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75・本物の天使

『お嬢様は、本物の天使でした』


 セバスにしては珍しく──少し誇らしげな口調で告げられたその言葉に、サンデール、アマリリス、アクトゥールの三人は思わずぽか〜んと口を開けているが、そうなるのも無理はない。

自分たちの溺愛する娘、妹が《本物の天使》だと言われたのだから。


 と思っていたセバスだったが……。


「ねえ、あなた。ニアが生まれてから十二年、セバスは一度でも休みを取ったことがあったかしら?」

「いや……私の記憶ではないな」

「ありませんよ。私たちがいくら言っても『その間にお嬢様にもしものことがあったらどうなさるおつもりですか!』とか言って、全く聞く耳を持ちませんでしたから」


 ん? どういうことだ? 今はお嬢様の話をしているのに……。

お嬢様が天使であることと私の休みに何の関係があるというのだろう?

 驚きのあまり混乱したのかも知れないと思ったセバスは、再度重大発表を試みる。


「あの……お嬢様は」

「本物の天使だというのでしょう? 知ってるわ」

「……えっ!?」


 アマリリスは事も無げにそう言って苦笑している。

あまりのことに固まりかけた首をギギギっと動かせば、サンデールもアクトゥールも〈何を今更、そんな当たり前のことを〉といった表情だ。


 えっ──はっ!? もしかして、今まで知らなかったのは俺だけなのか!?

 思っていた反応と違いすぎていたことと、軽くはないショックで、心の中とはいえサンデールたちの前だというのに思わず素が出てしまう。


「セバス、あの子が本物の天使じゃないというのなら、誰がそうだと言うんだ?」

「嫌ですよ、父上。ニアの他に本物の天使なんているわけないじゃないですか」


 …………ああなるほど、そういう意味か。しかし、どう説明すれば……。

 しばし考えたけれど、サーフィニア超溺愛一家にその意味の違いを説明するのは難しいと結論づけたセバスは、王宮での出来事を先に話すことにした。



 ◇◇◇



「──それで、ルーカス先生と私が駆けつけた時にはすでに殿下は傷だらけで意識もありませんでした。特に左手の損傷は激しくて……もう動くことはないだろうと思ったくらいです。それどころかあのまま放っておいたら、出血多量で命を落としていたことでしょう」


 昨夜聞いた話からでは想像もつかなかった当時の凄惨な状況を初めて知った三人は、言葉も顔色も失くしていた。

それからやや暫くして、張り付いた口をなんとかこじ開けたサンデールはセバスに問う。


「そんな状態であったのに、あの時お前は殿下の命に別状はないと言ったではないか。動くことはないと思ったという左手も、とてもじゃないけどそのような大怪我を負っているふうには見えなかった──そうだろう? リリィ」

「ええ、殿下の両手をかなり強い力で握りしめたけど、飛び上がって痛がるような素振りは見られなかったわ。普通に痛そうではありましたけどね」


 愛娘のためとはいえ愛妻がアズナイルにお願いをするときに、子供といえど他の男の手をギュッと握りしめていたことを、今でもサンデールは面白くなく思っているのだが、そんな事はどうでもいいアマリリスは他のことを考えていた。


 そういえばあの時何かを──。


「セバスチャン、見間違えたんじゃないのかい? いくらルーカス先生はこの国一番の大魔術師だからと言ったって、瀕死の重傷を負ってからまだ丸一日も経っていない人間を何事もなかったように、」「待って」


 アマリリスは右手でアクトゥールの話を遮る。


「セバス、ルーカス先生の目は……もしかして見えているの?」


 アクトゥールの話の途中でルーカスの名前が出た瞬間に、引っかかっていたことを思い出したのだ。

あの時──スヴァイルのことを誤魔化そうとしていた時、目が見えないはずのルーカスが『エレンさんに耳を引っ張られてどこかに連れて行かれたスヴァイルなど、これっぽっちも見ちゃおらん』と言ったことを。


