27・落としたものは
一度も振り返らず、立ち止まらず、一気に《迷いの森》を駆け抜けたが、森を出た瞬間なにかを落としたような気がしてアデルの脚を止めた。
「どうしましたか」ノリスの問いに、後ろを振り返る。
「何か落としたような気がしたんだが……」
そう聞いて、ノリスも今来た道を振り返ってみたけれど、バッと目につくような物は見当たらない。
「何も落ちていないようですが、少し戻ってみますか」
「いや……」
いちばん大事な物はポケットの奥底にしまっている。落とすはずがない。
と思いながらも、念の為マントの中に手を入れて胸ポケットを確かめた。
指先に触れるツルリとした感触に、ホッと胸をなでおろす。
「大丈夫だ。行こう」
再び駆け出し、昼を少し過ぎた頃には大きな川の畔まで来ていた。
この川を渡って森を抜ければ、宿泊予定の街まであと一歩だが。
どうする? このまま進むか、一息入れるか……。
「殿下。スヴァイル殿から『ランチにどうぞ』と持たされたおにぎりがありますので、ここらで昼休憩にしてはいかがでしょう」
ノリスの提案に辺りを見回してみると、川の畔は見晴らしも良く木陰もある。
アデルたちを休ませて水を飲ませるのにも良さそうな場所だと思った。
「そうだな。そうするか」
「皆聞こえたな! ここで昼休憩だ! 各自馬に水を飲ませたらおにぎりを渡すから取りに来い! 腹加減がよく食べきれないという分については私が責任を持って引き受ける! 遠慮なく申し出るように! 以上だ!」
ノリスに言ったつもりだったのにザードが大声を張り上げた。
いつもならこれくらいのことはネイサンにやらせるのに、食べ物が絡むと呆れるほど積極的になる。何が『責任を持って引き受ける』だ。
「絶対に持ってこいよ?」みたいな目で部下を見るのはやめろ!
まさか、この食いしん坊に俺たちの分は持たせていないよな?
ノリスに視線を送ると、大丈夫だというような頷きが返ってきた。
こちらにも一人二人油断のならない者はいるが、そんなことよりも先にアデルを休ませないと。
「アデル、ここで少し休憩だ。疲れただろう?」
鼻梁を撫でながら話しかけると「これくらいで疲れるわけがないでしょう!」とでも言うように、鼻をフンッ! と鳴らされた。
俺たちも手頃な木陰を見つけて腰を下ろす。
「行きがけには気づかなかったが、なかなかいいところだな。ここならしばらく食べ納めとなるおにぎりも、より美味しく食べられそうだ」
「食べ納め? 陛下への献上品があるだろう?」
「まあな。ただ……米が献上されたのは今回が初めてではないのだが、それを俺は一度も食べたことがない。俺は、というか、誰も、だな」
《誰も》と言った瞬間、三人は驚いた表情のまま固まってしまった。
それはそうだろう。これは王宮内でもごく限られた者しか知らない事だから、こいつらが驚くのは当たり前だ。
「いいか? これはここだけの話だぞ。以前、王室に献上された米はな、ノーマンが確認した段階では白い米粒だったにもかかわらず、厨房に運び込まれると一粒残らず黒く変色してしまったそうなんだ」
「えっ? 全て、ですか!?」
ノリスがここまで驚くのは珍しい。
彼の父で、宰相でもあるノーマンから聞いていない証拠だ。
「ああ。初めての時は献上した者を厳しく取り調べたが、不審な点は何も見つからなかった。まあでもこれは、当然といえば当然の結果。献上したのはドイル子爵だったからな」
「ドイル子爵? なら、不審な点などあるはずはないか」
エルトナがそう言うのには理由がある。
何かしらの商いをしている者は大勢いるが、うっかりミスも含め、一度も抜き打ち検査に引っかかったことのない者など王都には数えるほどしかいない中で、不正などとはもっとも縁遠いのがドイル商会。国一番の優良企業。王室御用達。と言っても過言ではないからだ。
「当たり前です。ドイル商会が取扱う商品はすべて高品質で、特に子爵自ら仕入れてくる他国の品々は、その物珍しさも相まって王妃様の覚えもめでたいくらいですからね」
「その通りだ。しかも、その後も同じことが起こればな」
「「「…………」」」
しまった……。俺としては、米が黒くなる原因が分からないから、皆から何かヒントになるような話でも出てこないかな? くらいの軽い気持ちで話したのだが。
いくら信頼しあう気が置けない間柄だといっても、こんな所で機密事項を聞かされたら困るだけだよな。
「すまん。この話はこれで終わりだ。よし! クルス、お前の出番だぞ!」
「えっ、ぼ、ぼく!? 急にそんな……ええーっとぉ──あっ! 見てこのおにぎり! この黒いのはなんだろう? 初めて見るよね?」
「食べるのは初めてですが、海藻を伸ばして干したものだと聞きました」
「へぇ〜。海藻を──って言われても分からんな」
どうしたクルス。せっかく見せ場を作ってやったのに、返しが弱いぞ?
「あっ、ちょ、ちょっと! 見て見て! ここ、なにか入ってるよ!」
クルスが半分に割りかけたおにぎりの中に、赤いものがちらりと見えた。
これまでは、表面に味付けがしてあるものだけだったから「また新しいおにぎりに出会えるんだ!」という期待に、皆の目が輝いたのを見てホッとする。
よし。黒米の話はサッサと忘れてくれ!
