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76・実験?の始まり

 いつの間にか光の球も消え、アマリリスも普段通りの優しく穏やかな笑みを浮かべているのだけれど、男たちはまだ正座をしている。


 ソファに座るよう促しても「日本の畳が懐かしくて……たまには座ったままお茶を飲むのも悪くない」などと、畳も無いのに訳の分からないことを言って動こうとしない。

「じゃあもう好きにして」と彼女も諦めたのだが──なんてことはない。

足が痺れて立ち上がれないだけなのだった。


 では、そうなることが分かっていたのに何故正座をしたのかというと──実は本人は気づいていないようだけれども、アマリリスの放つ圧の力は今までよりもかなり高いものになっていて、男たちはあの場に立ち続けることができなかったからだ。


 理由は分からないが、余計なことを言ってまたあのチクチクする光の球が《勝手に》出てきたら嫌なので黙っていたが。



 ◇◇◇



「あなたが、ニアが小さくなる原因を取り除くのはかなり難しいと言った訳が分かったわ。アズナイル殿下が原因なら確かに難しいわね……」

「はい。私は殿下に何かあるたびにこんな事が起こるのなら、二人は引き離すべきだと考えていました。しかし──お嬢様との約束を破ることになりますが、こうなった以上もう隠しておくべきではないと判断しましたので、お話させていただきます」


 それからセバスはサーフィニアが前の一週間、夕食後に毎晩吐き戻していたこと、学園での様子、見たこと感じたことをありのままに包み隠さず全て話した。



「やっぱりね……。おかしいと思っていたのよ。無理をしているのではないかってね。よく食べる子だけど明らかに食べすぎだと思っていたし、毎晩のようにアズナイル殿下の話をしていたあの子が、クラリスちゃんと殿下の婚約の話を聞いて以来まったく話さなくなったと、マリアベルから聞いていたの」


 あの時、きちんと話を聞いてあげるべきだったわ……。

王族となんか関わらないほうがいいとどこかで思っていたから、あのまま距離を置けるのならと──甘い考えだったわね。今更引き離すことなどできないのなら……


「ディナーの時にちょっとした実験をするけれど、口出しはしないでね?」

「じじ実験!? そ、れはどのような……」

「大したことじゃないわ。さて、そろそろニアが起きる頃でしょうから、わたくしはもう行くわね。あなたたちはどうするの? 顔を見たいのでしょう?」

「あっ、いやあ……もうすぐディナーだし、ニアも準備があるだろうからあとにするよ」


 サーフィニア命のセバスさえも腰を上げようとしないことに、アマリリスは心の中でため息を吐く。


「そう、分かったわ。……まあ、ほどほどにして頂戴ね」


 パタリとしまった扉をしばらく見つめたのち、男たちは顔を合わせた。


「バレて……いるな?」

「そもそも、母上に隠し事なんて無理な話ですからね」

「ですが、お許しはいただけましたので──早速、作戦会議といきましょうか」


 すべてを聞いたあとのアマリリスの様子から、もうアズナイルを排除することはできなくなったと感じた三人は、それならば、大事な大事なサーフィニアを死ぬ気で守り抜いてもらうために《特別に稽古をつけてあげる》という名目で──可愛がってあげることに決めたのだった。



 ◇◇◇



 実験にはアズナイル殿下も必要だから──と、この国の第三王子をまるで実験道具の一部でもあるかのような扱いで──準備をしておくように。と言われたセバスは、嫌な予感を抱えながらも渋々魔力を分け与え、特製ドリンクも飲ませて無理やり起こした。



 男しかいないダイニングで、居心地悪く緊張した面持ちで椅子に座っている実験道──アズナイル。

 ニアはどこにいるのだろう? ちゃんと目は覚めたんだよな? ですよね!?


