36・希望の光
雨が止んでから二日目の夜。アズナイルとエルトナの三兄弟、そしてノリスとクルスの計八名がレグルスの天幕に集まっていた。
「橋が流されてから今日で一週間が過ぎた。雨は止んだが濁流の勢いがなかなか衰えず、復旧作業は思ったほど進んでいない」
「山小屋の食料もそろそろ尽きるだろう。アズが飛ばしてくれてはいるが、そもそもこちらにも十分な食料がないからな。問題は山積みのままだ」
いろいろと策を講じているが、自然の猛威に立ち向かうには物資も人手も足りていなかった。
「救援隊の増員と物資の補給を、お願いできないのですか」
兄上達の言う通り、このままでは作業も進まず食料も底をついてしまいそうだ。
「陛下に打診はしているが、雨による被害は各地で起こっているようだ。セルバーンが一番酷いがここだけじゃないんだ。近々、セスとアズは別の被災地に向かうことになるだろう」
橋梁工事は進まず、何の打開策も見出せないまま別の被災地に……。俺達は何の為にここへ来たんだ! 歯がゆい思いに唇を噛み締める。
そんな重苦しい沈黙を破ったのは、クルスの声だった。
「わわっ、大変だ!」
何が? と思う間もなく、入口近くにいたクルスは慌てて天幕を飛び出したが。
「ヘブッッ!」
何かにぶつかって、転がり戻ってきた。
「誰だ!」
素早く動いたエルトナの一番上の兄エルシドが、クルスの首根っこを掴んでこちらに放り投げながら入り口に剣を構える。
そこに現れた男に、エルシドとレグルス以外の者は安堵をつきかけて──いやこれ、安心できる場面か? と頭を悩ませた。
しかし、悩んでいる暇はない。男のただならぬ気配に殺気立ったエルシドが、今にも斬りかかりそうになっている。
「「兄上! 大丈夫です。そのお方はバース殿です」」
ツゥエルとエルトナの声がハモる。
「バース? あぁ、お前達が仕事をしなかったせいでアズナイル殿下が攫われたという、あの時の」
((ゲッ! バレてる……))
当たり前です。ノリスは心の中でこっそりとツッコミを入れた。
その一方でセバスは──八人もいますね……ドリンクは四本しかありませんが。まぁ、直に届くからいいでしょう。
と、頭数とドリンクの本数にだけ気を取られ、未だ自分に向けられているエルシドの剣など見てもいなかった。
◇◇◇
弟達からは紹介もされず、詳しい話を聞くこともできないまま、バースに急かされたレグルス一行は橋梁工事の現場に来ていた。
「……橋のかけらも見当たりませんが」
「何度も試みてはいるのですが、濁流の勢いが強過ぎて。上流から流されてくる大木などが激しくぶつかれば、我々が立てた橋脚など一溜まりもありません」
大魔王(と聞いている男)が、なぜここを案内させたのか。
レグルスは分からないまま説明をしていた。
「アズナイル殿下とエルトナ殿は、氷魔法を使えますよね?」
なぜ知っているのかと、アズナイルとエルトナは驚いたが──大魔王だからな──と勝手に無理矢理納得する事にした。
そして、バースがそう問いかけてきた意味もすぐに分かった。
「その通りです。しかし、それもすぐに……疲労の蓄積による魔力不足が原因だと思うのですが」
川を凍らせようと何度か試みたが、やはり魔力不足なのだろう。強度が足りずにすぐに割れてしまう。……そうだ!
「バース殿! 我々に力を貸して頂けませんか。あなたの力があれば──」
氷のように冷たい視線で見下ろされ、その先の言葉は紡げなかった。
「どうして私が? あなた方にも、この国の為にも、力を貸す義理など私にはありません。今は余計な力を使いたくありませんし。……ですが『お嬢様の為に』少しだけ手助けしましょう」
『お嬢様の為に』そう言ったバースがサッと手を一振りすると。
ズドン。ズドン。ズドォォォォンと轟音が鳴り響いたあとには──
橋脚が、対岸の岩山までずらりと並んで立っていた。
(…………)
「殿下! ご無事ですか!」
「何事です!」
少しでも疲れを取る為に、早く休むように言っておいた騎士達が次々と飛び出して来る。
そして、目の前に広がる光景に誰もが驚愕の表情を浮かべていた。
しかし、こちらの心境などお構いなしのバースからは淡々と指示を出される。
「あなたも氷魔法を使えますね? では、最初にあなた方三人がこのドリンクを飲んでください。それで川は凍るでしょう。では」
「待ってください! あの、ありがとうございます。あの……」
とっさに呼び止めたもののお礼を言うのが精一杯で、あとは何を言えばいいのか考えがまとまらない。
「あなたからのお礼など必要ありません。お嬢様の為にした事です。……私は道を作りましたよ? あなたは約束を忘れないでくださいね」
