21・四日目の夜のこと
プラント領にきてから四日目になる今晩は本邸での晩餐に招かれていたのだが。
男爵夫妻は少し体調を崩していると聞いていたし、ときおり顔を見せるアクトゥール殿の顔色もあまり良くはなく、隠しているけど目の下には隈ができているのを知っている。それでも晩餐会を開こうとしてくれているのだ。
ルシファード王国の貴族である以上、王族を放っておくことなどできるはずもなく、無理をしていることが分かっているだけに、かなり心苦しい。
ましてや、時期をずらしてほしいとの上書をある意味無視した形で、こちらの都合だけを押し付けてやって来たのだからなおさらだ。
それで、ノリスやザードたちとも話し合った結果──王都に帰る日までに報告書をまとめたいから──との理由をつけて、これから先の食事はダイニングに用意だけをしておいてもらいたいとスヴァイル殿にお願いしたら「ありがとうございます」と深く頭を下げられた。
今晩の晩餐も謹んで辞退したら、早速クラウド殿がやってきて「プラント領にお金を落としてくださいよ」と誘われて? ザードたちは、非番の男爵家護衛騎士隊の面々と領内の酒場へと出かけて行った。
許可したのは勿論俺だが、箝口令を敷いて置かなければ色々とマズい──俺が!
これがバレたら反省房行きだろう。
なんて、そんなものはないけどな、大目玉を食らうことだけは間違いない。
「俺たちもレストランにでも行くか?」とエルトナに誘われたけど、サーフィニア嬢のいるこの邸から離れたくなかった。
万が一など考えたくもないが、後悔するような事だけはしたくない。
「殿下一人だけを残しては行けません。私も残ります」と言うノリスを、いいから行ってこいと無理やり追い出した。
あとになって、これは大正解だったと知ることになる。
◇◇◇
側近たちと出掛けもせず「クリームシチューをいただけますか」と言った俺を、スヴァイル殿は残念な生き物でも見るかのような目で見てきたが……。
なぜだ! わざわざ別のものを作ってもらうのは悪いと思っただけで、サーフィニア嬢と同じものを食べてる〜♪ などと喜んでいるわけではないのに。
……ホントだぞ?
一人きりの静かなディナーが終わり、お茶だけを持って寝室に入る。
何となく……ここにいるといいことがあるかも知れないと思ってしまうのは、手紙やお茶──サーフィニア嬢の様子を教えてくれる物が現れるのがこの部屋にいる時だったからだろう。
そんな事を考えていると、カツンカツンと窓に何かがあたっているような音がしたのでカーテンを開けてみると、小さな白い鳥が窓ガラスを突いていた。
なんだか気になってそっと窓を開けると、すぐさま部屋に入ってきた白い鳥は臆することなく俺の肩にとまって、一度だけパッと羽を広げて閉じた。
すると──
「──だけど──」「──丈夫ですよ。殿下は──ないでしょう?」
途切れ途切れに話し声が聞こえてきて驚く。いきなりのことに戸惑い、一旦白い鳥を肩からおろそうとしたら、ちょんちょんと耳を突かれて。
話を聞けということだろうか?
そう考えて、とりあえず全神経を白い鳥に集中してみたら、切れ切れだった声がはっきりと聞き取れるようになった。
その声は──サーフィニア嬢とセバスチャン。
「でも、でも、こんなガリガリの私を見たらきっと……気持ちが悪いって。そう思うもの……」
なっ、誰がそんなことを!?
「そんなこと誰も思いませんよ。ですがもしも、お嬢様を悲しませたり傷付けたりする者がいたら、私がすぐに捻り潰しますから安心してください」
セバスチャン、俺も手伝うぞ!
「ダメだよ、そんなことしちゃ」
「いいえ、私の主はお嬢様です。忠誠を誓うのもお嬢様ただ一人。王家でも国でもありません。大切なお嬢様を守るためなら、何であろうと私の持てる力全てを使って叩き潰しますよ」
俺もだ! 叩き斬ってやる!
「もぉー! そんなことばかり言って。でも、ありがとう。……わかった。明日、わたし頑張るね!」
「それでこそ、私のお嬢様です。さあ、それなら早くおやすみにならないと」
お前のじゃない! 俺のお嬢──サーフィニア嬢だぁ!
「うん。セバスチャン、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
セバスチャンの声のあとは物音一つ聞こえなくなったから、捕まえてどういうからくりなのか調べてみようと思ったけれど、俺の手をするりとかわした白い鳥は目の前まで飛んでくると、あっという間に一枚の紙になってふわりと宙に浮かぶ。
落ちる前にその紙を掴もうと伸ばした手が紙に触れると魔法陣が現れて──視界がぐにゃりと歪んだ次の瞬間には知らない部屋に立っていた。
ここは……どこだ?
頭の中が揺れているような気分の悪さに──ゆっくりとあたりを見回すと、随分と可愛らしい内装であることに気づく。
もしかして、サーフィニア嬢の!?
