余話 〜 Boy meets girl 〜 B&C ②
引き続き、ベルビアンナとクルスの話です。
密かに行動する時は、遠回りしてでもなるべく人目に付かないような場所を選びながら移動するのが一般的だが、そこはクルス。
『仕事ができる』は自称だと思われたりもしているが、間違いなくボルトナー家の優秀な次男坊なのだ。
あっという間に階段が見える位置にまでたどり着いたクルスは──それこそ人目に付きにくい場所に佇む──ベルビアンナの華奢な背中を捉えた。
彼女の向かいには、あの男がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて立っている。
それを認めたターコイズブルーの虹彩には、ブロンズが混ざり始める。
次の瞬間にはグンッと距離を詰めたクルスが鋭い声を発したのと、ベルビアンナが右足を後ろに振り上げたのは同時だった。
「伏せて!」
けれど、勢いのついた足は止まらない。
(ええぇ、今? ちょっと待ってよ。ここまでやらせてっ!)
さっきはヒールの踵だったけど、今度はつま先で男の向こう脛を思いっきり蹴りつけてから伏せた。
ベルビアンナが伏せるのとほぼ同時に、クルスは鉄球並みの土球を放ったが、彼女の思わぬ行動によって狂いが生じる。
弁慶の泣き所──向こう脛を蹴られた男が痛さの余り前のめりになった事で、胸の辺りを狙った土球が当たらない可能性が出てきたのだ。
(頼む! 間に合ってくれ!)
クルスの願いは、願いを超えて土球に届く。
超高速で回転しながらも真っ直ぐに飛んだ土球は、男の後頭部をギュルギュルと音を響かせながら激しくなぞって行った。
「あっ、あっ、熱い! 痛い!」
左足と後頭部を押さえたハデスがヒョコヒョコ跳ねて──転んだ。
「「……プッ」」
転んだから笑ったのではない。
クルスの土球が、実にいい仕事をしていたからだ。
摩擦熱により、毛根の細胞までやられてしまったんじゃないかと思えるほど真っ赤に染まっている一本道には、二度と髪が生えてこないかも知れない。
笑いが重なった事でハッと顔を見合わせた二人は、笑っている場合ではない事を思い出した。急いでここを離れなければ誰かに見られてしまう。
クルスは鋭い目つきでサッと辺りを見回したが、幸い今のところ誰も気が付いてはいないようだ。
「来て! こっち」
ベルビアンナの手を握ったクルスは走り出す。
リバーマス公爵邸の見取り図や護衛騎士の配置図、交代のスケジュールなどを頭の中で素早く展開させながら、最適解を導き出していく。
そうして誰にも見つかる事なく敷地の外に出ると、一番近くの路地を曲がった所で、ピィィーッと口笛を吹いた。
◇◇◇
ドキドキしているのはクルスのせいじゃない。
あちらこちらを引っ張り回されながら、ヒールで走ったせいだ。
クルスがやっと足を止めたので、ベルビアンナが息を整えていると、どこからともなく小柄な人物が現れた。
「早かった、ですね……姉上」
現れたのは──ドレスを纏った──弟のニルス。
ニルスはクルスが女の子、しかも、自分と同じ歳のベルビアンナ・シラー嬢の手を引いている事に驚いたが、顔には出さなかった。
驚いているのはニルスだけではない。ベルビアンナもそうなのだが、その訳はニルスとは全然違う。
(イヤだわぁ。この兄にして、この弟あり! なのかしら……それよりも、そろそろ)
「この手を離して頂けないかしら」
「あっ、ごめん」
と離した手を、ベルビアンナがさり気なくさすったのをクルスは見逃さなかった。
よく見ると、自分が握っていなかった方の手まで赤くなっている。
更に、パフスリーブの左袖の肩のあたりには、シワまで寄っているではないか。
「ニルス、馬車の準備は?」
ドレスを着ている時は『ニーナ』だ。それなのに、普通にニルスと呼ばれた為、窘めかけて──口を噤んだ。
合流した時には、いつもより少し濃い目のターコイズブルーだった瞳に、ブロンズが混ざり始めたのを見て取ったから。
「出来ています」
「じゃあ、この子を家まで送ってあげて」
「……姉上は?」
「俺は、とどめを刺して来る」
もう設定も何もあったもんじゃない。ニルスはやっぱり文句を言いたかったが、消えるようにいなくなられた後ではどうする事もできなかった。
(はぁ。送るのはいいとして、この後の展開を僕にどうしろと……)
「あの、ニル」
「ニーナ! 今はニーナだから。合わせてください」
バレているのは分かっているけど、それはここだけの話。
そして、頼むから合わせて欲しい。との切なる願いはどうやら聞き入れられたようだった。
「ニーナ様、わたくし一人で帰れますから、送って頂かなくても結構ですわ」
「それはできないの! 可憐な乙女が兄上にずたぼろにされたら、あなたも夢見が悪いでしょう?」
(可憐な乙女……。えっ、笑ったらダメなところよね?)
