65・いたずら好きの王妃様
子爵が営むドイル商会は、王家──王妃様御用達でもあるが、珍しい物が手に入ると、極稀に王都の支店ではなくドイル領にある本店の方へ直接訪れる貴人もいたりするので、本店と邸には貴賓室を設けている。
その一つ、ドイル邸の貴賓室では、たまたま王都から戻っていた子爵が、いきなり門前に現れたVIP二名を驚きながらも丁重にもてなしていた。
「ライアン、急にお邪魔して悪いわね」
「とんでもないことでございます、王妃様。今朝、たまたま王都から戻ったところだったのですが、偶然にもお迎えすることができて光栄です。アズナイル殿下もようこそお越しくださいました」
とライアンは返しながらも、胸中では〈ハテ?〉と首を傾げていた。
ヴィクトリアはこれまでにも幾度かドイル領を訪れているが、レオナルドや息子たちを連れてきたことは一度もなかったので、彼女がアズナイルを伴ってやって来たことの意図がすぐにはつかめなかったのだ。
アズナイル殿下の誕生日は先月過ぎたばかりだし、学院への進学は一年も先のことだろう? 近々王宮で執り行われる祭事もないし……。
と思考を巡らせていると、あっ! と思い出したことがあった。
そういえば、ローゼンシュタイン侯爵家のクラリス様がアズナイル殿下の正式な婚約者に決まったと、ライラが言っていたな。
ということは、クラリス様に贈られる宝飾品──指輪、だろうか?
いや、待てよ。この件については、まだ王家から正式な発表はされていないから、この線で話を進めるのは危険だ。
そう考えたライアンは、アズナイルとクラリスのことは頭の片隅に留めるだけにして、ヴィクトリアに的を絞った。
幸いにも、つい先程、西の国オルベで買い付けた品が届いたばかりだ。
今回はかなりの量を買い付けたので、ライアンも検品に立ち会うために帰ってきていたのだが──ヴィクトリアが本当は何を求めてやって来たのかは分からない。
それでも、仕入れた物の中からヴィクトリアの好みそうな物を頭に思い浮かべながら、ライアンは飲みかけのティーカップをテーブルに戻した。
「ところで、王妃様、本日はどのような品をお求めでいらしたのでしょうか? 実はオルベからたくさんの商品が届いたばかりでして、今なら装飾品から調度品に至るまで、王妃様のお好みに合う品物も多分にご覧になっていただけるものと存じます」
いつも穏やかな笑みを絶やさずに、物腰やわらかく接客するライアンはヴィクトリアのお気に入りだ。
相手は王族だからと人の好みも考えず、無闇矢鱈に高額の品ばかりを押し売ろうとしてくる輩とは比ぶべくもない。
のだけれども……。いたずら好きのヴィクトリアは「まあ!」と瞳を輝かせつつ──長い付き合いだからこそ分かる、ライアンのほんの些細な表情の変化から、彼が考えつきそうなことを敏感に察していて──早くも吹き出しそうになっていた。
一方で、ヴィクトリアの隣に座っているアズナイルはずっとイライラしている。
話が違うじゃないか!
ドイル領についた時『ライアンの邸で馬車と護衛を借りたら、すぐにプラントに行きましょう』と言っていたヴィクトリアは、不在だと思っていた子爵本人が迎えに出てきた途端、進路を変更したのだ。
勿論すぐに、話が違うと抗議したが『お見舞いに行くのに、手ぶらでは行けないでしょう?』と言われたら、それもそうかと思った、のが間違いだった。
ドイル商会本店ではなく、邸に案内させた時点でおかしいとは思っていたのだが。
「そう、オルベから。ふふふ、わたくし達はいいところに来たみたいね? まずは、そうねぇ……日持ちのする珍しいお菓子はあるかしら?」
ん? お菓子?
