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26・ハンカチと別れの朝

 どうせなら、サーフィニア嬢が訪ねてきて欲しかった。

そう思いながらカーテンを開けて本邸の方を見たけれど、どんなに体を乗り出してみてもやっぱりサーフィニア嬢の部屋はここから見えない。


 またあの白い鳥が来ないかな?

わずかな期待を持って暫くそうしていたが……。


『もう二度と来るなよ』


 セバスチャンの言葉がよみがえる。

ハァ……。来るわけないか。諦めてカーテンを閉め、ベッドに腰掛ける。

サイドテーブルには三本のドリンク。


 それは確かにサーフィニア嬢から受け取った物だけど作ったのはセバスチャンで、瓶に残っていたかも知れない彼女のぬくもりは、アクトゥール殿に撫で回され根こそぎ持って行かれ……あー、ついてない! 癒しがほしい!


 皺にならないように数枚の紙に挟み、荷物の底に隠しておいたお宝を取り出した。

お楽しみディナーの時に配られた、サーフィニア嬢の描いた稲穂の絵が入ったあの紙だ。これだけが、サーフィニア嬢お手製のたった一つの──待てよ?


 これは投票用紙として配られたものなのだから、こんなふうに持ち帰った者など他にいないよな?


 うん。いない。食べたい物を食べるための大事な三票だ。上位三品に食い込ませるために皆全部使い切ったに違いない。

俺くらいだ。食べてなくなるものより、いつまでも手元に残るお宝を選んだのは。俺だけ、だよな? 


 ……えっ? 持ち物検査をした方がいいかな? 

まさかとは思うが、俺の真似をして……いやいや、そんな奴はいない!

……だけど、もしも、いや…………クゥゥゥウッ!



 いやいやけどもしループに陥っているアズナイルが気づくことはないだろう。

アズナイルがサーフィニアのことをいたく気に入ってしまったということは、クルスを除く側近二名と護衛騎士全員にバレてしまっていて、後々面倒になりそうなことを進んでやる者など誰一人いないということに。

ちなみに、クルスは色気より食い気なので問題はない。



 ハァァ。癒やされるはずだったのに、こんなモヤモヤした気持ちのままでは眠れそうにない。別の癒しが必要だ。記憶の中から宝物を取り出さないと。


 誰にも奪われることのない、記憶の中の宝物。

その中からなるべく新鮮で特別なものを選び出す。


 賞品を手渡しに来てくれた時、俺だけに向けられた可愛い笑顔。

その笑顔をドリンク越しに思い浮かべていると、ある一本に違和感を感じた。

手に取ってみると、それには明らかに液体でない物が……入ってる!?


 気づいた瞬間に、胸がドキドキしはじめた。

合わせるように微かに震えだした指で蓋を開けようとして──ハッ! とあたりを見回す。

ダメだ。慌てては取り返しのつかないことになるかも知れない。


「さぁ〜て、風呂に入って寝るとするか。明日は早いしな〜」


 テーブルにドリンクをそっと戻し、自然な感じを意識しながらも大きめの独り言を言う。浴室に行く前には寝室の扉に鍵がきちんと掛かっている事を何度も確認した。自分でも、そこまでする必要があるのか? とは思う。


 が! ここでは何が起こるか分からない。念には念を、だ。


 急ぎ過ぎないように急いでシャワーを浴びて、頭を拭きながらタオルの隙間から瓶の様子を──というのも変な話だが──確認する。

やはり、一本だけ何かが違う。


 はやる気を静めるために深呼吸を繰り返していると、寝室の鍵のチェックだけでは不十分であることに気がついた。

まずは部屋の鍵が掛かっているかを確認しておかないと。大丈夫だとは思うけど。


 それから寝室へ戻り再び鍵を掛けなおした。だが、当然これで終わりではない。

次はカーテンだ。隙間なく閉めなおして……よし、じゃない! 

危ない危ない、窓の鍵を忘れるところだった。

窓の鍵、よし! カーテン、よし!


 すべての鍵とカーテンをチェックし終えてから漸くベッドに腰掛ける。

そうだ、念のため明かりも少し落としておこう。よし、これで準備万端整った。


 さあ、いよいよだ!


