39・つかの間の ②
セバスチャンに怒られたけど、やっぱりニアに危ない物を持たせたくなかったので、一株だけお手本を見せてもらったあとは全部俺が刈り取った。
と言っても小さなバスタブなので、さほど時間はかからずに済んでしまったが。
俺が刈り取ったものをニアが束にしていく。
そんな、ほんのわずかな共同作業の時間が、たまらなく嬉しかった。
ちょっだけ跳ねた泥をほっぺたにつけたまま、明るく楽しそうに笑うニアをいつまでも見ていたくて……本気で時が止まればいいのにと思う。ニアも同じ気持ちだったらいいな。
「お疲れ様でした。あっという間に終わっちゃいましたね」
「疲れる程ではなかったけど、楽しかったよ。昨年の稲刈りは見学だけだったからね……この後の予定は何かあるの?」
これから何をしようかと、迷っている様子のニアに聞いてみる。
「この前は川に行ったでしょう? だから、今度は森にピクニックに行こうかなぁって。ブラックベリーやブルーベリーが採れるんですよ! だけど、みんな訓練に行っちゃったから……」
「どうして? 二人じゃ駄目なの?」
ニアの瞳がまん丸になる。
考えてもいなかったような驚きぶりに少しへこむが、もうひと押し!
「私は二人でも楽しいと思うけど、駄目かな?」
ニアのかわいいほっぺたが薄く染まる。
「だ、駄目じゃないけど……私と二人だけだと、つまらなくならないかな」
「まさか! サーフィニア嬢さえいれば、何をしようがどこに行こうが、楽しいし嬉しいに決まってるよ!」
邪魔なセバスチャンがいない今、思う存分、ニアを堪能──はい、分かっています。俺はまだ十三歳ですよ? 変な意味じゃないです。
だから、武器を構えるのはやめてください、マリアベル殿!
「じゃ、じゃあ、ふっ、二人で森にピクニックに行きましゅお!」
いやぁぁ、また噛んだぁぁと真っ赤になって蹲るニアが可愛すぎて……かわいいから笑ったのに、少し拗ねられてしまった。
それもまた可愛く思える自分に呆れる。
森まで行くのに、アデルにニアも乗せ──させてはくれなかった。
うん。セバスチャンがいようがいまいが、あんまり関係なかったな。
◇◇◇
のんびりとアデル達を歩かせて行った先にあったのは、森というより、手つかずの裏庭と言ったほうがしっくりくるような場所だった。
先に馬を下りてニアの元に行く。
マリアベル殿の顔色を窺いながら手を差し出すと……これは許容範囲だったらしく、無事にニアを馬から下ろす事ができた。
ランチにはまだ早いから、先にデザートやジャム用のベリーを摘む事にする。ニアは、ブラックベリーよりもブルーベリーの方が好きだと言うので、ブルーベリーを多めに摘んでいく。
「……殿下、あんまりつまみ食いをしていると、ランチが食べられなくなりますよ」
「あっ、甘くて美味しいから、つい……」
なんて……本当なのは半分だけ。
二人きりだと浮かれていたのに、いざとなると緊張してうまく喋れなくなっていた。情けない。
「学園って、どんなところですか? お兄様に聞いても、ニアがいないからつまらないとか言うばかりで、教えてくれないんです」
アクトゥール殿の言う事はもっともだ。
ニアがいない場所なんて、どんなところだってつまらない『ニアがいないから』──だけど、あと一年したら。
「……ニア」
マリアベル殿がいる事など気にしていられない。
セバスチャンにも怒られたけど──今だけ、どうしても──手紙だけで呼ぶ名前で呼びたかった。
ニアの瞳が驚きに見開かれて──透き通ったアメジストの大きな瞳に俺が映る。
次の瞬間には耳まで真っ赤に染めあげて。
「だだだ駄目ですよ! 殿下、それは、手紙だけの……」
「分かってる。けど今は、二人きりだから」
「マリアベルがいます! 聞かれたら大変な事になりますよ!」
適切な距離を保ってお過ごしください。と言ったきり、少し離れたところで待機しているマリアベル殿をチラッと見ると、微妙な顔をしていたが……フイッと視線を逸らされた。
『適切な距離』の範疇に入れてもらえたようだ。
「大丈夫みたいだから、ニアにも呼んでほしいな」
ますます顔を赤くして、なななななとか、だだだだだなんて言いながらアワアワしている。どこまで赤くなるんだろう。
楽しくなってきた俺は調子に乗って、ニアの顔を覗き込んで、
「ねぇ、ニア。私の事もあの名前で呼んでくれないかな?」
と王子様スマイルで甘く囁いてみたりする。
涙目で、キッ! と睨んでくるけれど、ちっとも怖くない。
ただただかわいいだけ。
もっと追い込もうか、この辺でやめておこうか?
