28・プラント邸 執務室にて
アズナイル一行が領地を離れた日の夜、サンデール、アクトゥール、セバスの三人は執務室に集まり、この数日間の出来事を振り返っていた。
「王族自身が視察に訪れると聞いたときにも驚いたが、まさか入れるとは、想定外だったな。いにしえの結界が受け入れないだろうと思っていたのに……」
深刻な面持ちのサンデールがため息混じりに呟く。
サーフィニアが楽しみにしていたこともあり、一応準備だけはしておいたが、迷いの森を抜けられるのは、多く見積もっても数名の護衛騎士がいいとこだろうと考えていたのだ。
幾度となくこっそりと侵入を試みている王族関係者がいるのだけれど、その者は迷いの森にさえ入ることができないことを知っていたから。
「今からでも遅くはありません。セバスチャンの結界にフィルターをかけて、王族は弾くようにしておいたほうがよいのではないでしょうか」
「私もそれは考えたのですが、一度は入れた者が二度目はなかった。しかもその者は第三王子であるというのに、となれば、王都でのプラント家に対する風当たりが強くなるかもしれません。また逆に、不都合なことが起こる可能性もあります」
とは言ったものの。
気に入らないあいつがお嬢様のことを気に入って、お嬢様もあいつのことを気に入っ──気になる存在になることが初めから分かっていたら、今回だけでもフィルターをかけておいたのに。
「そうだな。いざというときはそうすることもやむを得ないが、今はまだこのままでしばらく様子を見るとしよう。アクトゥールが王立学院を卒業するまであと一年はあるし──」
あいつの想いなど知ったことではないが、お嬢様を悲しませるような真似だけはできない。来年の約束を念押ししたのも、お嬢様のためだ。
お嬢様のため。だけれども、やはりあいつは気に入らない!
「──セバス? どうかしたのか」
顔が怖いのだが……
しまった。私情にとらわれている場合ではなかった。
お嬢様が笑顔で幸せに暮らしていくためにも、先に考えなければならないことがあるのに。
「いえ、あの、少し気になることがありまして」
「気になること?」
「はい。にわかには信じがたいことですが、アズナイル殿下はお嬢様の本当の色を認識しておられると思います」
「そっ、れは確かに信じがたい話だな。ニアの髪を黒に変えてもらったのは、生後三ヶ月のときだったが……あれから十年、一度もお前の術は解けたことなどないだろう? 勘違いじゃないのか」
お嬢様のもって生まれた輝く白金の髪に感動を覚えたものの、日に日に言い知れぬ不安が膨らんできた私は、髪の色は変えておいたほうがいいのではないでしょうかと旦那様に提案した。
この色は良くも悪くも目立ちすぎる。
もし断られても、何度でもお願いするつもりでいたのだが、旦那様も奥様も思うところがあったようで、すぐに了承してくださった。
「術が解けたのではありません。理由は分かりませんが、瞬間的に視えるときがあるようです。確信したのは、来年また会う約束をしていたときでした」
あのとき、あいつには視えたのだ。お嬢様の本当の色が。
咄嗟に視線を外したが──確認をとりたかったのだろう──私を見ていることは分かっていた。
「そういえば、スヴァイルも言っていました。殿下から『サーフィニア嬢は生まれたときから黒髪でしたか』と聞かれたと。圧をかけて誤魔化したので、それ以上は聞かれなかったそうですが」
「隠している色が分かるなんて……やはり歴史は繰り返すということなのだろうか。今世ではなるべく王家と関わりをもたないように過ごしてきたというのに」
額を押さえて俯くサンデールに、これ以上の負担はかけたくない気持ちはありつつも、これまであえて触れずにきたことを聞けそうなチャンスをセバスは逃したくなかった。『歴史は繰り返す』というのなら、なおさらに。
「お二人にも覚えはあると思いますが、私は今まで何度も《日本》という国で転生を繰り返してきました。その世界──国では、アクトゥール様とお嬢様については捜すまでもなく、早い段階で近くにおられることに気づいていましたが、旦那様と奥様にはなかなかお会いできませんでした。それでも私は、いつの時代もそれなりに幸せに暮らしてきたつもりです。旦那様とアクトゥール様は、いかがでしたか」
アクトゥール様とお嬢様に出会うまでは、その時々で淋しい思いもしてきたが、あの平和な国でみんな穏やかに暮らし続けていけるのだと信じていたのに……