「勘違いするなよ」
背後から突然聞こえてきた声に驚いて振り返ると、腕を組んで扉に寄りかかり、冷えた瞳でこちらを見ているセバスチャンがいた。
「俺は、お前なんかをここに入れたくなかった。だが、お嬢様の為だ。今回だけは仕方がない」
えっ……俺!? セバスチャンて、こんな話し方をする──
「おい。聞いてるのか」
「あっ……ああ、聞いている──ます」
「……こっちだ。が、中に入っても勝手な真似はするなよ」
何が起こっているのかいまいち飲み込めず、うっかり《素》が出てしまうので、黙って頷いて応えた。
セバスチャンが寄りかかっていた扉を開けると、薄暗い部屋の中に可愛らしい天蓋付きのベッドが浮かび上がり、ドクンと心臓が跳ねる。
あのカーテンの向こうにサーフィニア嬢が……。
静かな部屋の中で俺の心臓の音だけが、ドクンドクンと大きく響き渡っているような気がした。
セバスチャンがレースのカーテンをそっと開ける。そこに眠っていたのは──
サーフィニア、嬢?
愕然とした。安らかな寝息を立ててはいるものの、その顔色は青白く、目の下にはハッキリクッキリとした隈。そして頬は、手は、すっかり痩せこけていて。
まるで、まるで……。
「叫ばなかっただけ褒めてやる。ま、叫んだ瞬間、迷いの森の外まで弾き飛ばして、二度とこの地には入れないようにしてやったけどな」
今そんな事はどうでもいい。それよりも、
「こ、れは?……こんな……。毎回、こうなる、のか」
「あぁ、そうだ」
「そんな! あんまりだ! なんで、どうして、こんな……。サーフィニア……」
込み上げてくるものをグッと押し止める。
俺じゃない、辛いのも苦しいのもサーフィニア嬢だ。
爪で傷がつくほど強く拳を握りしめ、奥歯をギリギリと噛みしめているアズナイルを──セバスは暫く黙ってみていた。
「気にいらないな、酷い顔だ。いいか? 明日お嬢様の前でそんな顔をしてみろ。王族だろうが何だろうが、俺は容赦しないぞ」
「分かっている」
「……やはり、気にいらない」
セバスチャンはそう言って、強引に俺の手をグイッと引っ張った。
「なにをっ!?」
問には答えずに、ブランケットの上で組まれているサーフィニア嬢の手の上に俺の手を重ねると、上から軽く押さえつけてきた。
◇◇◇
あの日つながれた温かい手は、今はその温もりを失っている。
痩せ細った冷たい手を思わず軽く握りしめると、俺の指先からサーフィニア嬢に向かって何かが流れていくような感じがした。
ん? なんだ? 不思議に思ったけど、それよりもサーフィニア嬢のことが心配で、頬が痩けて小さくなった顔をじっと見ていると、目の下の隈が薄くなってきているような気がしたが、セバスチャンは黙ったまま動かない。
早くよくなって欲しいと願う、俺の想いが見せている幻覚だろうか。
少しずつ頭がボーッとしてきて頭痛も覚え始めた頃──ずっと見ていたサーフィニア嬢の顔からは完全に隈が消え去った。
顔色も良くなってきているような……気が、する?
あれ? これはもしかして幻覚などではなくて……俺の魔力がサーフィニア嬢に?
いやいや、待て待て。俺に癒やしの力はないぞ?
えっ、まさか強制的に!?
俺の手を軽く押さえつけたままの手に続く顔──表情を確認したいが、怖過ぎて振り返れない。
『気にいらない』
待って、気にいらないからって何してるんですか!?
いやいや、本当に待って! サーフィニア嬢の為なら俺の魔力くらいいくらでもあげますよ。それはもういくらでも。
だけど、ほんのちょっとだけでも残しておいてもらえないでしょうか?
もう一度、サーフィニア嬢の笑った顔が見たいんです!
声にならない願いを何度も心の中で繰り返す間にも頭痛はどんどんひどくなり、意識が朦朧としてきて──ガクンと頭が下がった時、
「ま、こんなもんか」の声と共に漸く手が離された。
頭を下げたまま、ズルズルとベッドの横に座り込みそうになったアズナイルを無理やり立たせたセバスは、
「よし、用は済んだからとっとと帰れ。帰ったら必ずこれを飲んでから寝ろよ。二本入れとくが、一本は明日の朝用だからな。じゃあもう二度と来るなよ」
と、一方的に言いたいことだけを言いながら、アズナイルの服のポケットに自作の特製ドリンクを詰め込む。
アズナイルはといえば──色々と言い返したいところなのだが、気力も体力も既に底をついていて口を開くことさえもままならず、わずかに残っている魔力が尽きてしまう前にとにかく横になりたいと。今はもうただそれだけを願っていた。
最後にセバスチャンから額にバンッ! と何かを貼られ、視界がぐにゃりと歪んだあと倒れ込んだ目の先にテーブルの脚が見えて──ギリギリで激突は免れたことを知る。
うつ伏せに倒れたまま、グワァ〜ン、グワァ〜ンと痛む頭で考える。
やっと横になれた──じゃなくて、なにか言ってたな。
あー、そうそう。飲むんだったな?