後半は、俺だけに聞こえるようにそう言うと──今度こそバースは皆の前から姿を消した。
(約束? バース殿と約束をした覚えなどないが……)
そう思った時、胸の辺りがサワサワと揺れた気がした。
胸のポケットにはサーフィニア嬢から貰ったハンカチが入っている。
取り出そうとしたところで、エルトナが言った。
「蹄の音、嘶き……誰かを呼ぶ声が聞こえます」
えっ? 耳を澄ませてみたが、濁流の音しか聞こえない。
「エルトナ、本当に聞こえるのか」
「静かに!」
あたりにキンッ! と音が響いたような気がした。
エルトナが目を瞑り神経を研ぎ澄ましている。
みんなが息を潜めて見守っていると、エルトナの目がパッと開いた。
「アズナイル、おま──殿下を呼んでいます。この声は、聞き覚えが……クラウド殿だ!」
「クラウド……プラント男爵領の、あのクラウド殿か!」
「そうです。俺の耳に間違いはありません」
エルトナが指差す先を見るが、暗くて何も見えない。
それでもぐっと目を凝らし、耳を澄ます。
「……かぁぁ……あ……いる……んかぁぁ、アズ……殿下ぁぁ」
聞こえる。俺を呼ぶ声が。数十頭はいると感じられる蹄の音が。
「クラウド殿ぉぉ!」
「アズナイル殿下ぁぁ!」
もう誰の耳にもはっきりと聞こえるクラウドの声が、すぐそこに──と思った時には、ドドォォゥッと力強い蹄の音と共に、クラウド達の姿が暗闇に浮かび上がった。
「アズナイル殿下!」
クラウドの声を合図に、プラント領の護衛騎士数十名が一斉に馬をおりて膝をつく。
「プラント領護衛騎士隊副隊長クラウド以下四十名。プラント男爵様の命を受け、ただいま参上致しました!」
その光景は、俺にとってはとても新鮮なものだったが……そんな事を言っている場合ではない。
「クラウド殿、よくぞ来てくださいました!」
今は一人でも手が欲しい。プラント領の護衛騎士達は、日々の鍛錬に加え農作業も難なくこなす体力自慢、力自慢が多い。有り難い。
「プラント領の者達よ、よく来てくれた。私は、セルバーン地方救援隊の指揮をとるレグルスだ。よろしく頼む」
「レグルス殿下、我々に何なりとお申し付けください。何から始めましょう」
プラント領からの援軍は有り難かった。人手は全然足りていないのだ。だが……レグルスは思う。
四十一名か。一領主──しかも男爵家となると、出せる人数はこれが精一杯だと分かっている。分かってはいるが……。
「副隊長、まずは『あれ』を差し出さないと」
「おお! そうだった。まずは『あれ』だな。レグルス殿下、プラント領秘伝のドリンクをお持ちしておりますので、まずはこれをお飲みください。騎士団の皆様の分もあります」
ドリンク……。あっ! と思い出す。
「兄上、バース殿から貰ったドリンクもあります」
「……(あの見るからに怪しい)バース殿から貰ったものは、ひとまず王宮で──」
「大丈夫です。エルトナで毒味は済んでいます」
「おい──じゃなかった。はい、私で実証済みのものです」
俺も飲んだ記憶はあるが、今は黙っておこう。
「それに多分……クラウド殿、このドリンクに見覚えは?」
「ん? おお、見覚えがあるどころかうちのドリンクですよ。今回は人数が多いので樽で持ってきました」
レグルスとセリオスは、目で会話する。
(セス、どう思う?)
(目で見てわかる物ならいいんですけど……)
((う〜ん))
「エルトナ、もう一度飲んで(安全か)証明してみせろ」
エルシドに言われたエルトナは、ヘイヘイといった感じでドリンクを手にすると、フタを開け一気に飲み干した。
(さて、証明ね……そう言えば、バース殿はこれで川が凍ると言っていたな。やってみるか)
ドリンクを飲み終えたエルトナが、立ったばかりの橋脚に向けて氷魔法を放つ。
すると──バリバリバリバリーッと派手な音を響かせながら──橋脚の辺り一面が、あっという間に凍りついた。
((…………))
顔色一つ変えずに黙ってそれを見ていたレグルス兄上が、一言も声を発することなくドリンクを手に取ると、一気に飲み干した。
そして、凍りついた一面よりも上流めがけて同じく氷魔法を放つ。
元々エルトナよりも遥かに魔力の多い兄上のことだ。
更に広範囲に渡って川は凍りついていた。
静まり返った川辺では、誰もが驚愕に目を見開いたまま、川と一緒に凍りついてしまったかのように微動だにしない。
その魔法を解くように、パンパンと手が鳴って──。
「さあ、さあ。皆さんも先ずはドリンクを飲んで疲れを癒してください。すぐに『おにぎり』の準備もしますので、ちょっとだけ待っててくださいね」
「クラウド殿! 私にもドリンクをください。おにぎりの準備もお手伝いします!」
……やはり来たか。というか、セリオス兄上がまだだぞ、ザード。




