60・懲りない男=レオナルド
アズナイルが意識と落ち着きを取り戻したのでノリスの報告を聞くことになったが、まずは、びしょ濡れの彼らを乾かしてあげなければ風邪を引いてしまう。
ルーカスが温風を操り、三人まとめて乾かしていく様子を見ながら、レオナルドはタイミングを見計らっていた。
漸くヴィーが帰ってきたというのに、まだ一つもいいところを見せておらんからの。ここらで一つ、ビシッと決めてみせようぞ!
久しぶりに見るルーカスの魔術に釘付けになっていたヴィクトリアやレグルス達も、それが終わるとソファの方に移動を始めたので、ここぞとばかりに、レオナルドは「ウオッホン!」と大きな咳払いを響かせた。
と、思惑通りにみんなの足は止まる。
うむ、いい感じじゃ!
「コホン。あー、ちと待ってくれ。聞きたいことがあるのじゃが……。エルトナよ、わしたちが見えておらんかったのか? わしと王妃の前でアズナイル──王子を呼び捨てにするとは何事じゃ? 前々から思っておったのじゃが、お主は口が悪すぎる。普段から気をつけておかねば、いつか大きな失敗をするやもしれんぞ? それから、クルス。お主はもっと落ち着いて、」「父上!」
話の腰を折られたレオナルドはムッとして声の主に顔を向けると、レグルスが口の前に人差し指を立てながら一瞬どこかに視線を走らせたので、それを辿ってみると恐ろしいものがチラッと見えたような気がして──。
「あー、ま、まあ、あれだ。以後、気をつけるように。では、ノリスの話を聞こうかの!」
──レオナルドは急いで話を切り上げた。
危ないところじゃった。いいところを見せることだけに気を取られていて、ヴィーは問題に関係のない話を嫌うのを忘れておったわ。
心の中でレグルスに感謝しながら空いていたソファの左端に腰を下ろそうとしたら、真ん中に座っていたアズナイルが席を譲ろうと立ち上がりかけたので、慌ててそれを制する。
「だ、大丈夫じゃ。お前は動かんほうがいい。そのままそこに座っていなさい」
息子を案じる良き父親を演じているけれど、今はなんとなく、大好きなヴィクトリアの隣は遠慮しておきたいだけなのだ。
そんなふうに微かな緊張感が漂う中、もう一つのソファに兄王子二人とルーカスが座るのを背後から見届けながら、ノリスは自分たち以外の者に出ていってもらう手立てはないかと考えている。
プラント邸の前にいた男からアズナイル宛に手紙を預かってきているのだが、他の者がいる中でそれを明らかにすると、書いてある内容によっては面倒なことになりかねない。
しかし、いい案は浮かばないままに場が整い、みんなの視線が自分に集中していることを感じ取ると、取り敢えず手紙のことは伏せて、男から聞いた話をそのまま伝えることにした。事実はほんの少しだけ作り変えて。
「たまたまプラント男爵邸の前を通りかかったら、売家を示す赤いポールが立てられていることに気づきまして、そこにいた男に尋ねたところ、男爵夫人とサーフィニア嬢の体調がすぐれないので──王都の邸は畳んで、静養のため領地に引き上げたとのことでした」
そこまで話すと、チラッとアズナイルの様子を伺おうとしたが、すごい勢いで立ち上がった隣の人物の方に視線を奪われてしまった。
「リリィの体調がすぐれないって、どういうこと!? 領地で静養すれば治るの? 王都にいたほうが適切な治療を受けられるのではないの? なにも邸まで手放さなくても──ハッ! あの男ね! わたくしが訪ねていくことを嗅ぎつけて、それで領地に逃げたのだわ! あそこにいれば、わたくしは入れないもの。ちっ」「母上! 落ち着いて、落ち着いてください!」
