかもしれない。
「あの……心当たりというか……翼から舞い落ちる光の粒が原因なのではないでしょうか? 翼を広げただけの状態のときには、サーフィニア嬢に変化は見られなかったと思います」
アズナイルの言葉にセバスは内心驚いていた。
翼を見ただけで、旦那様とアクトゥール様は心臓が飛び出したのではないかと思うほど驚いていたけれど、お嬢様が危険な状態に陥っていることには気づいていなかったと思う。それなのに、こいつにはアレが見えて──分かったというのか!?
「そうですね。ではなぜこのような事が起こったのだと思われますか? ニアは天使のように可愛い娘ですけれど、まさか本物の天使だっただなんて……」
「リリィ……」「お母様……」
「ああ、ごめんなさいね。悲しいのではないのよ? 寧ろ誇らしいわ」
そう言って、ニアの白金の髪に口付けを落とす男爵夫人と、恥ずかしそうに首をすくめるニアは、容姿もドレスも全く同じだということも相まって、本当は見ることさえも許されないのではないかと思うくらいに神々しく清らかで美しく……ボーッと見つめていた俺は、男爵夫人の次の言葉をうっかり聞き逃しそうになっていた。
「ニアはあることをきっかけにして、無意識のうちに天使の持つ力を覚醒させたのだと思います。自覚はございますか? アズナイル殿下」
「えっ? あっ、はい……自覚、ですか?……」
しまった! ボーッとしてる場合じゃないぞ、しっかりしろ!
えーっと……あることがきっかけ? 何だろう? 無意識のうちに覚醒──
『感動もんの奇跡が起こっての!』
ルーカス先生の言葉が甦る。
あの時、俺は先生の言葉を遮った。もしかしたら、天使であることをニア自身が自覚していないのではないかと思ったからだ。
実際、先ほど自分の翼を見て驚いていたし……。
では何故あの時いきなり覚醒したのかというと……血まみれで瀕死の状態だった俺を見て驚いたから? だけど、意識を取り戻した俺に傷など一つもなかった。
何より、自分でも再起不能なんじゃないかと思っていた左手は完全に──
ザァーっと、血の気が音を立てて引いていく。
ニアの翼から舞い落ちていた光の粒こそが天使の癒しの力だとするならば、あの日ニアはそれを使って俺の傷を癒してくれたということになる。
だがもし、もしも、ニアのその力は俺の魔力と同じで有限だとしたら?
あれほどの大怪我を癒すためには相当な力を必要としたはずで……力を使いすぎたから昏睡状態に……。
ベッドの上で静かに眠っていたニアを思い出す。
意識がないことだけに気を取られていたが……力を使いすぎた代償はそれだけに留まらず、体にまで影響を及ぼしていた──ということなのか!?
思えば先ほどもそうだった。俺が血を流すとニアは無意識のうちに力を使って──その結果──小さく、なる……。
そんな!! どうすれば元に戻る!? もしもこのまま……
恐怖のあまり足元から凍り始めたような感覚に陥ったその時、
「自覚なさったようですね? 殿下が傷つけば、ニアはそれを治そうとして力を使い……使った分だけ小さくなるのです」
男爵夫人の静かな声が耳に届いた。
けれど、すでに喉元まで凍りついてしまっていたのか声を出すことができない。
代わりにゆっくりと頷くと──夫人は同じように頷いて応えたあと、その大きな瞳を伏せてしまった。
しばらくそうしたままで、次に開いた時には目元は優しく緩んでいるのに、ニアと同じ透き通ったアメジストの大きな瞳には揺るがぬ決意が見て取れて、くすぶっていた不安が大きくなる。
並びの二人にも、後ろの二人にも緊張が走ったのが分かった。
◇◇◇
膝の上に座らせたニアの小さな頭を撫でながら、男爵夫人は何でもないことのように、とんでもないことを口にした。
「ねえ、ニア。あなたは小さくなってしまったから、今は学園に通うことはできないでしょう? いつ元に戻るかも分からないし……ずっとこのままかも知れないわ。もしもそうなったらこの国に居続けることは難しくなるの。分かる?」
はっ!? 何を言っている? 学園に通えなくなっても、ずっと小さいままでも、俺が全力で守るから問題ないだろう!
