74・母親というものは
セバスチャンと合流してからは一度もニアと話せないままに──俺たちはニアの意識の中から抜け出してきた。勿論ニアも一緒に。
ニアを無事に眠りの底から連れ出すことに成功して良かったが、この後のお約束が目に見えて少し気が重い。
まず、大事をとってニアはセバスチャン特製の安眠ティーを飲まされるだろう。
そしてその間に俺はセバスチャンから特大のお仕置き──あっ、ヤバい、魔力が、も……ラッ、キ…………。
ニアの意識を探るのに時間がかかりすぎて枯渇寸前になっていたらしい魔力が、少しでも消費を減らし命をつなぐために俺の意識を奪っていく。
最後に聞こえたのは、ニアが俺の名を呼ぶ叫び声だった。
◇◇◇
「レオン!!」
サーフィニアは迎えに来てくれたお礼をもう一度言おうとして、セバスの腕の中から下ろしてもらった。そうして振り返った瞳に映ったのは──崩れるように倒れゆくアズナイルの姿。
「レオン! しっかりして! セバスチャン! レオンが!」
幸いベッドのすぐ脇に立っていたので、それがクッションとなり床への激突は免れたアズナイルだったが、サーフィニアはすぐに駆け寄り彼の体を揺する。
一方、サーフィニアに名前を呼ばれたものの──事情を知らない──セバスは、アズナイルがサーフィニアに指輪を嵌めさせたことに腹を立てていて、すぐには動こうとしなかったのだが……。
パタッバタッバサッ
間を置かずして広がり始めた白金の翼に慌てる。
「大丈夫です! お嬢様! 魔力が少なくなった……だけで……」
「……本当だ。よかった……」
アズナイルの胸に耳をあて、心音を確かめているサーフィニアにセバスは言葉をなくす。
俺は、こんなやり方は教えていない……。
アズナイルの胸元に顔を埋め、ホッと安堵の息を吐くサーフィニアの姿はあまりにも自然で。そこにそうしていることが、ごく当たり前のことのように見えるのが許せない。
抑えても立ち昇りそうな怒りの炎は、しかしすぐにかき消えた。
サーフィニアの白金の翼から、抑えきれなかった光の粒がほんの少しだけキラキラと舞い落ちるのを見て、急いでアズナイルから引き離し抱きかかえる。
「大丈夫だったでしょう? 休めば回復します。目を覚ましたら殿下にはすぐに特製ドリンクを差し上げますので、それまでお嬢様も少し休んでおきましょうね」
マズい……。誰も気づかない程度にではあるが、また少し小さくなってしまった。
ほんの僅かな量だったのに……。
お嬢様が笑顔で幸せでいられるのならこいつでもいいと思ったけど、こいつに何かあるたびにこんなことが起きるとなれば話は別だ。
どうするべきか──とにかくまずはこいつを部屋から追い出そう。
ルーカスを呼ぶため一旦寝室を出ることにしたセバスは、サーフィニアに気づかれないように向けていたアズナイルへの厳しい視線を外そうとして──その姿が視界から消える寸前でバッ! と振り返った。
自分の腕の中に収まっているサーフィニアが肩越しにアズナイルに向かって人差し指を振ると──宙に浮かんだアズナイルが、そのままベッドの上にふわりと沈み込んだからだ。
「お嬢様!!」
「いいの。レオンはわたしの為に魔力を使いすぎたのでしょう? だからベッドは貸してあげるの。わたしはお母様のお部屋で休ませてもらうわ」
「しかし、」
「セバス? ニアの声が聞こえたようだけど……目が覚めたのかしら?」
気が散るからという理由で寝室を追い出されていた為に、アマリリスは遠慮がちに扉の外から声をかけたのだが、セバスにしてみればタイミングはあまりよくない。
誤魔化すわけにもいかず、何より──「お母様!」とサーフィニアが元気よく返事をしてしまったからには、もうどうすることもできなかった。
「丁度今からお連れするところでした」
観念して扉を開けたセバスは事情を説明しようとしたけれど、サーフィニアの方が早かった。
「お母様!」もう一度そう呼んでから、アマリリスに向かって手を伸ばす。
「あのね、お母様。レオンはわたしの為にたくさん魔力を使って倒れてしまったの。だからわたしのベッドに寝かせたんだけど、目が覚めるまでそっとしておいてあげてほしいの」
「あらあら。やっと目を覚ましたというのに、母様におはようのあいさつはないのかしら?」
アマリリスはニアを抱きかかえながら優しく微笑む。
「あっ……ごめんなさい、お母様。おはようございます」
「はい、おはよう」
首に腕を回してキュッと抱きついてくるサーフィニアの頭を撫でながら、アマリリスはチラリとベッドに視線を走らせた。
「申し訳ありません。すぐにルーカス先生にお願いして──」
それに気づいたセバスは、やはりアズナイルを移動させようと思ったのだが。
「その必要はないわ。……ニアはわたくしの部屋で休ませます。セバス、いつものお茶の用意をお願いね。それから、マリアベルを呼んでちょうだい」
「……承知しました」
部屋の扉を開けてもらうためにセバスの後ろを歩くアマリリスは、ずっとサーフィニアの頭を撫で続けていた。