 不安になるのも無理はない。対面に座るサンデールとアクトゥール、その背後に立つセバス、扉の横に立つスヴァイルもどことなく緊張していることが伝わってくるからだ。

耐えきれなくなったアズナイルが口を開く前にセバスとスヴァイルが動いて、ダイニングの扉をゆっくりと開く。


 そこから差し込んできた眩しい光に思わず手をかざしかけたアズナイルだったが、次の瞬間には大きく開いていく自分の口になど構うことはなく、入り口に立つ天使そのもののような母娘を、同じく大きく見開いた瞳いっぱいに映し込む。


 光り輝く聖天使の母娘は、白金に輝く長い髪をハーフアップにまとめ、お揃いのドレスを纏っている。その姿はこの世のものとは思えないほどに清らかで美しく──


 お前は間違って天界へ来てしまったから地上に戻してあげようと言われても、思わず「絶対に嫌です。このままここにいさせてください。何でもしますから!」と泣きを入れてしまいそうなくらいだ。



 アマリリスは柔らかな微笑みを口元にたたえたまま音も立てずにダイニングに入ってくると、その細い腕に抱いていた、透き通ったアメジストの大きな瞳まで自分と瓜二つの小さな天使をそっと床におろした。


 すぐに俺を見つけた天使は「レオン!」と嬉しそうな声を上げながら駆け寄ってくる。

 薄いラベンダー色のドレスのスカートの部分にはウエストの位置までスリットが入っていて、幾重にも重なった真っ白なレースが、走る動きに合わせてそこから顔をのぞかせている。


「レオン!」愛おしくてたまらない存在が胸に飛び込んでくると、ここがどこであるかとか、誰がいるかとか全部飛び去って、思いっきりギュッと抱きしめて──

気づく。


 ん? 何だ?……なんだか抱き心地──ンンッ、変な意味じゃないぞ!

ニアの腰に回した腕が余りすぎる気がする。もしかして、痩せた?

腕にかかる重さもいつもより軽いような……。


 心配になって、よく見てみようとゆっくり腕を解くと、腕の中からスルスルと下に滑っていったニアは────ニアはっ!?


 この二年で俺は随分背が伸びた。あまり変わっていなかったニアは、それでも俺の胸の少し下くらいまではあったはずなのに……それよりもずっと下、臍の下あたりから──わわわわわー! 慌ててしゃがみ込む。

どどどどどーいう…………息だ。まず息を吸おう!


 深呼吸を繰り返してから改めてまじまじと眺めたニアは、明らかに小さくなっていた。激しい発作でひと回り小さくなったような気がしたあの時とは全然違う。

しゃがみ込んだ俺と視線の高さが同じだなんて。


 キョトンとした顔で俺を見つめるその姿は、二年前──ニアが十歳の頃よりもまだ少し幼く見える。というか……。


 ハーフアップにまとめたサラサラの白金の長いサイドの髪が、白く細い首に沿ってラベンダー色のドレスの胸元へと滑り落ち、そのままスカート部分の真っ白なレースへと繋がっているように見える。キラキラと煌めく透き通ったアメジストの大きな瞳には──俺だけを映、うつ……ツゥーー。


 小さくなった白金のニアは、とても言葉では言い表せないくらいに可愛らしさがギュッと凝縮されていて、天使すぎて…………あぁ、ヤバい。いま鼻からこんなものを出したら変質者確定だ。と思ったことと、一瞬で真っ青になったニアの大きな瞳が潤み始めたことと──爆速で飛んできた氷弾が変質者の鼻の穴を塞いだのは、ほぼ同時だった。


 と思ったのだが──「レオンが死んじゃうー!!」と大きな声で泣き出したニアの背中から、バサリと音を立てながら白金の翼が広がり始めるまでも間がなかった。


「お嬢様!!」「セバス!! 手を出してはダメよ!」「奥様!!」


 瞬間移動してきたセバスチャンがニアを抱きかかえるよりも早く、男爵夫人の鋭い声が飛んできた。その声に驚いたのは耳だけで、視線はニアから外せない。

はっきりと全体像を捉えたのはこれが初めてで、あまりの神々しさに息をするのも忘れそう──


 なんて、そんな場合じゃなかった。広がりきった翼から光の粒が舞い落ちるのを見た瞬間、俺はニアを掻き抱き、セバスチャンは悲痛な叫び声を響かせる。

今度こそ同時、だった。


「ニヤッ! だいじょうぶだお! 俺はしなっない!」 


 ッソ! 氷弾が鼻を塞いでいるから間抜けな声しか出ないじゃないか!

