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73・大好き

 なつが消えた後、アズナイルはサーフィニアの両手を軽く引いて自分の方に引き寄せた。


「レオン、どうしたの?」


 帰らないの? と不思議そうな表情で小首をかしげているサーフィニアの両手を握ったまま、アズナイルは片膝をつく。


「ニア……」


 その真剣な表情に、サーフィニアの頬は見る間に赤く染まっていく。

隠したいと思ったけれど、両手を握られているためそれは叶わない。


 アズナイルは恥ずかしさのあまり潤み始めたアメジストの瞳をまっすぐに見つめて、心の中で大切に育て続けてきた思いの丈と、誰にも話したことのない胸の内をさらけ出す覚悟を決める。


「ニア、伝えたいことがあるって言ったのを覚えてる?」


 恥ずかしすぎて言葉が出てこないサーフィニアは、ただコクンと頷く。

その様子に、フッと小さく笑ってから、アズナイルはもう一度気を引き締める。


「だけどその前に……俺は今までどんな人間だったのかを聞いてほしい。ニアの知らない俺のことを……」


 最後の方はほんの少しだけ声が震えて、自分でも緊張しているのが分かる。

こんな話を聞いたら、ニアはどう思うか分からないけれど、俺のすべてを知っておいてもらいたい。

だから、心配そうな表情で口を開きかけたニアを、首を横に振って止めた。


 そうしてアズナイルは一度深く息を吐くと、サーフィニアのアメジストの瞳をしっかりと見つめて、静かな声で語り始めた。


「俺はこれまで、何に対しても興味を持つことができない人間だった。この国の第三王子として生まれ、国のため民のために、自分にできることは何でもやってきたつもりだけど、それはただ王族としての責任があるからそうしていただけで……。勉学や剣術、魔力を高め使いこなすことを頑張ってきたのも、将来レグルス兄上が王位を継いだ時に、全力で力になることができるようにとの想いがあったからだ。そんなふうに、常に責任感だけで動いていたから、婚約者候補のご令嬢たちに対しても最低限の義務を果たすだけで、誰にも心を寄せることはできなくて……。酷い言い方だけど、それでも何れは国のために誰かを選ばなければならないと、愛情はなくても国のためだと思えばそれなりにやっていけると、本気でそう思っていたんだ。ニアに出逢うまでは……」



 下手をすれば、こんな人だったのかと幻滅されかねないことを、苦しそうに話すアズナイルを黙って見ていたサーフィニアもまた苦しかった。


 話さなくてもいい胸の内を敢えて聞かせてくれるのは、私の前世を知ってしまったから……自分のことだけを秘密にしておくのはよくないと思ったからかな?

もういいから、分かったから、と言ってあげたいけど……。


 今吐き出させておいてあげないと、真面目なアズナイルにとってこれは一生心の重しになるのかもしれない。と思ったサーフィニアは唇をキュッと結んで、最後まで聞く覚悟をしていたのだが……。



「初めてニアを見た瞬間から、自分ではどうしようもないほどにニアに惹かれて、気になって。体調を崩したと聞けば夜も眠れず、他の男と楽しそうに話しているとモヤモヤして、会えない時間なんて必要ないのに! と思うほどニアのことばかり考えている自分に気づいた時、愛情はなくてもやっていけると思っていた俺は、なんてバカで愚かだったんだろうと思ったんだ。そんな事、できるはずもないのに」


 心は動かず愛情も持てないのに、あのまま誰かと国のために結婚していたら、俺はいつか壊れてしまっていただろう。

救ってくれたのはニアだ。自分の命よりも大切な、こんなにも愛おしい存在に出逢えたなんて、本当に奇跡としか言いようがない。


 ニアがこの世界に、この国に、生まれ変わって来てくれたからこそ出逢えた奇跡。

絶対に離さない。誰にも渡さない。


「ニアのかわいい笑顔をずっと見ていたい。サラサラで長い白金の髪も、透き通ったアメジストのように大きくてキレイな瞳も、かわいい声も、全部、全部、独り占めにしたいくらいに……」


 ……キ、キャァー! ちょ、ちょっと待って!! 最後まで聞くつもりだったけど、これは、はず、ハズ、恥ずかしいぃぃ!