このまま放っておいたら男爵夫人はもっととんでもないことを口にしそうで──
そう言って抗議したいのに、声は出ないし体も動かせない。
「……プラント領にもいられなくなるの?」
「そうね。だから取り敢えずあなたが元の姿に戻るまでは、どこかよその国で暮らしましょうか」
「よその国?……レオンも一緒に行けるの?」
サーフィニアの大きな瞳には、不安の色が広がっている。
もちろんだ! 俺も一緒に──クッ! どうして声が出ないんだ!
男爵もセバスチャンも気配で驚いているのが分かる。ということは、彼らも初めて聞く話なのだろうが、やはり誰も声を上げない──いや、上げられないのだろう。
俺と同じで。
「アズナイル殿下はこの国の王子様だから、一緒には行けないわ。王族としての務めもあるもの」
「……レオン……そうなの?」
悲しそうな声で問いかけるサーフィニアの瞳は見る間に涙で潤み、ドレスをギュッと握りしめる小さな手は震えている。
ニア! 飛んでいって抱きしめたいのに──ッソ!
大事な大事な愛する娘じゃないのか! なんで泣かせる!
俺が原因で小さくなるニアを守るために国外へ行こうとしているのかも知れないけど、家族との相談もなしにこんなこと──横暴すぎるだろう!
「そうなのよ。殿下は王族としてニアよりもこの国を守っていく責任があるの。何より……《婚約者》を差し置いて《ただの友達》と一緒に他国へなんて、行けるわけがないでしょう? 黙っているのがその証拠よ」
なっ、どうして!? 母親なのに、どうしてそんなひどい事が言えるんだ!
ニア! 違う! ただの友達なんかじゃない! 俺はずっとニアと一緒に──
ニアッ、ダメだ!!
ポロポロと溢れ始めた涙はアメジスト色。
白のレースを淡く染めるたびに、サーフィニアの体は小さくなっていく。
ニア、ダメだ……やめろ、もうやめてくれ……ニア、ニァ、消えない、で……
誰も何もできないまま、ただ見ていることしかできないサーフィニアの体はみるみるうちに小さくなっていく。今は幼児──三歳児ほどの大きさだろうか。
そこで漸く──「とまっ、た……」青い顔で息を詰めていたアマリリスが、息を吐き出すように小さく呟く。
と同時に、アズナイルの左の目から流れ落ちた一粒の涙が、王族の証を濡らす。
その瞬間、指輪から放たれた眩しい光が、まっすぐにサーフィニアの左手の薬指へと繋がって、そのまま吸い込まれるように消えていった。
光に気を取られていたアズナイルは、小さな衝撃によりその存在に気づく。
「レオン! ずっと一緒、約束したもん!」
首にしがみついて泣きじゃくるニアを優しく抱きしめて、白金に輝く髪を撫でる。
「そうだよ。ずっと一緒だよ。ニアが何処かへ行かなければならないのなら、俺も一緒に行く。ニアの手は絶対に離さない」
首からニアの手を解き、小さな小さな手を握りしめる。
すると、これまた小さな小さな薄桃色の唇を引き結び「んっ」と一言。
それから、《分かった》というように頷いてから上目遣いに見つめられると──
ヤバい……。ナンダコレ? かわいすぎるにも程があるぞ!!
エルトナがローゼンシュタイン嬢のことを『生後三ヶ月の時から俺のだ』と言った時には、少し引いたけど……今なら分かる。
ぷにぷにとした小さな手、小さな顔の中で存在感を主張する零れ落ちそうなほどに大きなアメジストの瞳、ぷるぷると柔らかそうな薄桃色の小さな口──
ちょ、マズい。またアレが出てきそうだ!