 先に違和感のない二本を手に取り振ってみると、トクン、ポクンと音がして、中身も音に合わせるように揺れている。液体である証拠だ。

残りの一本も同じように振ってみたが、音はしないし中身も揺れない。


 なかなか治まらない大きな鼓動が外に漏れ聞こえないかとヒヤヒヤしながらゆっくりと蓋を開けると、中には筒状に丸められた布が入っていた。

うっかり破ったりしないように、そーっと引っ張り出す。


 すると、丸まった布が姿を現すと同時に、何かがヒラリと舞い落ちた。

拾い上げてみると、それは小さく折り畳まれた手紙で──



 アズナイル殿下へ

  魚釣り大会、お疲れ様でした。楽しんで頂けましたか? 

  これは、レインボーフィッシュ賞の副賞です。私が刺繍しました。

  使ってもらえたら嬉しいです。

  あっ、お兄様には絶対に内緒ですよ! 

                    サーフィニア



 ──と書かれていた。


 ……さすがは兄妹。よく分かっている。



 瓶の中に入っていたのは真っ白なシルクのハンカチで、手紙にある通り、片隅にはサーフィニア嬢が施したという刺繍が入っていた。

金糸で稲穂が、そして青糸で《A.R》のイニシャルが──ん?


 誰が賞を取るかは分からないのだから、イニシャルは入れられなかったはず。

ということは……最初から俺に渡すつもりで!?


 そうだとしたら、すごく嬉しい!

サーフィニア嬢から何か記念になる物を、しかも彼女自身が刺繍を施したハンカチを貰えるなんて、夢みたいだ! 

しかもしかも、ハンカチなら肌身離さずに持ち歩くことだってできるじゃないか!


 副賞なんかじゃない。俺にとってはこれこそが最高のレインボーフィッシュ賞だ。

サーフィニア嬢が心を込めて一針一針、俺の名前の頭文字《A.R》を──んん?

ここを、こう隠すと……《A.P》…………アクトゥール・プラント!?


 あ、危ないところだった。あの時アクトゥール殿に見つかって奪われていたら、偽装した挙げ句に「これは自分が貰った物だ!」と言い張って、絶対に返してくれなかったに違いない。

アクトゥール殿はクルスと同様、要注意人物に加えておかないと。



 ハンカチを膝の上に広げニマニマしながら眺めていたら、あることを思い出した。

アクトゥール殿が検分していた時は、たしかに三本とも液体だったということを。


 それはつまり、どうやったのかは分からないが、間違いなく大魔王セバスチャンが何か仕掛けを施していたということだ。

兄であるアクトゥール殿のことを熟知しているサーフィニア嬢に頼まれて。


 そうして大魔王の作った俺専用激まずドリンクは無事この手に──あっ! 三本の内の一本にはハンカチが入っていたのだから、残りは二本になったぞ!


 ラッキー♪ と思ったのがいけなかったのだろう。

サイドテーブルの上には、きっちりと蓋の閉まった三本のドリンクが。

どれも全部、ひと目で液体と分かる三本のドリンクが。行儀よく並んでいた。


 ……サスガデス。ナンデモデキルンデスネ?



 悪夢を見そうなサイドテーブルに背を向けながらベッドに潜り込むと、甘く優しい香りのするハンカチを抱きしめて、目を閉じた。



 ◇◇◇



 今日だけは、昇ったままでいてほしかった月は沈み、新しい一日の始まりを告げる朝の光は、森の向こうから少しずつ、薄明の空を暁色に染め始めた。


 ため息を飲み込んで、少し皺になってしまったハンカチをきれいに何度も畳みなおし、上着の内ポケットの奥に仕舞ってから、宝物を隠す意味も含めてマントをきちんと羽織り、意味もなくその姿を鏡に映してみる。


 いつもはパパッと済ませる朝の支度にたっぶりと時間をかけてみたが、無駄なあがきもここまでだ。

最後の最後にカッコ悪いところを見せるわけにはいかないので──ノリスに引きずり出される前に──重い足を動かして、寝室をあとにした。




 プラント領から王都までは馬で飛ばして三日はかかる。

帰りの馬車は急ぐ必要もないので、更にあと二日かけて帰ることになるのだが──


「米が三十キロも積んであるんだぞ? 襲われたらどうしてくれる? お前に責任が取れるのか」

「勘弁してくださいよー」

「団長! 私達の任務は、お米の護衛をすることではありません!」

「お前、あれが自分の米だとしても同じことが言えるのか? 俺のだからどうなってもいいと思っているんじゃないのか」


 ──朝っぱらから何を騒いでいるのかと思ったら、ザードとネイサン達が《米の護衛》について押し問答を繰り広げているところで。

というか、米の護衛って……;


