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51・すれ違う想い

 サンルームに案内された三人は戸惑っていた。

いつも明るく元気なサーフィニアは、今日もそうなのだけど……何かが違う。

ニコニコニコニコしすぎていて、落ち着かない。


「お嬢様ぁ〜、何かいい事でもあったんですかぁ」

「ふふっ、分かる? あったの、あったのよ! もぉ〜クラリスったら、どうして教えてくれなかったの!」

「へっ、私?……何を?」


 なんだろ? お嬢様が喜ぶようなこと……何かしたっけ?


「うふふ、聞いたわよ〜。アズナイル殿下の正式な婚約者に決まったんでしょう? さっすがクラリスだわ。白馬に乗った王子様、ついにゲットじゃない! やるわねぇ」


 ゴホッ、ゲッホ、ゲホッ


 何も覚えのなかったクラリスは、呑気に米粉クッキーを口にしたところだったので、思いっきり咽てしまった。


「ちょ、なっ、ケホッ……はっ? なに、正式なって──えっ、誰が?」

「まぁ〜た、またぁ、とぼけちゃって。クラリスに決まってるでしょう? 元々、アズナイル殿下の婚約者候補だったんだから」


 ……こういうのを青天の霹靂って言うんだっけ? 寝耳に水だったかな? いやいや、えっ? 聞いてないんだけど!


「お嬢様、どこ情報か知らないけど、聞き間違えたんじゃない?」

「いいえ〜、陛下から直々に、はっきりと聞いたわよ」

「はっ? 陛下って……いつ会ったの──って、どーでもいいわそんな事! ちょっと急用ができたから先に帰るわね。じゃあね!」


 言いながらハンカチを広げ、米粉クッキーを包めるだけ包んで、およそ侯爵令嬢らしからぬ足音を立てながらサンルームを出ていくクラリスを、残る三人は少し呆れた顔で見送った。



「もぉ〜、クラリスったらぁ。ねぇ?」

「ほんとに、持ち帰りすぎですよ。お嬢様、すみませんがクッキーの追加をお願いしてもいいですか」


 ライラ……いや、いいんだけどね? 勿論、クッキーの補充はするよ。だけど、ベルが言いたかったのはそこじゃないと思う。


「なんか、ごめんね。遅かれ早かれいずれ分かる事だからと思ったんだけど、クラリスはまだ内緒にしておきたかったんだね。あんなに恥ずかしがるとは思ってなかったから……悪い事したわ」


 んふふ〜、お嬢様? あれは恥ずかしかったんじゃなくてぇ、どう見ても、勝手に決められた事に対して怒っていただけだと思うんですけどぉ〜。


「クラリスは直情型ですからね。もう少し待っていたら、この美味しい米粉のシフォンケーキも持って帰れたのに、勿体ないことをしたものだわ」


 追加のクッキーと一緒に運ばれてきたシフォンケーキを、満足そうに頬張るライラ。勘違いに気付かずに、少しヘコむサーフィニア。何が楽しいのか、うふふ、と笑いながらお茶を飲んでいるベルビアンナ。

そして、壁際に控えるセバスとマリアベルは、遠い目をしていた。


 最初のうちは、静かにピリピリしながら成り行きを見守っていたのだが、問題のクラリスが帰ってホッとしたのは束の間。

その後の三人の会話といったら……。こんなにも意思の疎通が図れていないのに、仲が良いのが不思議でならない。


 二人は何とも言えない空間に迷い込んでいたから、少し気になっていた事がうっかり抜け落ちてしまった事に気付かなかった。



 ◇◇◇



 私がアズナイル殿下の正式な婚約者に決まったって……そんなの聞いてない。

昨夜だって今朝だって、お父様もそんな事は何も言わなかったのよ?

一体どういう事なのか、本人に確かめてやるわ!


 プラント邸から王宮に直行したクラリスは、アズナイルの執務室に向かう途中いつもの癖で、訓練場がチラッと見える回廊を歩いていた。

ほとんど見かけることはないのだけれど。

しかし今日は、訓練場に抜ける出入り口の近くにノリスがいるのが見えた。


 あの人があんな所にいるって事は、殿下は訓練中かしら?


