29・三百年前の出来事 ②
「旦那様、続きをお願いします」
どこから取り出したのか、父上にタオルを渡しながら青白い炎の微笑みを浮かべるセバスチャン。
俺は隣だからまだましだけど、正面に座る父上はたまったものじゃないだろう。
「すっ、すまない」
震える手でタオルを受け取ったサンデールは、そこに顔を埋めるとピクリとも動かなくなってしまった。
止まらないのは、汗か涙か……
しばらくしてようやく立ち直った彼は、また話し始めた。
「それ以降は、アメニアを王宮に近づけないようにしていた。ジェームズ様がタスマールにいる間もだ。どこにジェイコブの手の者が潜んでいるか分からなかったからな。そして、十八歳になったジェームズ様が帰国される少し前には、アメニアとアクトゥールを西へ送った。西には私の伯父が辺境伯として治めていた領地があってな、彼はまるで自分の娘のようにアメニアのことをかわいがってくれていたし、もしものときには辺境伯軍が守ってくれる。問題が片付いたらまたすぐに呼び戻せばいい。それまでの辛抱だ。そう思っていたのだが……数年後、アクトゥールが五歳になったころ、ルシファード王国を揺るがす大事件が起こったんだ」
すぐにピンときた。
「時の王《レオナルド陛下》が亡くなられたのですよね? 狩りの最中の落馬事故だったそうですが」
「そういうことになっているが、真相は分からない。狩りにはジェームズ様とジェイコブも参加していて、当然疑いの目は向けられたけど、事故が起きたとき二人は現場から遠く離れた場所にいたことが確認されていて、二人に結びつく証拠もなく、どうすることもできなかった。しかしどう考えても──弓、特に馬術に関しては卓越した才能をもっておられたレオナルド陛下が落馬するなど……私には到底信じることなどできなかった。その後も大掛かりな捜査が行われたが証拠も原因も不明のまま、結局は不幸な事故だったということで幕を閉じたよ」
言葉の端々に、悔しさをにじませる旦那様。
三百年の時を超えてなお、消えることのない想いはどこまで続いていくのだろう。
当時八歳だった私は、レオナルド陛下が亡くなったことを母の元乳母から聞いていた。
陛下のもとで宰相をしていた父はどうなるのだろうと、子供ながら不安になったことを憶えている。これもまた……
「レオナルド陛下の突然の崩御により、レオンハルト様は二十五歳の若さで国の頂点に立たなければならなくなったのだが、ひとつ問題があった。当時二十歳だった弟のジェームズ様も幼少期からの婚約者であったエミリア様とはすでにご結婚されていて──間の悪いことに、国葬の数日後にはエミリア様がジェームズ様のお子を宿しておられることが判明したのだよ」
「えっ!? 二十歳でお子が──はいいとして、なぜ喪も明けぬうちに公表を? いや、そこに合わせたのか? まるで……」
旦那様もアクトゥール様の言いたいことが分かったのか、こめかみを押さえて一度だけ首を振られた。
そう。まるで《誰かのシナリオ》どおりにことが進んでいるような──誰かにとって、都合のよいことばかりが起こっている。
「賢王と名高かったレオナルド国王の崩御後、入れ替わるように生まれてきた第二王子の子。かたや結婚してから七年も経つのに、いまだ一度も子を授からぬレオンハルト陛下とミレニア様。陛下の有能さや人望の厚さは前国王を凌いでいるとも言われていたし、ましてやすべてのことに関してジェームズ様よりはるかに優れていることは誰もが認めていたが……跡継ぎがいないことは致命的だった。王宮内でも日ごとに増えていく心ない囁きに、ミレニア様は深く傷ついておられたよ」
そう話す旦那様の顔もまた傷ついているように見えた。
同じ年に結婚したのに、自分たちが先に子を成してしまったことに対し、少し後ろめたい気持ちをもっていたのではないだろうか。
臣下が先に子を成すことは、決して悪いことではない。
