余話 〜 Boy meets girl 〜 L&N ①
ライラとノリスの話です。
時系列は『9話』より前になります。
王都にある王立図書館は誰でも利用できるのは勿論の事、その蔵書数は王宮図書館と比べても遜色は無い。
(全く……こんな時に限って改装中とは……ツイてないですね…)
プラント領への視察が決まって色々と下調べが必要だというのに、肝心の王宮図書館が改装中の為、ノリスは一人で王立図書館に来ていた。
クルスも来るはずなのだが、まだ影も形も見当たらない。
時間がもったいないので先に資料となる本を選んでいると、隣の通路からドサッと本が落ちたような音がした。
「おい! なんでお前なんかがこんな所に来てるんだよ! チビ助が読める本なんてここにはないぞ! 出ていけ!」
ボリュームはかなり抑えてあるが、男の怒声が聞こえた後には何かがドンッと書棚にぶつかって──パサリ──と微かな音が聞こえた。
「……イッ……た…」
本の隙間から覗いてみると、一つ下の学年で子爵家の嫡男メイソンとその取り巻きの顔が見えた。
(……本当にツイてない……)
普段なら、こんな場面に出くわしても素知らぬ顔をしているノリスだが、小さく聞こえた声は女の子のものだったので、流石に知らん顔はできない。
ここは奥まった場所で実用的な書物は置いていない。その為、他に人影もなく、まばらにいる利用者の中にも気付いた者はいないようだ。
ノリスはガックリと落とした肩を持ち上げて、ため息を呑み込み重たい足取りで回り込んだ。
「あなたこそ出ていったらどうです? ここには無作法者が読むような本こそ置いてないですよ」
「なんだと! 俺を誰だと──あっ……」
わざと背後から声を掛けたら、鬼の様な形相から一瞬で間抜けな表情になった。
(おい、ヤバいぞ! 仏頂仮面のウェルシータだ!)
(目を合わせるな! 石像にされるぞ!)
……丸聞こえなんですけど……。どうしてやりましょう?
「お、俺──わ、私はただ、この者に絵本の置いてある場所を教えてあげようと──」
「倒れているように見えますが?」
一歩だけメイソンに近づくと、悪くなりつつあった顔色が真っ青になった。
「きゅきゅきゅきゅ急に声を掛けたから、びっくりしただけだよな? なっ!! ほほほほら! 大丈夫かい!」
あっ……そんなに勢いよく引っ張り上げたら、飛んで行くのでは──
………………なんでこうなりました?
メイソンに腕を掴まれ、火事場のバカ力でグィ〜ンと引っ張り上げられた少女は、何故かノリスの腕の中にすっぽりと収まっている。
「あわわわわっ! えぇえっと、あの……あっ! もうこんな時間だ! 帰らないと! そっ、そそれれではウェルシータ様! しし、失礼します!」
ドタバタドタバタ、ガコンガコンとけたたましい音を立てながら(逃げ)去っていくメイソンと取り巻き二名。
(……ここは図書館ですよ? 静かに出て行って下さい。……いえ、そんな事より……コレ……どうすれば……)
微動だにしない小さな温もりに困惑して、自身も動けなくなったノリスだった。
◇◇◇
一応、貴族年鑑をあたっておく事にしたライラは王立図書館に来ていた。最新版なら家にもあるけど、念の為古い物も調べておきたかったからだ。
そして、すぐに一人で来たことを後悔した。
軽く目を通すつもりが没頭してしまい、いきなり本を叩き落され「出ていけ!」と突き飛ばされてから書棚にぶつかり倒れこむまで、相手がメイソンだと気付かなかったのだ。
声は聞こえていたけれど、落ちた本が傷んでいないかの方が気になって、声の主までは気が回らなかった。
(最悪だわ……。またネチネチと嫌味を言われるに決まってる)
つきそうになったため息を呑み込み俯いたままでいると、冷たい声が聞こえてきた。
「あなたこそ出ていったらどうです? ここには無作法者が読むような本こそ置いてないですよ」
(……誰かしら?)
聞いた事のない声だったけど顔は上げなかった。
顔を上げれば、見たくもないメイソンの顔まで見る羽目になるから。
(だけど……失敗したわ!)
頭の上で、冷たい声とメイソンの意味不明の言い訳が交差した後、メイソンに腕を掴まれて悲鳴を上げそうになった。でも、ここが図書館であったことを思い出し、辛うじて飲み込んだまではよかったけど……。
(なにこれ? この人、どうして離してくれないの!?)
ライラは暫く待ってみたけれど、ノリスはしっかりとまではいかないにしても、多少の身動ぎでは解けそうにない位にはライラを抱き締め──抱きとめた? まま動かない。
このままでは埒が明かないので、ライラは覚悟を決めて顔を上げた。
「……あ…の……」
◇◇◇
小さな声の主を見下ろしたノリスは驚いた。
(何ですか? このつぶらな瞳は……。まるで小動物……。例えば子ウサギ──いえ、このブルネットの毛色は……子リスでしょうか?)
