62・親しき仲にも
ルーカスから術がかけられていると言われた手紙を、エルトナは氷漬けにしてみたり、火で軽く炙ったりしてみたが、文字が浮き出てくることはなかった。
「ハァ。セバスチャンには随分鍛えられたと思っていたが、まだまだだったか。まあそれはいいとして、手紙にはなんて──いや、何があったのかが先だな」
エルトナから戻された自分以外は誰も読むことのできない手紙を、内ポケットに仕舞いながらアズナイルは考える。
何があったのか、なんて俺のほうが聞きたい。あの時、ニアの瞳は閉じられていたけれど意識はあったと思う。怪我もないと言っていたのに『未だ目覚めぬ』って、どういうことだ? まさか、あいつに心を持っていかれたんじゃないだろうな!
思い出しただけでメラメラと怒りが湧き上がってきたアズナイルは、自分が炎に包まれていることに気づいていない。
それを片眉を上げて面白そうな顔で見ているルーカスがいる一方で、側近たちの反応はまちまちだ。
(あれは見間違いじゃなかったんだな。熱くないのか? お前燃えてるぞ?)
(なななななに!? ででで殿下が火だるまに! ままさか、ノリスがやったんじゃないよね!?)
(……ふざけないでください)
これは、クルスに放った言葉ではない。怒りの矛先はアズナイルだ。
「殿下。殿下は私達を首にしたいのですか? そんなに私達は役立たずですか」
静かな怒りをはらんだノリスの声に、アズナイルは首を傾げる。
「いきなりなんだ? 首になどしないし、役に立たないなど思ったこともないぞ」
「信じられませんね。エルトナの氷だけでは飽き足らず、今度は私の火まで。次はノリスの土ですか」
「ええっ!? ちょっ、ちょっと、やめてよ! ぼ、僕はあれしか取り柄がないんだから、奪わないで!」
いや、クルス。あれだけってことはないと思うがな? それはさておき……。
「すまない。話が全然見えないのだが」
ノリスが怒っている理由が分からない。エルトナの氷もノリスの火も、魔法の属性のことを言っているのだろうが、首とか役立たずとか──誰かに言われたのだろうか?
そんな困惑顔のアズナイルにエルトナは呆れている。
頭の中はサーフィニア嬢のことだけで一杯なのは分かるけどな? それにしても全く気づいていないとか……ヤバすぎるだろう。
「だからな、お前燃えてるぞ?」
「はぁ? 何を言って──うわっ! 何だこれ!?」
エルトナに言われて視線を下げたアズナイルが驚きに目を見開いた瞬間、全身を包んでいた炎はスゥーっと消えて……思わず、信じられないといった表情をノリスに向けてしまった。怒ったノリスに火魔法を放たれたと思ったのだ。
王族に向けて魔法を放ったりしたら即刻断罪。ありえないことだと分かっていても、普段の精神状態ではないアズナイルがそう思ってしまうのも無理はない。
しかも、ほぼすべての意識がサーフィニアのことで締められている今、自身が火魔法を使えるようになっていることになど全く気づいていないのだから。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔でこっちを見ているアズナイルに、ノリスは心の底から深いため息を吐く。
ハァ……。無自覚、なんですね? 一体何をどうやったら、そんなに簡単に属性魔法を増やすことができるのでしょうか……。もう考えるのも疲れてきましたが、だからといって、疑われたのは心外ですよ? 貸し一につけておきますからね。
頭の片隅にメモを取りながら、本当に今日はもう何も考えたくないと思ったノリスだったが、やっぱりついつい考えてしまう。
思い返せば初めて氷魔法を放ったときも、当の本人が一番驚いていた。
あのときと同じで突然使えるようになった火魔法、何の前触れもなく消えるように王都を去ったプラント一家、収まる気配を見せない未だかつてない激しい雷雨。
そして──昨日までは(例の件に関すること以外)特に変わった様子もなかったのに、一晩のうちに一人では立つこともままならなくなっていたアズナイル。
腑に落ちないことばかりだが、それらは一見なんの繋がりもないようでいて、すべてが繋がっているようにも思える。
恐らく黙って去っていったサーフィニア嬢の元に一刻も早く駆けつけたいと思っているのでしょうが、とにかく情報を共有するのが先決です。
「殿下、先程も申し上げましたが、何があったのか私達にもお聞かせください。エルトナも言っていたように、サーフィニア嬢の居場所さえ分かっていればいいというものでもないような気がします。幸い、この国で最も安全なプラント領にいることが分かったのですから、話し合いの場を設ける時間くらい十分にあるのでは?」
「そんな時間は取れない──と言ったら?」
「今後一切、私が持ち得た情報をお渡しすることはできませんね」
……こいつ。主に向かって取引を持ちかけるとは何事だ?