──仕入れた商品を頭の中で展開していたライアンは『お菓子』と聞いて不思議に思った。思考の鏡の中には最早ヴィクトリアの姿しか写っていなかったし、わざわざ本店まで足を運んでおきながら、まさかお菓子を買いに来たなんて、ライアンでなくとも誰も思いつかないだろう──
何ゆえ──ハッ! やはりクラリス様への贈り物を求めていらしたのだな!? 宝飾品だけを贈るのでは味気ないから、手土産も兼ねて甘い物も添えるつもりなのだ、きっと。
考えを素早くまとめたライアンは、ヴィクトリアの希望にピッタリの焼き菓子があったこともすぐに思い出した。
「はい、勿論でございます。オルベでも発売されたばかりの新商品なのですが、なんとひと月も常温で保存できるそうですよ。小さなパウンドケーキのようなものが五つとクッキーが五枚のセットになっております」
「あら素敵! ではそれを五箱いただこうかしら。それから、十二、三歳用のドレスを最低でも二枚。なければ一枚でもいいわ」
ほら! やはりクラリス──
「お隣だからサイズは分かるでしょう? サーフィニアちゃんの」
……。えっ? サーフィニアちゃん、の?
「あっ、はい、勿論でございます。よくお買い求めいただいておりますので」
とにこやかに答えつつも、ライアンの頭は右に傾いている。
ヴィクトリアはその様子を、手にした扇子を握りしめながら耐え忍び、次なるいたずら爆弾を投下した。
「あっ、そうそう、ドレスの色が重要なの。色はシアンでなければ意味がないのよ。アクセントに黒が少し入っていたら最高だわ──いえ、アメジストの方がいいかしら? アズナイルどう思う?」
ライアンには気づかれないようにむくれていたアズナイルは、いきなり話を振ってきたヴィクトリアを思わずジロリと睨んでしまいそうになる。
『どう思う』って……ドレスのことを俺に聞かれても。
大体、そんなことより早くプラントに行きたいんだよ!
イラついているのが分からないのだろうか?
とますます不機嫌になるアズナイルだったが、無意識のうちにシアン色のドレスを纏ったサーフィニアの姿を想像すると、途端に機嫌が良くなった。
うん、まあそうだな。シアン色はいい、俺の色だから。でも黒はなぁ、ニアも黒髪──あっ、白金の髪はどうなったのだろう? そのままってことはないよな。いつも一瞬だけだったし──。
などと考えていたら、横から扇子で突かれた。
……行儀が悪いですよ、母上。
えーっと、もう一つはアメジストか、これはニアの色だ。
シアンとアメジスト……俺の色の中にニアの色が……。
「アメジストですね。断然アメジストです。それより他は考えられません」
「うふ、そうだと思ったわ。ああでもね、そんなに都合のいいドレスはないかも知れないから、指輪──はまだサイズがあれだから、何か青と紫色の石の付いた宝飾品も一つ選んでおきましょう。アメジストと……サファイアならあなたの誕生石でもあるし、ブルーサファイアとかどうかしら?」
「最高ですね! そうしましょう」
親子の間でどんどん話は進んでいくが、ライアンの傾いた頭はそろそろ右肩にくっつきそうになっている。
「ということで。ライアン、あなたのお薦めを何点か見せてもらえる?」
「は──あ、の。一つ確認させていただきたいのですが、贈る相手はサーフィニア嬢なのですよね? ドレスは問題ないと存じますが、宝飾品にアズナイル殿下の色を取り入れるのは……その……」
いくら王妃様からの提案と言えども、それは不味いのではないだろうか?
ウチの娘もそうだが、クラリス様とサーフィニアちゃんは毎日お茶会を楽しむほど仲がいい。火種になりかねない品を私がすすめたなんてライラが知ったら──
「プッ!」
突然聞こえた小さな破裂音に視線を向ければ、扇子で顔を隠した王妃様の肩がプルプルと震えている。
どうしたのだろう?
「王妃様、いかがなさいましたか」
「ごっ、プッ、ごめんなさいね。あなたが、クフッ、すごく……ククッ、悩んでいるから、お、おかしくて!」
ついにアハハハハーっと笑いだしたヴィクトリアに、ライアンはぽか〜んとした表情を彼女にではなくアズナイルに向けた。
そのアズナイルはといえば──眉間を押さえて俯いている。
出た……母上の悪い癖。ハァ……。
「ライアン殿、申し訳ありません。あまり時間がないのでこの人は放って置いて、宝飾品を見せてもらえませんか」
「まあ! ヒドいじゃないアズナイル、のけ者にしないで頂戴」
まだ少し肩を揺らしているヴィクトリアをアズナイルが今度こそジロリと睨むと、扇子の影で小さくペロッと舌を出して見せてから、それを畳んだ。
「コホン……。あのね、ライアン。ここだけの話にしてほしいのだけれど──」
「母上! 何を話すつもりですか」
《何を》なんて分かってはいるけれど、まだまだ誰かに話す段階ではない。
事を急いては、上手くいくはずのものも壊れてしまうかも知れないのだ。
が、ヴィクトリアは神経と目尻をとがらせているアズナイルに対して、分かっているから大丈夫だというように頷いてみせた。
「ドイル商会が王都でも指折りのお店に数えられているのは、わたくしのお気に入りだからというだけではないのよ? ライアンは誰よりも信頼のおける店主だからなの。ほんの少しでもお客様の情報を漏らしたりなんかしたら、即刻商売が立ち行かなくなってしまうこともちゃ〜んと分かっているわ。ね、ライアン?」
言われるまでもなく、俺だってそれくらいの事はよく分かっているつもりだ。
ですが、母上、いけません。最後のは明らかに脅しですよね?