考えていると、ニアがフゥーッと大きく息を吐いた。そして、
大きな瞳を三日月のようにスゥーッと細めると、
「……レオン……」 そのままニッコリと可愛らしく微笑んで、
「レオン? 今日のレオンは、随分いじわるね?」 小首を傾げた。
…………そうだ、ニアは天使だった。人間が敵うはずがない。
調子に乗っていた俺は、小さな天使から破壊力が半端ない猛反撃を受けて、息も絶え絶えになる。
「うん。やっぱり、これは駄目だな。うん。手紙だけにしておこう」
今はまだ。
◇◇◇
それからは色々な話をした。
学園の事、プラント領の事、側近達と過ごす日々、スヴァイルの過保護っぷりなど。ベリーを摘みながら、ランチを食べながら──会えなかった一年分の話は尽きる事なく続いていく。
ところで、
「マリアベル殿は……もう、戻って来たかな?」
「ハハハ……あぁ、うん、多分、大丈夫……かな?」
呼び名でワタワタしたあとに、こんな俺達をどんな目で見ているんだろうとマリアベル殿を捜すと──アデルのたてがみに絡んでいた。
(わたくしの事も、たまには呼び捨てにしてくださいな。えっ? 嫌だわ、そんな。いきなり『マリア』だなんて……照れるじゃないですか。えっ、あなた様の事も? いやぁぁ、無理です、無理です! 恥ずかしくて言えません! キャァァァ)
……何が起こっているんだ。怖すぎる!
「ま、マリアベ──」
「シィィィ! マリアベルは、たまにどこかへ飛んでいってしまうんです。今は、そっとしておいてください」
たまにどこかへ? 大切なお嬢様を放っておいて? というか、
「えっと、アデルに言ってるんじゃないよな? アデルは女の子だから」
「ふふふ 白いからですよ。マリアベルはツンデレなんです」
白いから? ツンデレ? 分からない……プラントの方言か?
「私達は、のんびりランチを食べながら待っていればいいんですよ」
アデルの虚ろな目が気になるが、時間が勿体無い。
アデル、すまない。もうしばらく耐えてくれ!
「そろそろ、帰りましょうか。ランチにもお茶の時間にもお嬢様がいらっしゃらなければ、旦那様方が淋しがります」
何事もなかったかのように、いつもの優秀な侍女の顔で戻って来たマリアベル殿にどんな顔をすればいいのか分からず、思わず挙動不審になってしまったが──
そんな、探るような目で見られる筋合いはないんですけど!