サーフィニアが王都からいなくなってしまったという事実に打ちのめされているのに、昨夜の悪夢がリピートされ始めたような感覚に陥ったアズナイルは〈これ以上は勘弁してくれ!〉と心の中で叫びながら立ち上がった──のが、功を奏した。
母親に負けない勢いで立ち上がったので、激しいめまいに襲われたのだ。
そして、アズナイルがドサリとソファに倒れ込んだことを好機と捉えたノリスは、チャンスを逃さない。
「先ほどから殿下も体調が優れないご様子ですので、しばらくは安静にして頂いた方がよろしいかと存じます。ここには私達がついておりますので、陛下も王妃様方も少し休まれてください。王族が揃って倒れられては政務に支障をきたしてしまいます。そうですよね、ルーカス先生」
アズナイルとは比べものにならないが、この一週間をプラント邸で過ごしていたルーカスは、黙っておいて行かれたことに軽いショックを受けていて、ノリスの問いかけに反応が遅れたうえに、うっかり口を滑らせてしまう。
「ルーカス先生?」
「ほっ? あ、ああそうじゃな。アズナイルは意識が戻ったばっかりじゃ、無理はいかん。レオナルドも王妃も殆ど寝ておらんのじゃろう? わしもついておるから、心配せんで一眠りしてきたらええ。……王妃よ、目の下に隈ができておるぞ?」
「なっ!? ルーカス! そういうことは、気づいても黙っておくのが一流の紳士というものですわよ!」
と言いつつ、扇子を広げて顔の半分以上を隠すヴィクトリア。
そんな二人を交互に見ていたレオナルドは、ハテ? と首を傾げた。
どうにもルーカスに違和感を感じる。そういえば、昨夜から少しそれを感じていたような……。もしや?
「のう、ルーカスよ。お主、目が見えるようになったのか」
「ほっ? なんじゃあ、急に。目? おお! そうじゃ、言われてみれば──」
そこで、はたと思い出す。
目が見えんくなって王宮を去る時、こやつは『見えるようになったらまた王宮に戻って来い』と言いよったな。で、わしは、そんな事あるわけなかろうと笑い飛ばしたが……。
嫌じゃ。わしゃ王宮よりもお嬢ちゃんの側がええ。
「ホホッ、言われてみれば、見えるような気になっておったが、まさか、まさかじゃ。王妃の隈は、瞼の裏に焼きついとった残像じゃよ」
「何ですって! そんな残像は、さっさと焼き切ってしまいなさい!」
ギャーギャーとルーカスに食って掛かっているヴィクトリアの声を聞きながら、アズナイルはこめかみを押さえた。
あーもう。また話がズレてきた。俺は早くノリスの報告を聞きたいんだよ!
こうなったらもう、奥の手を使うしかないな。
「オエッ」「アズナイル! 大丈夫!? もう! ルーカスのせいよ!」
「……違います。ただ、側で騒がれると頭痛とめまいで吐き気が……」
ピンときたノリスは、めったに出さない大声を上げる。
「いけません! 殿下、すぐ横になってください! エルトナ、お願いします」
「殿下、失礼します」
と言ったエルトナにお姫様抱っこをされて……。ヤバい。本当に吐きそうだ。
エルトナの目も心なしか死の淵を彷徨っているし、鉄仮面を被ったノリスの握りしめた拳はぷるぷると震えていて、観客に気づかれやしないかと心配だが、ほんの少しの辛抱だ。
笑いを噛み殺しすぎて、この世のものとは思えない顔になったクルスが──腹立たしいが──寝室の扉を開けて閉めれば、アズナイルと愉快な仲間たちの幕も閉じるはずだったのに。
「……あの、殿下を休ませたいのですが……」
ノリスの拳が違う意味で震え始めた。俺たちの意に反して、一人残らずゾロゾロと寝室に入ってきたからだ。
これじゃあただの恥ずかし損じゃないか!
