71・王族の証
アズナイルがサーフィニアから離れたのを感じたセバスは、一時避難していた意識の縁から姿を現すと《アズナイルではない何か》を頼りにサーフィニアの元へと向かった。
◇◇◇
セバスが辿り着いたその場所では、サーフィニアが座り込んでシクシクと泣いている。
「お嬢様、どうなさいました? アズナイル殿下はどちらへ?」
問いながら、すぐ横に片膝をついて優しく背中を撫でれば、サーフィニアは立てたセバスの膝に両手を載せ、更にその上に額を置いて涙を零す。
「レオン、も、帰って来ない……。私、嫌われ……レオンに、嫌われ……」
ワァーンワァーンと大きな声で泣き出したサーフィニアをセバスは膝の上で抱きかかえると、撫でていた手を止めて、今度は落ち着かせるようにトン、トンと優しく優しく背をたたく。
どれくらいそうしていただろうか。まだ、グスッ、グスッと鼻をすすっているが、漸く落ち着いてきたらしいサーフィニアを、セバスは向き合うように抱えなおした。
「何があったのか、私に聞かせてもらえませんか」
自分と同じ白金の髪に手のひらを滑らせながら問いかけると、サーフィニアは瞳を閉じたまま一度大きく深呼吸をしてからセバスと視線を合わせたが、その瞳には深い悲しみの色しか浮かんでいない。
何度言っても約束しても、毎回サーフィニアを泣かせているアズナイルの事をセバスは心の中でめった打ちにした。当然それだけでは腹の虫が収まらないので、どこにいるのか分からないが、戻ってきて、サーフィニアの意識も戻ったら、特訓と称して足腰が立たなくなるまで叩きのめしてやると心に誓う。
「ふぅー……あのね。レオンは私が隠していたあの子の声に気づいてしまったの。それで、行っちゃダメだって言ったんだけど……」
「あの子というのは……もしかして、お嬢様の前世の?」
「うん、そう」
あいつはお嬢様の声が聞こえると言っていたが、まさか心の奥底に隠された声まで拾ってしまえるなんて考えてもみなかった。
セバスがアズナイルの首を絞めたのは、彼が危機に陥れば必ずサーフィニアが現れると思ったことが半分。あとの半分は、自分には聞こえない声がアズナイルには聞こえたことに少なからずショックを受けていたのと、ちょっとした嫉妬からだったのだが……。
あいつをいじめたと、お嬢様に恨まれるのはごめんだと思ってあの場を離れたが……失敗だったな。
セバスが今更遅い反省している間にもサーフィニアは話を続ける。
「あの子の話を聞いたら……レオンはきっと、私のことを嫌いになる。もう、友達でもいられない」
サーフィニアの声が再び涙混じりになったのに気づいたセバスは慌てて思考を中断したが、薄っすらと涙を浮かべながらもサーフィニアは笑っていた。
「でも、仕方ないよね。身分差がありすぎるのに、今まで友達でいてくれたことだけでも感謝しなきゃ。レオンがいなくなっても、私にはベルやライラ……クラリスがいるから、大丈夫!……だから、これはセバスチャンからレオンに返しておいてくれる?」
かける言葉を探しつつ、こちらに伸ばされた小さな手から渡された物を受け取る。
はっ、なっ! 指輪!? あいつ、一体どういうつもりでこんな物を! とイラッとしながら手のひらの上でそれを転がしたセバスは驚愕した。
なんの決着もつかない内に、自分たちの知らないところで勝手に指輪なんかを贈っていたのかと、怒りのあまり握り潰しそうになったそれは、王族の証である指輪だったからだ。
そうか、あいつの気配はお嬢様から離れたはずなのに、それでも薄っすらと感じる何かを頼りにここまで来たのだが……これだったのか。
だけどなぜ……
「お嬢様、どうしてこれをお嬢様が?」
「どうしてって……。レオンが、戻ってくるまで自分の手の代わりに持っててくれって──命の次に大切なものらしいから失くさないでね?」
はぁ? アホか、あいつは! これが命の次だと! ハァァ……。
「お嬢様……これはある意味、命よりも大切なものですよ? もしも戦争が起こってアズナイル殿下が捕らえられたとしても、これを身に着けていれば敵国は交渉もなしに殿下の首をはねることは許されません。この《王族の証》である指輪は、それほどの効力があるものなんです。こんなふうに誰かに預けるなんて、命を捨てたも同然な」「そんなっ!!」
サーフィニアは真っ青になってガタガタと震えだす。
「そんな……そんなの嘘よ! だって! だって……三番目に大切なものだって言ってたもん! そんな、王族の指輪だなんて、聞いてない!」
三番目? 命の次なのに三番目とは……。ハァァ、あのバカ王子め!
「それはおかしいですね? 命の次なのに三番目とは。では、アズナイル殿下にとって一番大切なものとは、一体何なのでしょうか」
「……知らない」
そっぽを向いて答えたりしたらバレバレなのに、サーフィニアは心の中で言い訳をする。
だって、本当に一番大切な《もの》は何か知らないもん!
