4・春のお茶会
いよいよ決戦の日がやって来た。三人にとっては。
美しい春の花が咲き乱れる王宮の庭園には、花々にも負けないくらいに着飾った小さな紳士淑女達が集っている。
初めてのお茶会に緊張している者、慣れた様子でお茶や焼き菓子を楽しむ者、花もお菓子もそっちのけで社交に励む者、目を皿のようにして鬼気迫る勢いで誰かを捜しているのは──ローゼンシュタイン侯爵令嬢一人だけ、かも知れない。
煌めくプラチナブロンドに大きな琥珀色の瞳──は少し血走っている様にも見える。
ローゼンシュタイン侯爵家の可愛らしくも美しい令嬢のプチデビューに声を掛けたい令息令嬢も、その様子に怯んでいるようだ。
クラリスよりも少し年上の令息が《仕方がない、私がお手本を見せてあげよう》と自信満々で歩み寄った瞬間──「視界を塞がないでくださいまし!」と鋭く睨まれ、固まってしまっていた。
その後も勇気ある者達が当たっては砕けるを繰り返していたが、誰ひとり見つけることができないクラリスはイライラで爆発寸前。
ずっとこんな調子なので、流石にもう誰も近付かない。
春の柔らかな日差しをたっぷりと浴びた庭園は、入口付近のテーブルの周りだけ暗雲が立ち込めてピリピリとしていたが、信じられないことにそれに気づかない者もいたらしい。
「あらぁ、美味しそうなマカロ〜ン。一口サイズだわぁ、可愛いぃ」
と、全く空気の読めていない呑気な声が響き──それは、ついに導火線に火をつけてしまった。
なぁぁにが『マカロ〜ン』よ! 私がどれだけ、どれだけこの日を楽しみにしていたのかを知りもしないで、そんな呑気に嬉しそうに!
完全に八つ当たりなのは分かっているけど、一言言わずにはいられないくらいにクラリスの心は限界に来ていた。
怒りに任せて勢いよく振り返ると、口いっぱいにマカロ〜ンを詰め込んだ令嬢と目が合い、それだけで、自然に言葉がこぼれ出た。
「ちょっと! はる! 食べてばかりいないで、あなたも──えっ、はっ、はる!?」
「んへ?……ふぉ、ふぉーコッグッ、ゲッゴッゴホッ……ん、んん、とーこ!?」
「やっぱり! はる、はるなのね? 良かった。いたぁ、はぁーるぅぅ」
「どぉ〜ごぉ〜! 会いだがっだよぉ〜、ブッウェェ〜ン」
抱きあって号泣する二人を周りの者はポッカ〜ンと見ていたが……。
(はる……とやら、何故もっと早く出て来なかったんだ。無駄に怖い時間をすごしてしまったじゃないか!)
(ローゼンシュタイン嬢もだ。何故もっと早くに気づかなかった!)