確かここに──とポケットを探ると、カチャンと瓶がぶつかる音がする。
一本取り出してなんとか仰向けになると、震える手で蓋を開け一気に飲み干した。
…………まっっずぅーー!! あまりの不味さで飛び起きるわ!!
いや、さすがに飛び起きることはできなかったけれど、手の震えも、ひどい頭痛もすっかりすっきり治まっている。効き目のすごさだけで言えば過去最強のドリンクだと思うが、とにかく不味すぎる。何をどうすればこんな味になるのだろう?
明日また飲まなければならないのかと思うと……ブルッと体が震えた。
転がったまま、フゥーっと息を吐く。
最後に見たサーフィニア嬢は隈も消えて顔色も良くなり、痩けていた頬も少しだけふっくらとしたように見えた。明日は気分良く目覚めてくれるといいが。
そういえば、明日頑張ると言っていたが、何を頑張るのだろう?
病と戦うことを頑張る、のだろうか?
『明日お嬢様の前で──』
ハッ! と気づく。もしかすると……もしかする!?
明日、明日サーフィニア嬢に会えるかもしれない!
目を瞑り、嬉しい期待に浸っていると、
「ただいまぁ。殿下〜、いい子でお留守番していまし──」
……クルス、先ずはノックをしようか?
なんて、のんきに転がったまま心の中で窘めていたら、その後ろから顔を覗かせたエルトナが驚き、ノリスは二人を押しのけて駆け込んできた。
「何があったのですか!? どうして床になど──だから私は残ると言ったのです!ここは王宮では」「落ち着け、ノリス。顔色もいいし、パッと見……怪我をしているわけでもなさそうだぞ」
言いながら近づき、俺を引き起こすとベッドに座らせる。
「だよな?」
「ああ、怪我はしていない。転んだだけだ」
とは言ったものの──ドリンクの瓶を隠さないと、ノリスの根掘り葉掘り攻撃にさらされるぞ!
慌てると怪しまれるので、さり気なく倒れていた場所を確認したが……見当たらない。ベッドの下にでも転がったのだろうか?
もう一本は大丈夫だろうか? とこれまたさり気なくポケットを確認したが……何も無い。
あれっ?……えっ、夢!?
「おーい、クルス。いつまでそうしてるんだ?」
「あっ、たっ、大変だ!! 殿下がし」「んでないわ! お前の目は節穴か!」
縁起でもない! 明日はサーフィニア嬢に会えるかもしれないというのに。
今死んでたまるか!
「よーし。アズナイルの無事を確認したからもういいな? はい、解散。みんな部屋に帰って風呂入って寝ろ」
寝転んでいたくせに、大声を出して急に不機嫌になった俺を見て面倒くさい展開になることを感じ取ったのか、エルトナは母親みたいなことを言うと、クルスの首根っこを掴んで引っ張りながら扉を出ていく。
ノリスは「本当になんともないのですね?」と最後まで疑っ──心配していたが、その場で華麗にジャンプからの一回転をして見せると、漸く納得して出て行った。
パタンと扉が閉まって、ホッと息を吐いた瞬間、再びバァーンと大きな音を立てて扉が開き、驚いて開けた人物を凝視すると、ノリスはこちらを探るような目で見ている。
やや暫く不審そうな顔で見ていたが、最後に室内もグルリと見回してから
「……本当に大丈夫そうですね。では、おやすみなさい」と顔を引っ込めた。
しかし、二度あることは三度ある。かもしれないと構えていたが……。
鍵をかければいいのだと気づき、なるべく音を立てないようにこっそりとかけた。
ハァ、本当に疑り深いやつだ。気を抜いてなくてよかった。
やっと静かになったところで、もう一度ベッドやソファの下を覗いてみたけれど、瓶はどこにもない。ポケットも空のまま。
本当に夢だったのか!? がっかりしてベッドに座ろうとしたら、きっちりと蓋の閉まった一本のドリンクが、さっきまでは何もなかったサイドテーブルの上に載っているのが目に入る。
あいつだ──セバスチャン。こんな事をするのは絶対にあいつしかいない。
瓶を探し回る俺のことを何処かから覗いて笑っているのか?
自分は何でもできるのだということを見せつけたいのか?
人間ではないと思っていたが、やはり悪魔だったな。いや、魔王か?
……なにが──『とっとと帰れ。もう二度と来るなよ』だ!
勝手に転移させた挙げ句、強引に人の魔力を引き出して──まあこれは、サーフィニア嬢のためだから全然構わないけど──説明くらいしてくれ!
やりたい放題白金頭の腹黒大魔王め!!
だけど、サーフィニア嬢の寝室に入れてくれたお陰で状態を確認できたのは──
ん? サーフィニア嬢の、寝室に、入ったのか!? 未婚のご令嬢の寝室に……。
え、えーっと、何だっけ? 部屋帰って──来てるな。次は『風呂入って寝ろ』だったな? うん。そうしよう、そうしよう。
翌朝飲んだ《あれ》は、やっぱり信じられないくらい激マズだった。




