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29・三百年前の出来事 ①

 

 しばらく何もおっしゃらず、静かに私を見ていた旦那様は、軽く息を吐かれるとアクトゥール様に視線を移された。



「アクトゥール、今夜は遅くなりそうだ。お前はもう休みなさい」


 しかし、アクトゥールが首を縦に振ることはない。従うつもりはないからだ。


「父上、私はもう七歳の子供ではありません。しかも当事者の一人なのですから、聞く権利はあると思います。お願いします、私にも聞かせてください」


 ソファから立ち上がり頭を下げる息子を見て、この国で再び自分たちのもとに生まれて来てくれてからの年月を思う。


 いつの間にか身長もずいぶん伸びて、体つきも逞しくなってきた。

領地を離れ王立学院で学び、長期休暇中は私について領地経営も学んでいる。

七歳の子供ではない、か。


「分かった。お前のいうとおりだ」

「ありがとうございます」


 サンデールはソファに座り直したアクトゥールとセバスを交互に見て、どこから話せばよいだろうかと考える。


「セバス。話を始める前にひとつ聞きたいことがあるのだが……向こうの世界でゼイン様には?」

「あの村で会ったのが最後です」

「そうか。余計なことを聞いてすまなかった」



 あちらの世界に身寄りはなく、物心がついたころにはいつも孤児院で過ごしていた。

十歳になると、この国と自分の身に起こったことを思い出していたので、高校卒業と同時に孤児院を出たら、仕事をしながらお嬢様たちを捜そう。という計画を毎回立てていたのだが、近くに住んでいる仲のよい兄妹がそうだったのだと気づいた瞬間に進路を変更。

孤児院のスタッフに空きがあるときにはそのまま雇ってもらい、なかったときにはなるべく近い場所で仕事を探していたが、そんな生活を送るなかで父に会えたことは一度もなかった。



 ◇◇◇



「あの時代──もう、三百年近くも前になるかな?」


 どこか遠くを見るようにして話し始めたサンデールの声に、二人は耳を傾ける。


「あのころの私の周りには、レオンハルト殿下、殿下の婚約者であるミレニア様。そしてセバスの父、ゼイン様がおられた。宰相であったゼイン様は思慮深く、英知に富み──先見の明ももっておられたのかもしれない。今にして思えば、だが」


 ゼイン様のおかげで──この国で──私たちは再び家族として巡り会うことができたのではないだろうか。そう思えてならない。



「ミレニア様には双子の妹、アメニア様がおられて、当時ミレニア様の専属護衛騎士をしていた私は、時折ミレニア様のもとを訪れるアメニア様とも面識があったのだが──」


 コホン!


 とひとつ、アクトゥールが話を遮るように咳払いをした。


「あー、なんとなくそのへんの話は、恥ずかしいというか、聞きたくないというか……つまり、そのアメニア様が母上で、父上の気持ちに気づいたゼイン様が二人の仲を取り持ってくれたと。はい、分かりました。話を進めてください」


 サンデールは少し不満げにジロリと息子を睨んだが、非難はせずに話を続ける。


「殿下には、陛下の第二妃様がお産みになられたジェームズ様という弟がおられた。五つ違いのな。二人はとても仲がよくて、ジェームズ様は殿下を尊敬し慕っていたし、殿下もミレニア様もジェームズ様をかわいがっておられたのだが……隣国タスマールに留学されたあたりから、ジェームズ様は少しずつ変わっていかれたよ。明るく素直だった性格はなりをひそめ、身体は痩せて険しい目つきになり、笑顔も消えた。タスマールからやって来たジェイコブという男だけをそばに置き、心配する殿下の声にも耳を貸さなくなったのだ」

「そのジェイコブという男は、何者だったのですか」

「タスマールの公爵家の次男だと聞いていたが、詳しいことは何も知らない。嫡男ならまだしも、当時は他国の次男以下の情報などほとんど入ってこなかったからな」



 ジェームズ、ジェイコブ……ともに聞き覚えがない。

五歳になって間もないころには、父に連れられて王都を出ていたからだろうか?


 行き先はルシファード王国の南端にある小さな村で、そこで私は──私を産むと亡くなった──母の乳母をしていたという女性の家族と一緒に暮らすことになった。

そのあたりのことはよく憶えている。

しかし……


「私は、レオンハルト様とミレニア様はなんとなく憶えています。顔は、はっきりとは思い出せませんが」

「お二人のことを憶えているのか? そうか……」


 おぼろげな記憶の中にいるレオンハルト様とミレニア様。そのお二人からかわいがられていたというジェームズ。仲がよかったのなら三人で過ごすことも少なくはなかったはずなのに、彼のことをまったく憶えてないということは──ん?