◇◇◇
会えない一年は気が遠くなるほど長かったのに、楽しく幸せな時間は瞬きをする間に過ぎてしまう。
ニアもまた、俺と離れてしまう事を淋しく思ってくれているのか、領地の境界まで見送ると言って付いて来てくれた。
(仲直りをしたらしい)セバスチャンの操る馬に乗って──なのが残念だけど。
迷いの森の端で馬から下りると、ニアも下ろしてもらっていた。
「サーフィニア嬢。一週間の約束だったのに、たったの二日しかいられなくて申し訳ない。だけど私は、すごく楽しかったよ。ありがとう」
「私も、とても楽しかったです。約束を守ってくださって、ありがとうございました」
大きな瞳に浮かぶ涙をこぼさないように、一生懸命笑顔で見送ろうとするニアを、このまま攫って行ってしまいたくなる。
そんな事できないのは分かっているから、せめて抱きしめたい──
けど、無理だろうな。
握手くらいなら許してもらえるだろうか?
チラリと番犬──優秀すぎて怖い護衛騎士と侍女を伺い見ると、二人揃ってこちらに背を向けた。お許しが出たのか!
背後でも、ネイサンがそうしたのが気配で分かった。
ネイサンは大人だ。分かってくれた。分かってくれたぞ?
お前達……ガン見はやめて、向こうを向け!
握手はお許しが出た……ということは、上手くすれば隙を突いて抱きしめたり、ほっぺにチュ──とかしませんから、武器をチラつかせないでください!
ニアに右手を差し出すと、ニアも右手を伸ばしてくる。
その小さな手をそっと握りしめると、ニアの瞳から耐えきれなかった涙が一粒こぼれ落ちる──よりも早く──
ニアを引き寄せて、そのまま一瞬キュッと抱きしめ、パッと離れた。
俺がいた場所の近くには、氷の矢と土球に弾かれた小型のナイフが二本落ちている。
音を出さずに舌打ちした二人に口の端だけで笑って見せて、アデルに飛び乗った。
全く、本当に容赦ないな。だけど、そんな事よりも、
「サーフィニア嬢。来年は、王都で待っているからな!」
「はい、必ず参ります!」
ニアの瞳に涙はもうない。真っ白な花のように輝くニアの笑顔を瞼の裏に閉じ込めて、プラント領をあとにした。
◇◇◇
「なぁ、アズナイル。『また』お前は何かやらかしたのか?」
「……いや、何も」
「そうか」
「そうだ」
「王都に戻ったら、ジルヴァラの剣を貰うぞ」
「……いいだろう」
「私は、三日間の休暇とジャムを一瓶ずつ頂きたいです」
「…………いいだろう」
「えっと〜、僕はねぇ」
「お前にやる物は何もない!」
「ええっ、何でぇぇ!」
八つ当たりという名の酷烈訓練を受けていないからである。
◇◇◇
「私ね、マリアベルの真似をしてみたのよ」
「私の真似……ですか?」
「そうよ。ほら、たまにクラウド達にやってるじゃない。首を傾げてに〜っこり笑うの! マリアベルがあれをすると、みんなメロメロになって言う事を聞いてくれるじゃない? だからね、私も試してみたの!」
(……それはもしや『絶対零度の魔天使の微笑み』と影で言われているあれの事かしら? だとしたら、みんなガタガタ震えながら言う事を聞くしかない。が正しいのだけれど……)
「殿下がいじわるを言うからね、やってみたの」
(……本物の純天使にあれをやられたら、殿下など一溜まりもなかったでしょうね。それにしても、僅か十一歳にしてあの技を使いこなすなんて、流石はお嬢──)
「ねぇ、聞いてる?」
「はい、聞いていますよ。そうしたら、殿下はお嬢様に(今以上に)メロメロになって、いじわるをやめてくれたのですね」
「なっ、メッ、そ、そんな事、一言も言ってないでしょう! もう、あとは自分でするからいいわ。おやすみなさい!」
部屋から追い出されたマリアベルは反省する──
失敗したわ。
お嬢様の国宝級の微笑みを見られると分かっていたなら、別世界なんかには行かなかったのに……あの白馬のせいよ!
──してなかった。しかも、反省すべきはそこじゃない。
他馬のせいにするのも間違っている。
アデルがプラント領を嫌いになっていないといいのだが……。