それまでとは違い、どれだけ待っても捜しても、近くにお二人の姿を見つけられなかったあの時代、日本で生まれ変われるのは今生が最後、などと考えたこともなかった私は還暦を機に町を離れ、秘境と呼ばれる山奥でひっそりと一人、小さな温泉宿を営んでいた。生まれ変わればまた会えるだろうと、それだけを信じて。
ところがそれから十年。宿をたたむことにした私の前に、突然舞い降りた奇跡。
最後に迎えた五名の宿泊者の中に、お二人の姿があったのだ。
そのときは本当に驚いて、とても言葉では言い表すことができないほどの喜びに溢れたことを覚えている。
けれどもやっと出会えた喜びは束の間で、再び襲ってきた悪夢に天を呪った。
また離れ離れにされるのかと。
しかしそれは悪夢ではなく、新たな奇跡の始まりだった。
数百年ぶりにまたこうして同じ屋根の下で暮らすことができて本当に幸せではあるが、それがどうしてこの国なんだという思いはずっと持っている。
「私はニアが生まれると思い出していましたが、ほかには誰もいなくて。だから私がニアを守らなければと。だけどセバスチャンの話を聞いて、いつの時代にも困ったときには必ずどこからともなく現れて、助けてくれるとても親切なお兄さんがいたことを思い出しました。あれは、セバスチャンだったんだね? 一人でニアを守っているつもりだったけど、私も守られていたんだ……ありがとう」
嬉しそうに笑うアクトゥール様を見て、あのころの少し切なかった気持ちがとけていくのを感じる。
お嬢様はお生まれになったばかりだったから仕方がないにしても、アクトゥール様も私のことが分からないのだと気づいたとき、とても悲しかった。
アクトゥール様は当時七歳で、あのころ一緒に暮らしたのはわずか二ヶ月あまり。
姿形も変わっているのだから、分からなくても、覚えていなくても無理はない。
と、何度も自分に言い聞かせていた。
「私の隣にはいつもリリィがいた。離れた場所で暮らしていても、私が十八、リリィが十六になると必ずどこかで出会い、やがて夫婦になったが……子を授かることは一度もなかった。だがそれを悲しいと思ったことはない。どこかにいるはずのお前たちをいつも捜していたよ。分かっていたことだけど、そうして見つけ出した二人には当然両親がいて、いつも幸せそうだった」
「父上……」
初めて聞く話に動揺を隠せないアクトゥールに対し、サンデールは優しい顔で首を振る。
「アクトゥール、言っただろう? 悲しいと思ったことはないと。あのころはあれでよかったのだと思う。一緒に幸せに暮らしていたら目立って、また誰かに狙われていたかもしれないだろう? お前たちが楽しそうに、幸せそうに笑っている姿を見るだけで、私たちも幸せだったんだ。ただ……本当に幸せだったんだけど、どうしてもそばで見守っていたくてね。見つけたらすぐに近所へ引っ越していたよ」
ハハハ、と笑うサンデールを見つめるアクトゥールの目は赤くなっている。
「全然知りませんでした」
「そうだろうな。何度かうっかり姿を見られたが、私たちのことは分からないようだったから」
アクトゥールはとうとう俯いてしまった。
「責めているわけじゃない。それはそれでよかったんだぞ? 分からないのだと気づいた私たちはこっそりと見守るのはやめて、堂々と、ご近所のとっても優しいおじさんとおばさんを演じながら、思いっきり可愛がることができたんだからな」
その言葉にパッと顔を上げたアクトゥールは──
「言われてみれば、いつもやたらと私たちにかまってくるご夫婦がいたことを思い出しました。ご近所さんならまだしも、お隣さんのときもありましたよね?」
「近ければ近いほど、一緒にいられる時間は長くなるだろう? 最終的には、お前たちの両親を乳母と執事に見立ててな? 夜は離れで一緒に寝てもらっている設定にしたりしていたよ」
懐かしそうに目を細めるサンデールとは対照的に、さっきまで目を赤くしていたアクトゥールは呆れ顔になっていた。
「なんですか、その設定は。気づかなかった私も私ですけど──いえ、それよりも、私は子供だったから記憶が薄れていた可能性もありますが、父上とセバスチャンは覚えていたのですよね? 二人とも私たちの近くにいたのなら、お互いを認識できたと思うのですが」
「まあ、そうなんだけどな……」
