37・かわいい弟
ホカホカの湯気を纏ったおにぎりを、レグルスは黙って見ていた。
取り敢えず、おにぎりを食べてから、このあと……何をするんだっけ?
プラント領の護衛騎士隊がやって来た。
有り難いが、少ないと思った。
特製のドリンクを飲んだ。
魔力が大幅にアップして、川を凍らせる事ができた。
おにぎりを貰った。
アズの風魔法で山小屋へ特製ドリンクと一緒に送ったら、作業員達はたちまち元気を取り戻したそうだ。
クラウド殿が夜通し作業をすると言ったので暗くて無理だと言った。
魔石トーチがあるから、大丈夫だと言われた。
何だそれ。何だこれ? なんだぁ〜 こぉ〜 れぇぇぇ〜!
うん。私もかなり疲れている……はずはないな。ドリンクを飲んだら、疲れなんかあっという間にどこかへ消え去ったのだから。
取り敢えず、一、二時間前の四十一名を侮っていた自分を叱りつけに行きたい。
クラウド殿が自分達がいれば百人力と言っていたが……あれは、一人で百人力分という意味だろう。そうだろう。そうに違いない。
「……兄上、温かいうちに食べてくださいね」
ハッ! と顔を上げると、心配そうなアズと微妙な顔で見ているセスがいた。
「そうだな。おにぎり……セスと私も、やっと食べる事ができるのか。いただきます。の前に、念の為に聞いておくがプラント領のみんなは──」
「紛れもなく一人残らず人間ですよ。ドリンクについては……『審判の地の奇跡』としか言いようがありませんが」
本当に? 確証はあるのだろうか。
「兄上、深く考えたら負けのような気がします。ここはもうクラウド殿にお任せして、私達は次の救援先の事でも考えておきましょう」
「それはいい考えですね、セリオス兄上」
「だろう?」
呑気におにぎりを頬張る弟達を見ていたら、悩んでいる自分がバカみたいに思えてきたレグルスは、美味しいという噂のおにぎりを純粋に味わう事にした。
◇◇◇
プラント領奇跡の特製ドリンクのお陰だろう。疲れ知らずになった騎士とクラウド達の働きで、気付けば橋はもう三分の二ほどが出来上がっていた。
昨夜遅くに陛下から届いた手紙には、一週間後にセリオスとアズナイルを別々の被災地に向かわせるようにと書かれていた。
どちらの被災地もプラント領とは反対方向で、ここから二日はかかる。
読み返していた手紙を置いたレグルスは、小さくため息をついた。
クラウド達がやって来て、少しは元気を取り戻したように見えるアズナイルだが……手が空くと、いつも身につけているブレスレットをじっと見つめていたり、プラント領がある方角をボーッと見ている事が多い。
昨夜は遂に、サーフィニア嬢から貰ったというハンカチを握りしめ、肩を震わせている場面を見てしまい、声さえ掛ける事ができなかった。
(どうしたものか……行かせてやりたいのはやまやまだが)
「兄上、少しいいですか」
セリオスがレグルスの天幕にやって来た。
「あの、アズの事なんですけど」
やはり兄弟。考える事は同じらしい。
「あぁ、私も今考えていたところだ。何とかしてプラント領に行かせてやれないものかと」
「そうでしたか。我々王族が、こんな時に個人的な理由で動く訳にはいかないと分かってはいるのですが……見ていられなくて」
ため息だけが増えていくレグルスの天幕に、また外から声が掛かる。
今度は、アズナイルの三人の側近達だ。
号泣しているクルスの腕を両側から支えて、嗚咽が混じり過ぎて要領を得ない懇願を、エルトナが器用に通訳していく。
要約すると──自分達がアズナイルの分まで頑張るから、アズナイルをプラント領に行かせてあげて欲しいというもの。
自分達の想いと全く同じだ。
しかも、アズ本人も忘れていた事を思い出して、激しい自己嫌悪に陥っているらしい。
ただ会いたいだけでなく、昨年サーフィニア嬢と一緒に植えた米の稲刈りをする約束をしていたのだと。だから、いま行かなければ駄目なんだと。そして、何故そんな大事な約束を忘れていたのかと。
聞いてしまえば昨夜の涙は、二人にとって大事な約束を忘れていた自分を許せずに流したものだという事に思い至る。
融通の利かなそうなノリスまでもが「どうかお願いします」と一緒になって頭を下げて。
何度も、お願いしますと言ってから三人は帰って行った。
「兄上、橋も半分以上は出来ていますし、クラウド達とドリンクがあれば、アズとあの三人が抜けても問題ないと思いますが」
「私も、そこの心配はしていない。ただなぁ……あの真面目で責任感が強くて意外に頑固なアズの事だ。いくら私達が行って来いと言ったところで、素直に行くとは思えないんだ」
やっぱり……問題は、そこなんですよねぇと、頭を抱えるセスと振り出しに戻る。何かいい案はないだろうか。
モヤモヤが漂う天幕に、さらなる来訪者が──声を張り上げて来た。
「レグルス殿下。クラウドです。少しお時間を頂けないでしょうか!」
キビキビと入ってきて、膝をついたクラウドが言うには──
レグルスにとって今夜三度目となる、しかし一番重い哀願だった。
長くなりそうなので、ここも要約しておこう。
アズナイル殿下と会えないと分かってから、お嬢様の食欲がガタ落ちした。このままでは死んでしまう! それでも殿下が行かないとなると、特製ドリンクを託された自分達も隊長に殺されてしまう!