「ザード。そんなに米が心配ならお前は馬車で帰ってもいいぞ」

「殿下! 何をおっしゃいますか! 私はこの視察隊の隊長です。そんな事はできません!」

「ネイサンとエルトナがいるし、第一、お前が選りすぐった精鋭部隊だろう? 問題ないさ」


 王都では米は珍しく貴重なのは分かるが、こんなところをプラント家の者に見られたら──「皆様、おはようございます。朝からどうでもいい事で揉めるのはやめて、早くお立ちになられては如何ですか? 迷惑です。旦那様方は邸の前でずーっと待っておられますよ?」──よりによってこいつか……。


「「「も、申し訳ありません!」」」


 セバスチャンの静かな微笑みと冷ややかな視線に促され、皆そそくさとその場を離れようとして、俺だけ捕まった。


「アズナイル殿下。私の事は忘れても構いませんが、お嬢様との約束は忘れないでくださいね?」

「勿論です。来年の夏の稲刈りは、私も楽しみにしていますので」


 約束は勿論、こんなに強烈なセバスチャンを忘れることなんてあり得ないと思うが、鮮やかなブルーの瞳にじっと見据えられると、いろいろと不安になってくる。

何もやましいことなどないけれど、心の中を見透かしてでもいるかのような視線を向けられるのは、気持ちの良いものではない。


 怖いけど──文句の一つでも言ってやろうかと思っていると、クルリと背を向け「お嬢様がお待ちです」と言って先に歩き始めたので〈早まらなくてよかった〉と小さく安堵の息を吐き、後を追った。



 邸の前で、男爵夫妻にお世話になったお礼を言い、アクトゥール殿の探るような別れの挨拶に変な汗をかかされてから、漸くサーフィニア嬢にたどり着いた。


「殿下。来年の夏の約束、忘れないでくださいね? 楽しみに待っています」

「忘れないよ。私も一緒に稲刈りできる日を楽しみにしているから、それまで大事に育ててあげてね?」


「はい! お任せください」と、嬉しそうに満面の笑みを浮かべるサーフィニア嬢を見ていると、本当に帰るのが嫌になる。

ハンカチのお礼も言いたいけれど、アクトゥール殿がサーフィニア嬢の隣にぴったりと張り付いているので諦めるしかない。


 それにしても……サーフィニア嬢もセバスチャンも、何度も『約束を忘れないで』と言うけれど、俺はそんなにうっかり者に見えるのだろうか? 

そういう風に見えているのならちょっと悲しいけど、忘れるわけない──よな? うん。クルスじゃあるまいし。


「殿下。お手紙を書いてもいいですか」


 おっ? おお、その手があったか!

って、違うぞ。忘れないという自信がなくなったからじゃない。

ハンカチのお礼をいうためだ。彼女だって、俺が忘れそうだから手紙を書くと言ってくれたんじゃない──と思いたい。


「ああ、勿論だとも! 私も書く」「ニィィアァ〜。兄様にも、書いてね?」


(…………)


「もう。お兄様にはいつも書いてるでしょう! それにお兄様は、まだここにいるじゃない」

「そうだけどぉ。王都に戻ったら、殿下よりもたくさん書いて! ね?」


(…………;)


 しんみりとした悲しい別れにならなくて良かった。

けど! アクトゥール殿はちょーっと──いや、かーなり邪魔かなぁ。と遠い目をしていると、セバスチャンが動いてくれた。もちろん今回も俺のためではないが。


「アクトゥール様。そんなにお嬢様からのお手紙が欲しいのなら、殿下と一緒に王都に戻られては如何ですか? 馬の用意をして参りますね」

「あっ、い、いや、お、私はまだ……あっ! スヴァイルに用があったんだ! それでは殿下。お気をつけて!」


 すぐそこにいるスヴァイル殿には見向きもせずに、走り去っていくアクトゥール殿を見送りホッとしたのも束の間。


「殿下。そろそろ……」


 今度はノリスがやって来た。

〈タイミングが悪いぞ!〉と軽く睨んでみても、あっさり無視されてアデルの手綱を持たされる。

ハァ。仕方ない。いつまでもこうしているわけにもいかないし。


「それじゃあ、サーフィニア嬢。たくさん楽しませてくれてありがとう。また会える日を、楽しみにしているよ。元気でね」

「はい! アズナイル殿下もお元気で!」


 サーフィニア嬢の声に後ろ髪をグイグイ引かれながらアデルに飛び乗り、彼女を見下ろして、ニコリと笑う。


 返ってきた眩しい笑顔を瞼の裏にしっかりと焼き付けて、手を挙げると──その後は振り返らずにプラント男爵邸をあとにした。





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