◇◇◇
馬車の中で斜向かいに座ったベルビアンナとニルスは、何を話せばいいのかお互い分からなくて暫く黙っていたけれど、覚悟を決めたニルスが口火を切った。
「シラー嬢……この事は、秘密にして貰えませんか」
「当たり前ですわ。他人が隠したがる趣味を言いふらすなんて、はしたない真似は致しませんわ」
「はっ? 趣味?」
僕の趣味は、クルス兄上の観察日記をつける事だけど……知ってるはずないですよね?
「ええ。だけど、驚きましたわ。兄弟揃って女装が趣味だなんて」
「…………」
えっ、冗談ですよね? 女装は趣味だと思ってるんですか?
この子、のほほ〜んとしている様に見えるだけなのかと思っていたけど……まんまなんですね。
ハァ、仕方ありません、趣味にしておきましょう。
「ハハッ、そうなんです。驚いたでしょう? だけど僕は、君にも驚いているのですよ。あの『兄上』を目覚めさせたうえに、獅子まで起こしてしまったのですから」
クルス兄上のブロンズ──最後に見たのはいつだったか、なんて思い出せない。
「確かに目は覚めたみたいですけど、設定は滅茶苦茶なままで一人芝居を始めましたのよ? それが怖くて……だけど、あなたのお兄様なら納得ですわ。それに、あの方は獅子ではなくて、片足を上げたくらいで転んでしまうただのおじさんですわ。それに……うふふふふ。後はお兄様に聞いてくださいね〜 ふふふっ」
思い出したベルビアンナは笑いが止まらないけれど、
「……一体、何の話です?」
「えっ?」
「えっ?」
シラー邸に着くまで、二人の話は噛み合わないままだった。
◇◇◇
先日、クルスに助けてもらったお礼をちゃんと言っていなかった事を思い出したベルビアンナは、クラリスと街に買い物に来ていた。
(助けてもらったしぃ、送ってもらったから、お礼だけっていうのもねぇ。手紙になにか添えたいけど、何がいいかしらぁ)
なかなか決まらずに商店街をプラプラしていると、一軒の可愛らしいお店が目に入った。
(……女装が趣味だから、アクセサリーでもいいかも)
お店に入ろうとしたベルビアンナに、クラリスが声を掛ける。
「ねぇ、ベル。自分の分は後にして、先ずはボルトナー様へのお礼の品を選んだら?」
だからぁ、それを選ぶ為にぃ──なんて、約束だから言えない。
「分かっているわよぉ。だけど、男の子が気に入りそうな物なんて難しくってぇ。ねぇ、クラリスなら何をあげる?」
ドキリとしたクラリスは、思わず胸元をギュッと握りしめた。
そこには、あの日渡したくて渡せなかった、琥珀色の石が付いたベビーリングがネックレスになって揺れている。
「わっ、私は関係ないでしょう! む、向こうのお店に用があるから、ベルはここで頭を冷やしてて!」
(ええぇ、どうして怒られるのぉ。頭を冷やすのはクラリスでしょう。何よ、もぉ〜。だけど、丁度良かったわぁ)
クラリスと別行動になったベルビアンナは、あれこれ迷った末に、ミントグリーンの石が付いた髪留めを選んだ。
ミントグリーンはベルビアンナの瞳の色なのだけど──それが意図してなのか、天然なのかは、神……とベルビアンナだけが知る。
お店を出た所で、少し先に見覚えのある背中を見つけた。
(あらぁ、丁度良かったわぁ……今日は女装じゃないけど、まぁいいわよね?)