サンデールは少し気まずそうな表情で、セバスをちらりと見た。
「息子であるお前が気づかないのだから、セバスも気づくはずなどないと思い込んでしまって。実際、何度も顔をあわせていたのに、何も言ってこなかったから」
「私も、です。旦那様と奥様と、数え切れないほど目があっても話をしても、一切昔の話を持ち出されなかったので、やはり分からないのだと……」
…………;
なんてことだ。と思ったところで、肝心のアクトゥール様とお嬢様にも分かってもらえなければ、どうすることもできなかったのだ。と、自分を慰めるしかない。
「もうひとつ、いくら考えても分からないことがあるのですが……あの日みんな一緒に湖の渦にのまれたはずなのに、どうして転生先ではバラバラになってしまったのでしょうか」
「ああ、それは私も考えたことがある。結局、なぜそうなったかは分からなかったけどな」
アクトゥール様のいうとおり、私たちは離れ離れになった。いや──
あのときのことは、何百年経った今でもはっきりと覚えている。
後悔とともに。
あの日、何者かに追われていた私たちは、突然頭の中に響いた『湖の中へ!』という声に従い、迷うことなく一斉に湖へと飛び込んだ。
しっかりと手を繋いで。
けれど、急に渦を巻き始めた水の勢いに耐えきれず、バランスを崩した旦那様の手からお嬢様が滑り落ちて流されてしまった。
その瞬間、止める間もなくアクトゥール様は奥様と私の手を振りほどいてお嬢様を追いかけて、旦那様もすぐに後を追おうとしていたけれど、急に手を振りほどかれた奥様がバランスを崩して倒れ込み、それを支えるのに精一杯の様子を見て〈私が行かなければ!〉と思った。
お嬢様をしっかりと両手で抱きかかえ、浮き沈みを繰り返しているアクトゥール様を渦の合間に見つけて必死に泳ぎ、やっとのことでアクトゥール様の肩に指先が触れるところまではたどり着いたのに……そこから先の記憶がない。
アクトゥール様が手を振りほどいたとき、すぐに追いかければよかった。
そうしていればもしかして……
いくら後悔しても戻れないことに、頭を振って気持ちを切り替える。
「これは推測にすぎませんが、あのときのお互いの距離が関係していたのではないかと私は考えています。最後に見たアクトゥール様は、お嬢様をしっかりと抱きしめておられました。私はアクトゥール様の肩に触れる距離まで近づけましたが、とらえることはできませんでした。あの世界でアクトゥール様とお嬢様は一度も離れることなくご兄妹でいられたことを基準に考えれば、いつの時代でも、お二人の家の近くにあった施設に私がいたことも、偶然ではなかったように思います。旦那様と奥様にお会いできるのは、いつもお二人に出会った後でしたし」
セバスの話に納得がいったのか、しきりに頷いているアクトゥールの姿を黙って見ていたサンデールは、しばらく考えてから重く感じる口を開く。
「私もあのとき、すぐにお前たちを追いかけようとしていたのだが、リリィが足を滑らせてしまったんだ。流れが速すぎて、自力では立ち上がれなくなったリリィを必死で抱き起こそうとしていたら、私まで足を取られてしまってな。絶望的な気持ちで顔を上げると、お前たちは渦の中心にのみ込まれていくところだった。私とリリィは二人で流されながら、それをただ……ただ、見ていることしかできなかった。すまない」
「そんな! 父上は何も悪くありません! 私が──」
「いや、私なんだよ。リリィは自分はいいから子供たちをと言っていたのに、彼女の手を離すことが、どうしてもできなかったんだ。言われるままに手を離したら、永遠にすべてを失ってしまうような、そんな気がして、怖くて」
苦しそうに当時の心境を語るサンデール。
しかし、その手を離さなかったからこそ今日へと繋がり、こうしてまた巡り会うことができたのではないか? とセバスは思う。
思うからこそ──
「旦那様もアクトゥール様も悪くありません。私たちは誰も悪くないし、なんの罪もなかったはずです。それなのに──旦那様、教えて下さい。私たちはなぜ、王都を去らなければならなかったのですか? ある日突然、平和な日常を奪われ、逃げ回る生活を強いられた。それはどのような理由によるものだったのでしょうか」
聞いたところで、楽しいことなど何ひとつないだろうと、これまであえて触れずにきたけれど、セバスが本当に聞きたかったのはこのことだった。




