7・晩餐会
気を失っている暇はない。エーデルは、パンッ! と一つ手を叩く。
「さあ、皆さん! 時間がありません。今、マームさんが言われた事を速やかに実行してくださいね、よろしくお願いします!」
反論は許さないわよ? との意味を目に強く込めて、にーっこりと笑って見せれば、顔をヒクヒクさせながらも、みな頷いてくれた。
「マームさん、席の配置確認に行きましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
見た目は小柄で可愛らしい感じのマームだが、流れるような指示の出し方といい、有無を言わせぬような迫力はなかなかのものだ。
こういう状況に慣れているのかしら?
「あの……今回のようなことは、よくある事なのですか?」
「まさか! こんな事が度々あっては、私どもの身が持ちません。今回は、うちにとっても異例の事態なのです。事前に分かっていればこんな事にはならなかったのですが、急だったもので……申し訳ありません。ですが、もう二度と《出入り禁止》などという悲しい思いを、ライラお嬢様にさせたくないのです」
出入り禁止って……。
「何があったのか、お聞きしても?」
「百聞は一見にしかず、です。ディナーの時間になればお分かりになるかと。……でもあの、あれは癖というか、無意識というか。決して悪気があるわけではないということだけは、分かっておいていただけると有り難いです」
エーデルはますます気になって仕方がないが、時間が来れば分かると言うので、これ以上無理に聞き出すのはよくないだろうと気持ちを切り替えた。
ダイニングにつくと、セッティングはほぼ終わっていて、長方形のテーブルの一辺には中央寄りに四席、向かい側は端と端に二席が用意されているが、いくら何でもこれは……。
「ああ、これはよくないですね」
「やっぱり! 離れ過ぎですよね?」
マームさんも同じ考えのようでホッとした。
やはりこれは、やり過ぎだったらしい。しかし、ホッとしたのは束の間で。
「ひと席はそのままで、ライラお嬢様の席は真ん中に変えてもらいましょう」
なんですって!? 色々と言ってきたのは、自分のお嬢様を主賓扱いにしてもらいたかっただけなの? まさかの展開に、エーデルは頭を抱えた。
けれど、続くマームの言葉で誤解は解けた……が、謎はより深まった。
「端の席にライラお嬢様を据えると、侯爵家の皆様に被害が及ぶ恐れがありますので、心苦しいですがライラお嬢様の席は中央に。逆にベルビアンナ様は、端の席の方が避難しやすいかと思いますので、そのままでお願いします」
……被害? 避難?……。
もういっそのこと、ディナーは中止にした方がいいのでは?
それが無理なら、私兵を配置していた方がいいかしら? どうかしら? 誰か教えて!
◇◇◇
兎にも角にも、異例づくしの晩餐会が始まった。
事前に、侯爵夫妻と嫡男のリゲルは、エーデルとマームから説明を受けていたが、席の並びだけでもおかしいのに、人数分以上のアミューズとオードブルが載ったカートまで運び込まれているのを見て、困惑を隠せない。
「非日常的で不可思議な体験をお楽しみ──は無理かと存じますが、想定される範囲内で手筈は整えておりますので、ご安心くださいませ」
最後にそう述べたマームから深く頭を下げられても、何一つ飲み込めていないし、安心できる要素など全くなかった。
けれど、ホスト側として抜かりがあってはならないので、例えそれが、意味不明な初めて目にする光景だったとしても頷くしかない。
通常のおもてなしでは『大惨事が起きる可能性しかない』と言われれば、そうするしかなかったのだ。
せめてもの救いは、娘の友人──つまり、成人前の子供だけのパーティーの様なものだということ。爵位持ちの大人がいる席だと、こうはいかない。
温かい目で見守ろう。そうしましょう。侯爵夫妻として、侯爵家嫡男として。
余裕を持って見守る。……はずだった。
可愛らしい挨拶を受けて、なごやかに始まったディナーに、誰もが構え過ぎてしまっていた自分に苦笑を浮かべたが、そうしていられたのも、ライラが一皿目のアミューズを食べ終えるまでだった。
楽しそうにクラリスやベルビアンナと会話をしながら、小さな口に次々とアミューズを運んでいくライラ。
少しペースが速いかなぁ〜なんて、のんびり眺めていると、一口サイズのアミューズはあっという間になくなって、横に控えるマームが、すかさず二皿目をサーブしている。
はい、聞いていましたよ? よく食べると、ペースが速いと。
……ハァ。えっと、もう三皿目、ですか?
侯爵家の御三方がぼんやりしている間に、五皿もあったライラのアミューズは残りわずか一皿になっていた。
侯爵が視線を感じてハッと顔を上げると、マームの目が〈早く食べろ!〉と語っている。
おかしい……。私は侯爵で、この邸の主。子爵家の侍女にそんな目で責められる謂れはないのだが。しかしそこで、ふと思い出す──『大惨事が起きる』──そうだった! 何が起こるか見当もつかないが、主としてこの邸を守らねば!
