35・責任と約束 ②
バルコニーに出て月に祈る。
(セルバーンの雨が早く止みますように。皆が無事でありますように。……ここでは今日も、月や星を見ることができるのに……レオン…)
「……お嬢様……眠れないのですか?」
下から聞こえた声に見下ろすと、セバスチャンが庭に出ていた。
「……セバスチャン」
「温かい飲み物を用意しますので、お部屋でお待ち下さい」
そう言ってセバスチャンは視界から消えた。
ブレない過保護ぶりに苦笑する。……レオンからの手紙を受け取ってから食欲が落ちている。皆が心配しているのは分かるけど、どうしても食欲が出ない。
『月の月』が近づいているから、今はできるだけ食べておかなくてはいけないのに。
コンコンと扉を叩く音がして、トレイを抱えたセバスチャンが入ってきた。
「ホットミルクとプディングをお持ちしました」
「えぇ! こんな夜中にプディングなんて食べられないよ!」
「甘さは控えてありますから……どうか一口だけでも…」
悲しい顔をさせたい訳じゃない。──ごめんね、セバスチャン──だからわざと有り得そうにないことを言ってみせる。
「……太ったら、セバスチャンのせいだからね!」
「フフ……太ったお嬢様も絶対に可愛いから大丈夫ですよ」
「も〜う! またそんな適当なこと言って!」
バレバレだけど、怒ったふりをしながらプディングを一口食べる。
その優しい甘さに涙が出そうになった。
「バルコニーで何をされていたのですか?」
「お祈りしてたの。セルバーンの雨が早く止みますようにって。……皆が無事でありますようにって…」
「……そうですか……。早く止むといいですね。雨のせいで殿下も来られなくなってしまいましたし──」
セバスチャンにしては珍しい失言だ。勿論すぐにその事に気づいたようで──僅かに眉が下がった。
「ううん、それはいいの。お仕事だもの。それに、お仕事じゃなくても困っている人を助けるのはあたり前の事でしょう? 殿下は王族だもん、尚更だよ。だけど……心配だし悔しいの。殿下が──誰かが川に落ちちゃったりしたらどうしようって。私は動けないから……何の役にも立たない。何でもいいからお手伝いできたら! って思っているのに…」
行けなくなった──。と殿下から手紙が届いてからずっと、食事も喉を通らないほど心配と悲しみで押しつぶされそうになっているお嬢様。プラント領から出られない事も初めて辛いと感じているようだ。
だが、何もできないのは私も同じだ。
『月の月』が近づいている今、できるだけ力は温存しておきたい。
……しかし……そんな事を言っている場合か? そうする事で本末転倒になりはしないか?
「……セバスチャン…。誰にも言わないでね? 本当はね? 殿下に会えなくなって悲しいの。ずっと楽しみにしていたから、ひと目だけでも会いたかった。だけど……それよりも、殿下が川に落ちて流されたりしたら……って考えると……怖くてたまらないの!」
とうとう泣き出してしまったサーフィニアを見て胸が詰まる。
いつでも笑って幸せでいて欲しい。幸せになって欲しい。
それを自分で壊してどうする!