と、みんなが心の中で責めたてていたのを、泣きながら庭園の隅に移動する二人は知るはずもなく、また、気にする余裕もなかった。
◇◇◇
「落ち着いたみたいですよ。最後の婚約者候補、ローゼンシュタイン嬢に挨拶しなくてよろしいのですか」
「……何がきっかけで再燃するか分からないからな。そろそろ候補者から外そう」
「ええっ、何をドサクサに紛れてるの? 駄目だよぉ、勝手に外しちゃ〜」
「俺もどうかと思うぞ。いくら可愛くてもあの性格ではな」
「わぁ、可愛いだって! エルトナ、実は好みだったりして〜。駄目だよ、殿下の婚約者候補なんだから」
「クルス、喧嘩なら今すぐ無料で買ってやるぞ。訓練場に行くか?」
「い、嫌だなエルトナ。じょ、冗談だよ? 真顔はやめて、本当に怖いから! 助けて、ノリスー!」
エルトナとクルスがじゃれ合うのはいつものこと。放っておいても問題はない。
「アズナイル殿下、そろそろ参りましょう」
「そうだな。二人は忙しそうだから先に戻ろう」
「いやぁー、無視しないで! 助けてぇー」
◇◇◇
庭園の隅に落ち着いた二人は、改めてマジマジとお互いの姿を確認していた。
「ところではる……じゃないわね今は」
「そうよ〜今はねぇ、ベルビアンナ・シラーっていうのぉ〜」
「シラーといえば伯爵家ね。私はクラリス・ローゼンシュタインよ」
「わぁ〜侯爵様ね。流石とー──じゃなくて、クラリスぅ〜」
「たまたま転生した先が侯爵家だっただけよ。それよりベルビアンナ……長いわね。ベルでいいわね?」
「いいわよぉ〜じゃあ、クラリスもね。クラリスだからぁ──」
「却下よ」
「うっうぅ〜酷いぃ、まだ何も言ってないのにぃ〜」
「話が進まないのよ。呼び名なんかよりも、ベルはお嬢様の情報を何か知らない? 見かけたことは?」
「ううん、なんにも知らない。見たことも……ない。クラリスが初めて」
一人でいた事からして、期待はしていなかったけど……。
私もベルが初めてだしね。会えば分かると思っていた通り、ベルはひと目見てはるだと分かった。
今日のお茶会ではるみたいに見落としていたとしても、お嬢様が見つけてくれる可能性だってあるはずなのに、今の所そんな気配もないわね。
怒ったり泣いたり結構目立ったはずなのに──あら? 少々はしたない事をしてしまったかしら?
「クラリスぅ、お嬢様は?」
「もしかしたら、今日は欠席したのかも知れないわね。私は一番乗りして入り口を見張っていたんだけど……そういえば、ベルはどこから来たの」
「私も早めに来たんだけどぉ、緊張してお腹が痛くなっちゃってぇ。化粧室に座っていたらなんだか眠くなっちゃって〜。エヘッ。ほ、ほらぁ、朝早くから着替えだ何だぁ〜で……クラリスも疲れたりしなかった?」
疲れたわよ。だけど、それ以上に楽しみで、楽しみで……。
「そっそれでぇ、目が覚めたから急いで戻ろうとしたんだけどぉ、入口付近から怒鳴り声が聞こえてきてぇ、怖かったから──ほら、あそこ、回廊の隙間からあの生垣を抜けて来たのぉ〜」
怒鳴り声……間違いなく私しかいないわね。それにしたって、あんな所を抜けて来るとか。二人共、生粋のお嬢様ではない証拠ね。
「ハァ、兎に角、今日はこれ以上の収穫はなさそうね。帰ってからお父様に今日の欠席者を調べてもらうわ。時間は掛かるけど仕方がない──そうだ! ついて来て」
◇◇◇
まだ、多くの仕事は任されていないが、自分で選んだわけでもない候補者達にもお茶会にも興味のないアズナイルは、一通り挨拶が終わると早々に執務室に戻ってきていた。
いつものメンバーだけになり、ホッとしたのもつかの間。
「アズナイル殿下、クラリス・ローゼンシュタイン嬢が殿下にお会いしたいとお見えになりましたので、取り敢えず応接室でお待ち頂いておりますが、いかが致しましょう」
第三王子であるアズナイルを護衛する第三騎士団の副団長ネイサンから、扉越しに要件が伝えられる。
「…………」
「やはり、挨拶をしなかったのはまずかったでしょうか」
「だよね〜、他の候補者には挨拶したのに一人だけ外しちゃったもんね。だから、怒って押しかけてきたんじゃない?」
「俺が追い払ってこようか?」
「エルトナ……《一応》侯爵令嬢ですよ」
「あの場できちんと挨拶しなかった俺の手落ちだが、長くなるようだったら仕事が立て込んでいる事にして……取り敢えず、会うだけ会っておこう」
「では、我々も一緒に」
◇◇◇
応接室には、落ち着いた様子のクラリスが一人で座って待っていた。
「ローゼンシュタイン嬢、待たせてすまない」
「アズナイル殿下、ごきげんよう。こちらこそ、お忙しいところ突然お邪魔して申し訳ございません」
「いや、構わないが……何か急ぎの用でもあったのだろうか」
「はい、急ぎ知りたい事がございまして。ぜひとも殿下に教えて頂きたく参りました」
(う〜わぁ。どうして私にだけ挨拶をして頂けなかったのです! とか?)