「リリィ、急に何を言い出すんだい? そんな事あるわけないだろう?」

「そうですよ、自分で治せるのならとっくに五年前に──ほら、やっぱり見間違いだよ。先生にそこまでの力はないってことだからね」


 サンデールとアクトゥールはアマリリスの言ったことに懐疑的で、アズナイルが瀕死の重傷を負っていたというのもセバスが見間違えただけだと思っていたけれど、セバスは思い出していた。


 あの時、先生の目にははっきりとお嬢様の翼が見えていたはず。だから私のことも《やっぱり》真っ白だと言ったのだろう。ということは、初めてあった時から『白い兄さん』と呼んでいたのは、先生のいうところの心の目にそう写っていただけで、光を取り戻した目に映った術の解けた私を見て確信したからああ言ったのだとしたら──それはもしかして……


「セバス?……そうなのね?」

「あ……申し訳ありません。はい、見えていると──光を取り戻したのだと思います」

「そう……。では、あなたがニアのことを『本物の天使』と言ったのは比喩ではなくて、本当に言葉通りの意味だったのね?」

「はい」

「なんてことかしら……」


 ドレスをギュッ掴んで下を向いてしまったアマリリスに、セバスは言うべきではなかったことを悟った。しかし話さなければ、サーフィニアが小さくなる原因も言えなくなる。それでも他に何かしらの適当な理由をつけて誤魔化すこともできたのではないか? 今更悔やんでも遅いのだが考えずにはいられない。


 今からでもどうにかしてこの話はなかったコトにできないだろうか──と考え悩むセバスをよそに、アマリリスは弾んだ声を上げる。


「なんてこと、なんてこと、なんてことなの! あなた! 素晴らしいわ! わたくしたちの愛する娘は本物──いいえ、正真正銘本物の天使なんですってよ! ああ、なんて……ハッ! ちょっと待って。天使よりも愛らしいあの子が本物の天使だと知られたら……。危険だわ。もうプラント領からは一歩も──いいえ、いっそのことわたくしたちの事など誰も知らない他国へ」「ちょちょちょ、こっちこそちょっと待ってくれ!」


 サーフィニアと同じアメジストの瞳をキラキラと輝かせ、興奮のあまり頬をバラ色に染めたアマリリスはソファから立ち上がり──というか、言いながらずっとソファセットの周りをグルグルと歩き回っている。

それに待ったをかけたのは、少し前からまったく話についていけてないサンデール。


「な、何が何だって?」

「何がって──あなた、眠っていらしたの?」

「い、いや起きていたけど……『光を取り戻した』あたりから意味がよく分からないのだが……」

「父上……頼みますよ? いいですか、光を取り戻したというのはルーカス先生のことです。それからニアは比喩なんかではなくて、正真正銘本物の天……使? えっ? ええーっ!? どどどどどーいうこと!?」

「なっ、なっ? 意味が分からんだろう!」 



 ……旦那様、アクトゥール様──ついでと言ってはなんですが奥様も、私の後悔を返してくださいませんか? それともあの時、意味の取り違えを訂正しないままに話を進めた私が悪いのでしょうか。



 ◇◇◇



 お腹いっぱいになるまでため息を飲み込んで仕切り直したセバスの話に、またも開いた口が塞がらなくなるサンデールとアクトゥール。


「いい加減にしてくださいな。話が進みませんわ」


 アマリリスの冷たい視線に慌てて口を閉じる二人を見ながら〈失礼ながら奥様もかなり舞い上がっていらっしゃいましたよ?〉と心の中でツッコミを入れるセバスだが、確かに話が進まないのは困る。