でもまあそうだな。下手に動いたら、今度こそ取り返しのつかないことになるかも知れない。
「分かった。それでも、そんなに多くの時間はかけられない。手短に話すぞ」
「ふぉ〜い、まちぇまちぇ。まじゅはわひからやろう?」
急にいなくなったと思っていたら、山盛りのサンドイッチの一つを口いっぱいに頬張りながら戻ってきたルーカスに、真っ先に飛びついたのはエルトナだったが、次の瞬間には透明な膜に包まれてプカプカと宙に浮かんでいた。
「これは、わしとアズ坊の分じゃ。お前達も食べたいのなら自分で取ってくるんじゃな!」
報告も話し合いも一向に先に進まないので思わずルーカスの話を遮ってしまったが、それがよほど癪に障ったらしい。邪険にしたわけではないのだが、今の状態では何を言っても言い訳にしか聞こえないだろうと思ったノリスは、アズナイルに断りを入れてから、自分たちのランチを運んでもらうように頼むため部屋を出ていった。
◇◇◇
食べながらする話ではないのは分かっているが、時間が惜しいアズナイルはそんなことに構っていられない。
ノリスもそうだ。ノリスは降り止まない雷雨がずっと気になっている。
レオナルドから言われたことを思い出して反省したエルトナも、ルーカスにきちんと謝って席についたところで、漸く報告会が始まった。
「昨夜、みんながすっかり寝入っておった頃じゃ──」
ルーカスは、プラント邸の結界が破られて何者かが侵入してきたこと、その者は強大な力を持っていて自分たちではどうすることもできずに、サーフィニアが攫われてしまったこと。そして追いかけた先が王宮であったことを話した。
ルーカス、セバス、アズナイルの三人は《その者》が誰であるかはもう見当はついているけれど、今はまだ話すべきではないと考えて敢えて伏せたが、ルーカスはともかく、あのセバスの力が及ばずにサーフィニアが攫われてしまったと聞いただけで、側近たちの食事をとる手は完全に止まってしまっている。
どうしてあんなにもアズナイルが取り乱していたのかを理解した三人は、昨夜それぞれの邸に帰ってしまったことを後悔した。
アズナイルが参っているのはわかりきっていたから、仕事の後そのまま王宮に泊まろうかという話も出たのだけれど、みんなも気苦労の絶えなかった一週間に疲れ果てていて、結局は家でゆっくり休むことのしたのだ。逆にその方がアズナイルもゆっくりできるかもしれないと思って。
だけど、こんな事になるくらいなら──。
一人で立つこともままならなくなっていたのは、恐らくその者と対峙したからなのだろう。
セバスとルーカスをあてにできないのならアズナイルがやるしかないのだが、王宮騎士が動いた気配もなく、騒ぎにもなっていないということは、そのあたりのことはセバスがどうにかしたのだろうということは容易に想像がついた。
ある意味これも、サーフィニアを守るためには必要なことだということも分かっている。
それでも、実質戦ったのはアズナイルただ一人だ。孤軍奮闘で大切なサーフィニアを取り戻すために相当な無理をして、寝込んでしまったところに再び彼女が『売られた』なんて聞いたら……。
側近たちの後悔に満ちた苦しそうな表情を見たアズナイルは、このあとに起こったもっと恐ろしい話を聞かせてもいいものか悩んだが、時間は刻一刻と過ぎていく。
早くプラントに、ニアの元に駆けつけたいのに!