(黙れ、クルス! 聞こえるぞ)
そうだな。少なくとも俺には聞こえたぞ。だが、クルスの言う通り、それしか考えられない。
「……あー、挨拶のことなら──」
「挨拶? 挨拶なら今いただきましたわ」
「あ、あぁ、それは、そうだな」
よかった、挨拶のことではないらしい。助かった。
コホンと一つ咳払いして仕切り直す。
「それで、知りたいこととは?」
「はい、実は今日のお茶会を欠席されたご令嬢方を教えて頂きたいのです」
((((……欠席した、ご令嬢方?……))))
思いもかけない『知りたいこと』に返すのが遅れた。
「あの、殿下?」
「あぁ……欠席者は誰もいなかったと聞いている。リストでも確認済みだが、それがな──」
「なんですって? 有り得ませんわ!」
おっと、再燃させてしまったか?
「ローゼンシュタイン嬢、殿下のお言葉の途中ですよ」
直ぐにノリスが火消しに回る。
「あっ……申し訳ございません、殿下。取り乱してしまいました」
「構わない。だが、信じられないと言うのなら侯爵に聞いてみるといい。出欠の有無はローゼンシュタイン侯爵も把握していると思うが?」
「はい、殿下の仰る通りです。失礼を致しました」
シュンと肩を落としたクラリスを見て、挨拶をしなかった後ろめたさもあったアズナイルは、つい聞いてしまった。そして、聞かなきゃよかったと思った。
「ローゼンシュタイン嬢、あなたはお茶会の会場でも誰かを捜していたようですが……よろしければ、どなたを捜しているのかお聞きしても?」
「それは……」
(転生の事は黙っていた方がいいわね。頭がおかしいと思われてしまうわ)
「古い友人なのですが……誰だか分からないのです」
((((……友人なのに、誰だか分からない?……))))
欠席者がいなかったことにショックを受けていたクラリス。
それでもなんとか、頭がおかしい説だけは回避したつもりだったが。
(しまった! 捜しているのに分からないなんて。さっさと帰らないとボロが拡大してしまうわ)
「殿下、お時間を頂きありがとうございました。失礼いたします」
ニッコリ笑顔で誤魔化しながら、そそくさと応接室を去るクラリス。
こちらの動揺などお構いなしに、長くなるどころかあっさり部屋を出ていく背中をポカ〜ンと見送る四人。
「彼女は何を言っていたんだ? 誰か俺に分かるように説明してくれ」
「誰も説明できないと思います」
だよな。えーっと……。
「ローゼンシュタイン嬢は十歳だったよな?」
「そうですね」
「十歳で古い友人て……」
「やっぱり外しちゃう? 婚約者候補。あれはちょっとやば過ぎるって!」
「クルス、彼女もお前にだけは言われたくないって言うと思うぞ」
「なんでだよー!」
なんの納得も理解もできないまま、クラリスの去った応接室では男四人が顔を見合わせては頭を振っていた。
「あれ? そういえば、応接室の前に立たされていた子。一緒に号泣していた子だよね。あの子は何だったんだろう?」
「「「……さぁ……」」」
そう。『ついて来て』と言われたのに、部屋の前で待ちぼうけをくわされたベル。文句を言ったら『ベルが一緒だと話が進まないと思ったからよ』とあっさり言われて、またちょっと泣いた。