慌ててフォークを動かし始めた侯爵を見て、侯爵夫人もリゲルも思い出したようだ。
だけど、どう考えてもおかしい。
これではまるで、自分達の方が《ペースを合わせる。というマナーができない人達》みたいではないか?
しかし、あれこれじっくりと考える間もなくオードブルが運ばれてきた。
カートにちらりと目をやる御三方。
(いーち、にー、さーん……十皿、あるな?)
(そうですわね。丁度、十皿ですわね)
(あれだけあれば、流石に私達も慌てる必要はないでしょう)
視線で会話して、ホッと頷きあう。
そんな悠長なことをしている間に、ライラはオードブル二皿目に突入していたが、まだ八皿も残っている。大丈夫だ。
御三方は余裕を取り戻しつつも、いつもよりは多少スピードを上げている。
しかしここで、クラリスが本日のお泊り案件である《あの》言葉を口にしてしまった。
「それにしても《お嬢様》は一体どこにいるのかしら?」
ここ暫く二人を悩ませているワードが飛び出して、エーデルとマームに緊張が走る。
それを敏感に感じ取った御三方が、なに、なに? どうした、どうした!? と不安気に視線を彷徨わせた時、
カコン、カコォォォン
という、ギアチェンジの音が聞こえた。……気がした。
それが合図だったのか、いつの間にか真向かいの席では、あるイリュージョンが行われている。
あ〜ら不思議? 次々に美味しそうなオードブルのお皿が出てきては、小さな女の子の前であっという間にまっさらになり、左から右へと流れるように消えていく。
わぁ♪ すごぉ〜い♪──じゃない!!
つい先ほどまで、スピードは異常だったけど、にこやかだったライラの顔が無表情になっている。そして、食べるスピードは確実にアップしていた。
『だ・い・さ・ん・じ』
キャァァァ! 心の中で悲鳴を上げて、こちらもギアを入れる。
いつもは綺麗な所作と完璧なマナーで食事を楽しむ侯爵夫人も、今、この時だけは、形振り構っていられない。
みんなお願いだから、見て見ぬふりをして欲しい。
御三方は必死の形相で、二、三歩遅れたけど、どうにかこうにかオードブルひと皿を食べ終えた。
一体これは……なんの修行だろう?
スープをがぶ飲みして、ポワソンがサーブされる頃には、もうぐったりしていた。
ディナーが始まって、まだ三十分も経っていないのに。
「いけません。侯爵夫人の手が完全に止まりましたね《使者》を投入しましょう」
マームが小さな声でエーデルに囁く。
ライラの食べっぷりに愕然としていたエーデルはハッと我に返り、静かに、しかし急いでダイニングを出て行った。
エーデルと入れ代わるようにしてダイニングに入ってきた執事が、向かいの席にも聞こえる程度に声を落として告げる。
「お食事中失礼します。王宮から急使がお見えになりました」
「助か──エッヘン、ゴッホン。王宮からの急使だと!?」
侯爵は、ことさら大きな声を出す。
「それは、お待たせする訳にはいけないな! 歓談中申し訳ない。私は席を外すが、皆はこの後もゆっくり食事を楽しんでくれたまえ!」
不自然に急ぎすぎないように気をつけながらも、そそくさと退席しようとする侯爵を夫人が引き止める。
「あなた! 私は先程……ええ、つい先程。王妃様に、ご機嫌伺いの手紙を認めたところなのです。是非とも、使者殿に言付けをお願いしたいですわ!」
「お、おお! そうか、そうか。それはすぐにお願いした方がいいな! では、一緒に」
置いて行かれては大変だと、リゲルも勢いよく席を立つ。
「父上! わ、わたしも、あ、あの……そうです! もしかしたら、セリオス殿下に関することかも知れません。それでしたら、わたしも聞いておかないと!」
「そ、そうだな! それは聞いておかないとまずいな。では、失礼する!」
そうして、シナリオにない小芝居を繰り広げた御三方は、逃げるようにしてダイニングをあとにした。
「なんだかバタバタしてしまって、申し訳ありませんわ」クラリスは、ハァ〜ッと溜息をつく。
「ンフフ〜、大丈夫ですぅ。心境お察ししますわぁ〜」ちゃっかりクラリスの隣に移動しながら、ベルビアンナが苦笑する。
フォークとナイフを持つ手は止めぬまま、ライラが心配そうな顔をした。
「私は緊張してたからあまり食べられなかったけど……クラリスのお父様達も食が進んでいなかったわね。お体の具合でも悪かったのかしら?」
「「…………」」
オードブルだけでも十皿も平らげておきながら『あまり食べられなかった』とか言う、あなたの凄まじい食べっぷりに、根こそぎ度肝を抜かれていたのよ? とは言えない二人だった。