◇◇◇
「お嬢様……なかなかお目覚めになられないから心配しましたよ」と涙ぐむマリアベルと、そんな彼女の頭をよしよしと撫でながら「心配かけてごめんね」と眉を下げるサーフィニアを、アマリリスは優しい笑みを浮かべて見つめている。
そうしているうちに、セバスがよく眠れるお茶と甘みを抑えたカスタードプディングを運んできた。
ディナーの時間までそう間はないが、サーフィニアは昨夜以降何も食べていない。もう一眠りする前に少しでもお腹を満たしてあげたいという想いからだった。
「あ〜、なんだかものすごく久しぶりに食べ物を口にした気がするわ」
「ずっと眠っていたものね。心配したけど食欲があるのならよかったわ」
「ごめんなさい……。いつも心配ばかりかけて……」
「いいのよ、あなたが元気でいてくれるのならそれだけで……。それよりも今日のディナーに食べたい物は何かある?」
「あっ! あるある! レオンはね、ポークカツレツカレーが大好きなの! だからカレーライスを作ってあげて!」
…………。
誰もアズナイルの好物など聞いていない。二度もサーフィニアを助けてくれた恩人ではあるけれど──それはそれ、これはこれ。
「分かったわ。あなたは何が食べたいの?」
「わたし? わたしはね……お魚の、蒸した、の……とろみ、あん……」
食べている時のことを想像したのか、幸せそうに微笑んだまま眠ってしまったサーフィニアの手から、握ったままのスプーンをそっと外してマリアベルに渡す。
そうして「おやすみ」と小さな頭をひと撫でして、額にキスを落としたアマリリスがセバスとマリアベルの方に向き直った時──
先ほどまでの優しい笑みは消えていた。
「マリアベル、厨房にニアの希望を伝えたらニアが起きるまで付いていてあげてね。セバス、主人とアクトゥールを執務室へ。勿論、あなたもよ」
厳しい表情でそう告げるアマリリスを見て、セバスは覚悟を決めた。
◇◇◇
「リリィ〜、ニアが起きたのなら私も会いたかったよ」
「母上、私もです。また眠ってしまったと聞きましたが……今度はちゃんと目覚めるのでしょうね?」
「大丈夫よ。それよりも──セバス、どういうことなのか説明して?」
「なっ、せ、説明ってなんだ! やはりまだ何か問題があるのか!?」
今はまたセバスの安眠ティーで眠っているが、娘がようやく目を覚ましたと聞いて一安心していたサンデールはソファから勢いよく立ち上がる。
そんな夫には目もくれず、アマリリスは真剣な表情でセバスに問う。
「どうして、どうしてニアはまた小さくなってしまったの?」
震える声に、セバスは上を向いて目を閉じる。
マリアベルは気づかなかったのに、やはり母親というものは……。
「申し訳ありません」
「あなたを責めるつもりはないのよ。……ただ、理由が知りたいの」
「ま、待て! ニアはあれより更に小さくなったというのか!?」
「ええ。でも多分あなたには分からない程度によ」
「えっ? そ、そう……か?」
その言葉はサンデールにとって少し納得がいかないものだったが、愛妻の視線が「座れ」と言っていたので、そろそろと腰を下ろした。
母親のもの言う視線を見て、父親と同じ言動をとりかけていたアクトゥールも、拳一個分くらい浮いていた腰をそろーーっと下ろす。
「申し訳ありませんと言ったのは、王宮での出来事を全部はお伝えしていなかったからです」
「……その伏せていた部分に、ニアが小さくなった原因があるのね?」
「正直に申し上げて、あの時は確信がありませんでした。けれども、今回のことではっきりしました。ただ……」
「ただ何だというのだ? その原因となるものは取り除けないとでも言うのか」
「いえ、かなり難しいとは思いますが──その前にお話しなければならないことがあります」
そう言いながら、セバスはアマリリスの様子を窺う。
昨夜は随分取り乱していたけれど、プラント領に戻ってきたことで今はかなり落ち着いているように見える。
お話しても大丈夫だろうか……。
一方のアマリリスも、セバスの表情、口調、仕草を注視していた。
子供の頃から我が子も同然に見守ってきたのだ。セバスは隠しているつもりのことでも、見抜く力は備わっている。
「セバス。あなたは優しい子だわ。全てのことを話さなかったのは、わたくしの体調を考慮してくれたからでしょう? ありがとう。わたくしはもう大丈夫よ。だから、聞かせてくれる?」
アマリリスの言葉に、セバスは今度こそ気づかれないように奥歯を噛みしめた。
サーフィニアを、プラント一家を守っていると自負していたが、自分もまた見守られていたのだということに気づいて、込み上げてくるものがあったから。
温かな想いはそのままにそっと息を吐くと──
生まれた瞬間から大事に大事に守ってきたサーフィニアの本当の姿を伝えられる喜びに、少し誇らしげな気持ちになりながら静かに告げた。
「お嬢様は……《本物の》天使でした」