よし、さら〜っといくか。
「王宮と言ってもニアが現れたのは俺の寝室なんだ。寝衣姿のニアが急に目の前に現れたと思ったら…………ギュッと抱きついてきて『愛してる』なんて言われてみろ、もう抱きしめ返すよりほかはないだろう? いい匂いはするし、温かいし柔らかいし、そりゃあもうギュウギュウに」「おい。俺たちの後悔を今すぐ返せ」
あっ、マズい……。つい夢のような時間の方に気がいってしまった。
確かに『愛してる』は幻みたいなものだったけど、ニアの甘い匂いと温かさと──
「そうか、分かった。時間はかけられないと言ったくせに、俺たちに喧嘩を売る暇はあるんだな?」
クルスはパチパチと目を瞬かせているが、エルトナとノリスの目は三角形につり上がっている。
いや、ノリスは分かるけどな? お前はさっき、べったりイチャイチャしていたじゃないか! おい、今すぐ剣から手を離せ!
逆ギレしたアズナイルは、剣や魔法の代わりに高速話術を繰り出した。
「その後俺は地下通路でセバスチャンの手を借りて結界を突き破り肖像画に半分取り込まれていたニアを救出するために画の中に手を突っ込んだら左手が使い物にならなくなって出血多量でそのまま意識を失ったから後のことは分からん」
フン、どうだ。一気に言い切ってやったぞ、これで満足か?
……ん? 三角だった目が、豆粒みたいな点になっているぞ。
二人はつぶらな豆粒の瞳のまま、アズナイルの言ったことを咀嚼しようと試みたが、一人では上手くできなかったので視線で会話することにした。
「結界を、突き破る? 肖像画に取り込ま──いえ、聞き間違いですよね?」
「当たり前だろ。そんなバカな話があるわけない。意識を失う前のことも全て夢なんじゃないか? 疲れていると変な夢をみたりするからな」
「なるほど。では、殿下に今必要なのはサーフィニア嬢ではなくて、絶対安静的な休養ということですね。しかしそうなると、ルーカス先生の話は……」
「あっちも寝ぼけてたんだろうよ。大体、プラント邸の結界が破られること自体、考えられん。間違いないのは、男爵がタウンハウスを売りに」「おい、お前たち。全部聞こえているぞ!」
「「えっ?」」
処理しきれない理解不能な話の連続に、視線で会話をしていたつもりが、うっかり声に出していたらしい。
見れば、アズナイルとルーカスの目は鋭くつり上がっている。
加えて、自分たちとはケタ違いの魔力が漏れ出していることに気づくと、エルトナとノリスの背中からは滝のような汗が流れ出した。
「お主たちは、赤子からやり直したほうがよさそうじゃの?」
真っ白な髪の毛先をユラユラと揺らしながら、突き刺すような視線を向けてくるルーカス。ほっほっ?のいやはや爺さんと同一人物だとはとても思えない。
今目の前にいるのは自称でもなんでもなく、紛れもなく元王宮の大魔術師──
《ルーカス・スコルピー》その人だった。
「「も、申し訳ありませんでした!」」
立ち上がった二人は揃って頭を深く下げ、そのまま微動だにしないでいる──というか、強すぎる圧が頭上からのしかかり、再び頭を上げることができないのだ。
顔を上げられないから見えはしないが、アズナイルの髪が赤く染まって燃え滾っているのが分かる。
「お前たち……。普段なら許すところだが、俺は目の前で最愛を失いかけたんだ。それを信じられないというのなら、今すぐここから出ていけ!!」
「「も、申し訳、グッ!」」
急いで最大の謝罪と敬意を払おうと姿勢を低くしたところで、更に膨れ上がった圧に押された二人の膝は、激しく床に打ち付けられた。
そのせいで、これ以上の不興を買う訳にはいけないと分かっていても、あまりの痛みに謝罪の言葉が繋げない。
ビリビリとした空気だけが漂う静まり返った部屋に、あの人が帰ってきてくれた。
「ほい、ほ〜い。アズナイル、そこまでじゃ。口悪坊主も、けちん坊主も、これでよう分かったじゃろう。親しき仲に垣をせよ、じゃぞ? 特に口悪坊主はレオナルドからも言われておったではないか。口は災いの元ということをよく覚えておくんじゃな」
「「はい、肝に銘じます。申し訳ありませんでした」」
しおらしく頭を下げつつも──陛下を呼び捨てにするのはいいのか?
と、少し納得のいかない二人だった。




