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55・母と子

 二人きりになったリビングでは、すっかり冷めてしまったお茶をヴィクトリアが入れ替えていた。

アズナイルは少し緊張の面持ちで、それを待っている。


 さっきは母上のことを俺の味方だと思ったけれども、それはあくまでも今回の件に関しては、だ。嬉しくてつい、ニアのことを可愛い天使だと言ってしまったが、それを追求されるのだろうか……。



「最近はあまり眠れていないのでしょう? ひどい顔だわ」

「すみません」

「何言ってるの、謝ることじゃないわよ。ほら、お飲みなさい。今日はよく眠れるようにカモミールにしたわ」

「ありがとうございます」


 ……ハァ、なんて他人行儀な……。わたくしの可愛い末息子は、何をこんなに緊張しているのかしら?

 目が合いそうになるとサッと視線をそらされて、ヴィクトリアは悲しくなってしまう。


 あなたは何をそんなに警戒しているの? 何があなたを苦しめているの? 眠れなくなるほど……。



「サンデールから門前払いを受けているというのは本当なの?」


 コクリと一口お茶を飲んでから、ヴィクトリアは優しく問いかけた。


「いえ、門前払いというか……私は《審判の地》に立ち入ることを拒まれて」


 グッと奥歯を噛みしめる。審判の地じゃない、俺はニアに拒まれ──


「あの男! まだそんな事をしているの!? しかも、私の可愛い息子にまで! 許さないわ、今すぐ叩き起こして」「は、母上! 落ち着いてください!」


 急に立ち上がって、手にしたクッションをボスボスと殴りつけだしたヴィクトリアに驚いて、アズナイルも立ち上がる。


「あら? 失礼」何事もなかったように澄ました顔で座り直し、きれいな所作でカップを手にしたヴィクトリアだったが。


 いやいやいや、えっ? なんだ、今の? 母上って、こんなに獰猛だったっけ?


 先ほどの茨といい、花壇に埋める発言といい──自分は今まで母親の何を見ていたのだろうかと、内心で頭を抱えるアズナイル。

淑女の鑑であり、歴代の王妃の中でも一番とされる人望の厚さは尊敬に値する。

いや、値していたものが、ガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。


「大丈夫よ」(何が?)

「わたくしは切り札を持っているの。だから心配しないで。明日はわたくしも一緒にプラント邸に行くから」


『切り札』とはなんだろう? 不安しかないのだが……。

もしも、茨的なものなら絶対にやめてほしい。


「ねぇ、わたくしはこれでも王妃よ? 家族以外の者の前で、あんな事するはずがないでしょう? 失礼しちゃうわ」


 心外だと言わんばかりに、腕を組んでムッとした顔をするヴィクトリアだが……。

 いやいや、ノーマンがいましたよね?


「そんな細かいことよりも、一つ、はっきりさせておきましょう。あなたはサーフィニア嬢のことをどう思っているの? 毎日通っているのは、どうして?」


 きた! 


 母親の見たこともない姿にばかり気を取られていたアズナイルは焦った。

ここで返答を間違えると、取り返しのつかないことになる。

重ねた手のひらの一つを気づかれないように握りしめると、真っ直ぐにヴィクトリアを見つめた。


「サーフィニア嬢は……大切な友人です。誤解があったのかどうかは分かりませんが、傷つけてしまったのなら誠意を持って謝罪をしたいと」

「そう、分かったわ。謝罪をしたいのね? だったら簡単よ。多分あの娘は、あなたと親友の婚約の話を聞いて羨ましくなったんじゃないかしら? 確か、婚約者はまだいなかったはずだから──ふふふ、それなら大丈夫ね。わたくしが素敵な婚約者を」「待ってください!!」


 母親の思ってもみなかった言葉に、堪らず声を上げる。


 全然大丈夫じゃない。はっ? ニアに婚約者だと? 誰が許すかそんなもん!


 アズナイルの綺麗なシアンの瞳の奥に、嫉妬の炎がチラチラと見え隠れしているのに気づいたヴィクトリアは、心の中でほくそ笑む。


 うふふ、いいわね〜。でも、まだまだ他人行儀だわ。素直じゃないしね。

 次はどんな言葉が飛び出してくるのか楽しみに待つ間、懐かしい日々を思い出す。



 ヴィクトリアは子育てを乳母任せにはしないで、できる限り、時間の許す限り、我が子を慈しみ育ててきた。

三人の息子たちの中でも特に手のかからなかったアズナイルは、幼い頃から何事にも真面目に取り組み何でも器用にこなしていたが、その反面、何かに夢中になったり、強い興味を示したりすることは殆どなかった。


 婚約者候補たちに対しても、呆れるくらい義務的に接していたその息子が、アマリリスの娘を『可愛い天使』と言ったときには、思わず聞き間違えたかと思ったほどで、ワクワクする気持ちを止められない。


 さあ、早くわたくしを楽しませて頂戴!