将来国王となるお子の側近や乳母などに据えるため、忠誠心の厚い者や有能な者たちは計画的に子を成すこともある。
それでも、思わずこのような表情になってしまうほど、当時の背景は複雑なものだったのだろう。
「私たち護衛騎士は物理的なものから主を守れても、形のないものに対してはなんの役にも立たない。歯がゆさが増すだけのある日、レオンハルト陛下に呼び出されて私室を訪ねると、ミレニア様もおられたのだが、ミレニア様からではなく陛下から『護衛騎士の任を解く』と言われた。突然のことでわけが分からなかったけれど、この大変な時期にそんなことはできないと突っぱねたが陛下の意思は固く、押し問答を繰り広げるなか、私たちの間に割って入ったミレニア様が、涙を流しながら『私たちは大丈夫だから、私の大切な妹とその妹の大切な宝物、私たちにとっても宝物である甥と姪を守って欲しい』と──」
そこで三人は「ハッ!」と顔を見合わせた。
「「姪!?」」
「母上はそのとき、ニアを身ごもっていたのですか!?」
アクトゥール様の問には答えず、眉間にシワを寄せ、何かを思い出そうとしているそぶりの旦那様だったが、思い出せなかったようだ。
「いや、少なくともその時点では私は知らなかった。どうして今まで忘れていたのだろう? たしかにあのとき、ミレニア様は『甥と姪』とおっしゃった」
「ミレニア様だけはアメニア様が身ごもっていることを知っておられたということは?」
「それもないと思う。数日後に早馬がその報せをもってきたとき『泣いて喜んでいた』と、王都を立つ前に陛下からそう聞いた」
「大変な時期だったというのに、父上は懐妊の知らせを受けただけで私たちの──違う……思い出した。母上の具合が悪かったんだ!」
真っ青な顔をしてベッドに横たわっていた母上を思い出す。
このまま死んでしまうんじゃないかと思うと、怖くてたまらなかった。
「そうだ。懐妊の報せとともに聞いたのは、アメニアの熱が高くて嘔吐を繰り返している。というものだった。その部分はミレニア様には伏せられていたようだが──とにかく私はすぐに西へと向かった。私の顔を見たアメニアの容態はだんだんと落ち着いていったのだが、私が王都へ戻ろうとするたびに体調を崩す。その繰り返しで、とうとう王都に戻ることは叶わなかった」
「熱が高くて、嘔吐を繰り返す。それは……」
「あぁ、思い出してみれば、今のニアと同じだな」
冷たい汗が三人の背中を濡らす。
「ニアがお腹の中から引き止めていたのでしょうか? 王都には戻らないほうがいいと」
「あるいはな。だがこればかりは誰にも分からない。とにかく、アメニアの体調を慮ってか、王都では何が起こっているのか一切知らされないまま日々が過ぎ、アメニアが安定期を迎えたころ、ゼイン様がやって来た」
私の父と再会したときのことを思い出したのか、再びアクトゥール様の拳がギュッと握られた。
「ゼイン様から、ジェイコブにアメニアの存在を知られてしまったと聞いた私たちは『すぐにここを離れ、南の村でセバスを拾ってからレンソイル王国へ抜ける』というゼイン様の計画に賛同した。一緒に話を聞いていた伯父の、無事に出国するまで護衛をつけるという申し出はありがたかったけれど、大人数での移動は目立つからと断り、当初の予定通り私たち四人で南の村を目指したのだが」
「追っ手をかわすために遠回りをしながらでしたし、母上に無理をさせるわけにはいかなかったから、時間がかかりましたよね」
「ああ。しかし、よく覚えているな?」
「忘れたくても忘れられませんよ。足手まといにならないよう必死でしたからね。そんなことよりも、ミレニア様と母上が双子の姉妹であることがジェイコブに知られるまでに、随分と時間がかかっていると思いませんか」
確かに。ジェイコブが十三歳でミレニア様に目を付けてから九年もの月日が経っている。仮にミレニア様にしか興味を示さなかったのだとしても、双子であるアメニア様の存在にまったく気づかないことなどあるのだろうか?
