余話 〜 Boy meets girl 〜 B&C ①
ベルビアンナとクルスの話です。
時系列は『9話』より前になります。
華やかな音楽と楽しそうな笑い声──に紛れた醜い噂話や、きつ過ぎる香水の香り。毎回毎回それだけでもウンザリなのに。
「ウフフッ もう〜飲み過ぎじゃないですか?」
「君とゆっくり話がしたいのに、飲むわけないだろう? そんな事よりも、向こうの部屋にはね、君の為に沢山のプレゼントを用意しているんだよ、可愛いクリステル。見てみたくないかい?」
今回は、うっかり変なのに捕まってしまった。しかも、初対面のはずなのに、相手はこちらの名前までリサーチしている。
(お酒の匂いをプンプンさせているくせに……アホなの? それに主役でもない、ましてや初対面の子供にプレゼントって、一体どういうつも)
ねっとりとした気持ちの悪い手に掴まれている手の甲に、生温かいものが触れる。
(ギャァァァー! 腐れるっ!)
クルスは力一杯、男の手から自分の手を引き抜いた。
その際に、男の指を再度確認するのも忘れない。
「嫌ですわ、もう、冗談ばっかり」
「冗談なもんか。私は君の為なら何でもするし、何でも買ってあげるよ。だから、」
肩を掴まれそうになったのをスルリとかわす。
「まあ! だけどわたくし、あなた様の奥様に睨まれたくはありませんから、そろそろ失礼しますわね。ごきげんよう」
「私に妻など……あっ、待って、クリステル!」
(誰が待つか、ロリコンの変態野郎!)
これ以上モタモタしていたら部屋に連れ込まれる。サッと踵を返すと足早に会場の人混みに紛れ混んだ。
リバーマス公爵邸の大広間──王都の中では王宮の大広間の次に広いと言われているこの場所で、公爵の一人娘マデリンの誕生日が盛大に行われている。
(消毒、消毒ぅー、手が腐れる前に急がなくっちゃ!)
舞踏会などでの仕事の時は毎回ドレスを着ているが、正真正銘健全な男──少年だ。だから迷ったけど、クルスにとっては非常事態なので、普段は絶対に使わない化粧室に駆け込んだ。
念の為、大広間から一番遠い所を選んで。
(奥には入らないから許してね)
石鹸で、何度も何度も入念に洗う。
(大体さぁ、子供が主役なのに真っ昼間からアルコールなんて出すんじゃないよ。おまけにあんな気色の悪い奴まで招待してるなんて! それにあいつ……)
声を掛けられた時には確かにはめていた結婚指輪を、いつの間にか外していた事を思い出す。
(初犯じゃないな……そんな奴が公爵邸に? やっぱり、)
仕事モードに突入しそうになったところで、化粧室のドアがカチャリと音を立てた。
ここを使っている事に後ろめたさを感じていたクルスは、音が聞こえた瞬間、急いで手洗いを済ませようとしたが……いつの間にか泡立てが過ぎていたらしい。
まるで洗濯桶のようになってしまった洗面ボウルに、笑うしかなかった。
◇◇◇
(もぉ〜何なのよ、あのマカロン! ジャムの詰め過ぎだわ。指に付いてしまったじゃないのよぉ)
ここが自分の家ならペロペロと舐め取るけれど、流石に他所の家でそんな事はできない。
プリプリしながら化粧室の扉を開けたベルビアンナは──こんなに奥まった所を選んでしまった事を後悔した。
(……変態さんがいるわ……叫んだほうがいいかしら? だけど早く手を洗いたいし、面倒臭いわねぇ。仕方な〜い、無視しましょう)
一応社交の場で、挨拶も交わさずに手を洗い始めたお隣さんに驚きながらも、クルスはちょっとだけホッとする。
声をかけて来ないって事は、知らない子かな? と思ったクルスは、鏡越しにチラリと覗き込んで──また驚いた。
(あの子だ! わわっ、どうしよう──じゃなくて、これはチャンスだ。話しかけなくっちゃ!)
「やあ、君。また会ったね。僕のこと憶えてる?」
ドレスを着ている事を忘れているのか、ベルビアンナは爽やかに笑いかけられた。
(大丈夫かしらぁ、この人……設定がおかしくなってますわよ? っていうか、また会ったとか、憶えてるとか……何の事かしらぁ?)
会った記憶もないのだから、憶えているはずがない。
クルスは『また』と言っているが、それは、ベルビアンナが春のお茶会の日にクラリスと号泣していたのと、その後、応接室の前で待たされていたのをクルスが一方的に見ただけの事。
ベルビアンナからしてみれば『何のこっちゃ』である。
ベルビアンナは、どうしたものかしら? と考えたけど、先ずは目を覚まさせてあげなくては。と思った。
「わたくし、そんなに可愛いドレスに見覚えはないですぅ」
「えっ、ドレ──ああぁ、ちっ違っ、こっこれは、あのしご、わわっ、違っ、僕──じゃなかった、わ私は、えっと、あの、その、えっと……そっそうだ、くっ、クルスお兄様に聞いた事があるの!」
(あらぁ? そうきましたか。目は覚めたみたいですけどぉ〜)
焦り過ぎたクルスは思いっきり秘密をバラしてしまったが、今まで誰にもバレた事はない。大丈夫だ! と無理やり自分に言い聞かせていたら、妙案が浮かんで──クルスお兄様が誕生した。
と言っても、現に弟がいるのだから、誕生したも何もないのだが。
そんな事、今のクルスには関係ない。
そうだよ。このチャンスに、自分で自分を売り込むんだ!