 となると、執務室まで行っても無駄足に終わるかも知れない。

聞いてみることにしたクラリスは、ぐるりと回って近づいて行くと、ノリスが柱の影にいる人物と話をしている事に気が付いた。


 ドキリとして思わず隠れて聞き耳を立てると──それはクルスの声だと分かる。

ホッと息を吐いたところに、耳を疑うような会話が飛び込んで来た。


「じゃあ、殿下はローゼンシュタイン嬢を候補者から外したかったのに、エルトナは反対したんだ?」

「そうですね『候補者から外すよりも、正式な婚約者にした方が都合がいい』と」

「ええぇっ! それじゃあ、サ」

「クルス。ここは執務室ではありませんよ」


 声を潜めた二人はその後も会話を続けていたが、クラリスの耳にはもう何も入ってこなかった。



 ◇◇◇



 学園の馬車寄せ付近を、今来た風を装いつつ行ったり来たりしているアズナイル。


 それに付き合わされる側近達は堪ったものではないが……。昨日は休日だったのにもかかわらず、不安を打ち消すように、或いは何かに取り憑かれたかのように、殆ど休憩も取らずに執務をこなしていたのを見ているだけに、何も言えない。


「殿下、もう間もなくです」


 耳のいいエルトナにもアズナイルの緊張がうつったのか(学園では初めて)側近らしく振る舞いながら告げた。


 ニアは許してくれるだろうか。また拒絶されたりしたら、俺は……。


 しかし、こんな調子のアズナイルにエルトナの声が届いたかどうかは分からない。



 ほどなくして、エルトナが告げた通りにプラント男爵家の馬車が門をくぐって入って来た。そして、馬車が停まると、学園では既におなじみになりつつある光景が今朝も繰り広げられる。


 扉が開いてセバスが降りてくると、女子生徒からはため息が。

次いで(無表情の)セバスから義務的にエスコートされながら、ライラ、ベルビアンナ、クラリスが順に降りてくると、男子生徒からは──第三王子と側近達の目を気にしつつも──「可愛い」「可愛い」とごくごく小さなささやき声がそこかしこからあがる。


 そして、最後の一人に手を差し伸べるセバスの雰囲気と表情が柔らかなものへと変わり、サーフィニアが姿を現すと、小さな歓声と嫉妬と膝から崩れ落ちたようなため息があたりを満たす。


 そのため息に紛れて「天使!」「妖精!」「神判の姫!」などなど──セバスが怖くて、ほとんど無音だけれども──隠しきれていない称賛の声が漏れひろがるので、その隙きに、セバスに手をとられるのが恥ずかしいマリアベルはサッと飛び降りる。若い男の先生たちが頬を染めて見ているのにも気づかずに。



 毎朝、イラッとしながらそんな光景を遠目に見ているアズナイルだが、今朝はそれどころではなかった。


 なんと言って声を掛けようか? ここは学園だから、セバスチャンの邪魔は入らないと思うが……まさか、声を掛けた途端に逃げていったりはしないよな? 

ああ、もう吐きそうだ!


 アズナイルが吐きそうになっていることなどには気づくはずもなく、サーフィニアは意識して穏やかな笑みを作ると、彼に声をかける。


「王子殿下、おはようございます」


 頭がパンパンになっていたアズナイルは、聞き慣れた愛しい声の聞き慣れない呼びかけに戸惑ったのと、むこうから声を掛けてくれるなんて思ってもいなかった為に一瞬返事が遅れた。


 その一瞬の間に「クラリス様を待っておられたのですね?」と、笑顔のサーフィニアに言われて──『王子殿下』と言われたのが気になるけど、取り敢えず「おはよう」と返そうとしたアズナイルの思考は、完全に停止する。


 そんなアズナイルを、いつもと違う朝は待ってくれない。


「アズナイル殿下、おはようございます。お待たせしました」


 クラリスがにこやかに歩み寄ってきて、目の前で綺麗なカーテシーを披露しているが、一ミリも動けない者が一名増えただけで、周りの景色だけはゆるやかに流れていく。


 アズナイルが我に返ったときには、クラリスに袖口を掴まれて並んで校舎に向かって歩いている途中だった。


 凝り固まった首をなんとか動かして振り返ると、すぐ後ろをついて来ていた浮かない顔のノリスと目が合う。視線をずらすと、その後ろにはクルスに手を引かれたエルトナが。


 更にその後方に、前後をマリアベルとセバスチャンに、左右をベルビアンナとライラに守られるように囲われて、時折楽しそうにお喋りしながら歩いているサーフィニアが見える。

見えるけれども、ただそれだけ。視線が交わることは、一度もなかった。





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