72・繋がる想い
再び降りてきたあの狭い部屋では、先ほどと同じようになつは膝を抱えて蹲っていたけれど、俺たちの気配に気づいて振り返ると、目をまん丸にして驚いて──
「ちょっと、なんで戻ってきたの!? 折角──というか、その子……えっ、もしかして上の子? えっ、なんで!?」
と、軽いパニックに陥っているようだった。だけどすぐに、
「あっ、そうだ! ちょっとこっちに来てくれる? あなたは……えっと、アズゥなんとかは、そこで待っててね!」
「「…………」」
ニアと俺は黙って顔を見合わせた。
もうなんか、本当に……というか『アズゥなんとか』って……。
「あの、ごめんなさい。私は……えっと、なつは名前を覚えるのが苦手な子で」
そう、なんだ? ニアは得意そうだけど……頭がこんがらがる前にニアの背にそっと手を添える。
「なにか話があるようだから、行っておいで。俺はここにいるから」
「ごめんねー! すぐに済むから」
そう言って、なつはニアの手を引いて向こうへ行った。
行ったけど──覚えているだろうか? ここはめちゃくちゃ狭い。だから、向こうといっても実際はすぐそこ。なので、俺はせめてもの気遣いで後ろを向いた。
「あのね、あなた王子様のことは何れは諦めるんでしょう? だったらさぁ、あのアズゥなんとかはどうかな?」
「……えーっと……なつ? ごめんね、意味が分からないわ」
俺も分からん。というか、どっちも俺だ。
「えっ、分かんない? 王子様はやめて、あのアズゥ、アズナンと一緒になればって単純な話なんだけど……。王子様は勿論イケメンなんだろうけどさ、ほら、アズナンもかなりイケメンだよ? それにね、さっき、あなた……誰だっけ? あっ、ニアね。ニアは王子様が好きみたいって言ったらさぁ、自分が言われたわけでもないのに顔が真っ赤になっちゃって。ふふ、脈アリだと──ワッ! なに!?」
「もう! ちょっと黙って!!」
ハハッ、ついに名前が『アズナン』になったぞ…………って……はっ!?
か、か、顔が真っ赤になっていたのか!? は、恥ずかしい!
今更遅いのは分かっているが、耳を塞ぎながら足元をコツコツ叩く。
もう一階下に部屋はないかな?
「やだぁ! なになに? ニアも真っ赤になっちゃって、かっわいい〜!」
ああぁ……かわいい顔、俺も見たい! って、ダメだ。耳を塞いだってこれだけ狭ければ丸聞こえなわけで……。聞いているこっちのほうが恥ずかしい。
「いい加減にして! あなたは私でしょう? どうして、王子様が──レオンのことが分からないの!」
「どうしてって……本物の王子様なんて見たことないもん、分かんないよ。そんなことより、アズナンは性格もいいんだよ? 私バツイチだって言ったのに、彼なんて言ったと思う?『君たちは二人で一人なんだから離れていちゃダメだ』って。私をニアの元に連れて行ってくれようとしたんだよ? すごくない?」
なつの言葉に、サーフィニアはカァァーっと熱くなっていた体が急激に冷えていくのを感じた。
初めは、自分であるはずのなつが、どうしてアズナイルが王子様であることに気づかないのかと不思議に思っていたけれど……。
『本物の王子様なんて見たことない』と言われて、なんとなくだが、アズナイルのことを知らない前世の記憶と、無理に閉じ込めた恋心が心の奥底で混ざり合い、なつ寄りの別の人格が創り出されたのではないかと思った。
そしてその、サーフィニアでもなつでもない新しい人格もまた──『アズナン』と呼ぶその人こそが王子様なのだと分からないままに──彼を求めている。
一緒にいたいと。
けれど……《バツイチ》って、言っちゃったの!?
一緒にいたいなら隠し事はダメだけど……ええぇー、待って、待って!