王都でも学園でも大きな瞳がもてはやされている昨今、こんなにつぶらな瞳を見たのは初めてと言ってもいいくらいだった。
「あの……助けて頂いて……ありがとうございます」
ライラの言葉が聞こえているのかいないのか……。コバルトグリーンのつぶらな瞳を、切れ長のリーフグリーンの瞳がまじまじと覗き込んでいる。
(こんなに小さいのに、なんて綺麗な色をしているのでしょう。宝石に例えるなら……エメラルドとペリドットを足して割ったような…)
「あのー……もう大丈夫ですので…」
(いえ、それよりもエメラルドとスフェーンでしょうか?)
まじまじと見ている割には、ライラの困惑の色は読み取れなかったらしい。
ノリスは瞳の色が気になって、もっとよく見ようとグンッと顔を近づけたが──ライラにしてみれば助けてくれた親切な人から一転、無言で顔を覗き込んでくる危ない人になっている。
(何なのこの人!? 怖いわ!)
「あのっ!! 聞いてらっしゃいますか!!」
もう、ここが図書館だろうが何だろうが知ったこっちゃない。一難去ってまた一難の状況に、ライラは堪らず大声を出した。
漸く声が届いたのか、切れ長の瞳がまん丸になった。そして──
「シィーー、静かに。図書館で大きな声を出してはいけませんよ」
窘められた……。
(はぁぁぁ? だったらこの手を!)
「助けてくださった事には感謝していますが、そろそろ離してくれませんか!」
子リスから「離してくれ!」と言われて、ノリスはやっと状況を思い出した。
(そうでした。メイソンから助けた子リスが…………腕の中でキィキィ騒いでいて……可愛い…)
思い出したが──つぶらな瞳を三角にして、キィキィ鳴く声が可愛くて──離したくない。危ない思考は横に置いておいて、なにかいい手は無いだろうかと考える。
「お腹は空いていませんか? いい物があるんです」
(はぁぁぁ? 勘弁してよ! メイソンよりたちが悪いじゃない!)
「空いてません! いいからこの手を──モギュッ!」
(なっ!?……ん?……甘い? えっ……チョコ?……なにコレ! 凄く美味しい!)
コバルトグリーンの瞳が煌めいたのを、ノリスは見逃さなかった。
「美味しいでしょう? まだ沢山ありますよ。こっちにいらっしゃい」
本当は、逃げられないように抱きかかえて行きたかったが、図書館でそれはマズイだろうと手を引いて歩き出すと、小さな口をモグモグしながら大人しくついてくる。
(フフッ……何から何まで小さくて可愛いですね。一番はやっぱり、つぶらな瞳ですけど)
取っておいた席の隣に座らせて、これからどうするべきか少し考える事にする。
特製のチョコレートは一般の物よりも溶けにくくなっているから時間は稼げそうだ。
(さて……見た事のない顔ですね。ブルネットの髪にコバルトグリーンの瞳…)
頭の中で貴族年鑑を捲るが、ブルネットはポピュラーな色だし、瞳の色も細かい設定はされていないから絞り込めない。
早々に諦めたノリスは子リスを観察しながら、先程の出来事を回想した。
ら──沸々と怒りが込み上げてきた。
(メイソン……許せません! こんなに可愛い子リスに暴言を吐き、突き飛ばして──そうです! 怪我は!?)
慌てて子リスの手を取って入念に調べたら、少しだけ掌に擦り傷ができていた。
(可哀想に……)
絆創膏を取り出そうとポケットに手を入れると、子リスの顔が輝いて──出てきた物を見ると明らかにがっかりした顔になった。
(……? どうし──ああ、チョコを食べてしまったのですね)
吹き出しそうになるのを堪えて、先に絆創膏を貼ってあげた。次いでその手にチョコを載せてあげようとして思い留まる。
「床に手を付いたから汚れていますし、傷に障るといけませんから食べさせてあげましょう。はい、あ〜んして?」
そう言うと、つぶらな瞳がまん丸になってノリスをみつめた。
が、口元に近づけたチョコを左右にちょっちょっと揺らすと、今度はノリスとチョコを行ったり来たりしている。
(フフッ……もう少しですね)
口元から少し遠ざけると、パッと小さな口が開いた。
瞳は閉じて、その顔は真っ赤になっているが、チョコの誘惑には勝てなかったらしい。
ノリスはプルプル震える指先をもう片方の手で支え、小さな口に触れない様に気をつけながらチョコを落とし込んだ。
(…………何ですか!? コレ!? 可愛過ぎます!!……というか……危険じゃないですか!? 見ず知らずの男にチョコ一つで釣られるなんて!!)
自分の事は図書館の屋根よりも高い棚に上げ、急いでさり気なく周りを見回す。
(……親リスがいないなら……これはもう保護という名目で連れて帰ってもいいのでは?…………そうと決まれば、捕獲しましょう)
なかなか溶けないチョコに──失敗した!──と思いながらも慎重に一粒ずつ机の上に置いていく。自分に向かって。
ライラはもうチョコしか見えていなかったし、ノリスはノリスで──ここは図書館で自分は仕事をしに来ている──という事などすっかり忘れ去っていた。