早くしないとサーフィニアが目覚めてしまうからだ。


 しかし、そんなセバスの焦りなどはお構いなしに、寄り道だけは進んでいく。


「天使といえば《アレ》──当然、ニアにも翼があるのでしょう? 見えないだけで」

「はい。見えないだけなのか……必要なときにだけ現れるものなのかは分かりませんが」

「あなたは見たことがあるのね?」

「はい、二度ほど」

「「ええーっ! いいなぁー。私も」」「もう! わたくしがいいと言うまで二人は黙ってて!」


 叱られてしゅんとする二人に同情している暇はない。核心に迫っている事に気づいたのか、アマリリスの表情が引き締まったものへと変わってきている。


「そう。それで……必要なときというのは? 包み隠さず全部話して頂戴」


『包み隠さず全部』──この言葉でセバスの心に迷いが生じ、その迷いが鮮やかなブルーの瞳を僅かに揺らす。


 〈あいつとは引き離した方がいい〉そう思うのに、自分の言葉一つで本当にそうなってしまうかも知れないと思うと、やはりサーフィニアの心の方を心配してしまうのだ。


 先週はずっと、夜になると嘔吐を繰り返していた。環境が変わったせいだからというお嬢様の言葉を信じていたが……。ああなったのは、あのドレス事件以降だ。

今になって思えば、学園でもあいつに会えて嬉しかったはずなのに、不自然に距離を取っていたような気がする。

それが嘔吐の原因だったのなら、また──


「セバス。大丈夫よ、わたくしを信じて?」


 ハッとして、いつの間にか俯いていた顔をあげると、覚悟を決めたアメジストの瞳が静かにこちらを見つめていた。


 大丈夫だ。奥様を信じよう。軽く息を吐き、セバスも覚悟を決める。


「お嬢様の翼が現れるのは、アズナイル殿下に命の危機が迫ったときです。一度目は王宮で意識不明に陥った時。二度目は……先ほど倒れられた時です。お嬢様の翼から舞い落ちる光の粒が殿下の命を救いました。鮮血に染まっていた左手もボロボロになっていた服も、まるで何事もなかったかのように──ルーカス先生もその場にいたので、恩恵を受けたというか、見えるようになったのでしょう」


 サンデールとアクトゥールは「まさかそんな!」とただただ驚いているが、アマリリスはそっと瞳を閉じて一度深く息を吐き、それからゆっくりと瞼を持ち上げた。


「そして、その光の粒こそが……ニアが小さくなる原因なのね?」

「なっ、何だと!? そんな──あいつは今どこにいる!」「捜してきます!」

「あなた、アクトゥール、落ち着いて。アズナイル殿下ならニアの部屋で眠っているわ」

「なにぃっ!? セバス! お前がついておきながら! 今すぐ叩き出せ!! 二度とこの地に──いや、金輪際ニアには一瞬たりとも近づけるな!!」

「落ち着いて。話はまだ終わってないわ」

「落ち着いてなんかいられるか! あいつのせいでニアは──もう、いい、私が直々に」「黙って座りなさい!!」


 アマリリスの圧のかかった鶴の一声が執務室の窓ガラスを震わせ、続いてピシピシピシッっとヒビの入る音が響き渡る。


 そのまま割れて落ちてきたりしたら大変だ。破片が飛んできて誰かが怪我をするかもしれない。


 セバスはすぐに結界を張り、サンデールとアクトゥールはアマリリスを庇うようにその前に立つ。

しばらく様子を見ていたが、大丈夫そうなので取り敢えず結界は張ったままにしておいて、アマリリスの無事を確認しようと振り返った男たちは──


 すぐさまその場に正座した。


 ソファに座ったまま腕を組み脚を組み、普段は透き通ったアメジストの瞳を深く濃色に染め上げて、白金の長い髪を四方八方に広げているアマリリス。

とまあここまでは、プラチナブロンドの髪にパステルブルーの瞳の時にも見た記憶はある。


 しかし今回は──パチッ、バチッと不気味な音を響かせるテニスボールくらいの光の球が点滅しながら彼女の周りを漂っていて、時折威嚇するかのようにバチィィっと弾けては、チクッと刺すような痛みを伴う鋭い光を放ってくるのだ。


「ああああの、リ、リリィ? そっそれは何かな? 消してもらえるとありがたいのだが……」

「知らないわ。勝手に出てきたの。だから消し方も分からないわ」

「へ、へぇぇ……そ、それなら仕方ないね。ハハハッ……」

「そうね。それでセバス、他に気になっている事があれば話して頂戴」

「はっ、はい……。あ、あの、その前にお茶チャを淹れ直しましょうか」

「……そうね、そうして頂戴」



 立ち上がり準備を始めたセバスのことを、サンデールとアクトゥールは驚愕の表情で見つめていた。


 〈〈あ、あのセバスが…………どもって噛んだぞ!!〉〉


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