「旦那様?」

「ああ、すまない。話の続きだが、私たちはともに十八歳で結婚して、私とアメニアは二年後にアクトゥールを授かったのだが、殿下とミレニア様はお子に恵まれなかった。結婚した年にジェームズ様は留学されてしまったから淋しいのもあったんだろう、セバスは赤ん坊のころから二人にかわいがられていたんだぞ?」


 お二人にかわいがられていた記憶はさすがにないが、ジェームズについては思ったとおりだった。

私が赤子のころ彼は本国にはいなかったのだから憶えているはずもない。



 一方、セバスの考えていることなど知る由もないサンデールは、そのときの微笑ましい様子を思い出し少しだけ笑みを浮かべたが、すぐにまた沈んだ顔になる。


「三百年前はあのころが一番楽しかったといえるが、ジェームズ様が初めての夏季休暇でジェイコブを連れて帰ってきたあたりから、穏やかだった日常は少しずつ崩れ始めたよ。しばらくすると、アメニアはゼイン様から『もう城には来ないほうがいい』と言われてね『どうしてもやむを得ない事情があるときには変装をしてくるように』とも。理由を尋ねると『今の段階ではまだなんともいえないが、そうしたほうがいいと勘が告げている』と言われて。素直に従ったよ。ゼイン様の勘はよく当たっていたし、意味のないことを押し付けるような真似などしないことは知っていたからね。陛下もゼイン様に進言されたのか、危惧するところがあったのか……ほどなくして、まだ決まっていなかった王太子にレオンハルト様を選ばれた」


 旦那様の表情が悲痛なものへと変わる。ふと見ると、アクトゥール様も顔をこわばらせ、緊張しているのか拳を握りしめていた。


 お二人の気持ちは痛いほどよく分かる。私たちには、追われて湖に飛び込み、そのあと離れ離れになってしまったという辛く悲しい記憶があるのだ。

この先どう転んでも、楽しい話になどならないことは分かりきっているのだから。



「帰国のたびにその言動がおかしくなるジェームズ様の留学があと一年で終わるというころ、ゼイン様はセバスを王都から逃がした。愛妻が残してくれたたった一人の息子を手ばなしたのは、いざというときに守りきれないかもしれないという危機感にかられての決断だったのだろうが……五歳になったばかりの愛息子を見ず知らずの土地に一人残してくることは、自分の身を切られるよりも辛いことだと、同じ親である私には分かる。戻られたゼイン様は、憔悴しきった顔をされていた。ゼイン様のあんな顔を見たのは、後にも先にもあの一度きりだ。私がいうのもなんだが……どうか、ゼイン様を恨まないでいてほしい」


 見ず知らずの土地に、一人置いていかれたのは事実だが。


「私は父を恨んだことなど一度もありません。誰も知らない土地で不安でしたし淋しくもありましたが、母の乳母だったという女性もその家の人たちも、皆で私を慈しんでくださいました。宰相という重責に忙殺されながらも、寝る間を惜しみ、愛情たっぷりに育ててくれた父には、今でも感謝しかありません」