サーフィニアはなつの手を引き寄せると耳元に手を添えて、できるだけ小さな声でささやきかけた。
「ね、ねぇ、バ、バツイチって言っちゃったの?」
「うん、言ったよ。だけど大丈夫だって! 全然気にしてなかったよ?」
「そ、それはっ、バツイチの意味を知らないからよ!」「知ってるよ」
後ろから聞こえた声に、サーフィニアの背中が凍りつく。
知ってる!?……って……あぁ、そういうことなのね。知っているのに全然気にしていなかったというのなら、それはもう、初めから私のことなんてなんとも……。
「ニア!」
ショックのあまり倒れそうになったサーフィニアを、アズナイルは後ろから抱きとめた。
「ニア! しっかりして! 気分が悪いのなら、一旦セバスチャンのところに戻ろう? なつはまた後で」「もういいの。レオン……一人で帰って。私のことなんか、もう放って」「ニア!! それ以上言ったら怒るよ」
大きな声で名前を呼ばれた瞬間、アズナイルに触れられている部分がカァァーっと熱を持って、驚いたサーフィニアが振り返って見上げると、シアン色の瞳の中に、チラチラと紅い炎が揺れているのが見えた。
「ごめん。熱かった?……だけどニアが──分かった。ニアがここに残るというのなら、俺も残る」
「なっ!……にを言ってるの? レオンは戻らなくっちゃ、この国の王子様なんだよ? みんなが待ってる」
「たった一人の、何よりも大事な人ですら救うことができない俺に、王子を名乗る資格なんてない」
返す言葉もなく《一人で帰るつもりなど絶対にない》という強い意志のこもったシアンの瞳を見つめるサーフィニアの脳裏に、セバスの言葉が甦る。
『もしもお嬢様が身分を理由に殿下の友達でいることをやめると言ったなら……殿下はきっと、王籍を抜けると言い出すでしょう』
あっ……。
『アズナイル殿下は傍から見ていても、お嬢様の事を大切に想われているのが分かります』
「でも……でも、私はバツイチなのに……どうして? どうして、そんな……」
「どうしてそんな事を言うのかって? ニアだからだよ。ニアもなつも、俺にとってはたった一人の大事な、大事なニアだから。バツイチだろうが──例えば、ニアの前世は人間じゃなくてなにか別の生き物だったとしても、俺の気持ちが揺らぐことなど決してない」
「レオン……」
いつの間に体の向きを変えられていたのか──気づけば、正面から抱きしめられていた。
レオンのその言葉が本当にほんとなら、私も……。
まだ色んなことに自信が持てないサーフィニアだけれど、アズナイルの事を信じたくて、その背に腕を回そうと恐る恐る持ち上げていた手がピタリと止まる。
目の前で繰り広げられる甘いシーンに頬を染め、キラキラした瞳で二人を拝むように見つめているなつに気づいたからだ。
「あっ……あの! すっごくいい雰囲気のところごめんね。えっと、アズナンも王子様なの? アズナンはアズナンなのに、レオンって誰? 何がなんだか、訳が分からないんだけど!? ていうか、アズナン顔真っ赤だよ!」
訳が分からないと言いつつも、真横からじっくりと見つめられて気まずくなったアズナイルとサーフィニアは、ゆっくりと渋々、少しだけ距離をとった。
「あのね、なつ」アズナイルはコホンと咳払いをしてから、なつに向き直る。
「まず、俺の名前は『アズナン』じゃなくて《アズナイル》ね。で《レオン》というのは、ニアだけに呼ぶことを許している俺の愛称。ここまではいいかな?」
「はい……アズナ、イルとレオ──あっ! えっと、レ・ホニャラララは同一人物。ね?」
そう、だけど『レ・ホニャラララ』ってなんだ……。なつもニアなんだから、レオンって呼んでもいいのに。
「そう。それで、ニアがす──」
「ニアが好きみたいな王子様とは俺のこと」と言おうとして、口元を手で覆う。
……もしも、万が一にでも違っていたら、悲惨すぎて自分で魂を抜く自信がある。