「実はその、これはゼイン様も知っておられたことだが、アメニアには認識阻害のような魔法がかけられていたんだよ。それでも変装を勧めたのは、念には念をということだったのだろう。ミレニア様とアメニアが双子だということを知っていたのは、王宮内でも限られたごく一部の者だけだったんだが──あとは神殿。私はここから情報が漏れたのだと、今でも思っている」
双子の件はさておき──認識阻害?
もしかして、私が奥様に対して感じている違和感の正体は……
「旦那様。もしかして、奥様は今もその……」
「…………」
「父上?」
旦那様は宙をにらみ、質問に答えるべきかどうかしばし逡巡しておられる様子だったが、やがて少しだけ身をかがめると、内緒話をするかのように声をひそめて話始めた。
「誰が、なんのためにそうしているのかは分からないが、リリィには今もそれがかけられている。真実の姿が視えるのは私だけだと思っていたのだが……本来の髪色はニアやセバスと同じ白金だ。だから、セバスにも視えたのか」
「いいえ、私にはプラチナブロンドにしか見えていません。瞳の色もパステルブルー──ではないのですね? 旦那様の瞳の色も」
「リリィの瞳はニアと同じアメジストだ」
「はぁぁ!? それは一体どういう──頭が追いつきません! 私にも分かるように説明してください!」
だって、三百年も前の魔法が今もって……どう考えてもおかしいじゃないか!
「大きな声を出すなと、何度言えば分かるんだお前は。いいか? 一度しか言わないからよく聞いておけよ? 私の瞳の色はパステルブルーだったんだよ、お前と同じな。そしてリリィは、生まれたときのニアと同じ白金の髪とアメジストの瞳。つまりは本来、お前は私、リリィはニアとまったく同じ色彩であるのだが、いつの間にか私とリリィの瞳の色が入れ替わっていたんだ。原因は分からない。とまあ、そういうことだ」
何が『そういうことだ』だ。全然分からないよ!
「もういいです。分からないけど、分かりました! 話を戻しましょう!」
ハァ……自分から聞いておいて、なんて言い草だ。まったくもってこいつというやつは。どこまで話したか忘れてしまったじゃ──ああ、そうそう。
「とにかく、追手をまきながらなんとか南の村にたどり着いたときには、アメニアは八ヶ月目に入っていた」
忘れもしない、あの日のことは。
なんの報せもなく五年ぶりに突然目の前に現れたのは、記憶よりもやつれてしまった父とサイラス様、お腹の大きなアメニア様。そして、別れたときにはまだ二歳だったアクトゥール様は、利発そうな七歳の少年になっておられた。
当初は南の隣国レンソイルに入国する予定だったようだが、執拗に追ってくるジェイコブの手の者に危機感をつのらせた父は、レンソイルとは真逆に位置する北の隣国タスマールへと進路を変更した。
タスマールといえばジェイコブの母国であるが、まさか敵の懐に自ら飛び込むような真似はしないだろうという盲点を突いた苦肉の策は──敵を撹乱するため──私たち四人は最短距離で北を目指し、父だけいったんレンソイルに抜けてから王都に戻るというもので、それなら私は父と一緒に行きたいと頼んだのだが……
『お前には、これから生まれてくるアメニア様の御子を守ってほしいのだよ。時が経てば必ずまた会えるから、それまで私の代わりにサイラス一家を守ってほしい。これを頼めるのはお前だけだ。セバス、お前ならできる。私はそう信じているよ』
子供の自分にそんなことはできないと泣いて訴えたが、強く抱きしめられて
『信じている』と言われたらもう──涙を拭いて、頷くことしかできなかった。
「ゼイン様とはその村で別れ私たちは北を目指したが、タスマールと隣接するルシファード王国最北の地──まさしくこの地にたどり着いたころには、アメニアは臨月までひと月を切っていて……過酷な状況の中、いつ産気づくかも分からないアメニアを連れてタスマールに抜けてしまうのはあまりにも危険だと判断した私はここに留まり、出産を終えてから出国することに決めたんだ」
旦那様はそこまで話すと、すっかり冷たくなってしまった残りのお茶を飲み干したあと──
「ここから先は、お前たちも知ってのとおりだ」
そう言われて、ソファに背をあずけると静かに目を閉じられた。