「お嬢様、もう一度……今度は私と一緒に祈りましょう。お嬢様が一生懸命祈ればきっと……天に届くはずです」
グスッグスッと泣きながら、それでもウンウンと頷いたサーフィニアの肩に薄手のショールを掛け、手を引いてバルコニーに出る。
サーフィニアが胸元から引き出した明るい青い石が付いたネックレスは、楽しませてもらったお礼にと昨年殿下から贈られた物だ。
それを握り締めて額まで持ってくると、涙の跡もそのままに一生懸命祈りを捧げている。
どれくらいそうしていただろうか……。あっ! と小さな声を上げたお嬢様が、驚いた顔をして私を見上げた。
「消えた! 雨の匂いが消えたよ! セバスチャン! セルバーンの方角から雨の匂いが消えた!」
驚いた顔の後に浮かんだのは──手紙を受け取って以降初めて見せる──輝く花のような笑顔だった。
あ〜安心したらお腹空いちゃった! プディング食べるね! と小走りで部屋に駆け込む小さな背中に安堵のため息を吐く。
プディングもホットミルクも全部お腹におさめると途端に眠気に襲われたらしく、ベッドに運ぶ頃には小さく船を漕いでいた。
「おやすみなさい、お嬢様」
「う……ん……セバ…チャ……いっしょ…いの…り……ありがと…………」
スゥスゥと寝息を立て始めたサーフィニアの頭をひと撫でして部屋を出る。
扉の前で振り返ると、もう一度囁くように「おやすみなさい、お嬢様」と言ってから扉をパタリと閉めた。
その扉に背を預け、フゥーっと深い息を吐き出す。
「お嬢様の祈りを無駄にする訳にはいかないな」
そうして、一階に下りたセバスは執務室の扉を叩いた。
◇◇◇
「エッ、エルドナァーードリズゥーー」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったクルスが現れて、報告書をまとめていたエルトナとノリスはギョッとした。
「クルス……アズナイルはどうした?」
「ック、レッ…い……ぼ、ぼ……し…ら…ヒック…」
「落ち着け、アズナイルはレグルス殿下と一緒なんだな?」
「…ん……しょ…グスッ…」
ノリスは感心していた。よく分かるな──と。
「で? お前は何で泣いてるんだ? ほれ、深呼吸」
「スゥゥーーッハァァァー……僕は、だ、だって…し、知らな…かた…殿下、サーフィ…ウッ…会え……ウウゥッ……かっ、かわ…そ……ウワァーン」
エルトナとノリスはやれやれと顔を見合わせた。この鈍くて涙もろい親友にもやっと分かったらしい。
だからといって現状が変わるはずもなく……。
「今のうちに泣けるだけ泣いとけ。アズナイルの前では絶っ対泣けないからな」
簡易ベッドに座らせると暫くワァンワァン泣いていたが、そのうち静かになったと思ったら……枕を抱きしめて眠っていた。
「……全くもってこいつはお子様だな…」
「感情を素直に出せて、ある意味羨ましいですけどね」
「まぁな。けど、起きたらアズナイルに会う前に顔を氷漬けにしてやる!」
◇◇◇
(なるほどね……。アズに元気がなかったのはそういう訳か…)
エルトナ達の天幕の前で踵を返しながら、セリオスはため息を吐く。
訳が分かったからと言って、どうする事もできないからだ。
せめて雨だけでも止んでくれたら……。と、外套のフードをずらし空を見上げ──駆け出した。
「兄上! アズ! 雨が! 雨が止んだ!!」
アズナイルの天幕で静かにお茶を飲んでいた二人は、セリオスの大声とその言葉に驚いて急いで外に出た。
見上げた空の雲の切れ間には、チカチカと瞬く星も見える。
兄弟は手を取り合って喜んだ。
「これで明日からは、復旧作業がはかどるな」
レグルスは大きく息を吐いた。
「雨に濡れずに済みますから、体力の消耗も防げますね!」
災害現場で十分な食事もままならず、雨により体の熱が奪われ続けるなかでの作業に隊員達の疲労も限界に近づいている。
もうこれ以上降らないで欲しい……。空を見上げた三人は天に祈った。
◇◇◇
「お父様、お母様、お兄様、おはようございます」
笑顔を浮かべたサーフィニアがダイニングに入ってくる。
「「「おはよう、ニア」」」
ここ数日ふさぎ込んでいたニアの笑顔に、サンデール達はホッと肩の力を抜いた。
サンデールは、昨夜セバスからもう大丈夫だろうと聞いていたが、顔を見るまで心配だったのだ。
まだ、元気一杯とまではいかないが──これを聞けばもう少し──。
「ニア、雨が止んだからな、昨夜のうちにクラウド達をセルバーンに派遣したんだよ。救援物資も沢山持たせたから、少しはセルバーンと殿下の役に立つんじゃないかな?」
ガチャン! ガタン! バタバタバタッ!
「お父様! お父様! お父様! ありがとう! ありがとう! ありがとう! 大好き!」
首に抱きつかれてギュウギュウ締められても、サンデールは嬉しくてデレデレしている。大好き! も、あと二回位言ってくれないかな? などと思いながら。
「本当にありがとう! 雨も止んだし、クラウド達がいればもう大丈夫ね! あ〜〜安心したらお腹が空いてきたわ!」
普段の半分以下に落ちていた食欲も戻ってきたようで──ダイニングにいた一同は、もう一度安堵の息を吐いた。