い、一番大事な《人》なら……。
青い顔のまま薄っすらと頬を染め、アワアワと泡を吹いて倒れそうになっている姿を見たセバスは、こめかみを押さえてため息をつきたくなるのをグッとこらえる。
猛特訓だ! 猛特訓! 最低でも三日は動けなくしてやる!
聞かなくてもわかりきっていたことを、わざわざ聞いてしまった自分に呆れつつ、やはり嘆き悲しんでいる顔より、幸せそうに笑っている顔を──できればこの先もずっと見ていたいと思ったセバスは、
お前の為じゃないからな? 断じて、お前の為じゃないからな?
と口の中だけで唱えると、自分は片膝をついたまま、サーフィニアを立たせた。
「お嬢様、お嬢様は先ほど『身分差がありすぎる』とおっしゃいましたが、もしもお嬢様が身分を理由に、殿下の友達でいることすらもやめると言ったなら……殿下はきっと、王籍を抜けると言い出すでしょう」
「まさか! いくらなんでもそんなことは、」
「あるんです。アズナイル殿下は傍から見ていても〈腹が立つほど鬱陶しいくらいに〉お嬢様の事を大切に想われているのが分かります」
黙って下を向いてしまったサーフィニアの小さな頭を撫でる。
「もう忘れてしまいましたか? ボロボロになって倒れていた殿下を」
「あっ……」
見る間に溢れてきた涙をセバスは指で優しく拭う。
「王族が臣下を、民を守るのは当たり前のことですが、守るためには己の身も心も健全であり続けなければなりません。ですから、普通あそこまではしないと思いますよ? なんとも思っていない、ただの友達には。ましてや、こんなに大事な指輪を誰かに預けるなんて本当に考えられないというか、本来あってはいけないことなのですよ。ですからこれは、お嬢様が責任を持って殿下に返してくださいね」
セバスの言葉に、あとからあとから溢れ出てくる涙を自分の手のひらで何度も何度も払ってから顔を上げたサーフィニアの瞳には、迷い無き光が宿っていた。
「わたし行ってくる。レオンは待っててって──信じて待っててって言ったけど、行ってくる! セバスチャン、大好き! ありがとう!」
パァァァっと光り輝く眩しい笑顔──しかし、今回はそれだけではない。
サーフィニアは、まるで夜空を駆けるハーレー彗星のように力強く全身を煌めかせると、美しい残像を残しながらアズナイルの元へと一直線に消えて行った。
やはりお嬢様には輝く笑顔がよく似合う。あの笑顔を守るためなら、多少気に入らない相手でも我慢──認めるしかありませんね。
それに……思いがけず『大好き』がいただけましたから、猛特訓は二日に減らしてあげるとしましょうか。
ゼロにしないところがセバスらしいが、まさかこれが減るどころか、更に増えることになろうとは……さしものセバスも想像だにしていなかった。
◇◇◇
前世の秘密や本当の気持ちを閉じ込めた深層にたどり着く前に、アズナイルの僅かな魔力を感じたサーフィニアの勢いは急に弱くなる。
どうしよう……やっぱり怖い。もしも目を合わせてくれなかったら? ううん、もしかしたら、素通りして──
「ニア!!」
アズナイルの自分を呼ぶ大きな声に、胸元をギュッと握りしめて下を向いた。
怖い、怖い……怒ってるの? 前世の記憶があることを知ってしまったから?
それとも……。
「ニア! ああ、よかった! いま迎えに行くところだったんだけど──大丈夫? 気分悪い?」
一切の躊躇いもなく繋がれた温かな手と、心配そうに顔を覗き込む気配。
それだけで不安な気持ちは薄くなっていくけれど、まだ顔をあげられない。
「……どうして? あの子と話したんでしょう? なのに……」
「そうだよ、あの子ってなつのことだろう?」
《なつ》と聞いて弾かれたように顔を上げたサーフィニアの瞳に映ったのは、感じた通りに、心配そうな顔をして慎重にこちらの様子をうかがっているアズナイル。
その表情を見て、溢れ出そうになる涙を瞬きで散らしたサーフィニアは、アズナイルの首元にしがみついた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「ニア? どうして謝るの? 謝らなきゃいけないのは俺の方だよ。ここまでなつを連れてくることができなかったんだ。……ごめん」
ふるふると揺れる小さな頭を優しく撫でながら考える。
隠しておきたかった秘密を俺に知られて、ニアは不安に怯えていたのだろうか。
もしかして、俺に嫌われるとでも思った? だから謝ったの?
俺に嫌われたくなかったから『行かないで』って、そう言ったの?
都合の良すぎる考えなのは分かっているけど、そう思ってしまったら、腕の中の温もりがこれまで以上に愛しくて愛しくて……今すぐに想いを伝えたい、今すぐにニアの心を手に入れたいと願ってしまう。
だけど、まだダメだ。ニアとなつが完全に一つのニアになるまで、待たなければ。
「ニア、行こう? なつが待ってる。なつを救えるのはニアだけだし、ニアを救えるのもなつだけだ。俺は……二人が仲良く手を繋ぐ姿が見たいよ?」
首にしがみついたまま、うんうんと頷くニアをギュッと抱きしめると、ニアの心の深層に向かって、二人でゆっくりと沈み始めたのを感じた。