そのままチラリとニアを見れば、真っ赤な顔をして俯いている……ということは、これもう確定!! なんじゃ……。
ヒャッホ〜イ! と飛び跳ねそうになった足が現実に引っ張られる。
「す?」
「ああ、えっと……間違えた。ニアのいう王子様というのも俺のことだよ」
《多》が少なめの《分》だけどね。
「ちょっと待ってね。……じゃあ、アズナンはアズナイルでレ・ホニャラァで、ニアが好きみたいな王子様っていうのも、あなたのことなのね? なぁ〜んだ、そういうことかぁ、だからあの時、顔を真っ赤に──って……えええーっ!?」
なつの黒曜石みたいにきれいで大きな瞳が、こぼれ落ちんばかりに見開かれて……次の瞬間、ズザッと後ずさった──すぐそこに。
サーフィニアはというと──とうとう座り込んでしまい、小さな手で必死に真っ赤な顔を隠そうとしているが、隠しきれていない上に、耳までもがこれ以上はないほどまでに赤く染まっている。
狭い部屋の中には、やらかしに気づいた青い顔のなつ、恥ずかしすぎて赤い顔のサーフィニア、真っ赤、真っ赤と言われすぎて、最早白い顔になったアズナイルの三人。三人でどこかの国の国旗として仮装大賞に出られそうだ。
「わ、私知らなくて……悪気はなかったんだけど、ごめんなさい!……あ、あの、ちょっと待っててね? どうやったら消えられるかを色々試して、」
「ダメだよ、なつ。消えるなんてダメだ。言っただろう? 君たちは二人で一人なんだって」
アズナイルは、自ら消えると言い出したなつの引き止めにかかった。
なつが消えたら、サーフィニアの心の中半分が空っぽになるような気がしたから。
「そうよ、消えるなんて言わないで。元の世界にも楽しい思い出はたくさんあるけど……戻りたいとは思わない。だけど、懐かしむこともできなくなるのは淋しいわ。レオンが許してくれるなら、なつも含めて、ありのままの自分でいたい」
当たって砕けろじゃないけれど、本当にどうにもならない状況に陥るまで、アズナイルのことを諦めずに、素直な気持ちで頑張ってみようと思ったサーフィニアがこう言えば。
「許すも何も、俺にはどんなニアでも受け入れる自信がある──というか、ニアじゃなければダメなんだ。なつを含めた現世のニアも、まだ見ぬ来世のニアも、その先も。ずっとずっとニアだけがいい。残念ながら、なつであった頃のニアは知らないけれど……それは俺に記憶がないだけで、もしかしたら、いつもそばにいたのかも知れないだろう? 何故だかわからないけど、そんな気がするんだ」
と、出会った当初から恋愛脳の──それ以外も──全てがサーフィニア一色に染まりきっているアズナイルがこう返す。
で、そんな二人を間近で見ていたなつは──ゆでダコみたいに真っ赤になって、激しく降り積もる砂糖の中から、なんとか顔だけを出している状態になっていた。
た、助けて……う、埋もれて消えちゃうー!
◇◇◇
砂糖の山から引っ張り出されたなつ、何もかも吹っ切ったように晴れやかな表情のサーフィニア、繋がった想いに──三王子の中でも特に眉目秀麗だと、人気の高い第三王子の面影など欠片も見当たらないほどに──でろっでろに蕩けきった表情でサーフィニアのことを見つめているアズナイルの三人は、輪になって手を繋いでいた。眠りの底から目覚めるために。
「さあ、帰ろう。みんなが待ってる」
アズナイルがそう言えば、サーフィニアとなつはコクリと頷く。
「俺たちは」「「私たちは」」
「「「これからも、ずっと、ずーっと一緒。この手は絶対に離さない!」」」
息を揃えて繋いだ手を振り上げれば、狭い部屋の壁はあっという間に取り払われて、三人はゆっくりと上へ上へとのぼっていく。
その途中で……なつは美しい花のように鮮やかに微笑むと
──〈ありがとう〉──
口の形だけでそう告げて……サーフィニアの内側へと静かに溶け込んでいった。