 それに父は、生涯おそばに仕え、いざというときにはこの命を投げ打ってでも守りたいと思えるお嬢様に出会わせてくれた。本当に感謝しかない。


「そうか。それをゼイン様にも聞かせてあげたかったな」

「あ、あの!」


 それまで黙って聞いていたアクトゥールが突然声を上げた。


「あの、ちょっとお茶──は用意してなかったから、水をもらってもいいですか? 聞いてるだけで、もう喉がカラカラに」

「では、私がお茶をお入れしましょう」

「いや、お茶を入れる時間がもったいないから水で」

「時間などかかりませんよ?」


 私がいるというのに、お二人にただの水を飲ませるわけにはいきません。

薬を飲むというのなら話は別ですけど。



 セバスはティーポットに茶葉と水を入れ、蓋を開けたままのポットの上に手をかざすと、サッと横に滑らせた。

二人はその様子を食い入るように見ている。

彼の術はこれまでに何度も見てきているが、結果は分かっていてもついつい見入ってしまうのだ。それが初めて見る術ならなおのこと。



 正式な淹れ方をしたものより風味は落ちますが、今はこれで許していただきましょう。


「熱いので気をつけてくださいね」

「「はい! ありがとうございます!」」


 二人のお礼には〈新しい術を見せていただいて!〉という思いも入っている。

王宮お抱えの大魔術師にもなれるほどの──いや、間違いなくそれ以上の力をもっている者を、上級とはいえ男爵家の使用人として雇っていることを申し訳なく思っているのだ。

本人が強く望んでいることだとしても。


 一方のセバスは二人の敬語に思わず首を傾げそうになっていたが。

とりあえず、皆でお茶を飲んで一息ついた。



「さて、どこまで話したかな?」

「私の父が王都に戻ってきたところまでです」

「ああ、そうだったな。村から戻った翌日、私たちの邸を訪れたゼイン様から『少しずつ目立たないように身辺整理をしておくように』と言われたのだが、すぐにピンときた。アメニアには言わなかったが、さすがにそのころになると私にも気づいていたことがあったんだ。あの男の──ジェイコブのミレニア様を見る目が──」

「なっ、なんだって!?」


 ガタガタッ! とテーブルに足をぶつけながらアクトゥールが立ち上がる。


「アクトゥール。話の途中だぞ」

「聞かなくても分かる! ア゙ア゙アァァ! クソ野郎がっ!!」

「アクトゥール」

「汚い言葉を使ってすみません。だけど! ジェイコブの視線にいち早く気づいたゼイン様がいなかったら、母上だってどうなっていたか分からないでしょう! ッソ! ジェイコブのせいで俺たちは────あいつに、あいつにころ」

「そう。死んだのですよ。三百年も前の話ですけどね。それよりも、そんなに大きな声を出されては、奥様やお嬢様が起きてくるかもしれませんよ? 座って落ち着いてください」


 実際は、セバスチャンが執務室に結界を張っているので聞こえない。

しかし、興奮しているアクトゥールはそのことを失念していて、慌てて扉を確認したあとゆっくりと腰を下ろしたが、セバスの態度が気に入らなかったようで──


 あ゙あ゙ぁぁ、気分が悪い! 何百年前の話だろうと、当事者は当事者だ! 

よくもそんなに落ち着いていられるな! 


 ──ジロリと隣に目を向け……


 ゾッとした。



 セバスの全身は陽炎のようにユラユラと揺れる青白い炎に包まれ、時折チリッチリッと音まで立てる殺気を放っている。

口元には薄く微笑みをたたえているのに、切れ長の目はもう少しで縦になりそうなほどにまでつり上がり、人間離れした美貌は恐ろしさに輪をかけていて……



 頭のてっぺんと両肩が、まるで激しく流れ落ちる滝に打ち付けられているかのように重たくなってきたアクトゥールは、たまらずサンデールに助けを求めたが、顔中から吹き出した汗で溺れる寸前の目が逆に訴えてきた。


(たっ、助けてくれ! 今日はここまでだと言ってくれ!)

(ごめん! 無理!)


 速攻で返して、すっかり空になっているティーカップを必死にすする。


 じょ、冗談じゃない。この雰囲気でそんなこと、言えるはずがないじゃないか!

たとえ天地がひっくり返っても、セバスチャンが俺たちに手を出すような真似などするはずがないことは分かりきっているけど……怖いものは怖いんだよ!



 ◇◇◇



 サンデールとアクトゥールが溺れそうになっていたまさにその時──

執務室の扉をノックをしようとしていたスヴァイルは、あと数ミリでコンコンコンとリズムよく弾ませるはずだったその拳をぴたりと止めた。



 話が長引いているようなので、お茶をお持ちしてみたけれど……

もしかして、お邪魔かな?


 ものすごぉぉく大事な話の途中だったり、複雑な問題に頭を捻っている最中だったりしたら?


 うん。邪魔だ。そんなやつは邪魔者以外の何ものでもないな。


 いかん、いかん! 優秀な執事たるもの、決して話の腰を折るような真似などしてはならぬぞ! ましてや思考を中断させてしまうなど、言語道断!


 お茶は私が責任をもって飲み干させていただきますのでご安心を。

それでは、失礼いたします。




 扉の前で丁寧に頭を下げたあと、そそくさとその場を立ち去ったスヴァイルは──

危機管理能力抜群の執事である。













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