……何とも物騒な。ん? 特製ドリンクを託された──それだ!
「クラウド殿、よく来てくれた。だがもう休んでくれ、私は忙しい。セス、アズを呼んできてくれ!」
セリオスと共に、ぽ〜いと外に出されたクラウドが、
「私はまだ、どれほど皆が大切なお嬢様の事を心配しているのか、隊長がどれだけ厳しく、激しく恐ろしいのかを、半分も話していないのですが」
心配からなのか恐怖からなのか、少し震えながらそう言った。
「……兄上が何か思いついたようですので、安心して待っていてください」
「分かりました。レグルス殿下に、くれぐれも、くれぐれも、よろしくお願いしますとお伝え下さい」
何度も何度も振り返り頭を下げ下げ、漸く闇の中に消えて行った。
よほどその『隊長』とやらは怖いのだろう……。
よし! 俺は、今後もしもプラント領の視察を打診されるような事があったなら、断固として拒否しよう。
そう決意を固めたセリオスは、足早にアズナイルの天幕に向かった。
◇◇◇
「手紙……ですか?」
セリオスに連れられてレグルスの天幕にやって来たアズナイルは、目の前でヒラヒラと振られる封書を見ていた。
「そう、この手紙をプラント男爵に届けて欲しいのだよ」
「……しかし、今ここを離れるわけには。手紙を届けるだけなら誰か騎士を、ネイサンなら男爵と面識もあります」
(思った通りだ。さて、どう攻めるかな?)
一方でセリオスは、ここでピンときた。
(なるほど、そういうことか。それなら──)
「兄上、その手紙は私が届けましょう。それは、此度の支援に関する男爵への礼状なのでしょう? 礼を尽くす為にも、他の者に任せるわけにはいきません。『王族として』アズナイルが行かないというのなら、私が行きましょう」
さり気なくアズナイルを見ると明らかに、しまった! という顔をしている。口元が緩みそうになるのを、レグルスは奥歯を噛みしめて耐えた。
(さてさて、もう少しセスに任せてもいいのかな?)
首を傾げて見せると、かすかに頷いたのが分かった。
「ただ一つ、懸念があるとすれば……いや、私も王族の一員ですから、ないとは思うのですが。万が一に備えて、実績のあるネイサンを供の一人につけさせて下さい。どう転んでも、迷いの森までは『王族』が来たのだと──」
「私が行きます! あっ、いえ、セリオス兄上に万が一の事などあるはずがないのは分かっていますが、実績というなら私の方が……」
あぁ、俺は何を言っているんだ。ネイサンを供につけるぐらいなら俺が! と思ったけど、これじゃあ、セリオス兄上に失礼──
「五日だ」
「えっ?」
「あと一週間したら、お前は別の被災地に行かなくてはいけない。ここから南へ二日はかかる所だ。だから五日。五日でプラント領まで行って帰ってこい。できるか? アズナイル」
「はい、勿論です。お任せください!」
一気に顔を輝かせた弟に、二人の兄はやれやれと肩をすくめる。
「頼んだぞ、アズ。側近達も連れて、明朝できるだけ早い──」
「いえ、すぐに出立します。準備がありますので私はこれで!」
「えっ? おい、待──」
「レグルス兄上、セス兄上、ありがとうございます!」
アズナイルのその声は、天幕の外から聞こえてきた。
呆気にとられているレグルスを見ながら、セリオスはひっそりと安堵の息を吐く。
(良かった、良かった。兄上も命拾いしましたよ? 私は、怖い隊長が口を開けて待っているプラント領に行く気など、さらさらありませんからね。怖い者など、バース殿で既にお腹一杯なんです。さて、私も帰って休みますか)
外に出るとノリスが立っていた。
「どうした、ノリス。準備をしなくていいのか?」
「はい、私は残りますから」
「えっ? どうして」
「誰か一人は残っておかないと、報告書をまとめる時に困りますので。私の代わりにネイサンをつけました」
セリオスとしては勝手に担ぎ出したとはいえ、ネイサンも助けたつもりだったが。
「ハハッ、結局ネイサンは行く羽目になったのか」
「はい。明日はザードが荒れると思いますので、よろしくお願いします。それから……ありがとうございました」
深く深く頭を下げてから帰って行くノリスの背を見送る。
「アズは良き友に恵まれているな。みんなに可愛がられて、羨ましい奴だ。ま、なんだかんだ言って、私達もアズには甘いけどね」
話し声が聞こえたらしいレグルスが出てきた。
「そうですね。でも、兄上も可愛いですよ」
「はっ? どこが! 気持ちの悪い事を言うなよ、セス」
「どこって……こう見えて一途なとこ、とか?」
「…………その言葉、そっくりそのままお前に返そう」
「…………」
一瞬、二人の間に緊張の糸が張られたが、
「フッ、フフフフフ」
「アハッ、アハハハハ」
無理やり笑って、プツリと断ち切る。
「お前も早く帰って休めよ。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
((……なんでバレてるんだ!))
折角二人でいい仕事をしたのに、レグルスは勿論、兄をからかおうとしたセリオスまで頭を抱えることとなり……残念な夜はゆっくりと更けていった。