「母上、そのような勝手な思い込みで動いては、かえって失礼にあたります。父上がドレスを破いてしまったのですから、婚約者などよりもその代わりになるものを用意するべきではないでしょうか」

「それは勿論よ。わたくしの専属デザイナーに、超一級品のドレスを数着仕立てさせるわ。だけど、アズ? 女心をわかっていないわ。女の子はね、誰でも結婚に夢を見ているのよ? その相手を王妃様が選んだなんて、素敵でしょう?」

「ニアは、まだ十二になったばかりですよ? 早すぎます」


 何が何でも、サーフィニアの婚約者は自分が選ぶのだと張り切っているヴィクトリアにイライラし始めたアズナイルは、サーフィニアのことを《ニア》と、愛称で呼んだことに気づいていない。


 それを聞いたヴィクトリアは──キャー、ニアですって! あのアズが、女の子を愛称で!? いや〜ん、何だか私のほうが恥ずかしいわ!──と心の中で悶ている。が、手は緩めない。


「何を言ってるの? クラリスがあなたの婚約者になったのは八歳の時よ?」

「婚約者ではありません、ただの候補者です。とにかく、ニアに余計なことはしないでください」

「あー、もういいわ。この件はわたくしに任せて、あなたはもう休みなさい。あっ、部屋に戻るついでに、ノーマンにもう一度こちらに来るように伝えてくれる?」


 この展開でノーマンを呼ぶということは、二人で相談して決めてしまうということだと悟ったアズナイルは、自分の中でプチンと何かが切れる音を聞いた。


「……分かりました。そこまで言うのなら、私は王籍を抜けます。これから先は、私のすることに一切口を挟まないでください。勿論、ニアに手を出すことも」「ちょ、ちょっと待って! アズ、急に何を言い出すの! 王籍を抜けるなんて、正気なの!?」


 やりすぎてしまった事に気づいたヴィクトリアは、慌ててテーブルを回ってアズナイルの肩をつかもうとしたが、スルリとかわされる。


「正気かって? 当たり前でしょう? 臣籍降下しても高爵位ですが、王族でいるよりはまだマシです。王妃様は、これから忙しくなりますね。候補者たちの嫁ぎ先を考えなくてはいけませんから。だからもう、ニアには構わないでください。俺が責任を持って」「アズナイル・レオンリット・ルシファード! 少し落ち着き」「俺はこの上もなく落ち着いていますよ、王妃様」


 ヴィクトリアは盛大に出そうになったため息を、なんとか飲み込んだ。

自分のことを《俺》、プライベートな空間で母親のことを《王妃様》と言っている時点でアウトなのだが、それ以外の言葉はさほど乱れてはいないから、ある意味、怖いくらいに冷静なのかも知れない。


「わたくしが悪かったわ。ごめんなさい。でも、あなたもいけないのよ? どうして本当のことを言わないの。どうして《大切な友人》だなんて、誤魔化したりするの?」

「…………」


 本当のこと……それを言ったからといって何になる? 俺が王族であることに変わりはなく、元々候補者でもない男爵令嬢のニアと一緒になれる保証なんてどこにもない。だから母上も、ニアに婚約者をとか言い出したんだろう?

俺の気持ちを知った上で、俺からニアを遠ざけようとして。


 完全に心を閉ざしてしまったアズナイルを見て、末息子の初恋にはしゃぎすぎていたとヴィクトリアは反省する。


 誰よりも真面目で責任感が強く、この国の──王家の闇についてもたったの十二歳で知る羽目になり、苦しんでいたことも知っていた。

そんなふうに、王族としての責任の重さを十分すぎるほど分かっている息子が、軽々しく好きな人ができたなんて言うはずがない。


 あぁ、大失敗だわ。やっぱり疲れているのかしら? だけど、このまま部屋に帰したら、この子は今夜も眠れない……。


 親の心子知らず。ヴィクトリアも黙ってしまったので、これで終わりだと決めつけたアズナイルは立ち上がる。


「母上も疲れているのでしょう? 『少し』という話でしたし、私はもう休ませてもらいます。お疲れのところ申し訳ありま」「アズナイル!」


 またしても距離を置こうとするアズナイルに、耐えきれなくなったヴィクトリアも席を立つ。


「そんなにわたくしのことが信じられない? わたくしはこの国の王妃である前に、あなた達の母親なのよ? もっとわがままを言って頂戴! あの娘のことが好きなのでしょう?」


 ニアのことが好き?……そんな──


「そんな単純な言葉では言い表せません。俺はもう、ニア以外、考えられないんです」


 言って落とした視線の先に、ブルブルと震えるヴィクトリアの拳が見えた。


 こうなることは分かっていたんだ。だけど、言ってしまったからには俺にだって覚悟はある。ニアより他に大事なものなんてない!