というか……将来、俺たちにこ、こ、こど──
「お嬢様、濡れたドレスを着替えましょうね」
俺の妄想はぶった斬られ、かわいすぎる天使も取り上げられて、思わず恨みがましい視線をセバスチャンに向けると──一瞬で底しれぬ恐怖に襲われた。
突き刺すような鋭い視線、氷のように冷たい視線なんて、これに比べたら……。
人間離れした、男にしては美しすぎるセバスチャンの顔からは一切の表情が抜け落ちて、鋭くも冷たくもないのに、暗く翳ったいつもは鮮やかなブルーの瞳からは何の感情も読み取れない。
そんな視線を向けられて、光の届かない深海に引きずり込まれたような感覚に陥る。あまりの恐怖に冷や汗も出てこない。
心臓を掴まれているような息苦しさに視界が暗くなり始めた頃、
「ニア……」男爵夫人の小さな声が聞こえた。
その声に反応したセバスチャンの視線は漸く外れて──ドッと汗が吹き出す。
あのまま倒れてしまった方が楽だったような気もするが、ニアの存在が気合を入れなおしてくれた。
青白い顔色のアマリリスの隣には、いつの間にかサンデールが寄り添って肩を抱いている。
セバスに抱かれたサーフィニアが近づいてくると、アマリリスは「おいで」と手を差し伸べたが。
「やっ! 母様、レオンいじめた!」
拒絶の言葉を投げるとセバスの首に抱きついて、自分を見ようともしないサーフィニアにアマリリスは傷ついた表情を浮かべる。そこに追い打ちをかけるように、放心状態だったアクトゥールが苛立ちもあらわに立ち上がった。
「母上! 一体どういうつもりですか! あのままニアが消えてしまっていたら、私は一生」「アクトゥール! やめなさい」「父上!」
元はといえば俺が原因なのに、仲の良い家族が喧嘩を始めそうになっている。
止めなければと立ち上がりかけたが、男爵の窘める声のほうが早かった。
「いいから、座りなさい」
アクトゥール殿が渋々腰を下ろすと、男爵は夫人の肩を労るように撫でてから、その顔を覗き込むようにして何かを囁きかけ、夫人はそれに小さく頷いている。
よく見れば、ドレスを握りしめる手も肩も、微かに震えていることに気がついた。
「アクトゥールもニアもよく聞きなさい。リリィがやったことはとても重要なことで、誰かがやらなければならない事だったんだよ? まあ、初めは私も驚いたがね。……ニアが小さくなるのは殿下が傷ついた時ということは分かったけれど、それだけが原因だとも限らないだろう? だったらそれを探っておく必要があることは分かるね?」
分かるけれども、家族に伝えることなく独断で行うのはよくないと思う。
アクトゥール殿もそう思っているのか不満気な顔を隠そうともしていない。
「そう言われれば分かりますけど、なぜ始める前に教えておいてくれなかったのですか」
「リリィは言っていたじゃないか『ちょっとした実験をする』って」
「それは──だけど、ちっとも『ちょっと』じゃないじゃないですか!」
「止めていただろう?《ニアが小さくなる実験をする》なんて言われたら。私だって止めていたさ」
そんな恐ろしい実験、知っていたら俺だって全力で止めていたと思う。
「けれど、リスクがあったとしてもやっておかなければならなかったんだ。実験だったらいざという時は止められる。だが、もしもこれが不測の事態により誰も知り得ない所で起こったとしたら? ニアは本当に……」
ゾッとした。あの時、セバスチャンとルーカス先生がいなかったら……。
考えただけで目の前が真っ暗になりそうだ。
「とにかく、殿下が傷つくことと、殿下から引きはな、はな、ハナスノハキケン──ということ。これ以上は小さくならないという事が分かって……ヨカッタナ。アハハハハ」
せっかく年長者らしく、実験のまとめを述べていたというのに──最後の最後で──ちっともよかったという気にならないのは何故だろう?
俺はケガをしないように気をつけるけど、この期に及んでもまだ、俺を遠ざける方法はないかを考えていたのだろうか?
何れにせよ、《分かった》から《認める》とは絶対にならない気がするから、前途はまだまだ多難のようだ。
……でも、あの、一応言っておきますけど……俺にケガをさせるような真似だけは、しないでくださいね? ニアのために、ですよ?