「これは……魚、ですね? 焼いてほぐした魚が入っていますよ」
「魚? 肉じゃないか? ほら、あのチャーハンに入っていた肉だと思うぞ」
「ああ、チャーシューとかいうやつか。もしかすると全部違う具材なのかもな。俺のは──ポークカツレツだ!」
サーフィニア嬢がカレーのトッピングの中で一番好きなものじゃないか!
いや、俺も大好きになったけどな。
食べなくてもわかる。これ絶対美味しいやつだ! とテンションを上げていると、
「じゃあ……僕のが一番だね! みんなのは全部今まで食べたことがあるものでしょう? 僕のはねぇ、見て! この赤いの! 初めて見るでしょう? いちごジャムに似てるけど、ふふふ、何だろな〜」
得意満面で、まるで財宝でも掘り当てたかのように喜ぶクルスの嬉しそうな声が聞こえてきたが……。
「うっ、わわわわわっ! ななな何!? すすすすっ、ぱいぃー!!」
もぐもぐと頬張った次の瞬間、叫び声を上げると、顔のパーツを中央に全部寄せて身をよじらせ始めた。
さすがはクルス。みんなの期待を裏切るようなことはしなかった。
「それにしても、おにぎりには豊富なバリエーションがあるのですね」
「こんなん誰が考えるんだろうな?」
「それは勿論、サーフィニア嬢と──」
ん? サーフィニア嬢と…………誰だ?
「サーフィニア嬢、と?」
「いや、なんといったか……。ほら、彼女の側にいつもベッタリと張り付いていた者がいただろう?」
「ベッタリと、ですか? アクトゥール殿は、いつもはいなかったですね。マリアベルさんでしょうか」
「スヴァイル殿もいたぞ」
マリアベル殿、スヴァイル殿……だっただろうか? 違う気がする。
『約束を忘れないでくださいね』サーフィニア嬢が言った。
『約束を忘れるな』……誰が、言った?
サーフィニア嬢の次に重要な人物を忘れているような気がするが、思い出せない。
思い出そうとすると頭の中に靄がかかったようになる。
「その顔からすると、違うようだな」
「う〜ん、誰かもう一人忘れているような気がして……。プラント男爵家護衛騎士隊の隊長は誰だった?」
「隊長は……クラウドさん。じゃなかったか」
「クラウド殿? じゃあ副隊長は?」
「副隊長? 副隊長は──いなかった、ような?」
いなかった? 俺の勘違いか?──いいや、違う。誰かあと一人いたはずなんだ。それは……。
あー、ダメだ。モヤモヤする!
しかし、アズナイルのそのモヤモヤは、クルスの次なる発言によって木っ端微塵に吹き飛んだ。
「そんなことよりさぁ、サーフィニアちゃんとミーニアちゃんて、本当にそっくりだったよね? ミーニアちゃんの方が少し小さかったけど、まるで双子みたいだった! 今度は二人にお揃いのペンダントでも作って持って行こうか──あれ? でもミーニアちゃんは貴族年鑑に載ってないよね? えっ? もしかして、記載漏れ!? わわっ、た、大変だ! 王都に戻ったら係の人に教えてあげないと!」
…………;
「本物。だったか」
「真性。ですね」
「俺はもう面倒見きれんぞ」
「エルトナが面倒見なければ、ほかに誰が見るんですか」
「やめろ。俺を勝手にお世話係にするな」
クルス。貴族年鑑に載るわけないだろう? 同一人物なんだから。
それともあれか? 今度は自分で見せ場を作ったのか?
「ちょっとー、何の話をしてるのさ! 僕、エルトナに面倒見てもらわなくてもちゃんとできるよ! というか、できてるよ!」
見せ場作りではなかったらしい……。間違いなく本物だ。
「クルス。お前の弟は十歳になったか?」
「ニルス? うん、もう十歳だよ」
「やはり優秀なんだろう?」
「まあね〜。僕ほどではないけど、ボルトナー家の男は──って、ちょ、ちょっと待って! ま、まさか、僕のポストをニルスに代える。とか、そういう話じゃないよね? 違うよね!?」
おっ? こんなことだけは察しがいいんだな。
「王都に着いたら、すぐにボルトナー伯爵に了承をもらいに行きます」
「そうしてくれ」
「ねえ! 待って! ニルスはまだ十歳だよ!」
「十歳も十二歳も、俺からすれば一緒だ。元気でな、クルス」
「ま、待って、待ってって! いぃやぁぁ、置いていかないでぇぇ! エルトナー! 最後の最後まで、ちゃんと面倒見てよぉー!!」
……; ちゃんとできるんじゃなかったのか?
◇◇◇
「ところで……親父さんには話すのか」
「はぁ? 友人同士の文通に口を出す真似なんてするわけがないでしょう? そんなことをしたら、私の人格の方を疑われますからね」
「いや、文通じゃなくて──まぁいいか。お前は本当に分かりにくくて、かわいい奴だな!」
「意味が分かりません。クルスに似てきたんじゃないですか」
「ハハハ、マジでやめてくれ」と楽しそうに笑うエルトナに背中をバシバシと叩かれて──叩かれたから、視界がぼやけそうになった。
「私だって、殿下には殿下の望む幸せを掴んでほしいと思っているのです」
それが、どれほど困難なことであるかは、十分すぎるほど分かっていても。
小さな呟きは──エルトナの横顔を穏やかに包み──風に乗って消えていった。