て、手を離してくれないかな!? 隠れたいで──



「ニア、大好きだよ」



 …………ボンッ!! プシュー……


「わっ! ニア!」


 完熟トマトのように、まっかっかになったサーフィニアの恥ずかしリミットが大爆発を起こして、フニャフニャになったサーフィニアが頭の上に張り付きそうになる寸前で、アズナイルはなんとか彼女を受け止めた。


 ささやかな夢が叶っていることにも気づかずに、アズナイルはサーフィニアのすべすべとしたマシュマロのように柔らかなほっぺたを手のひらで包み込み、親指で優しく優しく撫でる。


「ニア……大丈夫?」



 甘い声で囁きかけるアズナイルを──もしもエルトナが見ていたならば──

おっ前、全然心配なんかしてないだろ? 役得だ〜、くらいにしか思ってないのはその顔を見れば一目瞭然なんだよ!──とツッコミを入れていたことだろう。



 サーフィニアの長い睫毛が微かに震え、瞼がゆっくりと持ち上がる。

そうして現れたアメジストの瞳いっぱいに映るのは、甘く優しく微笑む、大好き──だけれど、やっぱり一緒にはいられない人。


 諦めずに頑張ろう! と思ったはずなのに、そうすることで大好きな親友を苦しめる事になるかもしれないと考えると、簡単には踏み出せない。


「レオン……嬉しいけど」「けど、なに? 否定の言葉は受け付けないよ?」

「だって! そうは言っても、ク、クラリスだけは特別なんでしょう? クラリスを悲しませるようなことだけは、したくない……」

「あぁ、やっぱり俺はバカだ。話をするなら、まずはそこからだよな?」


 再び潤み始めた大きな瞳が俺の姿を消し去る前に、両方の手のひらで柔らかな頬を包み込んでから、しっかりと視線を合わせた。


「ローゼンシュタイン嬢にはね、俺の候補者になるずっとずっと前から相思相愛の相手がいるんだよ?」

「……そんな話、聞いたことない」

「まあ、言えなかっただろうからね。国王からの打診を断るなんてこと普通はできないから……。同じような理由になるのかな? 俺はそのことを知っていたから大反対したんだけど、やっぱり聞き入れてもらえなかったんだよ」


 だけど、あの二人ならもう大丈夫だし、ニアを迎え入れるための材料も揃っている。それでも反対するやつがいれば、このままプラント領に移住するまでだ。


「反対……したの? でも、じゃあどうして急にクラリスはレオンに……」

「う〜ん、どうしてなんだろうね? 何か行き違いがあったんじゃないかな? それでローゼンシュタイン嬢は相手にヤキモチを焼かせようと、」

「ということは、クラリスが好きな人はレオンの周り──すぐ側にいる人なのね?」


 うっ……鋭い。


「どうしてそう思うの?」

「だって、ヤキモチを焼かせるつもりなら、その人から見えない所でレオンとイチャイチャしたって意味ないでしょう? レオンの関係者じゃないのなら、毎日わざわざサロンでランチをとる必要もないと思うの」


 ハハハッ……。これ、なんか《なつ》っぽい──じゃなくて!


「俺は! サロンでもそれ以外の場所でも、ローゼンシュタイン嬢や他の誰とも、イチャイチャなんてしたことないからな! 俺がイチャイチャしたいのは、今までもこれからも、ニアだけだ!」

「……そ、そうなんだ。ありが、とう?」


 ハァァ……『ありがとう』じゃないんだよ。俺の告白はどこいった?