とアズナイルが心配しなくても、口の堅さなら誰にも負けない自信のあるライアンは「勿論でございます」と即答したものの、ヴィクトリアから改めて念を押されると『ここだけの話』というものは、なんとなく聞きたくないような気持ちになってくる。嫌な予感しかしない。
あぁ、確認なんて取ろうとしなければよかった。
あの時点で王妃様の罠にハマっていたのだと、今なら分かるけれど……。
よし。ここは素直に、意見しようとしたことを謝って、さっさとドレスと──
「あのね? 近々サーフィニアちゃんをアズナイルの正式な婚約者に迎えるつもりなの。それでね、今回はお見舞いが一番の目的なんだけど、せっかく来たのだから打診だけはしておこうと思っているのよ」
「母上〜、やめてください。お見舞いがてらに婚約の打診だなんて……まあ、具合を見て調子が良さそうであれば、なくはない話ですけど」
目尻を尖らせていたはずのアズナイルだったが、王妃ヴィクトリアがサーフィニアを『正式な婚約者に迎えるつもり』と言ったなら、それはもう《つもり》ではなく決まったも同然のことなので、ついつい顔がほころんでしまう。
《誰かに話す段階ではない》と思ったことも、今となってはもうどうでもいい。
いざという時には、その場に居合わせた唯一の証人として『誰よりも信頼のおけるライアン』を呼ぶこともできる。アズナイルにとっては完璧なシチュエーションだ。
だがしかし、勝手に証人扱いされても困るのは、いたずら狼ヴィクトリアの罠に、うっかり引っかかってしまった哀れな子羊ライアン・ドイル。
だから待ってって! 私は聞きたくなかったんですよ!
サーフィニアちゃんをアズナイル殿下のこん──はっ? 正式な、婚約者!?
えっ? 今いる婚約者候補たちは──いやいや、ローゼンシュタイン嬢が正式な婚約者に決まったんじゃなかったのか!?
アズナイル殿下まで、何をそんなに嬉しそうに!…………えっ、本気ですか?
えっ、身分は? え、えぇーっ!?
すっかりパニックに陥っているライアンを楽しそうに見ている人の悪いヴィクトリアは、最後にトップシークレット爆弾を落とす。
「そうね、お見舞いのついでだなんてあまりにも失礼だわ。せめて、レオナルドに話してからにしましょうか。だから、これはまだ三人だけの秘密、ね?」
形の良い唇の前で人差し指を立てたヴィクトリアからパチリとウインクをされたライアンは、すでに真っ白な霧の中を彷徨う迷子の子羊になっていた。
国王さえも知らない──承諾していない話を聞かされたのだ。無理もない。
しかも、例え国王がどんなに反対しようとも、王妃は決めたことは必ずやり遂げるということも知っている。
ああ、もうダメだ。国王陛下よりも先に重大な秘密を知ってしまったなんてバレたら……そうだ! ここで倒れてテーブルに頭でもぶつければ、秘密を聞く前の状態に戻れるのではないだろうか? ちょっとした記憶喪失というやつだ!
とうとう、そんなことまで考え出す始末。
どこで倒れればうまくいくだろうかと立ち位置を探り始めた時、ライアンを正気に戻してくれそうなノックの音が響いた。
「旦那様、ルーカス・スコルピー様とお連れの方がお見えになりました。お通ししてもよろしいでしょうか」
執事の声と、頼りになりそうなルーカスの名前を聞いて──ただの大怪我をする前に──現実に引き戻されたライアンは、なんとかいつもの自分を取り戻し、ヴィクトリアとアズナイルに確認をとってから、ルーカスとお連れの方を招き入れた。