「だから、すべての権利を放棄しますから」「間違いないわね?」

「えっ? あっ、はい。爵位も与えられないと言うのなら」

「違うわよ! アマリリスの娘──審判の地のサーフィニア・プラント男爵令嬢のことが、アズナイル・レオンリット・ルシファード第三王子は好きなのね!《正妻に迎えたい》と思っているのね!!」「その通りです!!」


 地団駄を踏みながら詰め寄ってくるヴィクトリアに負けてはいけないと、アズナイルも大きな声で応戦する。


「ハァ……だったら最初からそう言いなさいよ、まったく。わたくしは、サーフィニアちゃんが娘になることに大大大賛成よ!」


 いつぶりだろうか。ヴィクトリアにギュウギュウと抱きしめられて、一瞬何が起こったのか分からなかったアズナイルは、軋む背骨の痛みで我に返り、そっと母親を押し返した。


「あの、母上。私の言ったことの意味を履き違えてはいませんか? 私は候補者の一人でもないサーフィニア男爵令嬢と一緒になりたいと言ったのですよ? それは、許されないことですよね?」


 なんですか? その呆れ返った目は。


「あなたこそ、わたくしがわざわざフルネームと、肩書まで付け足して言った意味がわからないの?」


 確かに……あれだけ詳しく言われたら、誰が誰を好きなのか、そしてその好きな人をどうしたいのか、よく分かる。だけど、どうしてそんなにしつこく──


「もう! あれくらい言わないと、あなたがまた変な勘違いをするからでしょう? ハァ、この鈍さはあの人に似たのね」


 はっ? 変な勘違い?……俺がいつ、一体何を勘違いしたと言うんだ?


「わたくしは最初から言っているでしょう? わたくしの可愛い息子を門前払いにするあの男を許さないって、明日は一緒にプラント邸に行くからって、言ったでしょう?」

「はい、確かに言いましたね。…………えっ、それで?」

「つまり、あなたの味方ってことよ。大体、あの人がリリィの娘のドレスを破いたって聞いてあんなに怒ったんだから普通分かるでしょう? それをあなたが『可愛い天使』とまで言っておきながら、今度は『大切な友人』なんて誤魔化すから、少し意地悪も言ってみたくなるじゃないの」

「…………」


 言ってみたくなるって……。いや待て、そんなんで『普通』分かるか?

人様のドレスを身内が破いたりしたら誰でも怒るだろう?

というか、だったらそんな回りくどい言い方をしないで、最初からストレートに言ってくれればいいじゃないか! 


「母上、母上が勘違いをしてしまうような意地悪を私に言ったから、ややこしくなったのですよね?」

「だぁ〜って、アズの口からはっきり聞きたかったんだもの。俺はサーフィニアのことを愛してるんだ! ってね」


 愛して……。


 アズナイルは要らぬ神経をすり減らして疲れたのと、赤くなった顔を隠すために、がくりと頭を落としたが、そんなことにはお構いなしのヴィクトリア。


「ちょっと、うなだれている暇なんてないわよ。サーフィニアちゃんをわたくしの娘に迎えるまでになすべきことは山ほどあるんだから」


 ……。もう『ちゃん』呼び。違うな。


「母上の娘として迎えるのではありませんよ。私の妻として迎えるのですからね?」

「同じ事でしょう?」

「全然違います。いいですか? ニアは俺のなんですから、邪魔をするつもりなら王籍を」「分かった! 分かったわ。邪魔なんてしないから、ねっ?」


 真剣な目をつり上げているアズナイルに呆れながらも、末息子の成長に嬉しくなる。こんなに表情が豊かな子ではなかった。

王族だから当たり前と言っても、プライベートな場面ですらどこか一線を引かれているような気がしていて、それが淋しかったから、なんとかその仮面を剥がしたくてあんな意地悪も言ってしまったのだ。


 これからは素直になんでも話してもらいたいし、もっと頼ってほしい。

男爵令嬢を迎えるために崩すべき山はたくさんあるのだから。



 取り敢えず……ローガン・リバーマスは、早く失脚してくれないかしら?




























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