「ニア、俺の気持ちは伝えたよ? ニアの気持ちも聞かせてほしい」


 分かってる。分かってるけど……。



『大好きだよ』って言ってもらえてすごく嬉しかった。だけど、二人の感情だけでは一緒にいられないことも分かっている。レオンはこの国の王子様だから……

何も持っていない私は受け入れてもらえないでしょう?


 それが分かっているから、言葉だけじゃなくて、もっと自分に自信が持てる何かが欲しい。いつか心が折れて、自らこの大事な手を手放してしまわないためにも。

会えないときも、それさえあれば心を強く持ち続けることができる。そんな何かがあればいいのに。例えば……ホントのホントに例えば、だけど……


 こ、婚約できるかも分からないのに、ゆ、ゆび、指輪が欲しいなんて図々しい──

あっ、そうだった。


「あの、これ、返すの忘れてた」

「…………」


 考え込んでいるサーフィニアを急かさずに、辛抱強く返事を待っていたのに──返ってきたのは自分の王族の指輪。思わずガクリと頭が垂れそうになる。


 指輪も大事だけど、ニアの気持ちを聞きたい──って、えっ? もしかして……

すべて俺の妄想による勘違い!? あっ、ダメだ、弱気に負けるな! 

取り敢えず、指輪を受け取るふりをして、いつの間にか取られた距離を詰直し、


「あれっ? ちょっと待って」


 ヤバい。作戦がバレたかな? と思ったけど、ニアは指輪を念入りに調べているように見える。何が気になっているのかな?


「あのね、レオン。この指輪……ちょっと嵌めてみてもいいかな?」

「えっ? いいけど、ニアには大きいと思うよ?……ゆ、指輪なら今度」 


「特別な物を贈るから」と続けようとした口がぽか〜んと開く。


 左手の薬指に《俺の指輪》を嵌めたニアが、その手を持ち上げて目の前にかざした瞬間、パァァァと光った指輪がニアの指に合わせて、キュッと縮んだように見えたからだ。


 光が収まるとニアは、世界一まぬけな顔を晒している自信のある俺に向かって、先ほどの光よりもさらに眩しく輝く満面の笑みを浮かべると──腕の中にふわりと飛び込んできた。



「レオン、大好き!」



 口を閉じるまもなく飛び込んできたニアを驚きつつも抱きとめると──一拍遅れてからニアの気持ちが耳に届く。

レオン、大好き、大好き、だいす──「お嬢様、あまりにも戻りが遅いので、心配──」



 リフレインしていた俺の唯一、世界一かわいい俺の天使の、耳をくすぐる羽のように柔らかな声が……

セバスチャンの──ニアだけの為に発する特別に優しい──声に取って代わった。

と気づいた時には、ニアも取り上げられていて……。


「セバスチャン、ごめんなさい」


 ニアは、いつものようにセバスチャンに抱えられたまま、かわいく謝っていたけれど、「謝らなくてもいいのですよ」と微笑んでいたセバスチャンの顔が、ほんの一瞬凍りついたな? と思っていたら──


「お嬢様、まだお返ししていなかったのですね?」


 言いながら、ニアの指から俺の指輪を優しく、しかし素早く抜きさるその背後で、青白い怒りの炎を燃え上がらせ始めた。


 これは……状況的にものすごくヤバいのでは?


 指輪を嵌めてみたいと言ったのはニア。

まさか左手の薬指に嵌めるとは思ってもいなかったけど、許可したのは俺。


 腕に飛び込んできたのはニア。

だけど、驚きつつもしっかりと抱きしめ返していたのも、俺。


 あぁ……ヤバいのでは? どころか完璧にヤバいぞ!

と内心ではビクついていたつもりだったのだが──多分、どこかで甘えていたのだろう。



 見慣れたと言っても過言ではない青白い怒りの炎なんて、ほんの序の口だったと思い知らされることになるとは……この時の俺には知る由もなかった。










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