こんなんじゃ、ニアが、ニアが──腕が震える。息が苦しい。

何だこれは……とまれ、とまれ! ニアが消える!!



「……レオン、泣いてるの? どこか痛い?」


 ハッとして目を開けると光の粒はまだわずかに舞っていて、少しずつ少しずつニアが小さくなっていくのが目に見えて分かる。気の所為じゃなかった事に大きなショックを受けながらも、


「だいじょぶ、だから、ニヤ、翼を、閉じて」


 落ち着いてゆっくりと話しかけると、ニアはキョトンとした表情で首を傾げた。


「翼?」


 あぁやっぱり、自覚がないんだ。だったらどうやって閉じればいいのかも分からないじゃないか。どうすれば……


「ニア。こちらを向いてごらんなさい」

「お母様────えっ? な、何それ、あっ、これ? えっ、誰が付けたの!?」


 アマリリスの持つ手鏡に映った自分の姿にサーフィニアは驚いて、そちらに気がいったからなのか、残っていた光の粒はスゥーッと消えていった。


「おいで」と差し出された手に呆然としたままつかまり、抱き上げられていくニアを見て、ホッとした体中から力が抜ける。

頭はまだ混乱しているが、ニアの前ではたかがのぼせ鼻血だとしても、もう決して流しはしないと心に誓った。



 ちなみに……普段のディナーなのにサーフィニアに気合の入りまくった格好をさせたのは、アズナイルに《穏便に流血してもらう》ためのアマリリスの作戦だったということを──誰も知らない。



 ◇◇◇



 漸く翼の消えたニアは、向かいの席で男爵と夫人の間に大人しく座っているけれど、七、八歳くらいに見えていた姿は、今や五歳児ほどになっている。

椅子の高さと身長が合わないので、子供のときに使っていたという椅子をスヴァイル殿が持ってきてそれに座っているのだが、背中が気になるらしく時々ちらっと後ろを振り返っている。


 その様子を、頬を緩め懐かしそうに見ているマリアベル殿とスヴァイル殿だけど、実はこの二人、ニアが翼を広げた瞬間に意識を飛ばしていたようで……。


 男爵夫人が『そろそろディナーを始めましょうか』と振り返った時、マリアベル殿は──顔面から床に激突。を回避するため器用に受け身を取り──仰向けに倒れていて、スヴァイル殿は立ったままの姿勢で後ろの壁に頭をぶつけて止まっていた。

それに誰も気づかないとか……まあ、あの状況じゃ仕方なかったけれど。


 そういうわけでつい先ほどまで凍りつき真っ青になっていた男たちも今は、可愛くて可愛くてたまらないといった表情でデレデレとニアを見つめているが、その姿は俺の知っている彼らとは別人すぎて最早呆れる。

セバスチャンのデレ顔とかレアものだが……夢に出てきたら嫌だな。


 まあ、それもこれもどうでもいいことだけど、俺など全く眼中にないようだから、お陰でこちらもデレデレのし放題だ。


 とは言うものの、一人きりで敵地にいるような多少の居心地の悪さはある。

けれど、俺が好きだからという理由でニアが頼んでくれていたポークカツレツカレーは間違いなく美味しかったし、小さな口をモグモグ動かしながら、時折『美味しい?』と聞くようににっこりと笑いながら小首を傾げるニアが超絶可愛くて……いつの間にか溶けていた氷弾を自分で詰め直したくらいだ。


 かわいい、かわいいと浮かれている俺も含めた男たち全員は──夢にも思っていなかった。



 母親という名の獅子が──

美しい微笑みの下で、更に恐ろしいことを考えていたなんて──。



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