「分かっておるわ。休みの挨拶をしようと思っただけじゃ」
いらないですけど──「ありがとうございます。おやすみなさい」
「うむ。何も考えずに、ゆっくりと休むのじゃぞ。プラントのことならお前が心配する必要はないんじゃからの。今までだって、サンデールはほとんど王都には出てこんかったじゃろう? 田舎から出てきた者に都会の水は」「「父上!!」」
またもや話の腰を折られたレオナルドは、ムムッとして声の主達に顔を向けると、青い顔をしたレグルスとセリオスが、口の前で人差し指を小刻みに動かしながら少しずつ後ずさっていっている。
それを見て、ハッ! としたレオナルドの首の後ろを──何かがスルッとなぞっていった。
「あああああの、とととにかく、よよく休むのじゃぞ!」
言い捨てて逃げようとした背中を、怖いくらいに優しい声が追いかける。
「待って、あなた。お部屋に戻ったら、是非とも続きを聞かせてね? レグルスとセリオスにも《あの話》を聞かせてもらうわ。では、あなた達、あとはよろしくね」
茨の女王が、うっかり発言多発者と巻き込まれ事故者二名を絡め取っていってくれた部屋では、ノリスがホッと息を吐きかけて──。
「恐れ入りますが、ルーカス先生も退出願えますでしょうか」
寝室のソファに腰を下ろそうとしていたルーカスに声をかけた。
「ほっ? わしはいいじゃろう? プラント邸で起こったことをアズナイルに聞かせにゃならんし、わしゃレオナルドよりも役に立つぞ?」
「しかし、」
「ノリス、確かに先生は役に立つと思うぞ。転移もできるから便利だろ? 追い出す手はない。まずはこの部屋に結界を張ってもらおうぜ」
……。偉大なる大魔術師をつかまえて『便利』とは……。まあ、いいがの!
元々結界を張るつもりだったルーカスだが、他の者に言われると少し面白くない。
それでも、今はまだレオナルド達に聞かせる段階ではないことも分かっているので、両手を持ち上げるとパアッッと左右に開いた。よし、これで──
「張れたか」「張ったわい!!」
「じゃあ今度はアズナイルを元気にしてくれ。俺はちょっと隣の部屋に用があるから、終わったら呼んでくれ──ください」
クッ、今更言葉遣いを正しても遅いわ! なんて人使いの荒い小僧じゃ! こやつもあの鳥のように膜に閉じ込めて──いや、あの子は何も悪いことはせなんだが……。ん? そうじゃ、わしゃあの子に今度ご馳走してやるからと言うたな。また来るかのぉ?
と言っても、いまは来られても困るがの? 食べるもんなど何ももっとらせんしのぉ。と思いつつ、念の為ポケットを探っていたルーカスの指先にコツンと当たるものがあった。
「ほっ? おお、そうじゃ、そうじゃ! あの兄さんから、アズナイルが起きたらこれを飲ませてくれと預かったんじゃったわ」
ルーカスが取り出したのは、セバスから預かったプラントの特製ドリンクだ。
「あ〜、それ! 元気が出るドリンクだぁ。それ美味しいんだよね〜。いいなぁ」
……そうか、美味しいのか。やはり不味いのは俺のだけなんだな?
先ほどの吐き気は演出だったが、今あれを飲んだら本当に吐くかも知れない。エルトナからもらった吐き気ポイントも貯まっているしな。
しかし、一旦横になった体はもう自力で起こせそうにない。体や心に受けたダメージはそれほど大きかったのだ。それに加えて、先ほど無理をしてしまったし……。
覚悟を決めたアズナイルはノリスとクルスに体を起こしてもらって、ルーカスからドリンクを受け取ると一気に飲み干した。
うっ……えっ? あれ? 不味くない。別に美味しくはないが不味くもない。
これは、少しはあいつから認めてもらえたということだろうか。だったら──。
「よし! プラント領に向けて出発だ!」
「おおー! じゃあ、エルトナを呼んでくるね」
一気に元気を取り戻したアズナイルと、プラント領が大好きなノリスはノリノリだが、まだ報告も済んでいないルーカスとノリスは呆れて顔を見合わせる。
仕方がない。寝室を飛び出していったクルスは放っておいて、先に報告を──と言いかけたノリスだったが、隣の部屋から聞こえてきた叫び声に順番を奪われた。