近付いて、クルスに声を掛けようとしたベルビアンナだったけれど、その足はピタリと止まる。
脇道から出て来た女の子が目の前を横切るとクルスは立ち止まり、その子を目で追っていたかと思ったら、後をつけ始めたのを見てしまったから。
自覚はないけど軽くショックを受けている所に、追い打ちを掛けるように近くにいた女の子達の会話が聞こえてくる。
「ねぇ、見て。ボルトナー様ったら、また女の子を追いかけているわよ」
「やだぁ、また? あの方、よく綺麗だねとか可愛いねとか声を掛けてくるけど、その割にはデートのお誘いとかではないのよね。一体何がしたいのかしら?」
「あっ! そう言えば、先日エブリン様から聞いたのだけど、綺麗だねって言われたからお礼を言おうとしたら……顔ではなくて、胸元を見られていたんですってよ」
「何ですって! 嫌だわぁ、気持ち──あっ、戻って来ますわ。は、早く向こうに行きましょう!」
ベルビアンナの事など気にも留めなかった二人組は、そそくさとその場を立ち去って行った。
(へぇぇ〜。なぁにが『ものすご〜く可愛い子』よ。誰にでも言ってるんじゃない。しかも、胸元って……最低のチャラ男だわ!)
女装が趣味だけど、ちょっとだけ男の子らしいところもあって──
何となくカッコイイかも? と思い始めていたベルビアンナだったけれど、一気に冷めた。
クラリスを捜して、もう帰りましょう。と歩き出したところで、彼女達の言った通り、戻って来たクルスに見つかってしまったらしい。
「あっ! ベルビアンナちゃ〜ん。こんな所で会えるなんて、今日はツイてるなぁ。ねぇ、これはもう運命みたいなもんだからさ、一緒にお茶でも」
「どちら様かしらぁ〜」
「えっ? 僕だよ、この前リバーマス……あっ! えっと、い、妹に聞いて──って、ちょっと待って!」
また、訳の分からない芝居に付き合わされそうになってウンザリしながらも……近くで見ると、やっぱりちょっとだけカッコイイと思ってしまう。
(ああ、ダメダメ、最低のチャラ男なんだから!)
走って逃げようとしたけれど、手を掴まれた。
「ねぇ、僕の話を聞いて?」
化粧室での挙動不審振りから一転、あの無駄に広い豪邸や、入り組んだ広大な庭を迷いなく進み、助け出してくれた頼もしい手。
だから尚の事……。
「離して!」と叫ぶ声と、パシンと乾いた音が響いたのは同時だった。
驚いて手を離したクルスが我に返った時には、既にベルビアンナの姿はどこにもなく。
「あれっ? えっ?」
何が起こったの?……確か、ベルビアンナちゃんの手が僕のほっぺたに──
そこにそっと手を添えたクルスの顔は、ユルユルと緩んでいく。
(ベルビアンナちゃんが触れてくれた所が──あったかい)
鈍いとか、天然だ、と言えるレベルはとうに超えてしまっている。
恋の病だとしても、即入院コースへまっしぐらである。
◇◇◇
半べそをかいたベルビアンナと合流したクラリスは(自分のせいかも)と思ったのもあって、とあるカフェに誘ったのだけれど……。
「嘘でしょ? まだ午後のお茶の時間にもなっていないのに『本日は完売しました』って……」
「ライラが来たのかしらぁ」
「今日は図書館に行くって言っていたから違うと思うわ。残念だけどここにはまた三人で来る事にして、今日はうちでお茶しましょう。美味しいスイーツを用意させるわ」
そうして、クラリスの家で美味しいスイーツとお茶を楽しんだ二人が、あの店に三人で行く日など永遠に訪れない事を知ったのは──
それから数日後の事である。