「わたくしのお兄様はね、とぉ〜ってもカッコイイのよ。アッシュブロンドの髪にターコイズブルーの瞳でね、アズナイル殿下の側近の中でも一番偉いの。殿下の右腕なんだから!」
(あらぁ、一人芝居が始まったわぁ。面白いのかしら? まぁ折角だから、ちょっとだけ見てみましょうね〜)
知り合いの少ないパーティーに退屈していたベルビアンナは、のんびりと構える。
「そのお兄様が言ってたの。ベルビアンナ・シラーちゃんっていう、ものすご〜く可愛い子がいるって。わたくしもそう思うわ。それに美男美女同士で、クルスお兄様とすごくお似合いなんじゃないかしら」
しかし直ぐに──化粧室なんかで、呑気に芝居見物をしようとした事を後悔した。
(……怖っ! どうしてフルネームを知ってるの? 失敗したわ、早く逃げるべきだったわねぇ。今からでも遅くないかしら?)
男の子が女装をしている事には直ぐに気付いたのだが、それが誰なのかは分かっていなかったベルビアンナは、蛇口に手を添えると、気付かれないように狙いを定める。
「そうだわ、今度──キャァァァ!」
「あらぁ、ごめんなさ〜い。わたくしとしたことが。直ぐにタオルを借りて来るから待っててねぇ」
ベルビアンナが出て行った化粧室には、顔からポタポタとしずくを垂らすクルスが一人──呆然と立っていた。
(ちょっとやり過ぎたかしらぁ。だけど怖過ぎたんですもの、仕方ないでしょう?……ハァ、もう帰ろうかしら。クラリスも来てないですしぃ)
ベルビアンナが帰宅を考えていた頃、漸く我に返ったクルスは嬉しそうにホヤンと笑う。
(タオルを取りに行ってくれたんだ。ベルビアンナちゃん、ものすご〜く可愛いうえに優しいなぁ)
ベルビアンナから、ついでに顔を拭いて貰おうと、ニマニマしながら待っていたクルスだったが──待てど暮らせど、彼女は戻って来ない。
(おかしいなぁ……迷子になったかな?)
心配になったクルスは捜しに行こうと化粧室を出た所で、この邸のメイドと鉢合わせた。
「まあ、大変! すぐにタオルをお持ちします」
「待って! タオルを持ってないって事は、誰かに頼まれて来た訳ではないのね?」
「えっ、ええ……」
なんだかザワザワと胸騒ぎがする。
「あの、友達を捜しているのですけど。ハニーブロンドの髪で瞳はミントグリーン。ドレスはベージュで上半身にレースが、」
「ああ、シラー様ですね? 先程、階段の下辺りで──えっ、あっ、あの!」
最後まで聞いている余裕はなかった。ドレスもヒールもクルスには慣れ親しんだ物。ものともせずに駆け出した。
◇◇◇
ベルビアンナはリバーマス公爵夫妻に挨拶を済ませ、大広間をあとにしようとした所で、追って来た公爵に呼び止められた。
なんでも、今日の記念のお土産があるそうで──取ってくるからここで待っておくようにと言われて──階段の下で待っているのだけど、公爵はなかなか戻って来ない。
(公爵家にしては段取りが悪いわねぇ。記念品なんていらないんだけどぉ)
そう思っても、相手は公爵家。しかも当主だ。いらないとも言えないし、黙って帰るわけにもいかない。
(ハァ、クラリスが正解でしたわ。来なければよかったぁ)
「お嬢さん、どうしました?」
(キャァァァー!)
いきなり背後から聞こえた声に飛び上がるほど驚いた。
「もしかして、帰るのですか? 分かりますよ。こう言っては何ですが、ここは退屈ですもんね」
(……まさか。さっきの……声に出ていたのかしら?)
突然現れた男は、ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべているけれど、それがかえってベルビアンナには胡散臭く思えた。
曖昧に笑い返しながら、さり気なく辺りを伺う。
(公爵は……まだね。大広間からは少し離れているし、音楽が邪魔をして叫んでも聞こえないかも知れない……)
嫌な汗が背中を伝う。
「おや? 顔色が悪いね。人に酔ったかな? 向こうの部屋で少し休んでおくといいよ。おいで、案内しよう」
『おいで』と言われるより先に、肩をがっちりと掴まれて焦る。
「あの、大丈夫です。公爵様に、ここで待っておくようにと言われていますので」
「ああ、お土産だろう? それじゃあ、その部屋まで連れて行ってあげよう。沢山あり過ぎて、君に渡す分がどれだか分からなくなっているんじゃないのかなぁ」
男の手から逃れようと藻掻くけれど、肩に食い込むほど強く掴まれていて逃げ出せない。
「フフッ、逃さないよ。さっき、君の様に可愛い子から逃げられてしまってねぇ。痛い目にあいたく無ければ大人しく──ギャッ!」
大人しくなんて、するはずがない。生活魔法程度でも、ベルビアンナは火が使えるのだ。
肩を掴んでいた手を焦げ付かせ、男の足の甲目掛けて全体重を載せたヒールの踵を落とす。
そこで緩んだ手から上手く抜け出したけれど、十歳の子供の全体重なんてたかが知れている。すぐに体勢を立て直した男から、今度は右の掌を掴まれた。すかさず翳そうとした左手も。
「ハハッ、元気がいいねぇ。これは、育てがいがあるなぁ」
本性を現した男がニヤニヤ笑っている。
(いや〜ん。気持ち悪ぅ〜い)
たかが十歳。されど、前世五十八年分の記憶がある。
大学時代、クラブでバイトをしていた経験もあるから、この手の輩の交わし方などはお手のもの。
だけど……悲しいかな。やっぱりたかが十歳の小さな体では、大の男には太刀打ちできない。
頼みの魔法も、両手を掴まれているから使えないし──
(嫌だわぁ〜どうしましょう?)




